またかいと言われそうですが、先日
「ゴーン・ガール」という映画を観ました。
単純に監督さんが「セブン」とか「ソーシャル・ネットワーク」で
私の好きなデヴィッド・フンチャーで
音楽が、これまた大好きなトレント・レズナーという
ただそれだけの理由でした。
幸福な結婚生活を送っているように見えた
ニック・ダンとエイミーの夫婦。
けれど5回目の結婚記念日に、妻のエイミーが失踪する。
夫への疑惑と、夫妻をめぐって加熱する報道。
果たして真相は……
とまあそんな感じの映画なのですが
ミステリーだと思って正直に観ると、ことごとく裏切られますし
観終わったあとも、すっきり解決、めでたしめでたしという
気分には絶対になりません。
そもそもヒロインのエイミーという女性は
児童文学作家の両親が書いた
「アメイジング・エイミー」というベストセラーの
主人公エイミーのモデルにされていました。
そして物語の中のエイミーは、才能あふれる完璧な女の子で
本当のエイミーは
親が作り上げたこの完璧なエイミーの呪縛を背負って
リアルな人生を生きている感じがします。
完璧な恋愛、そして結婚。
理想の夫、理想の妻、そして理想の家族。
エイミーは夫のせいで、自分のその理想が壊されたことに激怒し
夫に対する復讐を試み、紆余曲折がありながらも
結局あり得ない方法で自分の望むものを手に入れます。
この映画には、男と女の支配関係や
「見せかけの自分」と「本当の自分」という人間の二面性や
第三者の目に映る幸福や不幸というような
それはもう様々なテーマが織り込まれています。
全部言及したら、とんでもなく長くなるのでそれは止めます。
映画の最後で、エミリーは
マスコミを通して世間を味方につけ
彼女が望んだ「理想の家族」を手に入れるのですが
それを観ている人間には
何ともいえない虚しさと、後味の悪さだけが残ります。
例えば、うちの場合でも
私が「こうあってほしい」というダンナへの理想と
現実は大きく隔たっていました。
特に子育てをしていた時期は、仕事と家事とで手一杯の私は
ギャンブルのことで頭が一杯に見えるダンナに
いつも苛立ち、人間的に心の底から軽蔑してもいました。
けれど夫婦にしても、親子にしても、職場の人間関係にしても
自分が描く「理想」や「完璧さ」とは違って当然なのでしょうし
視点を変えて、相手の側に立ってみれば
相手も自分に対して、同様の失望を抱いているのかも知れません。
ひとりひとりがまったく違う人間だから
所詮相手を自分が望むようにすることは無理なのです。
自分もまた相手が望む人間になることはできません。
何をどう、どこまで妥協し、折り合いをつけるかなのだと思います。
日本のように、世の中が平和で一定の豊かさが保障されている社会では
次第に「理想」や「完璧さ」のハードルが高くなって
「幸福」のイメージも固定化し、均一化していきます。
その一方で、そうした社会や人間関係に適応できず
生きづらさを感じると思う人の割合が増えていきます。
「ゴーン・ガール」に描かれた親子や夫婦の姿も
けして他人事ではありません。
両親から、完璧を要求され続け
世間が認める理想の幸福を
「それはないやろう」というような力技でもぎ取った
エイミーの生き様に、得体の知れない違和感や気味の悪さを感じるなら
自分にとって「理想」とは何か、「完璧」とは何なのか
それはただの自己満足なひとりよがりではないのかを
改めて考えることのできる映画であるとは言えるかもしれません。
ただ私の大好きな、思わず笑ってしまうくらい
やり過ぎ感満載の映画なので
世間一般の常識を超えるものを許容できない方には
無理にお勧めはしません。
「ゴーン・ガール」という映画を観ました。
単純に監督さんが「セブン」とか「ソーシャル・ネットワーク」で
私の好きなデヴィッド・フンチャーで
音楽が、これまた大好きなトレント・レズナーという
ただそれだけの理由でした。
幸福な結婚生活を送っているように見えた
ニック・ダンとエイミーの夫婦。
けれど5回目の結婚記念日に、妻のエイミーが失踪する。
夫への疑惑と、夫妻をめぐって加熱する報道。
果たして真相は……
とまあそんな感じの映画なのですが
ミステリーだと思って正直に観ると、ことごとく裏切られますし
観終わったあとも、すっきり解決、めでたしめでたしという
気分には絶対になりません。
そもそもヒロインのエイミーという女性は
児童文学作家の両親が書いた
「アメイジング・エイミー」というベストセラーの
主人公エイミーのモデルにされていました。
そして物語の中のエイミーは、才能あふれる完璧な女の子で
本当のエイミーは
親が作り上げたこの完璧なエイミーの呪縛を背負って
リアルな人生を生きている感じがします。
完璧な恋愛、そして結婚。
理想の夫、理想の妻、そして理想の家族。
エイミーは夫のせいで、自分のその理想が壊されたことに激怒し
夫に対する復讐を試み、紆余曲折がありながらも
結局あり得ない方法で自分の望むものを手に入れます。
この映画には、男と女の支配関係や
「見せかけの自分」と「本当の自分」という人間の二面性や
第三者の目に映る幸福や不幸というような
それはもう様々なテーマが織り込まれています。
全部言及したら、とんでもなく長くなるのでそれは止めます。
映画の最後で、エミリーは
マスコミを通して世間を味方につけ
彼女が望んだ「理想の家族」を手に入れるのですが
それを観ている人間には
何ともいえない虚しさと、後味の悪さだけが残ります。
例えば、うちの場合でも
私が「こうあってほしい」というダンナへの理想と
現実は大きく隔たっていました。
特に子育てをしていた時期は、仕事と家事とで手一杯の私は
ギャンブルのことで頭が一杯に見えるダンナに
いつも苛立ち、人間的に心の底から軽蔑してもいました。
けれど夫婦にしても、親子にしても、職場の人間関係にしても
自分が描く「理想」や「完璧さ」とは違って当然なのでしょうし
視点を変えて、相手の側に立ってみれば
相手も自分に対して、同様の失望を抱いているのかも知れません。
ひとりひとりがまったく違う人間だから
所詮相手を自分が望むようにすることは無理なのです。
自分もまた相手が望む人間になることはできません。
何をどう、どこまで妥協し、折り合いをつけるかなのだと思います。
日本のように、世の中が平和で一定の豊かさが保障されている社会では
次第に「理想」や「完璧さ」のハードルが高くなって
「幸福」のイメージも固定化し、均一化していきます。
その一方で、そうした社会や人間関係に適応できず
生きづらさを感じると思う人の割合が増えていきます。
「ゴーン・ガール」に描かれた親子や夫婦の姿も
けして他人事ではありません。
両親から、完璧を要求され続け
世間が認める理想の幸福を
「それはないやろう」というような力技でもぎ取った
エイミーの生き様に、得体の知れない違和感や気味の悪さを感じるなら
自分にとって「理想」とは何か、「完璧」とは何なのか
それはただの自己満足なひとりよがりではないのかを
改めて考えることのできる映画であるとは言えるかもしれません。
ただ私の大好きな、思わず笑ってしまうくらい
やり過ぎ感満載の映画なので
世間一般の常識を超えるものを許容できない方には
無理にお勧めはしません。
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