オレの稟議書、なんでスムーズに通らないの? なんで、私の報告書、さっさと受け取ってくれなくて、なんだかんだ訂正してくるのよ? なーんて、悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『仕事と愛 〔新装版〕──スーパーエリートの条件』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
もちろん、一人だけで仕事をする人もいるでしょうが、仕事は、たいていの場合、他の人とのかかわり合いのなかにおいてなされます。同僚、部下や上司、取引先など、いろいろな相手とのかかわり合いにおいて、仕事というものは存在します。そこに仕事の意味があるのです。
この関係は愛と実によく似ているとは思いませんか。「愛とは、人と人との間に生まれるものであり、人と人とを結びつけ合う力、人と人との関係学である」とも言われますが、「仕事も、まさしく、人間と人間との関係学である」と言ってよいかもしれません。
そして、人間と人間が意思を疎通するために、書類というものがあるのかもしれません。この書類仕事というものを取ってみるならば、書類は、まさしく、相手への公的な手紙であるとも考えられるでしょう。
ただ、この公的なる手紙は、単に自分の思いを伝えるだけでは不十分であり、その内容を必要としている人が必ずほかにいるわけです。上司、あるいは対外的な存在が想定されているのです。そうであれば、書類づくり一つを取ってみても、「その書類を見る人の立場というものを考えたことがあるかどうか」が大事なのです。
あなたのつくった書類は必ず何人かの目を通ることになります。そして、その書類がミスに満ちているならば、他の人たちの多くの時間を奪うことになるのです。手抜き仕事が、さらに多くの仕事を生み、他の人たちの時間を奪っていくことになります。その意味では、手抜き仕事は「奪う愛」の表れである、と考えてもよいかもしれません。
ミスの多い仕事をする人は、他人の関心を常に自分のほうへ振り向けようとしている子供のようにも見えます。いつもミスをしている人がいると、他の人たちは、その人の仕事をチェックしていなければなりません。これは、他の人の力を自分に割かせるわけですから、ある意味において、奪う愛に相当すると言えるのではないでしょうか。
「仕事も愛の具体化の一つである」と考えるならば、愛の法則が仕事の世界にも生きていることを知っていただきたいと思います。
この世界に生きている愛の法則とは、まず、「他の人のことを考えて仕事をせよ」ということです。「自分がした仕事の内容は、いったい誰に向けられたものなのかを、よく知りなさい」ということです。そして、相手が必要とするものをつくっていくことです。これが何にもまして大事なことなのです。
(123~125ページ)
うーん、なるほど。
日々の仕事の現場でこそ、愛を奪うのではなく、愛を与えていけ。
ミスのない丁寧な仕事をするのが、愛を与える仕事の前提である。
書類は相手への公的な手紙であるのだから、相手の立場にたって、相手の必要とするものを作るようにせよ、って。
そういうことですよね。
日々「愛」を与える仕事を心がけていることで、報告書は上司に喜んで受け取ってもらえるし、稟議書だって、さっと決裁されて、自分の意欲的な提案もスムーズに取り上げてもらえる。
つまりは、仕事の場こそが、学んだ仏法真理を実践するための大切な修行場であったのだと、改めてしっかりと分かった気が私はしているのです。
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『仕事と愛 〔新装版〕──スーパーエリートの条件』
大川隆法著 |
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>『この世界に生きている愛の法則とは、まず、他の人のこと を考えて仕事をせよ、ということです。自分がした仕事の内容 は、いったいだれに向けられたものなのかを、よく知りなさい ということです。そして、相手が必要とするものをつくっていく ことです。これが何にも増して大事なことです。』
この数行の教えを知っていればそれだけで職場はゆーとぴあに近づきますね。僕は販売業にたずさわっているのでとてもありがたい”部分”です。この教えを実践しているだけで楽しくなり、今の仕事が天職のように感じてしまいます。
改めて”教え”のありがたさをかみしめています。これから出勤です。今日も光を伝えるぞ!と力が湧いてきました。
ゆーぱさんどうもありがとう!(家に戻ったら”仕事と愛”読み返します。)
いつもブログの内容を真正面から受け止めて下さって、ありがとうございます。いい読者がいてくださると、書く意欲が持続できて、ほんとにありがたいです。
(なお、2月11日の記事(「なんで反省が必要なの?」)にいただいたコメントへの返信コメントは、かめぱぱさんに届いたでしょうか?)