ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



菊池寛の霊言、読んだけど、こういう人が創業した出版社だっていうだけでは、「文藝春秋」って老舗出版社の評価は、そうそう決められないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『芥川龍之介が語る「文藝春秋」論評』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 芥川龍之介という作家は、日本のみならず、海外にまで翻訳作品が出されて有名な方である。夏日漱石や森鴎外を別格とするとしても、小説の神様的位置付けで現代人はとらえていることだろう。
 私は、東大文Ⅰ時代、『されどわれらが日々──』という安保世代をテーマにした小説で「芥川賞」作家ともなった柴田翔助教授(後の東大文学部長)からドイツ語を直接教わった者である。彼は、ジーパン・ルックで授業をしながら、時折フッと中空を眺めているような、寂蓼感の漂う、神秘的な先生であった。芥川賞作家の存在を間近で感じながら、ドイツ文学の日本語訳を発表する際は、柳生石舟斎と宮本武蔵が、茶席で出会ったかのような、一瞬の緊張感が教室をよぎった。
 それほど権威のあった賞のもとになった芥川龍之介も、三十五歳の若さで早世していたのだ。一高時代からキリスト教文献に親しみ、養家芥川家の人々の反対で、吉田弥生との結婚が、失恋に終わった時、彼も地獄を観た。
 吉原に通い、官能に救いを求めたが果たせず、養家への間接的な反逆をなすにとどまった。
 龍之介は、このみじめさから脱するために、『旧約聖書』の「詩篇」や『新約聖書』の四福音書、「使徒言行録」を読みふける。やがて『帝国文学』に「羅生門」を発表することによって、苦悩を糧として文学世界を切り拓いていく。
 芥川龍之介は、『新約聖書』において示されたキリスト教的な愛としての「アガペーの愛」、すなわち「神への愛」を十分に知り尽くした人であった。
 今、芥川賞を選考する人たちに、「アガペー」がわかるのか。文藝春秋社に「神への愛」がわかるのか。仏教をもよく解した龍之介の「蜘味の糸」がわかるのか。本書はそれを問うための、公開霊言である。

あとがき
 すでに、はるかに文学の射程の外に出てしまった私にとって、芥川龍之介も、文藝春秋社も、過ぎ去ってゆく存在なのかもしれない。
 私は神の心を説く者であり、その言葉の上に未来を築く者でもある。
 文学の世界にも最後の審判の時が来たのだ。
 来世を信ずる者は、畏れるがよい。来世を信じない者は、その時を、息をのんで静かに待つがよい。
 あなた方の主が再臨したのだから。
(1~3、145ページ)

文学の世界にも最後の審判の時が来た──。

厳しく、そして鋭くも重く、納得の言葉の数々です。

あの有名な芥川賞を出していても、文藝春秋社には「神への愛」がわからない、芥川龍之介の名作「蜘味の糸」の説く世界は分からないと、大川隆法先生は言外に指摘しておられるのだと私は思います。

『芥川龍之介が語る「文藝春秋」論評』 大川隆法著


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