少し前のブログ「自分なりの前向きをさがして」にも書いたように
私はもともと、一般的な意味でのポジティブな性格ではありません。
ダンナの借金問題がMAXだった時期(しかも女性問題もあった)には
かなり重度の鬱状態で、当然のことながら自殺念慮もあり
今でも尾を引いている摂食障害もありで
しかも自分のことで病院を受診できるようなお金の余裕もなくと
あらゆることが八方ふさがりだった時期が数年ありました。
そこからどうやって抜け出したかというと
まずは友人のアドバイスでした。
どんなに親しい友達でも「もしかしたら借金があるんじゃないの?」と
たずねるのはかなり勇気のいることだと思います。
でも私にはそう言ってくれて、しかも解決できる方法があることを
教えてくれた友達がいました。
それをきっかけに、ダンナと一緒に
新聞に載っていた県の多重債務の相談窓口を訪れ
そこの担当の人から弁護士さんを紹介されて
最終的には司法書士さんにお願いして任意整理で借金を解決しました。
多重債務相談の担当者さんには、ダンナのギャンブルのことを話したので
ダンナに対してギャンブル依存症の説明をしてくれ
箒木蓬生先生がギャンブル依存症について書かれた新聞の切抜きや
QAについての資料や、GAの電話番号なども教えていただきました。
それまでは自分の家の中、家族の中だけで何とか解決しようと
借金を借り換え、借り換えしてどんどん深みにはまっていったわけです。
ダンナのギャンブルの問題も、真剣に話せば分かってくれるはずだと
何度も同じことを繰り返して、こちらもどんどん悪くなっていきました。
ですから、抜け出すことができる大きな転機になったのは
何でも打ち明けることができる友達が何人かいてくれたこと
もう一つは信頼できて、専門的な知識がある
第三者に相談をしたことだったと思います。
ダンナは依存症について、自分で何かしたわけではありませんが
借金の問題が解決できたことと、私が依存症について勉強して
「私にできることはもうない。あとは自分自身の問題。
何かあっても、もう私は知らん」と割り切ったことで
それなりに覚悟というか、生き方を変えようと思ったところは
あったのかもしれません。本人がくわしく話さないからわかりませんが。
日本人はよく「我慢強い」「辛抱強い」ことが美徳とされますが
依存症の問題に関してはそれが完全に逆効果になりかねないのです。
あとは「自分で何とかできる」という過度の自負心や自信
身内の恥を人に知られたくないという見栄や虚栄心も
こういう人の心の問題をこじらせて、回復を難しくする原因になります。
先日の佐世保の事件でも、家族のそういう意識が
問題をあそこまで深刻にさせたように思えてなりません。
このブログでも何回も書いていてリンクもしていますが
GAに行けば、あるいは動機づけのカウンセリングを受ければ
すぐに依存症がよくなって、アルコールやギャンブルや薬物を止められると
いうようなものではありません。
同様に依存者の家族の方も、たとえばギヤマノンにつながったからといって
すぐに問題が解決するわけではないし「行ってみたけど、ぴんとこなかった」
と感じられる方もおられるかもしれません。
けれどもこうした相談機関のほとんどは、匿名で参加することができて
プライバシーはちゃんと守られるという約束の上で運営されています。
ですから誰にも話せなかったような悩みも聞いてもらおうと思えば
聞いてもらうことができるわけです。さらに、こういう場所に
参加されている方や、お世話をされる方は、自らも同じ体験を経て
回復を続けておられる方です。話すことによって、あるいは聞くことによって
同じ思いを「分かち合う」ことができ、それが回復への原動力になります。
依存者とだけ向き合っていると、家族は様々な心配や恐怖で
次第に自分も心の病を抱えるようになっていきます。
私もそうでしたが、自分の頭で考えるだけでは同じことを繰り返すだけだし
考えることも堂々めぐりで、悲観的な考えにとらわれると抜け出すことができません。
だからこそその閉鎖的な状況から外に出て
自分の気持ちを人に話す、聞いてもらうことが
現状を変えるためにはとても大切なことだし、必要なことだと思います。
一回行ってだめでも、2回、3回と続けるうちに
気の合う仲間が見つかる可能性もありますし
最初は話せなかったことが慣れれば話せるようになったり
アドバイスが欲しいと思うことには答えてくれる方もいます。
出かけるのが無理ならメールで相談できる機関もあります。
簡単にあきらめずに納得がいくものに出会うまで
チャレンジしていただけたらと思います。
今春ガンを告知されたあとに、私はブログのタイトルを変え
サブタイトルに「希望」という言葉を入れました。
100人の人がGAに行けば100人全員が回復するわけではありません。
それはAAにしてもNAにしても、ギヤマノンのような家族の施設でも同じです。
けれど100人の中で、たとえ3人でも4人でも、否たとえ一人でも
回復につながっていただけたとしたら
それは私が生きていること、こうしてブログを書き続けていることの先にある希望なのです。
何十年も、夢や希望なんて言葉は私の辞書にはない、くらいな勢いで生きてきました。
それが、治ることのないガンになって
ガンであるということは、希望がないということと同じではないのだということに
今さらながら気づいたというのは、皮肉というか、遅きに失するというか。
けれども生まれて初めて、ある種の気恥ずかしさや気負いを感じずに
希望という言葉を素直に使うことができるようになったように思います。
今回引っ越しで、ずいぶん本を処分しました。
それでも新居に持ってきた、高校時代から愛読している中の一冊に
すっかり変色している田宮虎彦氏の「足摺岬」があります。
今読んでも、どうにもこうにも救いがないように暗いお話です。
貧乏のどん底で肺を病み、生きる希望を失った大学生の「私」は
死に場所を求めて足摺岬の小さな宿屋にたどり着き
その宿のおかみさんや娘、客の老いた遍路や薬売りの優しさに触れる。
老遍路は、幕末の頃に、官軍に逆らってすべての住民が皆殺しにされた
黒菅という奥羽の小さな藩の生き残りで、現代人には想像するのも難しいような
辛酸と悲哀をなめた過去を語り、私に言う。
「のう、おぬし、生きることは辛いものじゃが、生きておる方が
なんぼよいことか」
この言葉は、最初に読んだ時から四十数年を過ぎた今でも
私にとっては数少ない「希望」を象徴する言葉なのです。
私はもともと、一般的な意味でのポジティブな性格ではありません。
ダンナの借金問題がMAXだった時期(しかも女性問題もあった)には
かなり重度の鬱状態で、当然のことながら自殺念慮もあり
今でも尾を引いている摂食障害もありで
しかも自分のことで病院を受診できるようなお金の余裕もなくと
あらゆることが八方ふさがりだった時期が数年ありました。
そこからどうやって抜け出したかというと
まずは友人のアドバイスでした。
どんなに親しい友達でも「もしかしたら借金があるんじゃないの?」と
たずねるのはかなり勇気のいることだと思います。
でも私にはそう言ってくれて、しかも解決できる方法があることを
教えてくれた友達がいました。
それをきっかけに、ダンナと一緒に
新聞に載っていた県の多重債務の相談窓口を訪れ
そこの担当の人から弁護士さんを紹介されて
最終的には司法書士さんにお願いして任意整理で借金を解決しました。
多重債務相談の担当者さんには、ダンナのギャンブルのことを話したので
ダンナに対してギャンブル依存症の説明をしてくれ
箒木蓬生先生がギャンブル依存症について書かれた新聞の切抜きや
QAについての資料や、GAの電話番号なども教えていただきました。
それまでは自分の家の中、家族の中だけで何とか解決しようと
借金を借り換え、借り換えしてどんどん深みにはまっていったわけです。
ダンナのギャンブルの問題も、真剣に話せば分かってくれるはずだと
何度も同じことを繰り返して、こちらもどんどん悪くなっていきました。
ですから、抜け出すことができる大きな転機になったのは
何でも打ち明けることができる友達が何人かいてくれたこと
もう一つは信頼できて、専門的な知識がある
第三者に相談をしたことだったと思います。
ダンナは依存症について、自分で何かしたわけではありませんが
借金の問題が解決できたことと、私が依存症について勉強して
「私にできることはもうない。あとは自分自身の問題。
何かあっても、もう私は知らん」と割り切ったことで
それなりに覚悟というか、生き方を変えようと思ったところは
あったのかもしれません。本人がくわしく話さないからわかりませんが。
日本人はよく「我慢強い」「辛抱強い」ことが美徳とされますが
依存症の問題に関してはそれが完全に逆効果になりかねないのです。
あとは「自分で何とかできる」という過度の自負心や自信
身内の恥を人に知られたくないという見栄や虚栄心も
こういう人の心の問題をこじらせて、回復を難しくする原因になります。
先日の佐世保の事件でも、家族のそういう意識が
問題をあそこまで深刻にさせたように思えてなりません。
このブログでも何回も書いていてリンクもしていますが
GAに行けば、あるいは動機づけのカウンセリングを受ければ
すぐに依存症がよくなって、アルコールやギャンブルや薬物を止められると
いうようなものではありません。
同様に依存者の家族の方も、たとえばギヤマノンにつながったからといって
すぐに問題が解決するわけではないし「行ってみたけど、ぴんとこなかった」
と感じられる方もおられるかもしれません。
けれどもこうした相談機関のほとんどは、匿名で参加することができて
プライバシーはちゃんと守られるという約束の上で運営されています。
ですから誰にも話せなかったような悩みも聞いてもらおうと思えば
聞いてもらうことができるわけです。さらに、こういう場所に
参加されている方や、お世話をされる方は、自らも同じ体験を経て
回復を続けておられる方です。話すことによって、あるいは聞くことによって
同じ思いを「分かち合う」ことができ、それが回復への原動力になります。
依存者とだけ向き合っていると、家族は様々な心配や恐怖で
次第に自分も心の病を抱えるようになっていきます。
私もそうでしたが、自分の頭で考えるだけでは同じことを繰り返すだけだし
考えることも堂々めぐりで、悲観的な考えにとらわれると抜け出すことができません。
だからこそその閉鎖的な状況から外に出て
自分の気持ちを人に話す、聞いてもらうことが
現状を変えるためにはとても大切なことだし、必要なことだと思います。
一回行ってだめでも、2回、3回と続けるうちに
気の合う仲間が見つかる可能性もありますし
最初は話せなかったことが慣れれば話せるようになったり
アドバイスが欲しいと思うことには答えてくれる方もいます。
出かけるのが無理ならメールで相談できる機関もあります。
簡単にあきらめずに納得がいくものに出会うまで
チャレンジしていただけたらと思います。
今春ガンを告知されたあとに、私はブログのタイトルを変え
サブタイトルに「希望」という言葉を入れました。
100人の人がGAに行けば100人全員が回復するわけではありません。
それはAAにしてもNAにしても、ギヤマノンのような家族の施設でも同じです。
けれど100人の中で、たとえ3人でも4人でも、否たとえ一人でも
回復につながっていただけたとしたら
それは私が生きていること、こうしてブログを書き続けていることの先にある希望なのです。
何十年も、夢や希望なんて言葉は私の辞書にはない、くらいな勢いで生きてきました。
それが、治ることのないガンになって
ガンであるということは、希望がないということと同じではないのだということに
今さらながら気づいたというのは、皮肉というか、遅きに失するというか。
けれども生まれて初めて、ある種の気恥ずかしさや気負いを感じずに
希望という言葉を素直に使うことができるようになったように思います。
今回引っ越しで、ずいぶん本を処分しました。
それでも新居に持ってきた、高校時代から愛読している中の一冊に
すっかり変色している田宮虎彦氏の「足摺岬」があります。
今読んでも、どうにもこうにも救いがないように暗いお話です。
貧乏のどん底で肺を病み、生きる希望を失った大学生の「私」は
死に場所を求めて足摺岬の小さな宿屋にたどり着き
その宿のおかみさんや娘、客の老いた遍路や薬売りの優しさに触れる。
老遍路は、幕末の頃に、官軍に逆らってすべての住民が皆殺しにされた
黒菅という奥羽の小さな藩の生き残りで、現代人には想像するのも難しいような
辛酸と悲哀をなめた過去を語り、私に言う。
「のう、おぬし、生きることは辛いものじゃが、生きておる方が
なんぼよいことか」
この言葉は、最初に読んだ時から四十数年を過ぎた今でも
私にとっては数少ない「希望」を象徴する言葉なのです。
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