どうにもならない運命に苛立つ姿は、それは苦悩する姿なんだと
思いました。
私達は、出来れば苦悩せず生きたいと思っています。
苦悩は、マイナスそのものに思えるからです。
でも、初女先生は
「苦しいと思うほど、とことん苦しみます。
もうこれ以上できない、もう限界、というところの
どん底まで落ちるのです。」と、言われ
そして、落ちるところまで落ちてしまうと、這い上がらなければ
生きられないので、這い上がる努力をします。
それが上に活きるという意味で「上活」といい、そこまでいかないと
苦しみから抜けきれないのです。と 言われています。
フランクルも、生きることに意味があるなら、苦悩することにも
意味があるはずだと言っています。
そして、「悩んで悩んで悩みぬき、底まで落ちきった時こそ、
不思議に自然と道が開けることがある
苦悩の先にこそ光がある」と語っています。
初女先生もフランクルも言葉は違っても、同じことを
言っているのは、やはり真理だからでしょう。
そして、重要なのは「どのように悩むか」で
「誰のために」「何かのため」の苦悩が、本来的な苦悩
だそうです。
私は、自分の人生に深い苦悩があったことに感謝しなければ
この苦悩も息子が与えてくれた、天からの贈り物
だったのだろうかと、今になって思えるのです。
思いました。
私達は、出来れば苦悩せず生きたいと思っています。
苦悩は、マイナスそのものに思えるからです。
でも、初女先生は
「苦しいと思うほど、とことん苦しみます。
もうこれ以上できない、もう限界、というところの
どん底まで落ちるのです。」と、言われ
そして、落ちるところまで落ちてしまうと、這い上がらなければ
生きられないので、這い上がる努力をします。
それが上に活きるという意味で「上活」といい、そこまでいかないと
苦しみから抜けきれないのです。と 言われています。
フランクルも、生きることに意味があるなら、苦悩することにも
意味があるはずだと言っています。
そして、「悩んで悩んで悩みぬき、底まで落ちきった時こそ、
不思議に自然と道が開けることがある
苦悩の先にこそ光がある」と語っています。
初女先生もフランクルも言葉は違っても、同じことを
言っているのは、やはり真理だからでしょう。
そして、重要なのは「どのように悩むか」で
「誰のために」「何かのため」の苦悩が、本来的な苦悩
だそうです。
私は、自分の人生に深い苦悩があったことに感謝しなければ
この苦悩も息子が与えてくれた、天からの贈り物
だったのだろうかと、今になって思えるのです。