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伊藤計劃とゲームの世界

2015-07-04 15:28:00 | 伊藤計劃
このブログの検索ワードで、意外に「伊藤計劃」があることに
ちょっと驚いている。
前回は伊藤計劃さんの作品との出会いについて
ざっくりと書いたが、今回は少し違う角度から書いてみたい。

私が子育てをした頃、ちょうど子どもが小学校に上がる頃に
ファミコンが発売された。
私は自分が子どもの時、家にテレビがないことや
自分の家庭環境がちょっと人とは違うことなどもろもろで
それなりに悲しい思いや辛い思いをした。

親の教育方針や理想主義は分からないではないが
周囲からの孤立を感じながら成長すると
それはそれで、マイナス面もあることを実感している。
だから自分の子どもたちは、あまり極端ではなく
普通に育ててやりたいと思って、ファミコンも買った。

当時のゲームは「スーパーマリオ」に代表されるように
キャラクターも子ども向けだし
放課後や休日に友だちがおおぜい集まって
わいわい遊んでいたから、それほど親子でもめた覚えはない。

ただ私自身は、ゲームに限らず、勝ち負けというものに
まったく興味が持てず、2匹目のクリボーで死んでしまうというくらい
コンピューターゲームに関しては、才能のかけらもなかったので
ゲームだけは自分の人生には完全に無縁のものと信じていた。

それが伊藤計劃という作家さんに出会って
伊藤さんが、ゲームデザイナーの小島秀夫さんの大ファンであり
自ら「小島原理主義」と呼ぶほど、小島さんに傾倒されていたことを知った。
作家デビューされて、小島さんのゲーム「メタルギア」の
ノベライズを依頼されたことや小島さんとの交流が生まれたことに
とても感激されて、心から喜んでおられたことが、小説の後書きからも伝わった。

そのノベルス「メタルギアソリッド」
ゲームにまったく無縁だった自分に果たして読めるのかと思ったが
意に反して、なかなか面白かった。
ノベライズになると、映画もゲームもそれほど変わらない。
「メタルギア」は、伊藤さんのオリジナルである「虐殺器官」や「ハーモニー」
に比べると、ずっと饒舌な感じがする。
作品世界や登場人物への愛にあふれていると言ったら怒られるだろうか。

毎日ゲームをやっていたら、ゲームが好きだったら
こういう小説が書けるのかといえば、そんなことはない。
小島秀夫さんは例えば「スナッチャー」というゲームでは
映画「ブレードランナー」の世界観を土台にしていると自ら語られ
ゲームのストーリーの根底には、反戦反核がテーマとしてあるというように
映画や小説の創造者のような感性の持ち主であり
そこに伊藤さんが強く魅かれるものがあったのだろうと思う。

伊藤さんは、自らオタクであり非モテであると自認され
それをブログなどで自虐的に書かれることもあるが
そうしたマイノリティとしての自分の生き方には
強い誇りを持っておられたと思う。
そしてその自信や誇りは、中学時代から読んだというSF小説や
学生時代以降観られた大量の映画や本や
他にも音楽や美術や、日々取り込んできた様々な要素が
有機的に結合して小説という実を結んだことによるものだろう。

もとより伊藤さんに影響されて
いまさらゲームをやってみるというようなことではない。
実は私が今小説を投稿している某サイトでは
異世界へ転生とか、ゲームのノベライスみたいなのが
大流行していて、ネット小説の主流となっている。
書き手のほとんどは、十代から三十代くらいまでの若者で
現実社会では何一つ思い通りにいかないから
異世界やゲーム世界で、自分とは正反対の
強くて、カッコよくて、モテモテキャラで大活躍みたいな
ストーリーが、読み手にも書き手にも大人気なのだ。
伊藤さんが描いた「メタルギア」の世界観とは全然違う。
こんなことを書いたら反発をくらうかもしれないが
なるほどゲームだけやってたら、こういう思考になるのかなと思う。

一年ほど前にある方から、かわいらしい日記帳をもらった。
私の病気のことを知って、日々の思い出を書いて
家族に残してほしいという思いがあったのかも知れない。
その日記帳に、伊藤計劃さんのブログ「第弐位相」の
自分が共感できる文章を、せっせと書き写している。
「第弐位相」は一部分しか書籍化されておらず
いきなり閉鎖なんてことになったら泣くに泣けない。

現実に叩きのめされて、出口が見えなくなっていた私に
伊藤さんが教えてくれたこと。
それは「この世の中がデタラメで、圧倒的で、辻褄が合わない場所だ」ということ。
それでも人は「戦えばなんとかなるんだ。むしろ戦うべきだ」と考えていて
人間というものは「無力であることに堪えられないんだろう。
わけのわからないことが嫌いなんだろう」と結ばれている。

まさにと思う。
「わけの分からない、どうしようもない」ものを、そういうものとして
受け入れることで、そこから見えてくるものがあるのだ。
どうしようもない世界をどうにかしようと考えるのではなく
どうしようもない世界でどう生きるのか、あるいはどう死ぬのか。
伊藤さんが描くのはそういう世界で
それが何となく分かったことで
今更ながらSFというものの面白さが分かったように思う。

あなたの考えることのほうが、わけが分からないと言われそうですが
私自身も期限つきの人生ですから
時には自分が思うことを正直に書きます、
ですから、伊藤さんについては、また折々に書くと思います。




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