反省の大切さとか、八正道とか教えてもらってるんだけど、でも、どうやっていったらいいのか、わかんないよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の仏陀』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
この八正道のなかで、
特に大事なことを、ただ一つ取り出すとするならば、
すべては、「正しく思う」という、この一点に集約される。
あたりを見渡してみよ。
おまえたちを取り囲んでいる人たちの、
心の様相を見よ。
心のありかたを見よ。
なんとも見下げ果てたことを、
一日中、考えているではないか。
いや、ほとんど考えなきに等しい人が、
どれほどの数、いることであろうか。
考えなき人生を生きるとは、
昆虫の人生にも劣ると言わざるをえまい。(中略)
人間として生まれ、そして生きてゆくことの、
いちばんの意味は、
人間が考えというものを持つことができるという点に
帰着するのだ。
すなわち、「正しく思う」とは、
「正しく考える」と言いかえてもよいだろう。
おまえたちの人間性を決定しているものは、
すべて、おまえたちの考える中身にある。
もし、他人の心がガラス張りだとして、
だれもがその中身を見ることができるとしたならば、
おまえたちは、いったい、どのように感じるだろうか。
まさしく、それは驚愕でしかあるまい。
もし、おまえたちの首から黒板がぶら下がっていて、
その黒板に、おまえたちの考えていることが、
チョークの文字となって現れているとしたら、どうするか。
街を歩くことさえできまい。
人と視線を合わせることさえできまい。(中略)
この際に、どうすればよいのか。
そう、基本的には二つのことが重要となろう。
一つは、見られても恥ずかしくないような、
仏法真理に則ったことを考えるということである。
そして、いま一つは、
もし仏法真理に反したことを考えたとしても、
即座に修正を入れるということなのだ。
「ああ、自分は間違ったことを考えていた。
これは、自分の良心に照らして、
まことに恥ずべきことであった」と、
即座に修正することなのだ。
それによって、魂は洗われ、
その汚れは取り去られるのだ。
このようにして、
自分の正しき思いというものを探究してゆく過程において、
その魂は、次第しだいに力を帯びてくることになるのだ。
偉大なる人物とは、
偉大なることを考えた人間のことであるのだ。
これが大事なポイントとなる。
(194~200ページ)
八つの正しい道を探究する八正道の反省行なかで、特に大事なのは、「正しく思う」(正思)であり、これは「正しく考える」とも言いかえることができる。
たとえ人に見られても恥ずかしくないような、仏法真理に則ったことを考えるようにすること。
もし仏法真理に反したことを考えたとしても、即座に修正を入れること。それによって、魂は洗われ、その汚れは取り去られる。
このように、正しき思いを探究してゆくプロセスで、魂は次第に力を帯びてくる。偉大なる人物とは、偉大なることを考えた人間のことであるのだ──。
今日は、反省の考え方に関する、大切な要点の一つを教えていただいたのだと、私は思っているのです。
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『永遠の仏陀』
大川隆法著 |
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