ももすけの日記

黙祷して平和を願ふ終戦忌
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

ユーモアについて

2014年08月31日 12時40分21秒 | ひとりごと

近くに本屋さんはないし、本を手にとって外観がすてきだからと買うことはもうめったにありません。

どうしても手許に置きたいと思う本以外は図書館で借ります。今ではネットで検索でき、他の図書館(小さな市ですが数か所あります)にあるのも近くの図書館で受け取ることができます。それでおもしろそうな題名だと次々に借りています。お金がかからないってすてきです。

『杜甫のユーモア ずっこけ孔子』おもしろそうでしょう!

でも、孔子って論語の人、程度の知識しかない人間にとっては、そのユーモアがちっとも面白く感じられませんでした。

中国の古典から日本の落語がいくつもできている、というその落語はおもしろいですけれども。

ユーモアを解するにはやはり基礎になる知識が必要であることもあるのだ、とあらためて思いました。

だから、ユーモアって高等なのです。

(読んだ本を忘れないために「ブクログ」に本の題名だけを登録していますが、いつのころからか、FBに連動して掲載されるようになってしまいました。設定をさがしても見つからないし、こうなれば、登録を中止するか、もしくはFBに投稿されたのをその都度削除するか、ですね、、、)

でも、ユーモアが好きです。ユーモアのある人は大きくて尊敬できます。

8月31日、今朝はずいぶん秋らしく涼しかったです。

もう何年もこんなに涼しい8月31日の朝を迎えたことがないような気がしました。

でも、昼に近付くにつれだんだん蒸し暑くなってきました。

しかも太陽は秋に向かって傾いてきていますから南側からの日ざしが室内に入ってきて余計に暑いです。

理不尽なことです、8月尽。

 


めぐり逢わせのお弁当

2014年08月28日 13時13分39秒 | 日記

映画館に行くのは年に数回ですが、たまに行くと予告編を見たり、紹介の冊子をみたりして次々に見たくなります。

『サン・シャイン』に続いて、まっき~ちゃんおすすめの『めぐり逢わせのお弁当』見てきました。

http://lunchbox-movie.jp/

600万個にひとつの間違いから生まれたというだけあって、かなり現実離れしていますが、かなりよかったです。

ブータンに行ってみたい、なんておかあさんは真剣に思い始めました。

 

『ぼくを探しに』もおもしろそうだし、『リスボンに誘われて』もいいなと思っています。

 


初盆

2014年08月19日 15時28分58秒 | 日記

盆休みといっても、毎日がお休みのおかあさんですが、おとうさんの休みに合わせてのお盆休みでした。

 

1日目(8月12日)、新聞の広告を見て、うん、これがいいかな、と映画館と時間をチェックして出かけました。

電車に乗っているとき、ふと、映画の題名は何だったっけ、と気になり、おとうさんに聞きました。おとうさんは眠ったふりをして答えません。きっと、おとうさんも題名がでてこないのでしょう。

う~ん、このようなことが最近はとても多いのです、、、映画は『サン・シャイン』と言う題名でした、、、

 

2日目(8月13日)はどこでもいいから完治ではないけれど足の治ったおとうさんの運転でドライブしたい。でも、どこも車が混んでいそうだし、1時間くらいで行けそうな奥水間温泉を目指しました。ずいぶん前に行ったことがあるのですがほとんど記憶にありません。

近くまで行くと『ほの字の里』という看板。あれれ、もしかしてこの3月におねいちゃんと来たところかな?そのときはおねいちゃんが運転していましたし、おかあさんは道をまったく覚えていませんでした。

ちゃんとした温泉旅館も風情があっていいけど、村の廃校を利用してるこの温泉、ちょっとかわってるし、なんてったってお値段安いし、とこっちにしました。

温泉に入ってからお昼ご飯、和食バイキングというのをやっていました。

さすがに泉州、玉ねぎの丸焼き(あまくておいしい)、水ナスのお漬物はもちろん、煮物もおいしかったです。

 でも、さきに入浴とバイキングの切符をセットで買うと500円くらい割引だったのでした。おかあさん、残念がることしきり。

この日はご先祖様がおうちに帰ってくる日なので、夕方は早めに帰りました。  ぼく、momosukeの初盆です。

 

3日目(8月14日)は一日中家にいて図書館から借りた本なんぞを居間でごろごろしながら読んでいました。

この頃はこの本は絶対手元に置いておきたいと思う本(あんまりありません)以外、図書館でネット予約します。他の図書館のも取り寄せてくれます。難を言えば話題の書になるとかなり時間がかかることです。村上春樹なんか、いつ頼んでいたのか忘れるほどでした。

でも、なにかしら本が手元にあるって、なんて平和でしあわせなんだろうと思います。(アウシュビッツも広島も読んでみました)

そのなかで特に印象に残っているのは 大井玄著 ー看取り医がみた幸せと悲哀ー 『病から詩がうまれる』

この本は手に取った瞬間うれしかったことがあります。表紙の装画が大好きな佐野洋子さんの絵だったのです。

 http://ecx.images-amazon.com/images/I/41GA%2B1a-6ZL.jpg

佐野さんと同じころに亡くなった河野裕子さんの   

      一日に何度も笑ふ 笑ひ顔と笑ひ声を 君に残すため         

も掲載されていました。いいですね。

私たち人間はささやかでも誇りを感じているときはしあわせである。その誇りを感じさせることが終末期をよろめき歩く人の支えとなる、と著者は記しています。

さらに、人間にはミラーニューロン(鏡神経細胞、ものまね)というのがあって、他者の動作を見ているだけで脳の中で同じ動作をするという。楽しい人のそばに行くと楽しくなりますね。

ただし自閉症の人はこの活性が低いとあった。

この本を読んだすぐあとに、テレビで自閉症の人が書いた本のことをドキュメンタリーでやっていて興味深く見、そして感動しました。彼は言葉を離せないのに、キーボードがあるとそれをたたきながらしゃべれるのです。思考力や感受性は健常者より格段高いのではないかと感じました。不思議でした。人間の脳って、とっても不思議です。

 

4日目(8月15日)この日からおとうさんはお仕事でした。おねいちゃんがお休みなのでいっしょに二上山に登りました。登るのはいつも500m弱の雌岳のほうですが、去年はもうてっぺんまでは無理だったけど(ふもとにある万葉の森までは歩けました)元気な時、何度も登った思い出の山です。おうちのなかで普段ごろごろしているおかあさんでしたが、この暑い中、なんと登ることができたのです。おかあさんもおねいちゃんも、ぼくといっしょに登っているつもりでいましたから。

正午には奈良県側(二上山は大阪府と奈良県の県境にあります)からサイレンが鳴りました。

  二上山のてっぺんで黙とうをささげました。 平和を祈りました。

 

8月16日はおとうさんもおねいちゃんもいなくて、夕方、ぼくはおかあさんに見送られてかえりました。

 

        さくらふぶきの下を ふららと歩けば

        一瞬

        名僧のごとくにわかるのです

        死こそ常態

        生はいとしき蜃気楼と                        

                                     茨木 のりこ    

 

 


雨の降る土曜は幸福について考えてみよう

2014年08月09日 17時42分48秒 | ひとりごと

『雨の降る日曜は幸福について考えよう』という題名の本があります。

題名につられて買ったのですがちっとも読んでいません。(もしかしたら読んだかもしれませんが覚えていません。)それでも、ずっと台所と居間兼食堂の仕切りのカウンターの下の本棚にあるので、おかあさんは読もうと思えばいつでも読めるのですが、もう、多分、何年もそのままなのです。

でも、タイトルが好き。今日みたいに、台風が近づいて大雨警報が出されて、午前と午後の2つのお出かけの予定が無くなったおかあさんは「こんな日は・・・いろいろ考えてみよう」と思いました。

まず、最近はあまり読まないで子ども会の古紙回収に出すだけになっている新聞を読みました。ま、新聞はそれだけではなく、フライパンの油を拭うのにもとても重宝しています。もっとも、その利用法をはじめて聞いた時、新聞にもフライパンにもなぜだか悪いような気がして抵抗をおぼえたのでしたが、やってみると、洗剤や洗う水の量も少なくなってエコだと思い知りました。なにより排水する汚れが少なくなるのがいいことだと、今ではもう、そのまま湯をかけて流すことができません。

土曜版(朝日新聞 be)はおもしろいのでいつも大体は読んでいます。

日野原重明医師の『102歳 私の証 あるがまゝ行く』に車椅子に乗ってみてはじめて低い目線に気づいたことが書いてありました。こんなえらい先生でも100年もかかって初めて気づくことがあるのですね。

子どもを相手にするときは子どもの目線で低くなって、とは教わらなくても母親ならするでしょう。

おかあさんは寝っ転がっているとき、ソファの下の部分や柱の下の部分にちょっと変色しているところを見つけて、あっ、ももすけが鼻をつけた痕だわ、と、この頃は犬目線になっています。

もうひとつお気に入りのコラムは『福原義春の道しるべをさがして』

著者の友人の作家の近著に、日本語は中国語と大和言葉と外来語が混在するので「省エネ」のような新たな略語を作る柔軟性を持っている、と。

化粧品やさんの著者(資生堂名誉会長)が海外向け製品に添える説明書にイタリア語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語の6カ国語を併記すると、イタリア語は日本語の2、3割増し、中国語は半分くらいの長さになったという話。

直観的な意味が伝わる漢字、歌うように冗舌な西洋の言語、日本と西洋の考え方の差はこの表音文字と表意文字の差にもあるのではないか。1000年以上も表音系のカナと表意系の漢字を同時に認識してきた日本人には論理と直感を同時に働かせる「特技」をもって、日本人にしかできない価値の創造を目指すべきではないか、と。

このコラムには、6月に世界遺産に登録された「富岡製糸工場」のことが書かれていて、そうなんだ、と思ったものでした。

経営者にとって不要になった施設を維持するかどうかは相当なジレンマ。官営から民間に払い下げられ、その後操業停止、そして2005年に富岡市に移管されるまで年間約1億円の維持管理費がかかったという。

・・・・何かの意味を持って誕生した物や施設には、それを使い、そこに生きた人間の思いと記憶がこめられている。当初の役割を終えても、それが誕生し存在した意義さえ忘れられなければ、再び誰かの役に立つ・・・・(これ以後、おかあさんは断捨離の理念から離れました)

そして、ゴーギャンの  

   我々はどこから来たのか

   我々は何者か

   我々はどこへ行くのか               とありました。

(蛙の写真はY氏よりお借りしました、無断ですみません)

朝から新聞を読んで、ご飯を食べて、お昼寝して、こちょこちょと書いていたら、もう、こんな時間になってしまいました。

もう、雨は降っていません。すこし風がでてきました。