10月の下旬から11月にかけて
珍しく幾つかイベントが入って
PCから遠ざかっていました。
まず10月の後半に、FM主催のライブがあって
娘に誘われて、聴きに行きました。
1996年に公開された映画「スワロウテイル」
「リリイ・シュシュのすべて」や「花とアリス」など
多くの作品がある岩井俊二監督の初期の映画です。
その映画で、CHARAさんがボーカルの
イェンタウンバンドという架空のバンドが登場したのですが
その幻のバンドが今年復活し、福岡でライブがあるというので
これこそ、生きている間に聴けるのは
これが最後のチャンスだろうと、聴きにいくことにしました。
生で聴いたCHARAさんの「あいのうた」や「MY WAY」
素晴らしい音楽に触れた瞬間というのは
「ああ、もうこれで思い残すことはないわ」というくらいの勢いです。
あの、全身の細胞が震えるような感じというのは
やはりCDでは味わえない、ライブならではの感動です。
そして、待ちに待った「ハーモニー」の公開。
こちらも、娘が付き合ってくれました。
家庭も仕事もあって忙しい娘を何回も駆り出すのは気が引けるのですが
なにしろアニメ映画なので
還暦のおばさん(おばあさん?)が一人で観るよりは
アニメ好きの娘に、仕方なく母親が付き合ってるという構図のほうが
まだしも絵になるような気がしたもので。
それから一日置いて
去年一緒に原鶴温泉に行った子育て仲間。
今年は、熊本と宮崎から福岡に来てくれての博多女子会になりました。
よく晴れて、あったかで
ちょうどホークスの優勝パレードの日だったので
博多駅からキャナルシティ、天神と、博多の街は大賑わい。
博多駅の屋上にある「つばめの杜広場」からスタートして
のんびりおしゃべりを楽しみながら
櫛田神社からキャナルシティ界隈を散策しました。
子育てをしていた頃は、出かけても
子どもたちに気を配りながら
(というか、くもの子を散らす状態の子どもらを
怒鳴り、叫び、おっかけるというドタバタ騒ぎ)だったので
本当に長い付き合いなのですが
四人で、こんなに優雅に散策を楽しんだのは、おそらく初めてのことです。
私を除いた三人は、それぞれ親御さんの介護を抱えていて
つくづく人生はいくつになっても楽になるわけではなく大変だなと
心から思います。
ダンナのギャンブル依存症の問題を抱えた
私だけが特別に大変というわけではなく
誰もが、いくつになっても厳しい現実と向き合って
それでも一生懸命に生きています。
若いうちは分からないのですが
この年になると、それがつまりは生きるということなのだろうと思います。
ずいぶん前に、一度ブログに書いたような気がしますが
斉藤史という歌人の
「おいとまをいただきますと戸をしめて
出ていくやうにゆかぬなり生は」 という歌を
また改めて思い出しました。
こんな具合で、先月は、私にしては
珍しくアクティブな時間を過ごしていました。
でもブログが滞っているのは、それだけではなく
原因は、先日導入した録画のできる新しいテレビ。
「これちょっと観てもいいかな。でもレンタルのはもったいないな」
と保留にしていた映画を、次から次へと録画しまくり
ヒマさえあれば映画を観ているという。
スズシロさんの「ほんとねこ」という漫画で
無印に「人間をだめにするソファー」というのがあることを知りましたが
まさに「人間をだめにするテレビ」の恐ろしさを痛感しています。
珍しく幾つかイベントが入って
PCから遠ざかっていました。
まず10月の後半に、FM主催のライブがあって
娘に誘われて、聴きに行きました。
1996年に公開された映画「スワロウテイル」
「リリイ・シュシュのすべて」や「花とアリス」など
多くの作品がある岩井俊二監督の初期の映画です。
その映画で、CHARAさんがボーカルの
イェンタウンバンドという架空のバンドが登場したのですが
その幻のバンドが今年復活し、福岡でライブがあるというので
これこそ、生きている間に聴けるのは
これが最後のチャンスだろうと、聴きにいくことにしました。
生で聴いたCHARAさんの「あいのうた」や「MY WAY」
素晴らしい音楽に触れた瞬間というのは
「ああ、もうこれで思い残すことはないわ」というくらいの勢いです。
あの、全身の細胞が震えるような感じというのは
やはりCDでは味わえない、ライブならではの感動です。
そして、待ちに待った「ハーモニー」の公開。
こちらも、娘が付き合ってくれました。
家庭も仕事もあって忙しい娘を何回も駆り出すのは気が引けるのですが
なにしろアニメ映画なので
還暦のおばさん(おばあさん?)が一人で観るよりは
アニメ好きの娘に、仕方なく母親が付き合ってるという構図のほうが
まだしも絵になるような気がしたもので。
それから一日置いて
去年一緒に原鶴温泉に行った子育て仲間。
今年は、熊本と宮崎から福岡に来てくれての博多女子会になりました。
よく晴れて、あったかで
ちょうどホークスの優勝パレードの日だったので
博多駅からキャナルシティ、天神と、博多の街は大賑わい。
博多駅の屋上にある「つばめの杜広場」からスタートして
のんびりおしゃべりを楽しみながら
櫛田神社からキャナルシティ界隈を散策しました。
子育てをしていた頃は、出かけても
子どもたちに気を配りながら
(というか、くもの子を散らす状態の子どもらを
怒鳴り、叫び、おっかけるというドタバタ騒ぎ)だったので
本当に長い付き合いなのですが
四人で、こんなに優雅に散策を楽しんだのは、おそらく初めてのことです。
私を除いた三人は、それぞれ親御さんの介護を抱えていて
つくづく人生はいくつになっても楽になるわけではなく大変だなと
心から思います。
ダンナのギャンブル依存症の問題を抱えた
私だけが特別に大変というわけではなく
誰もが、いくつになっても厳しい現実と向き合って
それでも一生懸命に生きています。
若いうちは分からないのですが
この年になると、それがつまりは生きるということなのだろうと思います。
ずいぶん前に、一度ブログに書いたような気がしますが
斉藤史という歌人の
「おいとまをいただきますと戸をしめて
出ていくやうにゆかぬなり生は」 という歌を
また改めて思い出しました。
こんな具合で、先月は、私にしては
珍しくアクティブな時間を過ごしていました。
でもブログが滞っているのは、それだけではなく
原因は、先日導入した録画のできる新しいテレビ。
「これちょっと観てもいいかな。でもレンタルのはもったいないな」
と保留にしていた映画を、次から次へと録画しまくり
ヒマさえあれば映画を観ているという。
スズシロさんの「ほんとねこ」という漫画で
無印に「人間をだめにするソファー」というのがあることを知りましたが
まさに「人間をだめにするテレビ」の恐ろしさを痛感しています。
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今のりょうさんに「葛藤」という辛い気持ちがないように
感じてしまうのは私だけでしょうか?
私はいまだに、日々葛藤していて、いらいらしています
自分だけの楽しみがないのが良くないんだろうと思っています
楽しみや趣味が見つけられません
感動することもない(裏があると思う嫌な性格です)
どうしてこんな風になってしまったんだろうと考えることもあります
なんか愚痴ですみません
競馬番組をつけていたので、心臓がドクンとしました。
スポーツもそうなんですが、そういうのが
一番面白い、楽しいと思う感じは
私が映画や小説を楽しいと思うのと同じで
おそらくそれをなくせというのは無理なんだと
思います。
プログラムによって回復しようと努力されてる
方は、その辺はありえないくらい考え方が
ストイックなんですよね。でもそれを実践できる
人はとても少ない。
普段の仕事だけでも生ける屍みたいな時が
あるダンナは、少ない休日にGAに参加する
なんて考えもしないようです。
ですから色んな意味で、大丈夫かなぁという
不安は相変わらずあります。ただ家族の問題
だけにとらわれて、考え方が閉鎖的になると
自分が壊れてしまうという経験もしましたから
なるべく身近な問題から離れる時間を
作るという、自己流のリハビリなんだと思います。