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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

4回目の3・11に思うこと

2015-03-13 10:59:24 | 社会・生活
東日本大震災と福島の原発事故から4年が過ぎた。

報道によれば、避難生活をしている方が、約22万9千人
このうち半数以上の11万9千人が、福島県からの避難で
仮設住宅で生活されている方が8万人を超えていることを
改めて報道で知る。けれどそこで示されたのは数字だけで
一人一人の方が、今どういう思いで生きておられるのかまでは
知ることができない。

先日ケーブルで2013年に放送された「オリンピックの身代金」
というドラマを観た。

秋田から出稼ぎして、東京オリンピックの工事現場で働いていた
東大生の島崎国男の兄が死ぬ。

兄の死に疑問を感じた島崎は、兄が働いていた現場で自分も働き始める。
オリンピックの開催に間に合わせるために、1日16時間という
過酷な労働を強いられ、その疲労感を紛らわせるために
労働者たちはヒロポンを打つ。そしてそんな労働者たちを
イカサマ賭博に引きずり込み、あるいはヒロポンを売りつけて
彼らが稼いだわずかな賃金を巻き上げる裏社会までが絡む。

兄の本当の死因が、ヒロポンの過剰摂取だったことを知り
さらに労働者を取り巻く悲惨な現状を知った島崎は
「オリンピックの会場に爆弾をしかける」と脅迫して
国から8千万円の身代金を奪取する計画を立てる。

私はこのドラマで、今まで知らなかったたくさんのことを知った。

ドラマの背景になっているのは昭和39年。
東京オリンピックが開催された年。私は小学校の3年生だった。
けして贅沢な暮らしではなかったが、福岡の町は
戦後の混乱や破壊的な状況からはほぼ回復していて
そこで私は普通の生活をしていたから
戦後の日本の復興のシンボルとして華やかに開催され、
日本に、世界に報道され、映画にもなった東京オリンピックの裏側に
そうした現実があったことをまったく知らず
知らないまま半世紀を生きてきた。

「えぇ、それはただの小説、フィクションじゃないの」と
思われる方もおられるかもしれないが
先日原発事故で避難区域に指定されている富岡町の男性が
「このあたりは農村で、農家の人間は冬は出稼ぎにいかなければならなかった。
それが町に原発ができたことで雇用が生まれた」という話をされていた。
終戦から70年が過ぎたが、何も変わってはいない。
地方の人たちが、自分たちの生活と命をかけて
この国の発展を下支えしている状況は、
形を変えながらずっと続いているのだなと改めて思う。
だから物語とまったく同じことがあったとは言えないにせよ
これに近い状況が存在したことは否定できないのではないかと思う。

ドラマの中で、警察の偉い人が言う。
「東京が豊かになれば、地方だってだんだん豊かになっていく」
これもまた最近よく耳にする話だ。
「全国津々浦々まで、景気がよくなったという実感をお届けする」
やっぱり何一つ変わってはいないと思う。
バブルの狂騒も恩恵も、その後の変化も
地方都市で暮らし、中小零細の企業で働く私たちには
どんな実感もないままに過ぎた。
まして地方で、農業や漁業などに携わってこられた人たちの日常は
数十年前から何一つ変わってはいないのだろうと思う。
いや、むしろ悪くなることはあっても良くなっているようには
思えないというのが正直な気持ちかもしれない。

「オリンピックの身代金」は、日本の、国際社会への復活を象徴する
華やかな東京オリンピック開催の陰で
300人の出稼ぎの労働者が亡くなったと語る。
その両者の価値を天秤にかけたら、人の命はちりのように軽い。

それが国家というシステムの真実で
それを私たちがどうにかすることはできない。
だから島崎は、孤独なテロリストの道を選んだ。
フィクションだったらそれもありだろうけど
現実社会では、なかなかそういうわけにはいかない。

けれど無力な私たちにも、ひとつだけできることがある。
東京で行われた慰霊祭で、一人の若い女性が
言葉にすることも難しいような過酷な体験を語られた。
聞いていて胸が苦しくなるような真実の言葉だった。

未だ避難生活をされている人たちや
震災以前の生活に戻ることができずに
大変な苦労をされている方は
自分や自分の家族の今を、今どんな生活をしているのか
どんな悩みや苦しみ、悲しみ、あるいは喜びがあるのかを
どんなにたどたどしくてもいいから、自分たちの言葉で語ってほしい。
幸いネット社会になって
TVのインタビューで取り上げられなくても
自分たちの思いを社会に発信できる場所はある。

TVで報道された「3・11」に違和感を感じた人たちは
特に当事者であれば、かなり多いのではないかと思う。
けれど沈黙すれば、誰も事実を知ることはできない。
すべてはなかったことになってしまう。

声高に批判や攻撃をする必要はないのだと思う。
私は、ギャンブル依存症の家族と向き合って生き
何度か際どいラインをくぐってきた人間として、最近そう思うのだ。
この社会の仕組みやあり方を変えることは多分できない。
けれど、私たちの悲しみも苦しみも、事実は事実としてある。

その事実を言葉にして残せば、誰かに知ってもらうことができる。
どんなに高名な識者や著名人がたくさんのコメントを積み上げても
事実は当事者にしか語れない。
そして、それはまた、今自分が生きていることの
一つの証でもあるのだ。

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