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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

伊藤計劃という作家の生き方

2014-10-12 12:06:22 | 伊藤計劃
最近は書くことが、またブログの趣旨とはズレまくっているが
自分の頭の中がこうなのだから、それはそれでもいいかと開き直り始めた。

最初は、2012年に芥川賞を取った円城塔さんの「道化師の蝶」を読んだのが始まり。
「道化師の蝶」も、文学でこんなことができるのかと、かなり衝撃を受けたが
その円城塔さんつながりで「伊藤計劃」という名前を知った。

興味はあったが、SFというジャンルはあまりなじみがない。
いきなり長編を買い込んで読めなかったら困ると思い
「From the Nothing With love」という短編が収録されたSFのアンソロジーを
買って読んだら、これが見事にビンゴだった。
「虐殺器官」「ハーモニー」の長編二作と
ゲーム「メタルギア」のノベライズである「メタルギア・ソリッド」
短編集の「Indifference Engine」を立て続けに読み
伊藤さんのサイト「第弐位相」の記事も少しづつ読んでいる。

伊藤さんは2001年にガンが見つかり片足を切断された。
その後2007年に書かれた「虐殺器官」が小松左京賞の最終候補になり
惜しくも賞を逃したものの、同時に最終候補に残った円城塔さんの助言によって
早川書房に原稿を持ち込み作家デビューを果たした。

しかし2006年に再び転移が見つかり、治療に取り組むも
2009年3月肺ガンのため死去。享年34才の若さだった。
死後二作目の長編「ハーモニー」が刊行され
遺作の長編「虐殺器官」と「ハーモニー」は
2015年アニメ化されることが決まった。

サイトに残る「著者インタビュー」の中で伊藤さんは
「『虐殺』の最終ゲラチェックを行なったのは、胸を開いた手術の四日後という
すさまじいスケジュールでした」と述べられている。
またかなりのシネフィル(映画通)でもあって
Webデザインナーとして働くかたわら
闘病中も好きな映画やDVDの鑑賞や読書を欠かされなかった。
その伊藤さんの作品やブログや生き方を通じて
私が大きな衝撃を受けたのは「人間は生死が分からない大きな病気を抱えても
こういう考え方や生き方ができるのか」ということだった。

私自身がガンの告知をされたのは、伊藤さんの作品に出会ったから二年後。
今私がこうして日々生きている、その核になる部分を支えてくれているのは
確かにこの伊藤計劃という作家とその軌跡だと言っていい。

伊藤さんのブログ「第弐位相」の中で
自身の闘病について語られている部分は多くはない。
その中で2004年6月の記事に次のような記述がある。
伊藤さんが最初の入院手術の後退院して帰宅した時に
出迎えてくれた愛犬は、その後亡くなったらしい。

「そして、いま、愛犬は彼岸にいる。あのとき、生きて帰ってきたぼくを
抱き締めた温もりは、ペットたちの共同墓地にいて、そこへぼくは墓参り
に行き、あふれる思いを、残された者たちが抱えるには多すぎて溢れてし
まう情念を、墓にすくいとってもらい、身軽になって家に帰る」

伊藤さんは「抱えるには多すぎて溢れ出してしまう情念」を、愛犬の墓に
すくいとってもらうだけではなく、自らの作品の中にも注ぎ込んだのだと思う。
もとよりその作品は、伊藤さん自身が「罪のない人が十把ひとからげに殺され
まくる近未来が舞台で、主人公が殺し屋で」(虐殺器官)と揶揄されているように
「愛と希望の○○」とか「百万人が涙する」といった内容ではないし
誰でもが納得するようなテーマを声高に叫ぶものでもなく
読み手が自分の感性で、受け取れるものを受け取るという類いのものだ。

だから表面的な読み方をする人は
むしろ眉をひそめるような代物かもしれないが
私が60年近く生きてて、まだ見たことのなかった
新しい地平を、伊藤さんを起点として次々と見せてもらった。

私もそこそこ映画は観たが、伊藤さんの大量の映画レビューは
読んでみても八割がた意味が分からない。
SFや戦争、アクション映画が私にはなじみが薄いジャンルということもあるが
それ以上に映画についてのキャリアが全然違う。とても勝負にならない。
それに伊藤さんの映画批評は、自分の好みというものがはっきりと出ている。
人間の感じ方は、それまでに取り込んだ様々な要素が組み合わさって
ジグゾーパズルのようになったものを土台にしているので
伊藤さんと私がぴったり合うわけもないのだろうが
例えば押井守監督とか、デビット・フィンチャーとか
共通するものもいくつかはあることがうれしい。
だから伊藤さんが特にお勧めされているものだけでも観てみたいと思う。

前回病院に行った時に、病院の近くにジュンク堂があるので
未読の「伊藤計劃映画時評集2」を買ってきたが
これまた普通の映画批評とは全然違う独自の視点で
全然違う切り口で映画と言うものが語られている。
伊藤さんの小説世界と同様に共感できる人間は共感し
それぞれが自分なりに解釈する類の内容だ。
こういうマイノリティの誇りを感じる作品は
最近の国産品では、本でもドラマでも映画でもほとんどなくなった。

このような伊藤さんの姿勢から
「自分はこういう風に感じる、こういう風に考える」ということを
はっきり表現していいのだということを教えられたような気がする。
こうしてモノ書きをしていると、どうしても読んでくれる人の
受け取り方ということを考慮して
自分が本当に考えていることの一部しか書かないことが多い。
けれど私に残された時間もまたそれほど多くはない。
そう考えると、自分がどうしても書きたいと思ったことは
思った通りに書いてもよいのだと教えられているような気がするのだ。

伊藤さんのブログ「第弐位相」は
2009年1月7日「病院で元旦」という記事で終わっている。
「今年も宜しくお願いいたします」という新年の挨拶が
何回読んでも何十回読んでもただただ寂しく切ない。
願わくばせめて私が生きている間は
このブログが消えてなくなりませんようにと祈るしかない。





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