赤い靴日記  (子宮頸がん ステージ3bから20年)

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悲しいこと

2012-05-25 09:45:22 | がん
放射線の主治医だった 山下先生が亡くなった。
去年の11月に亡くなったそうだ。

父がQOL研究会で山下先生と知り合いだった。
母が末期になった時も、山下先生の紹介でがんセンターに転院し、亡くなった時にも看取っていただいた。

母が亡くなって半年後、もなみが子宮頚がんで入院した時、最初の放射線担当医はほかの先生だったが、どうしても山下先生に治療していただきたいとお願いして、先生に代わってもらった。

リニアックもラルスも、心から信頼して治療していただくことができた。

退院して5年後、放射線の診察は卒業した。

その後も、父の関係で何回かお話し、北海道の地域医療に携わることになり、がんセンターを辞められた後も 父を通して北海道の話などを聞いたりしていた。

昨年あたりから、体調が思わしくないという噂をもれ聞いていたが、昨日父に聞いてびっくりした。

そうだったんだ。

助けていただいた命で こうして幸せに生きています。ありがとうございました。

入院していた時に、先生と話したことが思い出される。2001年9月27日の夜だった。の日記に出てくるY先生とは、山下先生のこと。

静かだけれど、優しくて、温かくて、とても勇気づけられた。
今でも、忘れられない。



ありがとうございました。
心からご冥福をお祈りします。
コメント (2)
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