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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

人生三度目のナイター&「デッドプール」

2016-06-18 16:20:08 | 社会・生活
先週は、火曜日と水曜日、ダンナが珍しく連休だったので
人生三度目のナイター観戦で、ヤフードームに行きました。
去年は、ケーブルTVの懸賞が当たった最上階のVIP席だったので
グラウンドははるかかなたでしたが
今回は三塁側の下のほうだったので、選手の皆さんがよく見えました。

野球の応援は、音楽で言うとライブみたなもので
勝敗はもちろんでしょうが、生ならではの臨場感と一体感があるのが
野球ファンにとっては魅力なのでしょう。
ダンナはビール片手にいい感じにご機嫌で、なによりでした。
私も、3回目なので少し慣れてきて
もらったうちわを叩いてリズムを取るくらいはできるようになりました。

「連休どっか行く?」と聞かれても
実は旅行も観光もそんなに好きではないし
外食といっても、食べられる種類も量も限られているので
どうしても外食したいという感じでもありません。
映画だけは、週いちくらいで行ってもいいなと思いますが
さすがに、また映画とは言えず、今回はダンナ優先でナイターにしました。

で、実は今月の初めに封切られた「デッドプール」という映画が
どうしても観たかったので、先週の土曜日に
ダンナを仕事に送り出してから、独りで電車に乗って
近くのシネコンに行きました。

予想通り私のツボでしたが、下ネタ満載、エログロいっぱいで
こちらも予想通り、家族を誘わなかったのは正解でした。
感想は、映画ブログのほうに書きました。
私は別に、下ネタや、エロやグロがものすごく好きなわけではありません。
でも、悪いことする奴は殺しちゃってもいいんじゃね、とは思ってます。
法に触れてないんだからと、たった2年ちょっとしか働いてないのに
退職金とボーナス合わせて二千数百万円もらって辞める、どこぞの知事さんなんかは
「もう人間ケバブ(分からない方は「デッドプール」の予告編をどうぞ)にしちゃえば」
と、心の中では思います。

けれど現実には殺人は違法です。絶対にやってはいけないことです。
そこの現実とフィクションの境界が分かっていれば
悪いことをした奴が、バタバタとやっつけられるのを楽しむのは
お手軽なストレス解消と免疫力アップです。
私的には、やりすぎるくらいやっちゃってもいい奴が
この世界にはいっぱいいると思います。かの知事さんなんか、小者のほうです。

映画に行った日は、少し風邪っぽかったのですが
その日を逃して上演回数が減ってしまったら、よけいに大変なので
葛根湯ドリンクをひっかけて、気合を入れて行きましたが
次の日、日曜日から風邪が急激に悪化して
調子に乗りすぎたバチが当たりました。
でも「デッドプール」は、今年の洋画のマイベストに入りそうなくらい
面白かったので、後悔はしていません。

前回書いた、患部の臭いを消す軟膏も
何かともっともらしい理屈をつけていますが
本音は、映画館で隣に人が座った時に
臭いが気になると映画に集中できなくなるというのが最大の理由でした。

日に日に風邪がひどくなって
とうとう「クラフト勉強会」の最終回には行けませんでした。
けれどジャパンマック福岡では、毎月第4金曜日に
「(依存症者の)家族の勉強会」も開催されていて
その案内もいただいているので
また参加できそうな時は行ってみようと考えています。


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彼岸と此岸の物語

2016-06-10 15:58:36 | 社会・生活
少し前になるが、娘に誘われて
一緒に黒沢清監督の「岸辺の旅」という映画をDVDで観た。
私の過激趣味には、おおむね半笑いの家族だが
岩井俊二監督や、この黒沢清監督の作品は
珍しく娘と趣味が合って、ほとんどの作品はビデオで観たし
「アカルイミライ」や「LOFT」などは
一緒に映画館に観に行った。(お客さん5人くらいしかいなかったけど)

瑞希のもとに、三年間行方が分からなかった夫の優介が
突然戻ってきた。彼は「自分はもう死んでるんだ」と告げ
瑞希を旅にいざなう。それは、優介が失踪してから
帰ってくるまでの間に関わった人々を訪ねる旅。

岸辺とは、彼岸と此岸の境界で、生者と死者が混在している世界。
死は、生きている私たちにとっては、完全に、そして
永久に未知の領域で、だから、死や死者の存在は、
それに向き合う、生きている私たちの物語として成立する。

だからたくさんの宗教は、死が、その悲惨や残酷さによって
生きている人たちに過度の不安や、恐怖、絶望を
植え付けてしまわないように
色々な儀式や約束事によって、生者と死者の間に
不可侵で明確な境界を設けてきた。

けれどそういう枠をはずしてしまえば
生者と死者が、普通に混在して交流する世界があっても
なんの不都合もないわけで、私はそういう世界観が嫌いではない。
よくよく考えてみれば、死者だからというだけで
おどろおどろしい容姿で生者を怖がらせなければならないという決まりはないし
生きている側にしてみたら、死者というだけで怖がらなければいけない理由もない。

実際この映画の中で、旅する二人が出会う人々の中には
死者とおぼしき人たちもいるだけでなく
観ているうちに、どの人が生きていて、どの人が死んでいるのかさえも
次第にあいまいになっていくような感じさえある。

けれど死者たちはやがては消えていき
瑞希も優介との別れが近づいていることを予感する。
それでも「うちに帰ろうよ。一緒に帰ろうよ」
という瑞希のことばが、あまりにも切なく悲しい。
そして、生きている者たちは、それまでの暮らしに
日常の中へ戻っていかなければならない。

「また会いにきてね」それが瑞希の別れの言葉。
死者との距離をどうするのかは
生きている、残された者たちにゆだねられるのだと思う。

私の足元には、今もルナがまつわりついて
なでてほしいのに無視をすると、不機嫌な顔をしたり
陽だまりで気持ちよさげに目を細めたり
夜は、隣の枕で小さな寝息を立てたりしている。
無理に彼岸へ送り出さなくても、過去の思い出にしなくても
共存しても何も不都合はない。

このブログは、依存症の問題を抱える人たちに
なんとかわずかでも希望を持ってほしいという思いを中心に書いているので
私の病気のことや、こういう生死に関わる話は
あまりネガティブなほうに振れないように心がけてきた。
けれどこのところ、思いがけない訃報に接することが相次いだ。
だから、今回は、うまく表現できない慰めの言葉に替えて
独り言のつもりで書いています。

観終わったあと、娘とは特に映画についての話はしていない。
昔からそうなのだが、映画にしろなんにしろ
「これはこういうことだよね」的な要約を話すことはない。
それぞれの年齢や社会経験、あるいは感性に応じて
受け取れるものを受け取れればいいと思う。

順調にいけば、というのも変だが
いずれは、二人の子供たちは親の死に遭遇することになる。
生きている者には、昨日と変わらない日常が続く中で
それとどう向き合うのか、自分たちの人生にどう織り込んでいくのか
それはそれぞれに委ねられている。
この映画もまた、そういうことを考える時の一助になってくれたらいいなと
こっそり考えている。


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変化を恐れない

2016-05-19 15:41:02 | 社会・生活
偉そうなタイトルを書きましたが
最近そんな風に感じることがあったので
自戒をこめて、このタイトルで書きます。

5月9日は、5回目のクラフト勉強会でした。
これでテキストの学習はほぼ終わりで
次回の6回目は、全体のまとめになるようです。
体調に大きな変化がなくて、ここまで参加できてほっとしています。

内容については、私が特に「なるほど」と感じたところを中心に
紹介していますので、詳しくお知りになりたい方は
ぜひテキストを入手して、読んでみられてください。

我が家のPCは、デスクトップもノートも
Windows7のOSでした。
けれど新OSの10が発売されて
このところ「無償でアップデートしますよぉ~」という
押し売りというか、ほぼほぼ強制に近い通知が
頻繁に送られてくるようになって
ついに「自動的にアップデートします!」みたいな話に。

さてどうしようと思って、娘に聞いてみたら
「ああ、もう10にしたよ。大丈夫。全然普通に使えるから
心配することないって」といとも簡単に返されてしまいました。
「そりゃ、若い人はそうでしょうよ」と反射的に
思ったのですが、次の瞬間ハッとしました。
「変わるのがいや。慣れたやり方がいい」と思うのは
これはもしかして、頭が固くなっている証拠ではないのか。

私はPCについての専門知識なんか全然ないので
(解説書を見てもあんまり分からないレベル)
PCでトラブルが起きたら、知恵袋で
超初心者でも優しく教えてくれる親切な人たちに頼って乗り切ってきました。
またぞろそれをやるのが億劫なのだと思います。
療養生活になって、エネルギーやバイタリティがなくなってきたのに加えて
やっぱり頭が固くなってきた?ダンナに偉そうなことは言えません。

いつも書いていますが、知識や情報を取り入れるのは好きで
じゃんじゃん情報を増やすのですが、それを上手に整理する能力がありません。
それで頭が固くなってしまったら、頭の中で情報が石灰化して、新種のがんになりそうです。

というわけで、マイクロソフトに強制的にアップロードされる前に
自分でWindows10をインストールしました。
今までIEで使っていたお気に入りの項目を
新しいプラウザに移行するなど、細かい操作はありますが
娘が言ったように、大筋ではお手上げということにはなりませんでした。

最近夜中に、患部に痛みが出るようになっています。
昼間はそれほど感じませんが
どうも寝ているという状態だと、どこかの神経の位置の関係で
痛みが出ているようです。
痛む場所は、わきのリンパのとことか、自壊している患部の一部とか
日によってあちこち変わります。
すこし厄介なのが、ロキソニンがあまり効かないこと。
次の受診日は月末なので、ちょっと先生に相談してみようと思います。

ダンナにあまり何も言わないのもよくないので
痛みの話はしました。
「最初に症状が出てほぼ丸三年だから
痛みが出るくらいのことは想定内。あんまり心配せんでね」と
フォローしておきましたが
このままあと五年とか十年、何事もなく無事などということはありえないので
正確に現状を認識して腹をくくり「変化を過剰に恐れない」は
ダンナにも心がけてほしいことでもあります。できるかなぁ。



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熊本地震

2016-04-18 14:44:14 | 社会・生活
今回の熊本大分の地震で
被害にあわれた皆様には、心からお見舞いを申し上げますとともに
一日も早く平常の生活ができる日が来ますようにお祈りします。

14日の夜9時過ぎに、ゴミ捨てに下りていたら
今まで聞いたことのない携帯のアラームが鳴りました。
取り出してみたら「緊急地震速報」のメール。
「えっ」と思った瞬間には、もうアパートの建物が揺れていました。

部屋に戻ると、テレビが「熊本で地震」を報じていて
その後も何度も緊急地震速報が流れ、日付が変わる頃には
またかなり強い揺れがきました。

11年前の福岡西方沖地震で
生まれて初めて大きな地震を経験していたので
衝撃は、前回ほどではありませんでしたが
それでも地震は、まったく予知することができないので
いつ、どんなことが起きるのか、ものすごく不安です。
それでも15日は、やや落ち着いたかに見えたのですが
16日の未明に、これも緊急速報とほぼ同時に
もの凄く大きな、長い揺れが起こりました。

ちょうど寝入りばなだった、私もダンナも飛び起きて
テレビをつけると、福岡も佐賀も大分も
九州のほぼ全域が、震度5か震度4で
九州全体が揺れたような地震だったことが分かりました。

その後も、震源が阿蘇へ、さらには大分へと広がっていき
それに伴って、被害に合われる方も激増していきました。

熊本には、古くからの、本当に仲のよい友人がいます。
心配でたまりませんでしたが、やはり電話はつながらず
最初の地震の時には「大丈夫です」という返信が来ました。
その後連絡がないのですが、ご家族のことや家のことで
ものすごく大変な状況ということも考えられるので
ひたすら、友人から連絡が入るのを待ちわびています。

災害、特に地震は、事前に予知することは難しく
起こってからも、私たちにできることは本当に限られています。
今回の地震は、専門家からも「前例がない」「予測ができない」という
言葉が何度も出ました。
昨年の11月に、事故後最初に再稼動を始めた鹿児島の川内原発。
再稼動からひと月も経たない、11月の14日に鹿児島で地震が起きました。

今回の地震は、その鹿児島の地震とも連動しているというお話も出ました。
政治に何を言ってもどうなるものでもないのだということを
私は、東日本大震災と、その今日までの経過を見ていて痛感していますが
それでも「日本は、この狭い国土に、これだけ地震が多発する国だから
原発はだめなのだ」という、とても簡単な理屈が
なぜこの国を動かしている人たちには分からないのだろうと思います。

地震や津波などの自然災害は、人間の能力をはるかに超える巨大な力ですから
「予測できない」「前例がない」「想定外」の事態は幾らでも起きます。
そして、地震は天災ですが、原発事故は人災です。
それが、ものすごくたくさんの人たちの普通の暮らしを犠牲にして
この国が知った、福島原発の事故の教訓ではないのでしょうか。
福島県では、地震から五年を過ぎた今でも
まだ十万人近くの方が避難生活を続けておられます。

けれど地震と違って原発は
止めようと思えば止めることはできるし、止める力を持つ人もいるわけです。
今度こそ、取り返しがつかない事態が再び起きる前に
どうか冷静に、そして慎重に
原発問題を再考していただきたいと心の底から思います。

これを書き終えた後で、「ネットで原発問題に言及すると
「地震を政治利用するな」と激しく叩かれる」という記事を見ました。
私は、原発について、どんな政治的な思想も持っていませんし
こういうブログを書くことで、何かを変えようという野心もないし
ほとんど希望も期待もしていません。

けれど、間接的にせよ、東日本大震災と、福島の原発事故を
リアルタイムで経験したわけですからとにかく「怖い」という思いはあって
それを言葉にしているだけです。
そういう個人の思いが批判されたり、抑圧されるようなことがあるとしたら
それでなくても、あれもタブー、これもタブーという現状で
今の日本は、社会全体が「1984年」というSF小説の古典に描かれたような
薄気味の悪い世界になってきているような気がしますが、どうなのでしょう。



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こりもせず映画鑑賞

2016-04-14 16:07:10 | 社会・生活
先週は、娘に誘われて
岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」を観にいきました。
で、久々に映画館の大画面で映画を観ると
がぜん「映画観たい病」が再発して
「なんか面白そうな映画ないかなあ」とネットで検索。

珍しくダンナを誘って「モヒカン故郷へ帰る」という邦画を観てきました。

東京で、売れないデスメタルバンドをやってる永吉は
同棲している彼女の妊娠が分かったことで、7年ぶりに
ふるさとの戸鼻島という小さな島に帰る。

島で酒屋を営む父の治は、若い時からの、矢沢永吉の熱狂的なファン。
息子の永吉の結婚に、大喜びで知り合いを集めて大宴会を開くが
その直後に倒れ、末期の肺がんが見つかる。

実は、映画の告知のサイトで、お父さんが末期がんという話だと分かったので
娘を誘うか、ダンナを誘うか、ちょっと迷いました。
先日観た「リップヴァンウィンクル~」も、主要な登場人物の一人が
末期の乳がんという設定だったので
そんなに気にすることもないかなと思いましたが
やっぱり、それほど深く考えなさそうなダンナを誘ったほうが無難かなと。

伊藤計劃さんのブログに、こんな記述があります、
「自分が作ったわけでもない、誰かさんの映画に毎週毎日
こんなにも依存している、自分のほうがよっぽどおかしいのだ」

伊藤さんにはとても及びませんが、私も、本にも映画にもかなり依存しています。
けれど、ことギャンブルとかスポーツとかに関しては
正真正銘何が楽しいのか、どこが面白いのか、それこそ1ミリも分かりません。

「正直俺は運動会が大嫌いであり、スポーツ観戦というものに
子どもの頃から、ビタ一文関心がなかった」
と書かれる伊藤さんに、めちゃめちゃ親近感を覚え
まさに「師匠、一生ついていきます」という感じなのです。

「そんな、しょうもないものじゃなくて、こっちのほうが断然面白いよ」
と心の中では思いますが、こればかりは相手がそう感じてくれないことには
どうしようもないわけで、そこはお互い様ですから
長年、平行線のままで生きてきました。

最近クラフトで「相手の良いところを見つけてほめましょう」
みたいなことを勉強していますが
かつては「バラバラにして、トランク詰めにして捨ててやろうか」という
ところまでいったような夫婦関係ですから、勉強したからといって
一朝一夕に、歯の浮くようなセリフがいえるわけもありません。

そこで、私のほうも、ダンナが興味があるスポーツの話題で話を盛り上げる。
スポーツ界も、おめでたい話からダーティなネタまで
毎日ひとつくらいはニュースがあるので、話題には困りません。
ただスポーツにはどんな思い入れもないので
事件を起こそうがどうしようが「ふ~ん」という感じではあるのですが
それでも世間話のタネくらいにはできます。
ダンナもスポーツをネタにすれば、短いながらもコメントします。

そして、それと引き換えに私が観たいと思った映画やドラマを勧めてみる、と
お互いの趣味を通じて、接点を作る努力をしているわけです。
で「末期がんのお父さんが死んでしまう映画」を
そろって観にいったのですが、これが、いい具合に笑える、なかなかの良作でした。

だいたい映画やテレビでやる「病気物」というと
無駄に、感動をあおろうとする耳障りなBGMがうるさく
病人は、いまわのきわなのに長々としゃべり
号泣、嗚咽、涙、鼻水と、やたらに湿っぽいのですが
ほぼ予想通り、まったくそんな場面はありませんでした。

車を運転しながら、永吉がぼそっと言います。
「俺も最近知ったんだけどさ。やっぱ親って死ぬんだな」

そして治はそんな息子に何回も「早く東京へ帰れ」とせかし
「お前(永吉)にやさしくされると、明日にも死ぬような気がする」と言うのです。

どっちも素直じゃないと言ってしまえばそれまでですけど
そんな短い、普通の言葉のやり取りの中に
親と子、そして人間の生と死に直面したそれぞれの思いが凝縮されていて
くすくす笑いながらも、ちゃんとじーんとする映画でもありました。

ただ本当に真面目な方が観たら、不謹慎と思われるところも多いですので
あまりお勧めはしません。

今までダンナを誘った「猿の惑星」や「チャッピー」と比べると
ほんとに地味地味な映画だったので、ちょっと心配になって
帰り道に「どうやった?」と聞いたら
「月に一回くらいは映画も観に行ってもいいよ」という
返事が返ってきたので、まずまずではあったのでしょう。

「そうそう、今までギャンブルと、長年のアルコールの影響で
前頭葉が萎縮してるから、自分が知らない世界をどんどんみて
前頭葉を活性化させたほうがいいと思うよ」とは言いませんでしたが。

ついでだから書いちゃいますが、伊藤さんの映画論にはこんなのもあります。
「まず映画は「テーマを観にいくものではない」ということです。(中略)
「テーマがよくわからなかった」などという人は、映画を観に映画館へ行って
いるわけではないのです。代理店のコピーライターが考えた数行の
キャッチコピーを、わざわざ1800円払って映画館に確認しに
いっているだけなのです」

いつも私がもやもやしてる「愛と感動の○○」やら「友情の素晴らしさ」やら
「家族の絆」やらという映画のうたい文句を見て
「一行で要約できるものを2時間もかけて観る必要はない」という思いを
本当に的確に代弁してもらっています。最近の、特に漫画原作の日本映画は
まさにそんなのばっかりでげんなりしていましたが
「モヒカン故郷に帰る」は、なんの根拠も保証もない愛や希望や夢やらの
嫌らしい押し付けがましさがない良い映画でした。

リンクしている音楽ブログ「福岡のアーティストさんを応援するブログ」では
この映画の音楽ネタを書いています。「リップヴァンウィンクルの花嫁」は
「映画と本のある日々」に感想を書いています。



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命が失われることの悲しさ

2016-03-11 17:11:17 | 社会・生活
東日本大震災と福島の原発事故から5年。
震災と津波で亡くなられた方は
いまだ行方が分からない方を含めると1万8千人を超えた。

つい数時間前まで、元気で笑ったり話したりした家族が
一瞬で奪われた、その悲しさは、時間が経てば癒される
消えてなくなるものではないと思う。
命とはそういうものなのだ。
それは唯一無二の存在で、かけがえのないものであり
一度失われたら取り戻すことはできないものなのだ。

一方で、連日のように報道される児童虐待。
自分とは無関係の罪もない人を、下劣な欲望のために
いとも簡単に殺してしまう事件。
ささいな感情の行き違いで起きた殺人事件。

今十代後半の人間であれば、震災の起きた年には中学生くらい
二十代、三十代なら、すでに大人だったはずだ。
たとえTVのニュースを通じてではあれ
震災当時は、たくさんの、家族を失った人たちの悲しみ
もはや言葉にさえできないほどの思いが連日報道された。
それが、何一つ心に届かなかった人間が
こんなにいるのかと思うと、どうしようもない気持ちになる。

感情を共有する、つまり共感することができるかどうかは
想像力が大きく関係する。
どこまで、相手の立場に立って考えることができるかどうかなのだ。

事件や事故の被害者、あるいは被害者の家族の気持ち
いじめられたり、虐げられたりしている人間の気持ち
それを想像できれば、簡単に人を殺したりなどできるはずがない。
平気でわが子や他人を傷つけたり殺したりする人たちは
一体どういう環境の中で、これまで生きてきたのだろう。
あの震災と原発事故から、私たちが学んだことは
地震や津波や原発の恐ろしさだけであってはいけないのだと思う。

震災から5年が過ぎた今でも
全国で避難生活を続けられている人たちは、17万人を超えている。
「がんばろう東北」「元気を出して」「希望を持って」
そういう前向きなメッセージが、ストレートに心に響く方もいれば
明るいスローガンだけでは癒されない悲しみや苦しみを抱える人もいる。
毎年3月11日に放送される報道特別番組で
どちらかと言えば、復興が進んでいるイメージでまとめられた内容から
こぼれ落ちている現実、名もなき声はおそらくとても多いのだと思う。
けれど、当事者ではない私たちにできることは、それほど多くはない。

しかし命がどれほどかけがえのないものか
失われてしまったら、取り返しがつかないものか
家族を、友人を亡くした悲しみが、どれほど深いものか
それを、自分の子どもたちに伝えることくらいはできるはずだ。

4年後に開催される東京オリンピックの話題を筆頭に
社会には、暗い話はやめましょう、明るく元気に前向きであれば
すべてはうまくいきますよという空気が蔓延している。
けれど、本当の意味で「命の大切さ」を語るのであれば
それが失われたことの悲しみの深さ
残された者たちの辛く切ない思いを丁寧に伝えなければ
なぜ命というものがそれほど大切なのかを
理解することはできないのではないだろうか。

一方がん治療の分野では
まさに「命の大切さ」をうたい文句に
一年間の治療費が年間一千万を超えるような新薬が開発されているらしい。
保険適用になれば、個人の負担を引いて、国庫から補填される金額は
一人分でも莫大なものになるという。

もとよりそんな多額の自己負担をまかなえるような状況でもないが
たとえそれが可能だとしても
もはや60歳を超えて、すべてにおいてポンコツな
自分の命に、みんなが納めてくれている保険料を
そんなに投入するだけの値打ちがあるのかと考えてしまう。
できることならその分を
被災地の、未来がある子どもたちのために
たとえ1万円でも2万円でも回してほしいと思う。
生涯社会の底辺とおぼしき場所で生きて
病気になるまではどうにかこうにか働き続け
家庭を持って子どもを育て
一人の人間としての最低限の役割は果たした
そんな自分の最後は、自分の身の丈にあったもので
全然構わないような気がするのだ。

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珍しくアクティブ

2015-12-03 18:10:18 | 社会・生活
10月の下旬から11月にかけて
珍しく幾つかイベントが入って
PCから遠ざかっていました。

まず10月の後半に、FM主催のライブがあって
娘に誘われて、聴きに行きました。
1996年に公開された映画「スワロウテイル」
「リリイ・シュシュのすべて」や「花とアリス」など
多くの作品がある岩井俊二監督の初期の映画です。

その映画で、CHARAさんがボーカルの
イェンタウンバンドという架空のバンドが登場したのですが
その幻のバンドが今年復活し、福岡でライブがあるというので
これこそ、生きている間に聴けるのは
これが最後のチャンスだろうと、聴きにいくことにしました。
生で聴いたCHARAさんの「あいのうた」や「MY WAY」
素晴らしい音楽に触れた瞬間というのは
「ああ、もうこれで思い残すことはないわ」というくらいの勢いです。
あの、全身の細胞が震えるような感じというのは
やはりCDでは味わえない、ライブならではの感動です。

そして、待ちに待った「ハーモニー」の公開。
こちらも、娘が付き合ってくれました。
家庭も仕事もあって忙しい娘を何回も駆り出すのは気が引けるのですが
なにしろアニメ映画なので
還暦のおばさん(おばあさん?)が一人で観るよりは
アニメ好きの娘に、仕方なく母親が付き合ってるという構図のほうが
まだしも絵になるような気がしたもので。

それから一日置いて
去年一緒に原鶴温泉に行った子育て仲間。
今年は、熊本と宮崎から福岡に来てくれての博多女子会になりました。
よく晴れて、あったかで
ちょうどホークスの優勝パレードの日だったので
博多駅からキャナルシティ、天神と、博多の街は大賑わい。

博多駅の屋上にある「つばめの杜広場」からスタートして
のんびりおしゃべりを楽しみながら
櫛田神社からキャナルシティ界隈を散策しました。

子育てをしていた頃は、出かけても
子どもたちに気を配りながら
(というか、くもの子を散らす状態の子どもらを
怒鳴り、叫び、おっかけるというドタバタ騒ぎ)だったので
本当に長い付き合いなのですが
四人で、こんなに優雅に散策を楽しんだのは、おそらく初めてのことです。

私を除いた三人は、それぞれ親御さんの介護を抱えていて
つくづく人生はいくつになっても楽になるわけではなく大変だなと
心から思います。
ダンナのギャンブル依存症の問題を抱えた
私だけが特別に大変というわけではなく
誰もが、いくつになっても厳しい現実と向き合って
それでも一生懸命に生きています。
若いうちは分からないのですが
この年になると、それがつまりは生きるということなのだろうと思います。

ずいぶん前に、一度ブログに書いたような気がしますが
斉藤史という歌人の

「おいとまをいただきますと戸をしめて
   出ていくやうにゆかぬなり生は」 という歌を

また改めて思い出しました。

こんな具合で、先月は、私にしては
珍しくアクティブな時間を過ごしていました。
でもブログが滞っているのは、それだけではなく
原因は、先日導入した録画のできる新しいテレビ。

「これちょっと観てもいいかな。でもレンタルのはもったいないな」
と保留にしていた映画を、次から次へと録画しまくり
ヒマさえあれば映画を観ているという。

スズシロさんの「ほんとねこ」という漫画で
無印に「人間をだめにするソファー」というのがあることを知りましたが
まさに「人間をだめにするテレビ」の恐ろしさを痛感しています。


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我が家の新世紀とアナログな生き方

2015-11-17 15:40:32 | 社会・生活
ケーブルTVを導入して
20年以上になります。
ものすごく貧乏だったのに
せっせとケーブルの利用料を払い続けたのには理由があって

1 家にPCを導入した1990年頃
  プロバイダーをNTTにしたら電話料が凄い上に、接続の速度が遅かった

2 子どもたちが、小学校から高校まで音楽漬けだった

3 映画がいろいろ見れた からです。

当時はケーブルの音楽チャンネルはかなり充実していて
メジャーやインディーズを問わず
洋邦のたくさんのミュージシャンのライブが生放送されていて
しょっちゅうお金がかかるライブに行ったり
映画館に気楽に映画を見に行けるような状況ではなかったので
ケーブルTVというのは、私としては最善の選択だったわけです。

何度も見たいと思う映画やライブはその都度ビデオに録画していました。
だから去年引っ越す時には、本も多かったのですが
ビデオも200本くらいはありました。
ただし肝心のTVは、ケーブルでアナログ変換ができたこともあって、ブラウン管TVのまま。

今年9月になって、やっとこさ液晶TVに替えることを決断し
ちょうどケーブルTVからチューナーの切り替えのお勧めがきて
録画機能付きのチューナーというのがあったので
これだと録画用の機器を購入する必要がありません。
というわけで、もはや20世紀の遺物ともいえる
ブラウン管TVとビデオにお別れして
我が家にも遅まきながら21世紀がやってきたというわけです。

裏番組でも録画ができるので
録画リストはあっという間に
「エイリアン」シリーズ4作、「プロメテウス」
「ダークナイト」「凶悪」「女優霊」
「ブラックホークダウン」などの
泣く泣くビデオを処分したお気に入りの映画や
「清須会議」「MOZUのスピンオフドラマ」
「メンタリスト」「スコーピオン」といった
未見の映画と視聴中のドラマで埋まりました。

さすがに自分の観たいものばかり撮るのは後ろめたいので
ダンナのシフトが夜の時は、後で観れるように
野球の「日本シリーズ」とかラグビーの決勝なんかもとりました。
でもスポーツは基本見終わったら即消去しますが(笑)

「エイリアン」は1作目を観たのは…35年も前なんですね。
その後「未知との遭遇」を観ていて
不覚にも居眠りしてしまい、SFは合わないのかと
長年敬遠していたのですが
伊藤計劃さんとの、人生を大きく変える出会いがあり
(今さら変えてどうする、と突っ込まないで)
更に「第九地区」「チャッピー」の、ニール・ブロムカンプ監督が
「エイリアン」の続編を撮るというニュースが出て
ここへきてあわてて「エイリアン」シリーズを制覇したのですが
もしかしたら製作中止かも。

第1作目の「エイリアン」を撮ったリドリー・スコット監督が
「プロメテウス」の続編を撮るらしいという情報との関連も
取り沙汰されていますが、真相はよく分かりません。

アメリカでは、映画を公開する前に
試写会でアンケートを取って、例えばお客さんがエンディングに不満だったら
そこだけ撮り直すといったことが行なわれているとは聞いていましたが
先日「ひるおび」で「アメリカでは、映画にも保険がかかっている」
という話を耳にしました。
もしもその映画が当たらなかったら、保険で費用を払い戻すのだそうです。

12月の映画界は10年ぶりに続編が作られた
実写版の「スターウォーズ」一色になりそうですが
今のアメリカ映画界が過去のヒット作の続編に依存しているのは
どうやらそのあたりの事情もありそうです。
これはTVドラマや漫画の人気だけに依存して
映画を作ってはコケる日本の映画界も似たり寄ったりのような。

ホラーとSFばっかり観ているような私でも
ダンナとご飯食べながら観る時は、普通の映画も観ます。
「鍵泥棒のメソッド」とか「超高速参勤交代」なんかは
コンパクトにとてもよくできていて
上質の笑いがあって面白かったですが
どちらもTVドラマの映画版でも漫画原作でもありません。
地道に探していると、そういう良品に出会えることがあります。

自分の実感として、病気が少しづつ少しづつ進行しているということは
自覚しています。
それでも科学の力を借りて、がんと闘おうという気持ちは
今でもあまりありません。
(家族の希望があれば、許容できるものは受け入れるつもりです)
その代わりに、可能な限りぎりぎりまで普通の生活を続けようという
強い意志はあります。
毎日自分で買い物に行って、自分が食べれそうなものを作って
とにかく「おいしくご飯を食べる」が、毎日の健康のバロメーターです。
そして観たい映画を観て、読みたい本を読んで、好きな音楽を聴いて
メンタル面で免疫力を補強します。
とてもアナログなのですが、これだけ科学や医学が進化した時代に
あえてアナログに生きて死ぬこと、それも一つの選択なのです。



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SIONさん

2015-10-10 07:31:57 | 社会・生活
実は、このブログと映画のブログのほかに
三年前から音楽のブログも書いています。
どれも極めたというわけではなく、なんちゃってなので
真の映画ファン、音楽ファンから見たら
お粗末な内容ではありますが。

それでも最近の「ネットしか興味がない」
「ゲームしかやらない」という若者を見ていると
何だか歯がゆくて、つい「こんなにいいものがあるよ」と
いらぬお節介をしたくなるわけです。
さすがに音楽のブログは
若者にも読んでもらえるように
別人格になって、絵文字なんかも使って
なるべく軽く書いていますから、それはそれで楽しいです。

高校時代に、初期の中島みゆきや井上陽水にハマったのをきっかけに
「地獄の黙示録」という映画でドアーズにハマり
その後TレックスやらXジャパンやら
数々の黒歴史(自分ではそれほど恥じてはいませんが)を重ねましたが
今でも音的にはハードロックが一番好きです。
ライブハウスで、難聴になりそうな
アップテンポのドラムとベースの音に酔うと
むやみにモチベーションがあがり、細胞が活性化します。
がん細胞だってやっつけられそうです。

そんな中でその過激趣味とは別に、唯一日本のミュージシャンで
歌詞も曲も、声や歌い方もひっくるめて
この十五年ほど心酔しているのがSIONというアーティスト。
ケーブルのスペシャ列伝というライブ番組で
「ガラクタ」という曲を聴いたのがきっかけでした。

アーティストの生い立ちや苦労話で
音楽の価値をかさ上げするようなやり方はあまり好きではないですが
SIONさんは幼い頃に小児麻痺で右手が不自由になられ
中卒で19才で山口から上京し、25才でデビューしてから
55才の現在まで、自身ではあまり多くを語られることはないですが
たくさんの困難を乗り越えて、ほとんどぶれることなく
自分の音楽を続けてこられたアーティストの一人だと思います。

ダンナのギャンブルやら借金やら何やかにやで
生きていることが本当に嫌になっていた私の心に沁み込んだのは
SIONの「マイナスを脱ぎ捨てる」という曲でした。

「幸せは一人では歩かない いつも不幸せとつるんでる
だからこのどん底の横には 喜びの朝だっているだろ

風に鳥になれるわきゃない だから這ってでもいかなきゃよ
動かずに抜け出せるぜいたくなトンネルはない」

この歌は今でも私の座右の銘のようなものです。
そのSION、先日結婚が報道されて、時の人である福山雅治さんが
民放の「ウタフクヤマ」という番組で
SIONさんの「街は今日も雨さ」という曲をカバーしたと
SIONファンのツイッターで、盛り上がっていました。

福山さんは、長崎にいた十代の頃から、SIONさんの歌が好きで
ご自身がデビューされたからは、機会があるたびに
SIONさんをフューチャーし、共演もされています。
ネットで検索したら、福山さんとSIONさんが対談をされた
10年前の「僕らの音楽」の動画があってうれしかったです。

そしてSIONのファンにとっての一番のサプライズは、何といっても
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の龍馬暗殺の刺客の役が
SIONさんと元ブランキー・ジェット・シティーの中村達也さんだった
ことではないかと思います。

しゃがれた独特の声で、つぶやき、叫ぶSIONの歌に
私は今でも心を揺さぶられますし
「あ~、もうだめだ」と思うことがあっても
「生きていくのは大変だけど
まあ何とか今日もがんばるべえ」と思えます。
力をもらうとか勇気をもらうとかっていう
キラキラした感じではありません。
まさにどん底から、泥沼から「這ってでもいかなきゃよ」なのです。
何の保証も根拠もない、夢とか希望とか愛のメッセージには
1ミリも反応しない、ひねくれ者の私にも
SIONさんの言葉は届くから不思議です。

現代の社会で、家族とか、学校とか、異性とか
ものすごく狭い世界で、堂々めぐりをして苦しみ、もがき、傷ついて
自分をだめにしてしまう子どもたちや若者の多さに胸が痛みます。
「あなたたちが閉じこもっているその世界の外側に
自分にも生きる意味があると気づかせてくれる
もっと素晴らしいものがたくさんある」と
何とか伝えてあげることはできないものかと思います。

脳科学者・中野信子さんのお話の中に
「脳の中で共感性や意思決定、社会的な行動をつかさどる機能は成熟が遅く
思春期から25歳くらいまでにつくられる」というのがありました。
つまり思春期は共感する能力ができる
とても大切な時期なのだろうと思います。

だからこそこの時期に、むやみに勉強ばかりするのではなく
小説や映画や音楽や、美術的なものといった
感性を揺り動かすようなものにたくさん触れて
人生が変わるような出会いをしてほしいと心から思います。
この時期にそういう衝撃的な経験ができれば
年を取るにつれて、反応する対象が変わっていっても
その感覚を持ち続けることができるような気がします。

六十年の間に、私の人生も
そうした出会いで何回も変わりましたが
そろそろゴールが見えてきた今
どんと私の真ん中にあるのが、文学では高村薫と伊藤計劃であり
音楽ではSIONなのだろうと思います。
これが、私が最後にたどりついた
「自分が心から本当だと思えるもの」なのだろうと思います。
このあたりは、もはや信者と化していますので
生きている限りは、
こうしてこっそり布教活動にいそしむつもりです。




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男性と女性の性に対する認識の違い

2015-09-23 15:56:05 | 社会・生活
今日はネット上で「産後クライシス」という言葉を見かけました。
2~3年前から使われるようになった
「女性が出産したあとに訪れる夫婦の危機」を意味しています。

産経新聞の記事によれば「女性は出産を経て母性のスイッチが入り
目の前の赤ちゃんに集中する。24時間ずっと緊張状態が続く生活
に疲れ、夫にまで気を配れなくなる。また、女性の母乳の出をよく
するホルモン、プロラクチンは排卵を抑制し、授乳を続けている間
は次の子供ができない仕組みとなっている。このホルモンが分泌さ
れている間、性欲がなくなるのが一般的だ」ということだそうです。

前に「性の問題は、人類のブラックボックス」だと書きましたが
私は、実は、性の問題もまた依存症と深く関わっていると考えています。
セックスで得られる快感の正体は
脳の中で放出されるβエンドルフィンやドーパミンといった神経伝達物質で
人間に「楽しい」とか「気持ちがいい」とかの快の情動を感じさせます。

私は男ではないから分かりませんが
セックスによって得られる快感は、男性の場合は、女性に比べて
瞬間的ではあるけれども、すごく直接的で強烈なのだろうと思います。
多くの男性は思春期以降、この性的な快感への渇望と衝動を抱えています。

結婚は、本来はそれを充足できるはずなのですが
母親になる女性にとって、性は「あっは~ん」とか「うっふ~ん」とか
言っておけばそれでいいというものではなく
妊娠、出産、育児という、生物としての大きなサイクルの入り口なわけです。
一方、本当かどうか知りませんが
男性の多くは「セックスできるお母さんが欲しいのだ」という説があります。

この男性と女性の、性や結婚、出産や育児に対する認識の差が
「産後クライシス」という話に現れていると思います。
「出産を機に妻が豹変した」「夫が家事や育児に協力してくれない」
こうなると、それぞれの主張は平行線で、歩み寄ることは難しいです。

男性は、仕事のストレスを、充実した夫婦生活で癒したいのに
妻は子どものことばかりで、自分をかまってくれない。
それならと浮気に走ったり
手近で似たような快感を手に入れられるお酒やギャンブルに
ストレス発散の場を求め、そのあげく依存症になってしまったり
というような例は、若い夫婦だけでなく、30代、40代、50代と、
実はものすごく多いような気がします。

うちも二十数年にわたって、クライシス(危機)どころか
夫婦関係については完全に崩壊状態でした。
そして、ターニングポイントは、やはり出産だったと思います。
産後間もない頃に起きた小さな出来事で
私は、父親としての自覚が感じられないダンナに早々と見切りをつけました。

その後ギャンブルにハマって借金を作り、女性問題を起こし
度々家族を危機にさらしたダンナに
どんな人間的な尊敬も愛情も感じることはできない私と
仕事のストレスや、家族からの疎外感といった鬱々とした思いを
うまく表現することができなかったダンナの
気持ちを理解することはできても
お互いの間にある溝を埋めることは結局できませんでした。
みんながそうというわけではないのでしょうが
少なくとも私にとっては、セックスは愛情の表現ではなかったのです。

最近ではネットの中には、エロ動画が山ほどあります。
アヤしい業界の人たちが作った、シャブ漬けのお姉さんたちの
そのものずばりの映像が氾濫しています。
思春期の子供たち(特に男の子ですが)が、最初に出会う性の世界が
ああいう異常なものであり
性=快楽というゆがんだ認識に捉えられてしまうと
その後の人生や女性との関わり方に色々な問題が生じるように思えます。

私はけして性が汚ない、恥ずかしいものだとは思っていません。
15年以上前に、岡崎京子さんの「リバーズ・エッジ」という漫画を読んで

その中にあった主人公ハルナの、セックスに対する感想
①想像していたのよりたいしたことない
②想像していたのよりへんなことだ
(あのへんなかっこう へんなうごき)
③相手に対して特殊な感情をもちやすい
④生殖を目的としないセックスというものは
 色々むじゅんとナゾがある
というのに「ああ、わかるわかる」と思いました。

岡崎京子さんが描いたような、等身大の、クールな女の子たちの感覚と比べると
我慢強くて、優しくて、まるでマリア様みたいなスポコン漫画のヒロインと
エロ本、エロ漫画、エロ動画の女性の情報を組み合わせて出来上がっているような
男子、あるいは男性たちの、理想の女性像は大丈夫なのかと思います。

情報が少なくて、世の中がそれまで伝承されてきたならわしによって
動いていた時代には、結婚も子育ても
いろいろ不都合がありつつも、親の世代のやり方で何とか動いていました。
けれど、これだけ情報が豊富になって
ひとりひとりの価値観が違ってくると
恋愛も、性も、結婚も、出産も、育児も
それぞれが描いているイメージが大きく違ってきているように思えます。
「産後クライシス」という現象は
男性と女性の、この実は大きく隔たっている認識の
一つの現れなのではないかと思えるのです。

お互いに、相手に対して求めるばかりだと
どこまでいっても、理想の形は実現しません。
けれど、相手に何も求めないのだったら
そもそも結婚する意味がありません。
前に後藤先生が「動機づけ」のお話で
「人間関係はお互い様が理想なのです」と言われていました。
本当にそうだと思います。とても難しいですけど。







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ささやかな生きがい

2015-09-07 15:17:22 | 社会・生活
ここへきてまた「本読みたい病」と「映画観たい病」が
重症化しています。

その理由の一つは、やはり頭の片隅に
何となく自分の残り時間という意識があるからだろうと思います。
もう一つはやはり伊藤計劃さんの影響です。
伊藤さんのおかげで、ずいぶん本や映画の趣味が変わりました。
黒沢清監督の「回路」とか、リドリー・スコット監督の
「ブレードランナー」とか、伊藤さんが高評価な映画で
私も大好きというものがあって、すごく嬉しかったです。

そして、もう一つは、家族が貸してくれた「ほんとねこ」
という漫画。作者はスズシロさんという書店員さんで
優しいダンナさんと2匹の猫ちゃんとの生活を
ブログの漫画に描いておられたのが、書籍化されたものです。
私の家族や知人はみんな、とにかく猫に関するものを
身近に置けば、私の免疫力がアップするだろうと
思っているふしがあって、猫グッズを送ってくれたり
猫の写真や、猫が出てくる本やらを持ってきてくれます。
本当にありがたいことです。

その書店員のスズシロさんが大の本好きで、映画好きで
ゲームも好きという方なんですけど
一度に何冊もの本を同時に読めるというつわものです。
こういう方は、本屋さんで働く適性があると思います。
私のように、本も映画も好き嫌いが激しく
もの凄く好みが偏っている人間は、本は好きでも本屋には向きません。
実は20代の頃に、一度本屋に就職しましたが、3ヶ月で辞めました。

そのスズシロさんの漫画「ほんとねこ」を読んでいて
心の底から「ああ、やっぱり本っていいよなぁ」と
改めて思ってしまったわけです。

家にテレビがなかった見返りに
物心ついた時から、映画と本はすぐ身近にありました。
そして映画や本の中には、自分と同じ感じ方、考え方をする人が
たくさんいました。実生活では、話しても理解してもらえないか
言ってもドン引きされそうな話も、本の中には幾らでもあります。
伊藤さんのブログの中に「文庫本だけが友だちの高校生なんて
そんなもの」という自嘲的な一節がありましたが
私もまさにその口だった一人です。

近年若者のコミュ障(コミュニケーション障害)とか
友だちがいない、自分の気持ちを正直に話せる人がいないというのは
よく聞く話ですが、実は本や映画の中には同類がいっぱいいます。
私にしても、自分の身近にいる人で、自分と趣味が一緒という人には
60年生きてきて、いまだかつて一人も出会ったことがないのですが
本や映画の中だったら結構見つかります。

最近映画のブロガーさんの記事を読むことが増えました。
アクション映画が大好きな方、特撮映画のマニアらしき方
中には私と同じ、ごくごく普通の主婦で
ホラー映画とゴア(残虐)描写のある映画が大好きという
すごくシンパシーを感じてしまうブロガーさんもおられます。
自分と趣味が同じでなくとも、読んでいるだけで楽しいです。

何よりも、あくまでも人に迷惑をかけない範囲で
自分の生きがいと思えるものを持つこと
心から楽しいと思える瞬間があること
それが長い目で見たら
生きていく上での理想であり幸せのように思えます。

やはり伊藤さんのブログに
「金曜日に胸開いて火曜日に退院。びっくりです。
痛くて横になることもできないのに。左腕で何かを
支えると悲鳴をあげたくなるのに。
というわけで家の布団に座り込んで、ひたすら「24」を
見ることにしました」
まさに鬼です。自分にこの真似ができるかなと思います。
まあそんなことをするのは馬鹿だと思う方も多いでしょうが
でも憧れます。

今後病状が変化して、治療やお薬の変更ということになるにしても
せめてぎりぎりまで本が読めるということが、唯一の願いです。
実は前の病院で最後に提示された注射のホルモン剤は
治療費が高額だったこともありますが
副作用に白内障があったのでスタコラ逃げました。
残り時間が限られているなら、せめて自分の好きなものたちと
幸せな時間を過ごしていきたいです。

というわけで注文していた「死神の浮力」が
アマゾンから到着しました。
秋の夜長はやっぱり読書が最高です。

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困難はむこうからやってくる

2015-08-29 17:19:16 | 社会・生活
ダンナはまとまったお盆休みがない仕事なので
お盆の少し前の休みに、佐賀のダンナの実家にお参りに行きました。

ダンナのお兄さんには、今までずいぶん
迷惑も心配もかけているので
お盆とお正月には、挨拶がてら里帰りをします。
ご先祖様のお仏壇にお参りする習慣を続けています。

ちょうど甲子園があっていたので
車中でぼんやりその中継を聞いていました。
どこの試合だったか忘れましたが
二校とも点を取ったり取られたりの高得点の試合で
最後の最後に逆転して勝ちました。

その時に解説の人が
「負けても絶対にあきらめない。いやぁ、素晴らしい」みたいな
ことを言ったのに私が反応。

「あのさ。負けても絶対あきらめないってさ。
それ、野球とかサッカーとか、スポーツやってる時は
全然それでいいんだけどさ。ずっとそれで
マインドコントロールされてて、そういう人が
スポーツやめて、ギャンブルに出会ったりしたらマズいよね」

「う~ん?」

「だってさ。あたしなんか、ちょっと負けたらさっさとあきらめようよって
思うもん。あきらめなかったら、必ず勝つとか、その思考でいくのは危ないって。
もう依存症まっしぐらだよ」

「あはは」とダンナは笑っておりました。

回りを見ても、ギャンブルにハマる人というのは
若い頃スポーツをやっていたという人の割合が多いように思えるのは
私の偏見でしょうか。

とはいえ、そのあまり興味のないスポーツネタで話をする以外に
ダンナとの会話の糸口がないので
最近は、野球でも、サッカーでも、テニスでも、はたまた陸上でも
たいていのものは観ることができるようになりました。
でこぼこでも会話は成立します。努力あるのみです。

けれど人生は皮肉なもので、私がこれほどスポーツ嫌いなのにも関わらず
長男は中学入学と同時に、まったく何の相談もなく野球部に入部し
いきなり丸坊主になって帰宅しました。
内心終わったな(何が?)と思いましたが
誰に迷惑をかけるわけでもないことで
子どもが自分でこうすると決めたことに反対したり
自分の考えや好みを主張したり、押し付けたりするのは
間違ったことだと思うくらいの理性はあります。

まあ心の底から応援したかというと、そこは微妙ですが
三年間黙々と炎天下のグラウンドで応援に立ち、
道具や飲み物を運んで、決められた部活生の親の勤めを果たしました。

今だから大声で言いますが、私はやっぱり夏も太陽もアウトドアも大嫌いです。
だからこそ、人生は決して自分が望むような方向へは転ばないものだと
むしろ敢えて困難な、不本意なほうへ転がるものものなのだと
またまたこの時も確信しました。

私の好きな作家伊藤計劃さんが「宇宙戦争」という映画のレビューで
「戦えばなんとかなるんだ、むしろ戦うべきだとか
物事には理屈があるんだとか、そんなふうに思える人は
たぶんヒトが無力であることに耐えられないんだろう。
わけのわからないことが嫌いなんだろう」というような部分があって
激しく同感しました。

表面的に読めば、どうしようもない悲観主義とか虚無主義と取られそうですが
私にとっては、この社会に蔓延する不毛な勝ち負け思考のその先
もっとマクロな視点で見た世界と人間の姿を示唆してくれていて
とても含蓄にとんだ一節でした。
(もはや信者と化していることは自覚しています)





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親の教育力

2015-08-21 10:57:11 | 社会・生活
また中学生が被害者になる痛ましい事件が起こりました。
こういう事件で、被害者とかその親御さんを批判するような発言をすると
不快に思われる方がおられることは分かっていますが
これはいじめの問題や、子どもたちのスマホ依存にも関係がありますので
思ったことを書いていきます。

事件のことを知った時に、私の頭にまず浮かんだのは
「中学一年生の女の子が、夜中に町を徘徊してるってどういうこと」
という疑問でした。これは実は川崎の事件の時も思ったのです。
私が育ったのは昭和で、親も昔の考えでしたから
夜出かけられるようになったのは高校生になってからでした。
そしてうちの子どもたちも、中学までは
夜遊びに行くにしても、誰とどこに行くとか、帰りは大体何時になる
といったことは、親に伝えて出かけていました。

私は子どもたちが勉強をしないとか、テストの点数がどうだとかいうことについて
注意したり怒ったりしたことはほとんどないし
それぞれの趣味や、プライペートな行動に口を出したり制約したこともありません。
けれどそれはそれで、大人になったから、奔放すぎて
開いた口がふさがらないようなチョンボもあったので
けして自分の育て方が良かったとは思っていません。

第一私が子どもたちに指示や命令をしない理由は
私がとても愛情深い優しい人間だからではなく
自分がむやみに人から指示されたり命令されたりするのが大嫌いだから
自分が嫌なことは、ダンナや子どもたちにもしないという
ものすごく個人的な理由によるものです。

というわけで勉強や趣味にはいっさい干渉しませんでしたが
小学校から中学まで、子どもの健康と安全にはかなり神経質でした。
小学校までは、家族で夕食を食べるのが普通だったので
中学で、部活で帰りが遅くなった最初は
男の子なのに、通学路の途中まで様子を見に行くほど心配症でした。
娘のほうは20才まで、バス停まで迎えに行ったりしたこともあります。

私はその辺は、すごく怖がりで考え方も古いのだろうと思います。
ですから最近の事件で、中学生の子どもが夜中に出歩いて
事件に巻き込まれるという話には、ものすごく違和感を感じてしまいます。
確かに中学生になると、小学校の時よりさらに親の言うことを聞かなくなります。
だからといって放置していいということではないと思うのです。

長年地域の役員などをして
親御さんには幾つかのタイプがあると思いました。
子どもさんを放任する親御さんには
「うちの子はちゃんとしてる。しっかりしてるから大丈夫」という
我が子信頼型があります。
これにはご自身の教育に絶対の自信を持っているという人もいますが
兄弟関係も影響していて、上に年長の兄弟がいる親御さんは
上の子で、たいていのことは経験しておられますから
下の子どもさんに対しては、概しておおらかになります。
「そんなに心配せんでも、何とかなるよ」という感じです。
それと、勉強とか部活をちゃんとやっていれば
日常生活については、いっさい関知しないみたいな方もいます。

他には、ご両親ともそれなりに責任のある忙しい仕事をされている場合や
経済的に大変で、長い時間仕事をされていて
子どもの学校の行事などに関わる時間がまったくないという場合もあります。
けれどそういう親御さんでも、可能な限り子どもや学校生活に関わろうという
意識のある方もおられますし、反対に完全に無関心という方もいます。

小学校や中学校の難しさは
親も子どもも、こういう、それはもう色んなタイプが
ごっちゃまぜになっている点がとても大きいと思います。
これが、例えばスマホの利用の仕方といった
生活面で一定のルールを作る必要がある時に
意見をまとめることがとても難しくなるし
仮にルールを決めたとしても
保護者会にも出ない、プリントも見ない
そもそも親も子供も「そんなの関係ねぇ」みたいだと
作った規則も、まったく意味をなしません。

しかも中学生くらいになると、子ども社会では
ルールを守らないほうが大人っぽい、カッコいいみたいな
まるで裏社会みたいな価値観が幅をきかせ
ルールを守ろうとしている子どもたちまでが
間違った同調圧力に巻き込まれてしまう。
こういう状況は
いじめの中の一部にも、スマホ(Line)の長時間利用の問題にも
小中学生の夜遊びなどの生活の問題にも
色々なところに影響していると思います。

小学校や中学校での子どもの問題行動の背景には
実はこのような親の問題があることも
案外多いのではないかと思えます。
ですから保護者同士で同じ価値観を共有することはとても難しいのですが
こうしたことに、個々の家庭でマイルールを持ち
親が、自分が正しいと思うことを子どもに伝えることは
私は大切なことだと思います。

ですから私がもし今子育て中だったら
「こういう事件は、こんなに物騒な世の中なのに
夜中になっても、我が子の安否を確認せず
子どもを探そうともしない親にも大きな問題があると思う。
第一そういう時のためのスマホじゃないのか。
夜中の12時になって、子どもがいないんだったら
あらゆる方法で子どもの無事を確認するべきだし
首に縄をつけても家に連れてかえるのが本当。それをしないなら
ある意味自業自得と言えなくもない」くらいのことは言うと思います。

さらに私は昨今のアイドル隆盛の世相についても
「中高生の女の子に、パンツが見えるようなスカートはかせて労働をさせ
大人たちが金を稼ぐ、それを容認し、憧れたり真似したりする風潮が
子どもたちをロリコン的な性犯罪に巻き込む大きな要因にもなっている」
みたいな話もして、たぶん家族のひんしゅくを買います。

子どもにああしろ、こうしろみたいな指示や命令をしたことはありませんが
自分が「こうあるべき」と考えていることについては
きれい事で済ませることはしません。
たとえ家族が「そんな極端な」と思おうが
「お母さんは古い」あるいは「お母さんはひどい人だ」と感じようが
自分がこうと思ったことは言います。
それが正しいのか正しくないのかは
子どもが自分で考える、それが大事だと思えるからです。




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残してほしい幽霊文化

2015-08-13 14:53:25 | 社会・生活
お盆といっても、ダンナの仕事は年中無休なので
特にお盆休みはありません。
その代わりに、今度のシフトは
出勤の時間が、午前11時ごろとか午後2時ごろ、夜中の11時ごろと
まちまちで、夜中の1時ごろに帰宅する日も
一杯飲んで寝るので、やたらにご飯を作る回数が多くなりました。

何だか買い物に行ってはご飯ばかり作っている感じで
36度とかの酷暑の中、チャリこいで買出しに行きながら
「これ、末期がんの患者の生活じゃねえし」と
心の中で悪態をついていますが
それでも露店の八百屋で働いていた頃からしたら
夢のようにのんびりした日常ですから、これ以上ぜいたくは言えません。

*ステージ4は末期ではないという説もありますが
医学的には「末期」に分類されているそうです。
ちなみに症状が重くなって死期が近い場合は「終末期」とのこと

家に私の旧姓のご先祖様の仏壇があるので
毎年恒例で、こじんまりとお盆の飾り付けをしました。
でも、もうずいぶん前から
「ご先祖様って、お墓にもいて、仏壇にもいて
でもお盆には極楽(?)から戻ってくるって
バルタン星人みたいに分身の術でも使うのか」という疑問を持っていますが
そういう理屈を超越しているからこその宗教なのでしょう。

このところ特に映画館で観たい映画もなく
DVDのレンタルの値下げ待ちで「観てもいいかな」と考えているのが
ティム・バートン監督の「ビッグ・アイズ」とか
ある有名な映画のブロガーさんが「ダメ人間映画の頂点」と評されていた
「百円の恋」とか、オンデマンドで近々100円になるらしい「紙の月」
後は先日封切られていた「脳内ポイズンベリー」あたりでしょうか。

ただ最近ますます、親子とか、夫婦とか、恋愛とか、自分探しみたいな
ちまちました人間ドラマ的なのに付き合う根気がなくなっていて
そういう「観てもいいかな」の過去作がだんだん増えてきているので
実際に観れるのはいつになることやら。

そんな中、あまりの暑さにどろりと溶けて
ぼんやり観たのがケーブルで放送された「ザ・リング」
そう「リング」のアメリカ版です。
リメイクですから、当然のことながら「リング」を踏襲している部分もあるし
変更されているところもあるのですが
本質的に「リング」の主役である貞子のキャラクターが違いました。

前から思っていたのですが、やはり欧米の人には
幽霊というものが、今ひとつ恐怖の対象にはなりにくいのかなと思います。
これは、キリスト教を信仰していない日本人にとって
悪魔というものに、強い恐怖心を感じることができないのと同じです。
日本のお芝居や、物語や、映画に登場する幽霊は
もとは中国由来なのでしょうが
仏教の教えと相性がよく、「因果応報」の拡大解釈という形で
すっかり日本の文化に定着しました。

映画のブログでも書きましたが
子どもの頃に観た「四谷怪談」
それはもう怖かったです。
手で顔を隠して、指の間からおそるおそる見ました。

でも、なんの罪もない人を殺したり傷つけたり、ひどい目に合わせたら
こんなにも恐ろしい目に会うのだということを
幼心に、それはもう骨の髄まで叩き込まれました。
だから人間は悪いことをしてはいけないのだと。
恐怖という感情は
どんなきれいごとの道徳のお題目よりもよほど効き目があります。

外来種のホラー映画、ジェイソンとかフレディとか、あのへんの系譜は
日本の幽霊映画とはかなり違います。
加害者と被害者の間に、たいした因果関係はなく
無差別殺人に近いものがあります。
そういう意味では、日本版の「リング」や「呪怨」も
本来の幽霊話と、欧米型のホラーの折衷型とも言えます。

「子どもに残酷なものを見せるのはよくない」という考え方が一般的ですが
私は昨今の若者たちの歯止めのない無軌道さを見ると
「人を殺したり苦しめたりしたら、こんな怖い目に合う」という
王道の幽霊映画は、なるべく小さい頃に見て
うんと怖い思いをしたほうがいいのではないかと思います。
「こんなことをしたらアレが出る」と
パッとイメージが浮かべば、いじめにしろ何にしろ
即効性のある抑止力になります。

「な、バカな」と笑われる方もあるかもしれませんが
もともとキリスト教の、壁画などの宗教画も
地獄や極楽を描いた仏画も
文字を理解することができなかった一般人に
教えを理解してもらうための手段だったそうです。
難しい言葉は分からないからビジュアルで分かってもらうわけです。

というわけで、怪談あるいは各種の幽霊文化は、
それなりに教育力のある日本の誇る文化だと私は信じています。
たかが幽霊、されど幽霊です。
そんな幽霊文化が、このままなし崩しにホラーに合併吸収されて
性格を変え、なくなってしまうのは寂しいものがあります。

以前「ホラー小説を書いている」と書きましたが
厳密には、この幽霊文化の系譜のお話を書いています。
今風ではないので、あまり受けはよくないですが
「怒りや悲しみを抱えて死んだ人は
今でも普通に自分たちの周りにいるんだよ」というそういう世界
そして死んでいった人間の思いを
ちまちまと形にするという試みを続けています。
と今日は何となくお盆風のネタで。






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「力による支配」という価値観

2015-07-20 17:17:47 | 社会・生活
いじめと同様に、加害者と被害者という関係性ができて
被害者がとても辛い、悲しい思いをするのは
虐待やDV、パワハラ、モラハラなども同じです。

DVの、加害者向けの更生プログラムを指導されている
NPO法人女性・人権センターステップの栗原加代美さんという方のお話があります。

DVの加害者に、「DVとは何か」と聞いたら
「殴るとか蹴るなどの暴力行為」だと考えている人がほとんどなのだそうです。
実際にはDVには、そうした身体的な暴力以外にも
大声で怒鳴ったりののしったり
あるいは相手の話を無視するという心理的な暴力や
生活費を渡さないなどの経済的なもの
相手の行動を過度に制限するものなど
相手が安心して、自由に、自信を持って人間らしく生きる権利を
奪うもの全てを指します。
またDVとストーカー行為も、基本的には同じことです。

このDVの定義は、いじめや虐待にも、パワハラやモラハラなど
全てのものに当てはまると思います。
「暴力は振るってないから、いじめではない」ということは
ありません。
被害者が、恐怖や苦しみを感じるもの
人間らしく生きる権利=人権を侵害したり奪ったりする
行為や圧力は、基本的に虐待であり、いじめです。

栗原さんは、なぜDVが起きるのかについて
DVは行為ではなく、歪んだ価値観が起こす
誤った関係性なのだと言われています。
なぜ、そうした歪んだ価値観、考え方が生まれるかというと

① 社会にそういう価値観があふれている

 これは「力による支配」を容認する空気があるということで
 具体的には、上司と部下、先生と生徒、スポーツ界で言えば
 コーチと選手などの関係です。

② 暴力容認の価値観

③ 男らしさ、女らしさに対する誤った価値観
   
  これには昔の「男尊女卑」などの影響もあると思われます。

④ 育った環境のトラウマ

  両親の間にDVがあったとか、加害者が虐待されていたなど

いじめも虐待も、DVやパワハラも、現代になって
新しく出てきた現象ではありません。
世界的には人種差別の問題もそうですし
封建社会での階級制度や、軍隊でのしごきや
家庭内での嫁姑問題など
人間の歴史は、そのまま様々な差別と偏見と虐待の歴史でもあります。

近代になってやっと自由とか平等とか人権という
誰もが人間らしく生きる権利という考え方が根付いてきたのですが
社会の中では、今までの価値観が未整理のまま
ごちゃごちゃに存在しているので
「力による支配」の考え方を容認する空気はいまだに根強いわけです。

DVの加害者の9割が、小さい時に虐待を受けているという
数字は衝撃でした。
前に、異常な犯罪の背景には、ほぼ間違いなく幼児期の虐待があると
書きましたが、DVの加害者も同様で
「愛されている」と感じられずに人生の土台が作られてしまうと
「人を信じられない」といった歪んだ考えを持つようになるのです。

その、人間に対する不信感や不安が
「自分が正しい、自分が偉い→相手が間違っている」という
歪んだ考え方になり、力による支配に結びついていきます。

また「DVの加害者は変わることができるのか」という問いに対して
「変えることができないのは他人と過去であり
変えることができるのは自分と今だと理解すること」という
とても心に残る言葉がありました。
これは、もともとはエリック・バーンという精神医学の先生の言葉で
DVに限らず、様々な精神的な問題で苦しむ人たちへのアドバイスとして
カウンセリングなどの場でも用いられているということです。

ここで言われている「他人」とは、自分以外の
親や子供や配偶者も含めての、すべての他者を指すと
私は理解しています。

変えることが不可能な過去に捉われて苦しむことや
自分以外の人間を、自分の思い通りに
支配しコントロールしようとすることは不可能なことなのに
それを変えようとするところに葛藤や悲劇が起こる。

けれど、自分自身のそういう間違った考え方は、自分で変えることができるし
自分が変わることで今、あるいは現在から伸びる未来を
変えることは不可能ではないということなのだと思います。

知れば知るほど、こうした間違った関係性の根っこにあるものは
実はとてもよく似ているように思えてなりません。
本当なら、これだけ文明が進んだ社会で
そういう原始的で、動物的な価値観は衰退してもよさそうなもののですが
個人のみならず、国家と言うようなマクロな単位でも
むしろ増えているように見えるのには
また別の要因があるのかもしれません。

いや、単純に、人間は
みんな平等で、みんな平和で、みんな幸福という状況が
嫌いで、許せないという
ただそれだけのことなのかもしれませんが(THE マイナー思考)






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