千手観音の仏像を見たんだけど、手がいっぱいあって、ちょっとびっくりだよね。どうしてあんなふうな仏像が作られたんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
高次元世界に住んでいる人たちは何も仕事をしていないかといえば、そのようなことはなく、非常に忙しく仕事をしています。
仏像のなかには、顔が十一もある十一面観音や、手が千本もあるとされる千手観音などがありますが、これは、高次元の霊人が、さまざまな仕事を非常に忙しく行っていることを表しているのです。彼らは、あちこちで、たくさんの人を救済しているので、非常に忙しいわけです。
ただ、どんなに忙しくても、それで心が千々に乱れて不安定になってはいけないのです。高度な仕事をし、幅広い活躍をしつつも、常に平和な心を維持し、澄んだ心でいなければなりません。これは、高次元の霊人に課せられた責務ともいうべきものなのです。
成功にも、成金的な成功とさわやかな成功があるように、忙しく働く人のなかにも、地獄的に働いている人と、千手観音のように天国的に働いている人がいます。したがって、仕事そのものは多忙で大変であっても、いつも山上の湖面のような澄んだ心、平和な心を持っていなければならないのです。(中略)
心を静めた坐禅の状態というのは、特別な環境においてのみ行われるものではありません。常にそういう心境を維持できるようになれば、「歩いていても、仕事をしていても、電話をしていても坐禅である。『業務即坐禅』である」ということになります。心の修行を続け、自分の心を静めながら、また、自と他の関係、世界の関係、宇宙を貫く関係をじっと見つめながら、仕事をしていくわけです。(中略)禅の心自体が、一日の生活そのものを律していくものなのです。
(258~260ページ)
手が千本もある千手観音は、高次元の霊人がさまざまな救済の仕事を非常に忙しく行っていることを表している。
ただ、高次元の霊人は、どんなに忙しくても、常に平和な心を維持し、澄んだ心でいなければならない。
坐禅は特別な環境においてのみ行われるものではなく、禅の心自体が、一日の生活を律していくものである──。
高次元の霊人は、禅の心で、いつも心穏やかでありながら、あちこちでたくさんの人を救済して、とても忙しく働いているわけです。
千手観音の仏像も、そんな尊い御姿を霊的に見ることができた人たちが創ったのだと、私は理解しているのです。
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『大悟の法』
大川隆法著 |
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