そもそもは馬に乗った猿がずらりと並んでいる画像を目にして
「何かスゴい」と思ったのが始まりでしたが
「猿の惑星創世記(ジェネシス)」に続き「猿の惑星新世紀(ライジング)」を
映画館で見て、ちょっと毛深いけど、もう猿のリーダーシーザー最高、男前
シーザーラブと連呼して、家族の半笑いを浴びています。
前作で、本来は認知症の治療薬として開発されるはずだった薬が
猿の知能を飛躍的に高めたが、人間には死をもたらすウイルスに変貌して
十年後には人類の90%が死亡し、人間の世界が廃墟となったところから
この映画は始まります。
シーザーは施設にいたたくさんの仲間を救出し
彼らとともにゴールデンゲートブリッジを渡って
山岳地帯で豊かで平和なコミュニティを作り上げています。
ところが、その平穏な暮らしが人間の介入によって壊されます。
この映画が内包する大きなテーマが、紛争、対立、あるいは人種差別など
今まさに人間たちが直面している社会的な問題であることは
すでにたくさんの優れた映画レビューの中で書かれています。
けれど私は、その大きな世界観とは別に
前編の「創世記(ジェネシス)」から
この「猿の惑星」に親と子の物語を見ていました。
ですから、猿たちが暮らす山の家の正面に
シーザーが幸せな子ども時代を過ごした
ウィルの家の窓と同じ形が木の枝で作られて
掲げられているのを見てとてもうれしくなりました。
前作でひどい収容施設に入れられ、檻の壁に窓を描いたシーザーは
家に帰れないとわかった悲しみと怒りでその窓の絵を消してしまいます。
けれどその窓は今でも、優しかったウイルとの思い出
ひいては人間との絆の象徴として大切に飾られていることがうれしかったのです。
そしてあの可愛かったチンパンジーが今や仲間の信頼と尊敬を一身に集める
貫禄十分の最強のリーダーとなって、奥さんもこどももいました。
そして更に二人(二匹?)目の子ども、ブルーアイズの弟も生まれます。
けれど息子のブルーアイズは、シーザーに比べればまだまだ未熟です。
父親の言いつけを聞かずに怒られたり
シーザーの価値観を理解できずに
「シーザーは仲間よりも人間が好き」と
シーザーを批判し反旗をひるがえすコバの側についてしまったりします。
それでも最後は、復活したシーザーが奥さんや息子たちを
その両腕に抱えて家族の絆が戻ります。
私にとってこの「猿の惑星新世紀」は
家族の、そして父と息子の物語でもありました。
ずっとこうして依存症についてのブログを書いていますが
実はいつも入り口のない家の回りをぐるぐる回っているような
どうしようもないもどかしさがあります。
前のブログにも書きましたが、映画の中でシーザーが言った
Home(家)Family(家族)Friend(友人)Future(未来)
人間にとってとてもとても大切なものです。
これらが何よりも大切だということさえ分かれば、
依存症は克服できるのではないかと思うのですが
こんなにも単純なことが、依存症になってしまうと
分かってもらえないということが、どうしようもなく悲しいし悔しいのです。
それだけでなく、自分が依存しているものを家族や友人や未来よりも
優先しつづければ、その人は今はまだ持っているかもしれない
それらの大切なものをすべて失います。
シーザーは「猿は猿を殺さない」という掟を作って平和な社会を作ってきましたが、
多くの仲間を犠牲にして権力を持とうとしたコバに対して
最後に「お前は猿ではない」とコバを殺すという苦渋の決断をします。
人に対する思いやりや優しさや愛情を持てず
自分の欲望や快楽のみが優先するようなものは、もはや人間ではない。
他人であればそう言い切って切り捨てることもできますが
夫婦や肉親はそれほど簡単にはいきません。
それでズルズル依存症者に引きずられていると
最後は家族のほうが「共依存」というありがたくない
心の病いのレッテルまで貼られてしまいます。
まさに踏んだり蹴ったりです。
田辺等先生の「ギャンブル依存症」の中で
妻の財布から3万円を抜いて競馬ですってしまった依存症者の例をあげて
「あなたがこの賭けで失ったものは(3万円のお金だけではなく)
夫婦の信頼感、家族との心の絆、家族の平安な一日なのです」と述べられています。
そしてこの章のタイトルは「あなたは家族を賭けている」です。
まさしくその通りだと思います。
「勝っても金、負けても金」の汚泥の底を這い回るような人間よりも
お猿さんたちのほうがよっぽど高潔で立派です。
だからこそ私は家族を守り、仲間を守り、ひいては
たとえ自分の命を賭けても自分たちの未来を守ろうとするシーザーの姿に
「これこそ、本当は人間が人間としてあるべき姿なのだ」と
強く心が揺さぶられたのだろうと思います。
「何かスゴい」と思ったのが始まりでしたが
「猿の惑星創世記(ジェネシス)」に続き「猿の惑星新世紀(ライジング)」を
映画館で見て、ちょっと毛深いけど、もう猿のリーダーシーザー最高、男前
シーザーラブと連呼して、家族の半笑いを浴びています。
前作で、本来は認知症の治療薬として開発されるはずだった薬が
猿の知能を飛躍的に高めたが、人間には死をもたらすウイルスに変貌して
十年後には人類の90%が死亡し、人間の世界が廃墟となったところから
この映画は始まります。
シーザーは施設にいたたくさんの仲間を救出し
彼らとともにゴールデンゲートブリッジを渡って
山岳地帯で豊かで平和なコミュニティを作り上げています。
ところが、その平穏な暮らしが人間の介入によって壊されます。
この映画が内包する大きなテーマが、紛争、対立、あるいは人種差別など
今まさに人間たちが直面している社会的な問題であることは
すでにたくさんの優れた映画レビューの中で書かれています。
けれど私は、その大きな世界観とは別に
前編の「創世記(ジェネシス)」から
この「猿の惑星」に親と子の物語を見ていました。
ですから、猿たちが暮らす山の家の正面に
シーザーが幸せな子ども時代を過ごした
ウィルの家の窓と同じ形が木の枝で作られて
掲げられているのを見てとてもうれしくなりました。
前作でひどい収容施設に入れられ、檻の壁に窓を描いたシーザーは
家に帰れないとわかった悲しみと怒りでその窓の絵を消してしまいます。
けれどその窓は今でも、優しかったウイルとの思い出
ひいては人間との絆の象徴として大切に飾られていることがうれしかったのです。
そしてあの可愛かったチンパンジーが今や仲間の信頼と尊敬を一身に集める
貫禄十分の最強のリーダーとなって、奥さんもこどももいました。
そして更に二人(二匹?)目の子ども、ブルーアイズの弟も生まれます。
けれど息子のブルーアイズは、シーザーに比べればまだまだ未熟です。
父親の言いつけを聞かずに怒られたり
シーザーの価値観を理解できずに
「シーザーは仲間よりも人間が好き」と
シーザーを批判し反旗をひるがえすコバの側についてしまったりします。
それでも最後は、復活したシーザーが奥さんや息子たちを
その両腕に抱えて家族の絆が戻ります。
私にとってこの「猿の惑星新世紀」は
家族の、そして父と息子の物語でもありました。
ずっとこうして依存症についてのブログを書いていますが
実はいつも入り口のない家の回りをぐるぐる回っているような
どうしようもないもどかしさがあります。
前のブログにも書きましたが、映画の中でシーザーが言った
Home(家)Family(家族)Friend(友人)Future(未来)
人間にとってとてもとても大切なものです。
これらが何よりも大切だということさえ分かれば、
依存症は克服できるのではないかと思うのですが
こんなにも単純なことが、依存症になってしまうと
分かってもらえないということが、どうしようもなく悲しいし悔しいのです。
それだけでなく、自分が依存しているものを家族や友人や未来よりも
優先しつづければ、その人は今はまだ持っているかもしれない
それらの大切なものをすべて失います。
シーザーは「猿は猿を殺さない」という掟を作って平和な社会を作ってきましたが、
多くの仲間を犠牲にして権力を持とうとしたコバに対して
最後に「お前は猿ではない」とコバを殺すという苦渋の決断をします。
人に対する思いやりや優しさや愛情を持てず
自分の欲望や快楽のみが優先するようなものは、もはや人間ではない。
他人であればそう言い切って切り捨てることもできますが
夫婦や肉親はそれほど簡単にはいきません。
それでズルズル依存症者に引きずられていると
最後は家族のほうが「共依存」というありがたくない
心の病いのレッテルまで貼られてしまいます。
まさに踏んだり蹴ったりです。
田辺等先生の「ギャンブル依存症」の中で
妻の財布から3万円を抜いて競馬ですってしまった依存症者の例をあげて
「あなたがこの賭けで失ったものは(3万円のお金だけではなく)
夫婦の信頼感、家族との心の絆、家族の平安な一日なのです」と述べられています。
そしてこの章のタイトルは「あなたは家族を賭けている」です。
まさしくその通りだと思います。
「勝っても金、負けても金」の汚泥の底を這い回るような人間よりも
お猿さんたちのほうがよっぽど高潔で立派です。
だからこそ私は家族を守り、仲間を守り、ひいては
たとえ自分の命を賭けても自分たちの未来を守ろうとするシーザーの姿に
「これこそ、本当は人間が人間としてあるべき姿なのだ」と
強く心が揺さぶられたのだろうと思います。
ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!