夕刊に大竹しのぶさんのことが載っていました。
大竹さんは、森のイスキアを訪れている方です。
初女先生に会われた時、自分はクリスチャンだが忙しくて教会に
行けないと言われたそうです。
初女先生に、生活すべてが祈りである「動の祈り」を聞き、とても
安心されたそうです。
その大竹さんが、新聞に実に真っ直ぐに自分の気持ちを語っていて
そのことが、初女先生の言葉と繋がっていくような気がしました。
アッシジに行った時から、自分を見つめることが出来るように
なったという大竹さんは「死んでから行くところが天国じゃない
地上を天国にしなければならない、だから自然を愛し畑を耕せという
フランチェスコの思想は、なんて素敵なんだろう」と言っています。
初女先生も「今、ここが天国」という思いをいつも持っておられ
ます。
大竹さんの祖父は、東洋汽船に勤め、サンフランシスコに
いたけれど、信仰に目覚め、すべてを捨てて納豆売りをしながら
清貧を説き、「貧しければ心が豊かでいられる」が口癖だった
そうです。
私は、初女先生と話していて「私ってつましいのよ」という
言葉を聞いた時、忘れていた日本人の心に触れた気がしました。
大竹さんが、初女先生から「動の祈り」を聞いた時、
どんなに、ほっとしたことでしょう…
震災を経て、言葉を伝えるのが自分の使命だと思うように
なったそうです。
新聞の最後には、『別れ際、カトリックのシスターが
そうするように、両手を静かに差し出した。』と書いて
ありました。
あ、初女先生と同じだ!と、嬉しくなってしまいました。
大竹しのぶさんが、ちょっと近しい人に感じました。
大竹さんは、森のイスキアを訪れている方です。
初女先生に会われた時、自分はクリスチャンだが忙しくて教会に
行けないと言われたそうです。
初女先生に、生活すべてが祈りである「動の祈り」を聞き、とても
安心されたそうです。
その大竹さんが、新聞に実に真っ直ぐに自分の気持ちを語っていて
そのことが、初女先生の言葉と繋がっていくような気がしました。
アッシジに行った時から、自分を見つめることが出来るように
なったという大竹さんは「死んでから行くところが天国じゃない
地上を天国にしなければならない、だから自然を愛し畑を耕せという
フランチェスコの思想は、なんて素敵なんだろう」と言っています。
初女先生も「今、ここが天国」という思いをいつも持っておられ
ます。
大竹さんの祖父は、東洋汽船に勤め、サンフランシスコに
いたけれど、信仰に目覚め、すべてを捨てて納豆売りをしながら
清貧を説き、「貧しければ心が豊かでいられる」が口癖だった
そうです。
私は、初女先生と話していて「私ってつましいのよ」という
言葉を聞いた時、忘れていた日本人の心に触れた気がしました。
大竹さんが、初女先生から「動の祈り」を聞いた時、
どんなに、ほっとしたことでしょう…
震災を経て、言葉を伝えるのが自分の使命だと思うように
なったそうです。
新聞の最後には、『別れ際、カトリックのシスターが
そうするように、両手を静かに差し出した。』と書いて
ありました。
あ、初女先生と同じだ!と、嬉しくなってしまいました。
大竹しのぶさんが、ちょっと近しい人に感じました。