癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

高村薫さんの小説

2015-03-07 09:28:14 | 社会・生活
伊藤計劃さんの小説に出会ったのは3年前ですが
こちらはもう20年近い付き合いになります。
まさに真打ち登場という感じです。

子育てをしていた頃には、私と子どもたちの本を合わせると
古いアパートの部屋に1000冊を超える本がありました。
それを子どもの成長や、自分の好みの変化に応じて
何度か大幅に処分しました。

それでも去年の引越しの時点で200冊くらい残っていました。
今回は整理とか処分とかではなく
文字通り断舎利ですから、最初は人生の残り時間を考えたら
高村薫さんと伊藤計劃さんだけでもいいかなと思いましたが
これまたあまり大ざっぱにやると、後で後悔しそうなので
50冊ほどを厳選しました。

ある作者さんで好きな作品が1、2冊あるというのは
たくさんあるのですが、ほぼ全作品を読んだというのは
結婚後は高村薫さんと伊藤計劃さんだけです。

ただ高村薫さんの作品は、自分ののめりこみ方が半端ではなく
言及し始めたらとめどがなくなりそうなので
今までほとんど感想を書いたことがありません。
もしも高村薫の小説を分かろうとするなら
自分で全部読むしかないようなところがあります。

特に「晴子情歌」以降の作品
青森出身の自民党代議士福澤榮の一家を描いた三部作では
それぞれ「晴子情歌」では母と息子、そして愛について
「新リア王」では父と息子、そして政治と宗教(主に仏教)について
「太陽を曳く馬」では芸術と、これまた宗教が語られ
その後に書かれた「冷血」では罪の問題が取り上げられています。

これらの作品に掲げられた大きなテーマへの答えがあるか
と言われたら、残念ながらありません。
三部作に登場する福澤彰之と、「マークスの山」以降
高村作品で、語りの主体である刑事の合田雄一郎の二人は
作家高村薫の思考の代弁者だと思いますが
合田刑事は「太陽を曳く馬」の終わり近くで
精神科の医師から「あなたの話を伺っていると、欲しいのは
答えではなくて、<分からない>という地平に留まることの
承認のように感じられる」と言われてしまいますし
同じく「太陽を曳く馬」で禅僧となった福澤彰之は言います。

「私の感性の経験や理性が答えることのできない何かを、
私自身が問いとして立て続けること、そのことだけなのだ」

この「問いとして立て続ける」ことが
つまり高村薫さんの小説の真髄なのだと私は理解しています。
残酷な事件、悲惨な事件が起きると
様々な人が外野席から色々な発言をしますが
それは実はどれも当事者の言葉ではありません。
しかし例えば「冷血」の中では、残虐非道な殺人を犯した
二人の犯人が、それぞれの思いを多くの言葉を費やして語りますが
それが真実かと言えば、それもまた不確かなのです。

人間とはこれほどにも不可解なものですが
その分からないことに問いを立て続けるという考え方に、私は強く共感します。
何千、何万の言葉を費やして「分からない」と言われたら
ほとんどの人は「そんなものに付き合っていられないよ」と思うかもしれません。

けれど言葉を用いて考えることをしない人間は
食って寝て、セックスして、争ってというただの動物に過ぎません。
他の小説ですが「言葉を失うことは思想を失うこと」を暗示しているものがあって
私は、今社会で起こっている様々な事件や問題の背景に
この「言葉の喪失」が大きく影響しているように思わます。

思想というほど難しいものでなくても
日々起こる出来事についても
無責任に垂れ流されるステレオタイプな答えや借り物のコメントで
間に合わせることは、楽ではあっても危険な気がするのです。

たとえどれほど未熟でも、自分の人生に起きてくる様々な事象に
自分がその時点で習得している知識と言葉で、自分なりの問いを立て続けること
それを教えてくれたのが、まさに高村薫さんの小説だったのだと思います。

若いころの私は本の虫でした。
自分が読んだ本で得た知識を自分の考えのように錯覚し
借り物に過ぎない人の言葉を自分の言葉として口にしていました。
けれど行動が伴わない頭でっかちのひとりよがりは
押し寄せてくる現実に立ち向かうのにはほとんど役には立ちません。

十九才から働いて、その後結婚子育てと、考えることよりも
まずは動くこと、働くことを最優先に生きてきましたが
家族という最小の人間関係でさえ
ただやみくもに動けばよいというものではなく
色々と考えなければならない場面は山ほどありました。

ダンナの依存症の問題のように
どれだけ調べて考えても
「これ」という納得のいく答のでないものもあります。
心とは何か、脳とは何か、言葉とは何か
何にしても少しでも本質を理解しようとすれば際限がありません。

しかも科学は進歩していますから
先日の「依存症は治らないは間違い」の話のように
新しい情報が出てきたりもします。
それが納得のいく話だったら
自分の考え方を修正したり、更新したりする必要もあります。

生きていれば遭遇するあらゆる問題について
「問いを立て続けること」「学ぶこと」「考えること」
それをたとえ未熟であっても、稚拙であっても「自分なりの言葉で表現すること」
高村薫さんの小説は、私にとってはそこから何か答えを得るためのものではなく
自分自身の生き方そのものの指針だと思います。






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