いつまでも歳をとらずに、このまま生き続けれたらいいのに。なんで人は死んでしまうの。人間が、仏さまや神さまに作られたんだったら、そんな無慈悲な話ってないじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教選択の時代』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
しかし、今のままで、千年、二千年、五千年、一万年と生きつづけたら、みなさんは、それを楽しいと感じるでしょうか。素晴らしいと感じるでしょうか。
経済学の法則の一つに、「収穫逓減の法則」というものがあります。
たとえば、同じ畑で作物を穫っていても、何回も何回も獲っていると、だんだん収穫量が落ちてきます。収穫量が落ちないようにするためには、肥やしをやったり、水をやったり、耕したりして、いろいろ手入れをしなければなりません。
また、空腹の人が一杯目のご飯を食べた時の喜びは大変なものですが、二杯目、三杯目になると、その喜びはだんだん減っていきます。あるいは、車を持っていない人が初めて車を買った時には、非常にうれしいものですが、二台目、三台目となると、車を買った時のうれしさは減っていきます。
このように、同じことを続けることによって、手に入れるものの成果が少なくなること、その幸福度、満足度が少なくなることを、「収穫逓減の法則」といいます。別な言葉でいえば、「慣れてしまうと刺激がなくなってくる」ということです。
ですから、肉体に宿っている人間であるならば、通常は、「このままの状態が永遠に続けばいいのに…」と思うかもしれませんが、そうした永遠の状態は、ある意味においては、一種の地獄であるとも言えるのではないかと思います。そのため、大きな目で見た幸福を得るために、小さな目で見た幸福を脱ぎ捨てる必要があるのです。
何千年、何万年、何十万年、あるいはそれ以上の期間における、魂の成長・進化ということを考えると、「わずか一回限りの人生で、すべてに満足し、すべてを堪能し、すべてを終わらせようとするのは、非常に難しいことである」ということを悟らねばなりません。
一回の人生だけでみると、早死にすることもあります。歳をとり、苦しい晩年を送って死ぬこともあります。病気や事故で死ぬこともあります。ですから、たまたま幸福なことも不幸なこともありますが、「その折々に、一つの人生として何らかの成果を得れば、それはそれでよいのではないか」という考えもあると思います。数十年で人生を終えたがために、また来世、天上界での生活があり、そしてさらに、次の時代、次の地域へと、生まれ変わることができるのです。
人間は、何十年かのちには必ず死ななければならないということは、たとえようもなく苦しく、つらく、悲しいことであるかのように思えるかもしれません。しかし、それは、小さな幸福を捨てることによって、より大きな幸福を手に入れることができるという、仏の慈悲に基づいているのです。(中略)「大いなる目で見たら、それはまた、次のチャンスを与えられているのだ」と考えなくてはならないのです。魂のより大きな悦びを選んでいるのです。そうした大きな愛のなかを、愛の大河のなかを、みなさんは魂修行しているのです。
(20~24ページ)
たしかに、百歳まで生きるだけでも大変な気がするのに、このままの肉体で千年とか1万年なんて、生きてられませんよね、やっぱり。
だらけてしまうだけで、得られるものがしだいに少なくなるのは、よくよく考えてみると、当然のことだなあと思えます。
一見無慈悲な気がするんだけれども、でもそれも、小さな幸福を捨てることによって、より大きな幸福を手に入れることができるようにという、大きな大きな仏の愛。
人間に寿命があるって、ほんとはとてもありがたいことだったのだと、改めて腑に落ちた気が私はしているのです。
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『宗教選択の時代』
大川隆法著 |
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