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命がある限り希望を持つということ

苦しんでいる子どもたちを救うために

2015-07-09 10:07:14 | 社会・生活
先日中学生の問題について書いた矢先でしたが
またとても痛ましい事態が起こってしまいました。

もう十年以上前のことになりますが
自分の体験を交えて考えてみようと思います。
実は上の子の中学校の卒業式の日に
一人の生徒が卒業証書を受け取った壇上で
「自分はイジメにあっていた」と訴えました。
同じクラスの生徒だったので
子どもに聞いてみましたが「そんなことはない」という答えでした。

上の子はスポーツの部活をしていて
運動部の中では、親の目からみたら
いじめとぎりぎりのラインのことが、わりと普通にあると感じていました。
そういう行為は小学校の頃でもあって
地域でのドッジボールやソフトボール大会の練習風景では
運動の苦手な子や、友だちとコミュニケーションを取るのが苦手な子は
特にリーダーシップを取っている子のグループから
嘲笑されたり無視されたりという光景はしばしば見ました。

暴力を振るったりすれば、注意をすることもできますが
際どいところなので、どんな風に言えばいいのかとても難しいのです。
スポーツは、勝ってなんぼの、実力主義の世界なので
幼児と違って「○○ちゃんも一緒に混ぜてあげなさい」
というわけにもいきません。

そういう結構シビアな子ども社会の状況は
今に始まったことではなく
もともと子どもとはそういうもので
やる側もやられる側も段々そういう状況に慣れていき
うまくその状況をかわす能力を身につけることができれば
子どもの社会の中で、居場所を確保することができるように思います。

けれどそうやって保身を身につけた子どもは
今度は、他人の痛みとか苦しみ、悩みに対して鈍感になっていきます。
卒業式の日に「いじめられた」と訴えた子どもは
つもり積もった自分の苦しみを、最後の最後に訴えずにはいられなかったのであり
それを聞いて青天の霹靂みたいな反応だった他の子どもは
「別にそれくらい当たり前のことやろ。誰でもやったりやられたりしてるし」という
大きな認識の違いがあったように、私には思えました。

そして十数年前からしたら、今は状況がいっそう厳しいものになっています。
いじめを主導する子、それに加担する子、周囲で見て見ぬふりをする子
おそらく誰もが、自分たちがそれほど悪いことをしているという認識がありません。

小学校の高学年から、中学高校と
子どもたちは、家庭や学校といった自分たちの生活圏で
人知れず、日々色んなことに傷つけられたり、苦しい思いをしていて
それを誰にも話したり、慰めたりしてもらえず
ストレスとして抱え込み、蓄積させているのではないかと思うのです。

その鬱屈した感情を、自分よりも弱い立場の者にぶつける。
相手が嫌がる、悲しむ姿を見て、偽りの優越感を味わう。
ものすごく屈折してますけど
実はこれ、現在大人の社会が抱えている様々な問題
虐待だとか、パワハラ、DVなどと根っこは同じだと思います。
どうしてこういう負の無限ループになっていくのかを
簡単に説明することはとても難しいので、それはまたの機会にします。

現実の問題として、どうすればこういう悲劇を少しでも回避できるのかを
この時期の子どもの心理に即して考えてみます。
前に書いたように、十代の子どもたちは、とても視野がせまいです。
自分のわずかな知識や経験の中でしか、対処法を考えることができません。

「学校に行ったら、毎日嫌なことを言われたりされたりして、辛くてたまらない。
もう学校に行きたくない」
「でも親や先生に言ったら、すぐに相手や相手の親に言われてしまう」
「それで、相手がいじめをやめるはずがない。もっとひどくなるかもしれない」
「他の友だちにも、あいつチクリやがってと軽蔑されてしまう」
「親に言ったら、心配をかけてしまう」
「親に言っても、お前がやられてばかりいるからだと言われそうだ」
 こういう感じのどこにも出口のない堂々めぐりを繰り返しているうちに
「学校に行かないためには死ぬしかない」という結論に行きついてしまうのです。

一番大切なことは、まずは子どもの話を、他言しないと約束すること
そして、すぐに解決策を提示したり、批判をしたりせずに
ひたすら黙って聞いてあげることです。
そして、どういうことがあったのかを正確に把握することです。

学校でこれが徹底できれば、それにこしたことはないでしょうが
学校には学校内部の、何かと面倒な事情があるようです。
学校という組織の中で、校長先生を含めて
マニュアルで動かなければならない先生にできることには限界があります。

ほとんどの場合、加害者になる子のほうも
いろいろ問題を抱えているものですが
例えば、加害者の生徒の親の教育方針や、問題のある家庭環境などに
先生が、過度に立ち入って命令や指導をするようなことはできません。
本質的な原因を解決できる手段がないから
加害者やその親を「指導」しても無駄なのであり
いじめはなくならないということを
子ども自身が知っているから絶望するのです。

ですから先生に対応してもらうのが無理な場合
(特に子どもが先生に話すのをひどく嫌がるような場合)には
親が子どもの気持ちの受け皿になることが一番なのですが
他に、例えば保健室の先生だけは秘密厳守を前提で
子どもの話を聞いてもらうといった方法もあるかと思います。

けれど基本的に先生は、いじめている側の子どもや親に事実を伝え
いじめをやめるように指導をすれば、いじめはなくなるという考え方です。
ですから、たとえ保健室の先生が受け皿になってくれたとしても
その先生がそれをただ担任に伝えるだけでは、意味がありません。
もういい加減で「加害者の側を指導する」ことに
ほとんど効果がないことを知ってほしいと思います。
加害者側を何とかしようとする前に
まずはどうしたらいじめられている子を守れるかを考えてほしいです。

いじめられている子どもが、いじめから逃れるためには
どういうことができるか、どうすればよいのかの具体策を
子どもと、親と、先生とで話し合っていくことがとても大切です。

このあたりは先日、ネット依存アドバイザーのトリーさんが
ご自身の実体験を「ネット依存、スマホ依存から小中学生を守るために」で
ていねいに書いておられ、親が子どもの気持ちに寄り添うことが
どれほど大切で、子どもを救うことになるかを痛感しました。

この問題では、すぐに学校という組織の問題点ばかりが指摘されて
何だか話がどんどんそれていってしまい
ほとんど改善も解決もされないままで、また同じ悲劇を繰り返しています。
いったい何をどうすれば、子どもたちが救われるのかを
子どもと同じ目線で、子どもの身になって真剣に考えていただきたいと思います。

それでもどうしても有効な解決法が見いだせない時は
「学校に行かない」という選択肢を、親が認めてあげる必要も出てきます。
「学校に行けなかったら、もう○○高校にには行けない。人生は終わりだ」というような
視野の狭い考え方をしないでください。
たとえ○○高校に行ったとしても、人生が終わるような状況は
生きていれば何度でも出てきます。(それはあなたの話でしょと突っこまないで 笑)

ちなみに、私も自分の子どもで、中学三年の秋から
翌々年の春まで、一年半の不登校を経験しています。
原因はいじめではありませんでしたが
中学時代が一番大変だということは経験しています。
そして、友人にも何人か、子どもの不登校を経験した友だちがいます。
みんな、普通に社会に出て働いています。

人生の入口の、中学校でやられたいじめは
人生に無数にある試練の一つです。
生きるということを、客観的に柔軟に捉えることができれば
乗り越えることができる方法は必ず見つかります。

けれど、子どもや若者は、ひとりきりではそれができないことも多いのです。
身の回りにいる誰かひとりでも、かばって、守って
支えてあげることができれば
必ず違う結末を導きだせるのではないかと思います。






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