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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

青少年のスマホの利用に対する大人の責任

2015-04-05 11:19:08 | ネット依存症
今日ヤフーのニュースに次のような記事が出ました。

「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」

4日の信州大学の入学式で、山沢清人学長が8学部の新入生約2千人に
こう迫られたのだそうです。
そして記事は次のように続いています。

「山沢学長は、昨今の若者世代がスマートフォン偏重や依存症になっている風潮を憂慮。
「スイッチを切って本を読み、友だちと話し、自分で考える習慣をつけ、物事を根本から
考えて全力で行動することが独創性豊かな学生を育てる」と語りかけた」

まさに、と言う感じです。社会的に影響力のある立場の方が
こういう風に、はっきりと警鐘を鳴らしてくださるのはとてもいいことです。
それもこれも、せっかく一生懸命に受験勉強をして、希望の大学に入学できたのに
スマホ依存になり、勉強や、有意義な人間関係がおろそかになって
将来をだめにしてしまう学生が、信州大学のような国立の大学でも
増えてきているからではないかと思います。

一方、統一地方選挙が始まって、あいも変わらず
時代錯誤で迷惑極まりない大音量の選挙カーが走り回っていますが
「子育て支援」とか「子どもたちの明るい未来」とかいった
何一つ具体性のない抽象的なスローガンを叫ぶ候補者はいても
「地域で子どもたちのスマホや携帯使用を規制してはどうか」
といった、今の時代の問題に沿った具体的な提案をしてくれるような
候補者はおそらく今回も現れないのでしょう。

ギャンブルにしてもそうですが、様々な業界の利権が、とんでもなく複雑に
絡みあっていますから、法的に罰則や拘束力のある規制を作るのは
たぶん無理なのだろうと思います。
けれど、問題は青少年に関わることですから
何もせず、放置しておいていいわけがありません。
声を上げる、問題提起する、実現可能な対策を考える
これは大人の責任だと思います。
とはいっても、スマホをめぐる問題は
親と子どもだけで解決できることばかりではありません。

子どもがスマホの何にハマっているのかによって違いますが
Lineのようなコミュニケーションツールで
学校の友人とのやり取りが、度が過ぎているというような場合は
わが子だけ禁止するのは難しいし、それで他の問題も生じますから
親たちや先生、政治家といった大人たちがちゃんと介入して
クラス単位、学校単位、あるいは市町村単位で
少なくとも、小中学生については、夜間の利用を止めようといった
呼びかけや働きかけを根気よく続けていくなどの対策が必要だと思います。
少数ではありますが、そういう取り組みを始めた自治体もあるのです。

今日はもう一つこんなニュースもありました。


東京都の調査で、子どものスマートフォン(スマホ)の依存に6割が
不安を抱えているというものです。

「昨年12月の、小4から高3の保護者を対象の調査で、
スマホか携帯電話をもつ子どものうち
スマホをもっている割合は全体で52・8%。
小学生17・2%、中学生54・8%、高校生86・2%だった。
また、そのうちの約4割はフィルタリングなどの有害サイト対策を
していなかった」

ろくに社会経験もなく、世の中のことを何も知らない小学生や
中学生が、LineやSNSや、その他のインターネットで
どこの誰とも分からない人間と関わることの危険性
住所や名前、電話番号といった個人情報を扱う時の注意
オンラインゲームとお金の問題
更に、何でもありのネットの世界で、何が有害なのか
そうしたことに、まずは親自身が
子どもを納得させられるだけのちゃんとした知識と
それについての親としての意見を持って子どもと向き合い
根気よく、スマホ利用のルールを作っていく努力が必要です。

やみくもに「危ないからダメ」では
インターネットなんかにだけは、妙に精通している
今どきの子どもには太刀打ちはできません。
私は「フェイスブックは実名でしか登録できないのか」に興味があって
やってみたら実名でなくてもできました。
(意味がないのですぐ解除しましたが)
実名かどうかをチェックする機能はないのです。
このように実はネットの世界というのはあまり信憑性がありません。

新年度ということで、スマホデビューしたお子さんも多いでしょうが
とにかく最初が肝心ということは、すでに色んなところで言われています。
親の責任、大人の責任というのは、
「あれはダメ、これはダメ、ああしなさい、こうしなさい」と
口やかましくガミガミ言うことではないと思います。
なぜそれがダメなのか、なぜそれをやったほうが良いのかといった
子どもが知らないことを、子どもが理解できる言葉で
きちんと教えてあげることなのだと思います。

先日TVであるお母さんが、息子さんが親を拒否し始めたのが
5年生くらいからと言っておられるのを聞いて
私は自分の子どもが親離れしたと実感したのは
中学に入った時でしたから、少し驚きました。

最近の子どもたちは、それこそネットやら、友だちやらの影響で
一部分だけ、何かいびつに大人になっている傾向がありますから
そうして背伸びをする時期も早まっているのかもしれません。
ですから親もうかうかとはしていられないのです。

私は、ある意味放任主義な子育てをしましたが
それでも、ここ一番というところは
子どもに迎合する必要はないと思っていますし
子どもになめられない程度には
親もがんばらなくてはいけないと考えています。

指図や指示をするだけで、親自身が無知だったら
子どもが納得するはずも、言うことを聞くはずもありません。
さらに親の生き方や考え方が言ってることと違う場合も
子どもにはすぐに見抜かれます。
反抗するだけならまだしも軽蔑されたりしたら終わりです。

子どもに何かを望む前に、まずは自分の生き方が
考え方と一致していることのほうが重要です。
子育てをしていた頃、なりての少ない地域の役員を
十年以上やっていました。
学校の役員さんをやる人は、まあまあいるのですが
見返りの少ない地域の委員はみんなが敬遠します。
でも親が「やりたくないことはやらない」という考えでは
子どもに「やりたくないことでも、やらなければいけないことは
世の中にはたくさんある」と言うことはできません。

理想主義なんていう美しいものではなく
「何も自分がそれをしなくても」というほうへばかり
敢えて飛び込んでいきますから、ある意味無茶苦茶です。

スポーツにまったく何の知識も興味もないのに
引き受け手のない体育委員をやった時は
婦人バレーのルールの説明会に行って
「アタックって何ですか」と質問したら
会場にいた人がみんな信じられないとばかりに私の顔を見て
一人が「あなた、どこの町内の人?」と聞かれ
後々までの語り草になったりもしました。

それならそうで、ママさんバレーとかやってる人が
率先して引き受けてくれればよいのですが
誰もやらないから引き受けたわけですから
文句を言われる筋合いはありません。
「私でだめだというなら、そう言う
あなたがやるべきでしょう」と
売られたケンカは喜んで買います。

子どもたちが私の行動に何となく不安を感じるのは
その辺りがトラウマになっているのかもしれません。
でもそれを反面教師にしてくれて、
何事にも冷静に、理性的に人生を生きてくれるなら
それはそれで願ってもないことではあります。




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