少し前に、「真心」について触れたことがありました。関連する言葉として、「誠(まこと)」というのがあると思うんだけど、どう考えればいいのかな? って疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への道標』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
そこでまず、ひとつだけみなさまにお伝えしておきたいこと、すなわちこのせちがらい地上において、どうすれば天国的な生き方ができるかということを、ひとつだけお教えしておくとするならば、「激誠の人となれ」という言葉で表わされると思います。「激誠」という言葉は、目新しく見えるかもしれません。それは激しく誠に生きる人となれ、ということなのであります。
誠に生きる人がひじょうに少ない、これが地上の実感であります。誠心誠意で生きている人が少ないということ。飾りが多すぎる。駆け引きが多すぎる。また、心配や用心深さが先に立つ。人を見れば騙されるのでないかと思う。経済行為をするときに、まず不信行為が起きるのではないかと思う。そして自分の結婚の相手を見れば、死んだときに困るのではないかと保険金を掛ける。こうした、不信感の渦巻く地上世界であります。
ただ、私は思うのですが、こうした世界のなかにおいて、やはり誠を大切にする人が一人でも多く増えてほしいと思うのです。心に嘘をつかない、自分の心をガラス張りにして、そしてなんら恥じることのない人間、そういう人が一人でも増えてくれることを、私は願うのです。
この私の文章を読んでいるみなさん、自分の心のなかを他の人に一日中見られたとして、恥ずかしくない生き方をしているでしょうか。他の人と言わず、神さまから見られていて、恥ずかしくない思いで生きているでしょうか。そうでない人たちは、それだけ天国的ではない思いを出しているということなのです。幼子のごとく、清く、飾らない心、真心を持って生きるということ、これがだいじです。
この二十世紀の末に、これだけいろいろな混乱が現われている時代において、激誠の人となるということは、まことにむずかしい修行課題であります。しかし、そうした誠意一筋の人が一人でも多く出なければ、地上は天国とは化してゆかないのです。不信感を持つよりは、多くの人びとを信じ、そして愛することができるような人が数多く出ることを、私は願ってやまないのです。
(144~146ページ)
「激誠の人となれ」。20世紀末の1989年に説かれたこの教えは、21世紀を迎えた今はもちろん、来世紀も、来々世紀も、そして未来永劫にわたって輝きを増していく、ほんとに普遍的な教えなんですよね!
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『幸福への道標』
大川隆法著
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