~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

大竹しのぶさん

2012-09-14 22:04:09 | 日記
夕刊に大竹しのぶさんのことが載っていました。

大竹さんは、森のイスキアを訪れている方です。

初女先生に会われた時、自分はクリスチャンだが忙しくて教会に

行けないと言われたそうです。

初女先生に、生活すべてが祈りである「動の祈り」を聞き、とても

安心されたそうです。

その大竹さんが、新聞に実に真っ直ぐに自分の気持ちを語っていて

そのことが、初女先生の言葉と繋がっていくような気がしました。

アッシジに行った時から、自分を見つめることが出来るように

なったという大竹さんは「死んでから行くところが天国じゃない

地上を天国にしなければならない、だから自然を愛し畑を耕せという

フランチェスコの思想は、なんて素敵なんだろう」と言っています。

初女先生も「今、ここが天国」という思いをいつも持っておられ

ます。

大竹さんの祖父は、東洋汽船に勤め、サンフランシスコに

いたけれど、信仰に目覚め、すべてを捨てて納豆売りをしながら

清貧を説き、「貧しければ心が豊かでいられる」が口癖だった

そうです。

私は、初女先生と話していて「私ってつましいのよ」という

言葉を聞いた時、忘れていた日本人の心に触れた気がしました。

大竹さんが、初女先生から「動の祈り」を聞いた時、

どんなに、ほっとしたことでしょう…

震災を経て、言葉を伝えるのが自分の使命だと思うように

なったそうです。

新聞の最後には、『別れ際、カトリックのシスターが

そうするように、両手を静かに差し出した。』と書いて

ありました。

あ、初女先生と同じだ!と、嬉しくなってしまいました。

大竹しのぶさんが、ちょっと近しい人に感じました。
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刻々を感じる時

2012-09-13 20:49:47 | 日記
夕方ふと見上げた空の美しさに息を呑みました。

茜色に染まった空は、見ているだけで心が揺さぶられました。

もっと、空全体が見たいと商店街のアーケードを急ぎ足で歩き

アーケードが切れたところで空を見上げたら、もうさっき見た空は

何処にもなく、自然の時間はすでに夜へとバトンタッチして

いました。

こんなに直ぐに、あの空が無くなってしまうなんて…と思った時

これが、刻々なんだと感じたのです。

よく、あっという間に一週間が経ったとか言いますが、その時は

時間の速さであっても、刻々と時の刻まれていく感覚は

ありませんでした。

私達は何となく過ぎて行く時間の中にいるのではなく、刻々と

刻まれる時の中にいるってことを、今日実感しました。

大きい小さいはあるけれど、刻々と問われてくる人生の問いに

答えて行く存在であること…

この刻々が分かっていたら、私はもっと広い処で見ようとは

思わず、その場に立ちつくし刻々と変わる空を見ていたでしょう

初女先生が言われる「今、今より確かなものはない」という

今がこの刻々なのだと、やっとわかりました。

一分、一秒とも違う 刻々…



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天才・野田秀樹

2012-09-12 22:36:05 | 日記
今日は、野田マップの「エッグ」を観に行きました。

野田秀樹の芝居は2回目です。

難解の芝居でしたが、観終わった時野田秀樹は天才だと、心の底

から思いました。

鳴りやまぬ拍手は、観客の多くがこの感動に包まれたからでしょ。

野田さんと私は同じような世代ですが、戦争への拘りを持ち続けて

いる野田さんを見ると、自分は大切な事をスルーしてきたという

ことを突き付けられた気がしました。

野田さんは、自分の中に「どうでもいい過去」と「知った気に

なっている過去」があると言い、日露戦争は平清盛の戦と大した

違いのない「どうでもいい過去」であり、第二次世界大戦は

自分の脳裏には生々しい「歴史」すなわち「知った気になっている

過去」だと言っています。

野田さんの芝居には、この拘りが貫かれています。

では、自分はと問いかけられれば、私は知った気になるほど

向き合って来なかった気がします。

今日は平日にもかかわらず、若い人が沢山来ていました。

その人達にとって、第二次世界大戦は私たちよりもっと

遠い過去であり、「どうでもいい過去」になり得るものかも

しれません。

野田秀樹の芝居によって、この過去の輪郭がはっきりしてきて

「知った気になっていく過去」になるかもしれないと思いました。

きっと天国から、寺山修司や井上ひさしがエールを送っている

ことでしょう。

野田秀樹という天才に感謝!
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1歳から100歳の夢

2012-09-10 17:26:35 | 日記
「1歳から100歳の夢」という本と出会いました。

その中で、95歳のおばあちゃんの言葉が心に残りました。

   
       「七転八起それ以上」

   今まで振り返るとつらい事ばかり思い出しますが、

   どんな立派な人にも、私みたいな学もなく金もない者にも

   苦労というものは同じ様にあるもんです。

   悩みのある時は涙して、時にファッと楽しい時もあります。

   人生は七転八起と言いますが、それ以上だと思いますなぁ。

   この歳になって自分の力で体を動かせることが、有難いこと

   だとなぁと思います。

   近所の人も心やすく、よく世話をしてもらい、一日でも

   お天とうさんにありがとうと言いたいですなぁ。

                  (みむら りん 95歳)

人生は七転八起それ以上という、95歳のりんさんの歩いてきた

道は、戦前から戦後という大変な中を、生き抜いてきた95年間

だったと思います。

でも、この限りない感謝の気持ちは…

お天とうさんにありがとうと言いたい。という心を私達は

ずいぶん長い間忘れていたような気がします。

私も、感謝の気持ちを忘れず、歳を重ねていきたいなと思いました。
  
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苦悩すること

2012-09-08 19:58:22 | 日記
どうにもならない運命に苛立つ姿は、それは苦悩する姿なんだと

思いました。

私達は、出来れば苦悩せず生きたいと思っています。

苦悩は、マイナスそのものに思えるからです。

でも、初女先生は

 「苦しいと思うほど、とことん苦しみます。

  もうこれ以上できない、もう限界、というところの

  どん底まで落ちるのです。」と、言われ

そして、落ちるところまで落ちてしまうと、這い上がらなければ

生きられないので、這い上がる努力をします。

それが上に活きるという意味で「上活」といい、そこまでいかないと

苦しみから抜けきれないのです。と 言われています。

フランクルも、生きることに意味があるなら、苦悩することにも

意味があるはずだと言っています。

そして、「悩んで悩んで悩みぬき、底まで落ちきった時こそ、

不思議に自然と道が開けることがある

苦悩の先にこそ光がある」と語っています。

初女先生もフランクルも言葉は違っても、同じことを

言っているのは、やはり真理だからでしょう。

そして、重要なのは「どのように悩むか」で

「誰のために」「何かのため」の苦悩が、本来的な苦悩

だそうです。

私は、自分の人生に深い苦悩があったことに感謝しなければ

この苦悩も息子が与えてくれた、天からの贈り物

だったのだろうかと、今になって思えるのです。

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信じて祈る

2012-09-07 23:57:35 | 日記
息子を亡くした後、死とは何かを知りたくて、嫌そんな生ぬるいもの

でなく、「死」について分からなければ、自分は生きていけないと

いう切羽詰まった思いで一杯でした。

そんな中で読んだ、キュブラーロスの本

今、その本のことを思い出しています。

息子を突然亡くすという、どうにもならない運命をどうしても

受け入れられず苦しんだ時に読んだ本でした。

この運命を嘆き悲しみ、次に何で子どもに先立たれなければ

いけないのかという、持って行きようのない苦しみと怒り

そして、その苦しんだ末に初女先生に出会い、息子の死を

受け入れることができたのです。

ふと、この過程はキュブラーロスの本にあった、病で死の宣告を

受けた人たちの辿る道と、同じだなと思いました。

こんなことを思ったのは、私の知り合いの若者が今、その病の

中にあるからです。

彼は、どうにもならない自分の運命に苛立っています。

私は、そんな彼を真っ直ぐ見ることもできません。

でも、私は信じています。

彼は、魂年齢の高い人だから、きっと次の段階に進み

自分の運命を受け入れ、そして心穏やかになる日がくると…

私は何も出来きないけれど、祈ることはできます。

祈りとは、神さまと人間との対話なのかもしれない…

信じて祈ろう

祈り続けようと思いました。



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心に残った言葉

2012-09-05 23:41:16 | 日記
私達の国は、戦争をしている訳ではないのに、平和なのに

新聞の紙面に、子どもの死が載って無い日がないのはなぜ…

年間3万人以上の人が命を断っていくのを、止められないのは

なぜ…

そんな思いを、心の隅っこに転がしながら本を読んでいたら

心に残る言葉に出会いました。

    私は眠り夢見る、

    生きることがよろこびだったらと。

    私は目覚め気づく、

    生きることは義務だと。

    私は働く すると、ごらん、

    義務はよろこびだった。

                (タゴール)

  
   最後の日になにを望むか、なにを食べたいか

   きっとそれは特別なことではなく

   その人がこれまで繰り返してきた日常のような気がします。

   だからこそ、毎日の食事にこころを尽くして、

   最後の日まで、一日一日を積み重ねていくことに

   意味があると思うのです。

                (佐藤 初女)

生きるとは、こういうことなんだろうなと、思えました。




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ご飯・お米のチカラ

2012-09-04 20:51:28 | 日記
今日、NHKのあさいちで美味しいご飯の炊き方を放送してました。

初女先生の炊き方と重なるところがあるかしらと、仕事に行く前に

テレビを観ていました。

何と、お米を16時間冷蔵庫に入れておくというのです。

そして、30回研ぐというのです。

もう、びっくりというか、唖然としてしましました。

だって、どこをとってもお米も立場に立ってないのです。

初女先生は、先ず食材のことを考えて調理するのに…

16時間も冷蔵庫で冷やされたら、お米の本来の力が発揮できない

のではないでしょうか

先生は「お米をとぐと言いますが、私は「とぐ」と言う言葉は

あまり好きではありません。力を入れてとぐと、お米は割れてしまいます。

お米にも「いのち」がありますから、やさしく洗う方がいいと

思うのです」と言われています。

両手でお米を包むようにして洗っている先生の姿は、お祈りを

している様に見えます。

先生はお米の炊きあがろうとする力を、私たちが手助けするだけ

だといわれています。

お米のチカラを信じているから、お米も美味しく炊きあがろうと

思うんですね。

先生は、おむすびは実はお米の炊き方が一番大切なの!と言われ

11月の講演会では、お米の洗い方から教えて頂きます。

そして、だしはご飯と同じように大事です。と言われているので

実は、今回のおむすび講習会は「だし」のとりかたも教えて

頂こうと思っています。

もう、これは一生ものです!

主婦うん十年ですが、初心に帰り初女お母さんから

美味しいご飯の炊き方と、おだしのとり方を教えて頂こう!

うーん 楽しみ!
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秋を感じるとき

2012-09-03 18:32:42 | 日記
空が高くなり、暑さな中でも吹く風に秋が感じられるように

なりました。

この風が本当に心地よいと感じられるようになったのです。

息子の命日が10月なので、夏から秋にほんの少し空気が

変わっても、それだけで涙がでていた何年かがありました。

秋になるのが怖くて、秋が一番嫌な季節になっていました。

それがいつの頃からか、秋の訪れを自然に受けとめられるように

なりました。

だんだんと空気が澄んでくると、心もなんだか澄んでくるようで

空も月も透明になって、本当の姿をちょっと見せてくれている

ようで…

秋がだんだん好きになり、あの子はいい季節に旅立ったなと

思えるようになったのです。

随分かかりましたが…

ここまで打ったら、何だか急に息子の最後の体育祭の姿が

思い浮かび、涙がこぼれてしまいました。

これも秋のせいでしょうか…

たまにはいいよね、創

母さん、結構頑張っているんだから…

体育祭の応援団の君、輝いていたよ。

あの姿は、母さんの中では一生ものだよ。

ありがとう つくる!

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写真のチカラ

2012-09-01 23:16:23 | 日記
講演会のお申し込みをして下さった方に、必ず聞くことがあります。

「何で、初女先生を知りましたか?」

短いこの問いに、深い心の一端を感じさせて下さる方がいます。

その時、私は「あ!先生を必要とされている方に、繋がったな」と

思うのです。

チラシを発送する時は、「必要な人のところに届きますように!」と

願いながら送ります。

今回は、チラシが出来る前にホームページに載せたので、チラシが

届く前に、どんどん埋まっていってしまいました。

今日、チラシを見た方からお申し込みがありました。

その方は、初女さんの名前も知らなかったけれど

写真と、きちんと同じ大きさが揃ったおむすびを見て申し込もうと

思ったと言うのです。

チラシに、先生のプロフィールを入れるスペースがなかったので

初女先生を知らない人が見たら、皆目見当がつかないと思うので

私が「初女先生のことをを知らないで、よくわかりましたね」と

聞くと、「50年以上生きていれば、大抵なこと分かるわよ」という

お返事が返って来ました。

私は、あらためてkさん写真は、先生の内なるものも感じさせて

くれる、そういう写真なんだと、感動してしまいました。

このチラシを見ていると、不思議と落ち着くの!と言われる方が

何人もいました。

チラシを配りきれない内に、埋まってしまい、早くも

キャンセル待ちに突入したので、

私が、全部チラシを配りたかったと言ったら、この制作者の

Tさんが「チラシは来られない人のためにあるのよ」と

言ってくれました。

何度みても、いい写真です!

講演会に来て下さった方に、チラシも差し上げようっと!

この初女先生の写真が、きっとみんなを穏やかにしてくれる

はずだから…

だって、初女先生が「本当の私みたい」と言った写真だから…
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