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ももすけの日記

化粧水のほのとかをりて初化粧
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

柚子湯

2013年12月22日 20時14分38秒 | 日記

今日は冬至。

ぼくのおにいちゃんのお誕生日でもあります。3年半ぶりに日本に帰ってきていますが「次のゴールデンウィークのころには(大阪へ)帰るつもり」と。

今年はおかあさんはスキーできなくても温泉三昧したいからいつものスキー場でお正月を過ごしたかったのだけれど、ぼくの体調を考えると長時間の車がかわいそうなので、とお家にいることに決めたのでした。だから、家にいるよ、と再度メールしましたが「お正月には帰る予定がないから」だって。。

ふん、そんなことを蒸し返して考えながらお風呂に柚子をぽちゃぽちゃ入れました。

自分でお金をだして買うのはせいぜい1袋4個入りくらい(けちです)でしたが、今年は小さいけれどと知り合いからたくさん柚子をいただきました。

写真に撮りましたがなんかさびしいです。 やらせのように、かき集めてみましたが

でも、温もって出てきました。ほかほかしています。

ぼくはストーブの前でこんな状態。これって、あぶないよ!

おかあさんはぼくがうつぶせで手枕なんぞしてかわいい、と思って写真を撮ったのでしたが、こうして画像を見てみるとストーブの前で毛布はあぶないことに気が付きました。いまさらですが、、まぁ、、気が付いてよかった。

 

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クリスマスバージョン

2013年12月18日 01時12分11秒 | 日記

ブログをのぞきにきたら、いつまでもウサギではおかしいなあ、と背景をクリスマスバージョンに変えてみました。

でも、クリスマスが過ぎたら、また変えなくては、それこそおかしいし、そのころちゃんとブログの更新をしなくては、なんていろいろ思っています。

面倒だけれど、それはそれで楽しみでもあるのです。

 

夏の間、塀にぶら下げていたプランターのベゴニアをようやくパンジーに変えました。

プランターの数も以前の半分にして労力とコストをおさえています。プランター6個では少しさびしいような気がするのですが、おかあさんにとってもっとさびしことは、ぼくが庭でいっしょに遊ばなくなったことです。

もものいない庭はさびしい。 12月11日、今年一番の水仙が咲きました。

 

話はうんと変わりますが、先週と今週、おかあさんのコーラスグループは近くの老人施設にボランティアの演奏をしてきました。

日本語で言うと慰問ですが、老人ホームにいらっしゃる方々と我々、ほぼ同年代か、それに近いです。

先週、歌っている間になぜかわからない感情がこみあげてきて涙と鼻水が止まりませんでした。ずっとずっと以前にもこの経験をしたことがあるのですが、それから何年もこのボランティアには参加できなかったのでした。

続けての今週は全く涙はでませんでした。大きな施設なのでお客さんは変わっていますが、雰囲気は同じです。あの感情はなんだったのか、とても不思議な気がしています。

コーラスの歌を聞いてもらい、また、皆さんの間に入って行って、手を握ったり、肩をトントンして拍子をとったりして一緒に歌います。そうしない団員もいますが、どちらかというとぼくのおかあさんは人が好きだから躊躇なく話しかけたり、手を握ったりできるのです。

スキンシップがこんなに心を通じ合えるものかと感じます。一瞬にしても、心と心が通じたことは感動です。ボランティアも確実にもらうものをもらっているのです。

さて、来週は地域のコミュニティセンターでの老人会と、おかあさんが脊髄損傷で今年お世話になった病院でのクリスマスコンサートがあります。

病院のリハビリでお世話になった若い先生たちや看護師さん、facebookでもおともだちになっています。なんだか懐かしくて、また泣いてしまうかもしれませんね。

 

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こんなこともあるものなのね!

2013年12月05日 18時56分23秒 | 日記

週末、おかあさんはまた、ぼくをおいて優雅な温泉旅行に行っていました。

スポンサーはおかあさんのお姉さんで、年に1回くらい、ちょっとリッチな旅館に泊まります。

旅館を予約するのはおかあさんの姪、彼女はフェイスブックで「親戚の女子会」と言っていました。なるほど~

愛知県知多半島の先っぽ、お部屋の露天風呂から沈む夕日を眺め、結局、後で気づくと3時間もかかった夕食の途中、おとうさんからの電話、ももがどうかしたのかと、ドキリ!

仕事から家に帰ったおとうさんは、まず、ぼくをおさんぽに連れてくれました。

居間に戻って、キャビネットのあたりが散らかっているので初めて泥棒に入られたと気づきました。侵入口は仏間の窓。明かりとりにと少しシャッターを開けていたので、それを上げて、窓ガラスを割って鍵をあけたようです。仏間は門のほぼ正面、通りに面していますがカポックの茂みでちょうど視線が遮られるのです。

お巡りさんによると、つい最近、この近くで同じ日に2件泥棒に侵入されたのは、やはり庭木の多い家だったとか。おかあさんは我が家の小さな森を楽しんでいたのでしたが。

そしてこのことがあって知りましたが、窓にはあと二つのロックできる個所があったのです。そんなのしたことありませんでした。もっとも、それ以前にシャッターを全部下までおろしていればきちんとロックされて、おそらくあきらめたであろうと思います。おかあさんが朝10時に家を出て、8時半過ぎにおとうさんが帰るまでの間、勝負は5分といいます。

居間にはちょうど11月分のお給金、おかあさんが旅行に持って出た数万円以外が残っていました。2階には、急にそなえて新札で最初は10万円だったのが、だんだんへそくり的になって増えていました。今の時代、もうそんな必要はないのにと思いつつ、家に現金を置いていました。

泥棒は一緒にあった預金通帳、カード、印鑑には目もくれず現金のみ。それから、おかあさんのじゃらじゃらしたアクセサリーには目もくれず、真珠のネックレスと黒真珠のペンダント。被害届を出した翌日に一番愛着のあった真珠の指輪もなくなっているのに気が付きました。これは二十歳の誕生日に買ってもらったものでした。(これが一番にくやしい)

それにしても今年はいろいろありました。

一生、こんな経験をしないですむ人の方が多いに違いありません。書いているうちにだんだん心は落ち着いてきましたが、それでも何か物音がするとびくっとします。

 

まあ、こんなこともあるものなのですね。

とうとう『ゆ』ののれん(11/23)は家人以外で最初に見たのは泥棒ということになってしまいました。

きょう、『防犯対策は大丈夫ですか』〇〇電力グループのホームセキュリティでご自宅の空き巣対策しませんか?というチラシがポストに入っていました。なんだかこわい!

 

 

 

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東北へ

2013年11月27日 16時12分56秒 | 日記

11月11日から16日までおかあさんは東北旅行していました、(ぼくを動物病院に預けて)ふん!

メインは奥入瀬渓流と三陸海岸です。

ほんとうはクィーンエリザベス号でアドリア海、エーゲ海、地中海とイタリア半島クルージングに行く予定だったのでしたが。

かわりに、船、ということで敦賀から秋田までの日本海フェリーと仙台から名古屋までの太平洋フェリーに乗ることにしたわけです。

ところが、行きの日本海は低気圧の影響で大荒れ、おかあさんは船酔いしてしまいました。どうなる事かと不安でしたが船を降りるとけろりとするものなのですね。

秋田港で朝早くなのに、しかも雪が舞って寒いのに、待ってくれていたメル友さんに会うと元気になり、大きなおにぎりとお味噌汁の朝食をたいらげました。

(今回の旅行では何度もお味噌汁をいただきましたが、すべておいしかったです!)

 

十和田湖に向かう途中、日本最古芝居小屋『康楽館』(重要文化財)に立ち寄りました。このあたりから雪はしんしんと降り続きあたりは銀世界と化します。

 時間があれば上演中のお芝居も全部見たかったくらいなのですが、見学ということでお芝居は1幕だけ、あと奈落の底や人力でせりを上げる仕掛けなど丁寧な説明を聞きました。

 

雪はどんどん激しくなり峠を越えるころは自信家のおとうさんもさすがにノーマルタイヤでは危険を感じたらしく、タイヤソックというタイヤのおむつのようなカバーをとりつけました。

奥入瀬では雪はやみ(積もっていましたが)風もあまりなく歩くのは苦になりませんでした。

     

そ の昔、おかあさんんの高校の同級生にお人形のようなきれいな女の子がいました。彼女は短大を卒業するとお見合いで数学の先生と結婚しました。その旦那さんになる人はすっご くぶさいくな人なので新婚旅行から帰ったら別れようと思っていたそうです。でもその新婚旅行で行った奥入瀬のきれいな景色を見て、この人とずっといよう、と決心したそうで す。(未だ別れてはいません)

それからずいぶん年月もたつのですがこのエピソードが忘れられなくて、おかあさんは奥入瀬に行ってみなくては、と、ずっと思い続けていたのです。行ってきたよ、と彼女に報告しなくてはなりません。

湖岸はものすごく寒くて風が強くて飛ばされそうでしたが、せっか十和田湖まで来たのだから有名な『乙女の像』を見ておかなければと。でも、ここの乙女さん、結構肉付きいいのですよね。 

その日(12日)の泊まりは国有形文化財の木造ホテル。お部屋も食事もそしてスタッフも最高によかったです。昭和15年、幻となった東京オリンピックのときの海外からのお客さんを宿泊させることのできるホテルをと政府の要請で建てられたということです。おもてなしもよかったです。

宣伝しておきましょうhttp://towada-hotel.com/   

 

 翌13日、一晩降り続いた雪は朝にはやんで2、30cmは積もっているようできらきらときれいでした。

ホテルの人が雪道を心配して太平洋側は積雪がないからと八戸経由を教えてくれたのですが、その道がわからず結局峠越えでなんとか東北自動車道に乗れたので結果オーライでした。

高速を南下すると雪もなくなり小岩井農場では予定通りランチ賢治の愛した岩手山も雲から顔を出してくれました

中尊寺へは数年前に来ているはずなのに駐車場からこんな坂を歩いたっけ?金色堂参拝後、平泉の旅館へ。

北上市のメル友さんがご夫婦で待っていてくださいました。やさしい方たち。

 

翌14日、少し早起きして(おかあさんは入院以来早起きになっています)毛越寺。紅葉がきれいでした。 

そして目指すは気仙沼。仮設店舗でお昼ご飯を食べました。メカジキのハモニカ煮、そのメカジキのあばら、見せてもらいました。  http://www.shishiori-marche.jp/ 

南三陸海岸を行くといたるところに「津波浸水区間」という標識が目につきます。 たいしてお役には立たないかもしれないけど、忘れてはいないんだよ、とささやかながら伝えられたことで自己満足。ほんとはフクシマに行かなくては、と思っていますが。

 

このあと松島の島めぐり。船酔いしたから、もう船はいいと思っていたのですが、やはり松島では遊覧船に乗らなくてはお話にならないみたいで乗りました。大丈夫でした。 そしてこの島々のおかげで松島の津波はそれほど高くなかったということでした。 

その夜、松島ビールがおいしくて何杯もおかわりしました  

 

翌15日、仙台港からフェリー、タグボートを間近で初めて見ました。

今度は晴れているしリラックスして船旅を楽しむことができました。   

仲間の船とすれ違う時、なんかいいしれないノスタルジア  三島由紀夫の神島  かもめ 

 

 長旅を終えておかあさんは少しくたびれて帰ってきましたが、ぼくもほとほとくたびれていました。

もう、ちょっとでもおかあさんの気配を感じていないとぼくは不安になります。なのにだんだん元気になってくるとおかあさんは出かけることが多くなって、お声がかかるとうれしくて出歩いています。ったく!!

 

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2013年11月23日 22時49分40秒 | 日記

ねぇ、ねぇ、こんなのどうです?

ぼくんちの玄関を入るとすぐに洗面所の扉があるのですが、そこにこんなのれんをかけて、おかあさんはひとりにんまりしています。

誰か遊びに来ないかなぁ、と待っているのですがだぁれも来ません。仕方ないから、ここで見せびらかそうという魂胆。

 

 

 

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