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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

自分のための小さな物指し

2014-09-20 08:41:46 | 依存症
ずいぶん長いこと映画館で映画を観てないので
実は昨日封切られた「猿の惑星 ライジング」を観にいこうかと
こっそり企んでいます。

そのためにはどうもまず前作の「猿の惑星ジェネシス」を観る必要がある
みたいなので、一昨日ケーブルのオンデマンドで観たら
どうやら昨夜民放でも放送があったようです。

今回もなかなか感動しました。エビ型エイリアンの次は猿かいと
言われそうですが、たかが猿となめてはいけません。奥が深いです。

実験動物として高い知能を持ち
人間に育てられたシーザーというチンパンジーが
育ててくれた家のおじいちゃんを守ろうとして暴れ
収容施設の狭い檻に入れられて、檻の壁に
自分が可愛がられて幸せに育った家の窓と同じ形の図形を描くシーン。

その後「自分は人間とは違うのだ」ということを
次第に認識し、さらに収容施設に入れられている猿たちこそが
自分の仲間なのであることを理解して「うちに帰ろう」と
迎えに来てくれたウィル(育て親)の前で
自ら檻の扉を閉ざして拒絶するところ。

映画のラストで、子どもの頃よく遊びに来たアカスギの森の中で
再び「うちに帰ろう。俺が守るから」というウィルに
「シーザー、ここが家」と訣別するシーン。
こうした子育てと、子どもの自立(子離れ)を暗示するような場面で
うるっとさせられるのは母親というものの性なのかもしれません。

まあこの映画については、たとえば癌の治療なんかとも関係して
感じたことは山ほどありますが、きりがないので今日のところは
さわりだけにします。

前のブログで<依存症になると性格が変わる>で半分書きましたが
その他に

   ・ストレスに弱くなる、ささいな負荷が重荷
   ・自信喪失、自尊心の低下、自己評価の低下
   ・猜疑心、被害妄想、自己憐憫、悲劇のヒロイン

などもあげられています。これらは、依存症の症状というだけでなく
他の心の病を抱える人たちにも共通するところが多いように思います。
そしてこうした人間の心の動きはお互いに深く関係しあっています。

自信のなさや自己評価の低さが、ちょっとした失敗にもめげてしまうという
ストレスに対する弱さになり、さらに依存しているお酒とかギャンブルなどに
のめりこんだり、あるいはそんな自分自身を守ろうとして
悪いのは自分ではない、回りなのだという被害妄想や
自分は不幸なのだ、自分なんていないほうがいいのだという自己憐憫や
自己否定に陥るという負の連鎖になっていくのです。

そうなる原因の一つとして
<心の空白を埋めたい、無条件に愛して欲しい>という思いがあります。

この<心の空白を埋めたい>という思いの根っこには
「達成感がない」「がんばっているのにうまくいかない」という
人間ならほとんどの人が抱えている焦燥感があるように思います。
多くの人がそう感じる背景には、今の社会が抱える「格差」の問題が
これはもう解決できない巨大な壁としてあると思いますが
そこに踏み込んでも何も建設的な話は出てこないのでスルーしようと思います。

けれど入れ物が変わらなくても中身は変わることができます。
大げさな言い方をすれば社会は変えられないけれど
人は変わることができる。
一つの方法は、自分にあった物指しで物事を考えられるようになるということです。
これは自己評価の物指しが外側にあると
そこに届かなかった時は「できなかった」という挫折感になるからで
今の社会は、社会自体が勝ち負け思考ですから
できない人間はだめ、負けたと決め付けられてしまいます。

「望めば必ずかなう」「心を強くもって」「目標を高く」
こういう言葉は、いわば宗教の教えと同じで
本人が心の底からそう信じることができる場合のみは有効ですが
外からの物指しとして与えられるとただのプレッシャーです。

たとえば私のガンにしても、私は基本マイナー思考でひねくれていますから
「気持ちを明るく強く持って」「なるべく楽しいことを考えて笑おうよ」
という風に元気づけられても内心は「いや、それは無理やし」と
最初から挫折しています。それでも相手の気遣いは十分過ぎるほど分かるので
自分から「未来」を話題にしたりして、一応がんばってはいますが。

前のブログで「自分で考えて決めて実行する」ことの大切さについて書きましたが
「自分に合った自分の物指しを持つ」ということも、それと共通しています。
挫折を経験して「自分はだめだ。何もできない」と投げ出してしまったら
別の意味で生きていくことがとても難しくなります。

だから小さなことでいい、何とかこれならできそうだという目標を自分で決めてやってみる。
自分の物指しだから、うまくいかなくても誰かに批判されたり非難されたりする
筋合いのものではない。要は自分でできたか、できなかったかだけ。
その代わりうまくいったからといってほめてもらえるというわけでもないので
これぞまさしくTHE自己責任。
私のガンの治療に関する選択なんかもまさにそれだったわけです。
でも私の場合は「なるようになるさ」的なほとんどやけくそみたいな性格も混在してて
それも周囲にはバレていますから、こういう風にきれいごとを並べても
あまり信用してはもらえません。

もともと私はこうした心の問題に「これなら絶対に大丈夫ですよ」といった
万能処方箋みたいなものはないのではないかと思っていて
こうして色々書いていても、また他のブログなどを見ても
そういう風に断定的な表現がされているものには少々疑問を感じます。
だからこのブログを読まれる方にも
私がここで書いていることは、自分の経験から感じた私個人の意見であり
考え方であって「ああ、こういう考え方もあるんだなあ」と言う風に
理解していただければとてもありがたいです。

生まれも育ちも様々な人間がいて、家族があって
その家族が置かれている状況があって
そのそれぞれが抱える問題については
ひとりひとりが、少しでもその状況が生きていきやすいようになるために
情報を集めたり、考えたり、誰かに相談したり
自分や自分たちの状況にあったできそうなことからやってみる。
何もせずに、ただ嘆いたり苦しんだりするだけではなく
そこにも小さな物指しを置いて、今日一日できることをやってみる
ダメならダメで、また他の方法をさがせばいい
あるいはもう一度やり直したらいいじゃないかと。

依存症の場合、まずは完全に止めるというのが前提になりますが
私は最近は本人が「このままではだめだ」ということを心から自覚して
止めるという行動に取り組むことができれば
それは自覚がない状態よりもかなり大きな前進ではないかと思えるようになりました。

回りから命令や指示をされたのではなくて
本人がまずは「今日はやらない」と決心し実行する
それもまた自分の小さな物指しを持つということなのではないでしょうか。
(ただし薬物の場合はこの考え方はちょっと安易かもしれません。これに
ついてはまた改めて書いていくつもりです)





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