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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

通院日と今の思い

2016-04-27 17:24:07 | 癌のこと
昨日は通院日でした。
ダンナが休みだったので、一緒に行ってもらいました。

今回から新しい先生になりました。
これが、前の先生に輪をかけて優しい、物柔らかな先生で。
患部を診察してもらって
「普段の手当はどうされていますか」と聞かれたので
「出血は少ないですが、浸出液は結構出るので
一日に何回かお湯でふいて、軟膏をつけて、ガーゼを交換します」
と説明したら「ご自分でそれをされるんですか」と驚かれました。

今度のドクターは、外科と緩和医療の先生で
今の病院には乳腺科はないので
乳がんが皮膚を破って表面に出ていて、周辺にも広がっている
私のような症例を見られたのは初めてだったのかもしれません。


「うち以外の病院にはかかられていないのですか」とも聞かれました。
近年国の方針で、がん治療の初期からの緩和ケアが推奨されています。
以前は緩和ケアといえば、治療の手段がなくなって
終末期に受診する医療というイメージが強かったのですが
最近は少し変わってきているようです。

けれどそれも、基本的にエビデンスに沿った
標準治療(手術、化学療法、放射線治療など)を
受けている患者さんの、心や体の苦痛を和らげることが柱になっているので
先生は、他の病院で治療を受けていると思われたようです。

「最初から治らないということは分かっていましたので
それなら、できる限り普通に生活したいと思って、ホルモン剤での治療を希望して
こちらに紹介していただきました」と説明したら、理解してしていただけたようです。

先日の映画「モヒカン故郷へ帰る」の中で
お父さんの肺ガンがわかった時に
ハイテクに強い弟くんが、ネットで
がん治療の権威らしきお医者さんの情報を検索して、お父さんに見せます。

けれど昭和のがんこ親父のお父さんは
チラッと見て「若いな」と。
そして、昔から世話になっていて、将棋仲間でもある
地元の病院の先生にぼそっと「俺、あんたでいいわ」と言います。
パジャマ姿で点滴をぶら下げ、病院の屋上に上がって
嬉々として、向かいの中学校の屋上に並んだ吹奏楽部の指揮をするお父さん。

自分も同じ病気ですから、このお父さんの気持ちがよく分ります。
病気とどう戦うのか、そして残りの時間をどう過ごすのか。
進行したがんで、治癒が望めない場合は
本人と、そして家族の選択に全てがかかっています。
しかも、無治療とか、私のようにエビデンスのない治療を選択した時は
その結果もすべて自己責任になります。
ですから、自分と同じ病気の方に
この選択がいいですよということは絶対にできません。
私の選択は、自分にとって
これがベストではなくとも、結果としてベターだったというだけだからです。

がんの標準治療をされている病院で
エビデンスのない治療を、なかなか承認してもらえないのは
お医者さんの側も、あとあともしも訴訟などになった場合に
それを指摘されると困るという点もあるようです。

最初に症状に気付いてから、もう少しで3年になります。
最近心の中では、とにかくここまで普通の生活をして
がんばってきたから、たとえ病気が進行しても
もうそれほど治療治療とバタバタしなくても
家族も友人も納得してくれるんじゃないのかなあと思い始めています。

弱気になっているということではありません。
なんか「自分それなりにがんばったよなあ」と思えるのです。
もちろんステージ4でも、仕事をされてる方もたくさんおられますから
私なんかは、がんばっているうちには入らないかもしれませんが。

それでも、告知をされてから今日までの2年間
ほぼ毎日チャリで近所のスーパーに買い物に行ってご飯を作り、家事をして
病気になる前とまったく変わらない時間を過ごしました。
だから、もうこのままで自然の成り行きにまかせてもよいのではないかと。
そして、最後の延命治療をどうするかというようなあたりも
家族のためにも、ちゃんと意思表示をしておいたほうがいいんだろうなと。
そうしたことを、家族や周囲の人たちが
少しづつ理解してくれるとよいのですが
どういうタイミングで話せばよいのか、悩ましいところです。


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