ももすけの日記

品良きは背筋伸びたる夏帽子
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

夕立三日

2012年08月20日 13時05分42秒 | 日記

ぼくのおかあさんのお母さんは明治生まれ。

いろいろなことを言っていました「夕立三日」もそのひとつ。

今日も快晴ですが、この土曜日もよく晴れていました。

午後から月一度の句会に出席しているとき、にわかに一転かき曇り、雷がとどろいて猛烈な雨。

句会のみなさんはひとつもあわてず、そのうち止むでしょうから少しゆっくりしていましょう、などと涼しい顔。

雨がやんで、みなさんが帰られたのち、下っぴのおかあさんたちは、お茶碗を洗ったり集会所の机や椅子の片づけをして、すっかり雨のことなど忘れて家に帰りました。

ぼくがひとりでいるときはいつも家中の窓は開けたままにしています。

もう、ひとりで2階には上がれないようにしてあるのですが、2階の窓も全部開けたままでした。

こんなに風が強かったのか!?

西風だったようで、寝室の西側の窓から雨がなだれ込んでいたようで、ベッドの中ほどまでびしょぬれになっていました。

そして、その日に限って、家中の枕という枕をベランダに干していました。(3人家族なのに、枕は、、、10個以上もありました)

その夜、たまには畳の部屋で寝るのも旅館に泊ったみたいでいいわねぇ、なんて。

翌、日曜、半分濡れてしまっているベッドのマットレス(これの重たいこと)をベランダに干して、今日はいいお天気だからすっかり乾くわ、と思っていました。

そして、午後、少し用事があったのでおとうさんのお店に出かけました。

まさかこんないいお天気だから、と少しは心配しながら外を見ていたのですが、お店は北に向いていてよく晴れた北の空しか見えません。

空港の駐車場に預けるため車のナンバーを知らせなければならないので(また、今月末からちょいと出かけます。それにしても自分の車の番号くらい覚えてなくてどうする!いえ、番号は覚えているのだけれど、その前のひらかなを覚えていない。「た」でした。そういえば、た行は昔公官庁の車だったはずなのに、と思っていたのを思い出したりして)駐車場に出ると、ぽつぽつ、、、

わお、お店から南約5kmの自宅の方の空は真っ黒!

みるみるザーっと降ってきたので、そのまま車に飛び乗って一目散に家へ帰りました。

人に乗せてもらっているとき、すごい雨の中を走るのが大好きなおかあさん。

でも、こんなにすごい雨の中を自分で運転するのは生まれて初めてのことでした、45年の間。

ワイパーを最速にするとかえって見づらいというのも初めて体験。

霧の夜に運転したときはもっとこわかったなぁ、なんてのんきなことを考えたりして、でも、やはりとてもこわくて慎重に運転しました。

 

家に帰ると、案の定、ベランダのマットや枕やカーペットは、もうどうしようもありません、取り入れるのは不可能。

隣のおねいちゃんの部屋に一歩入って、ぎょっとしました。

昨日は東風だったのです。東の窓からなだれ込んだであろう雨が散らかったおねいちゃんの部屋の半分くらいまで浸水していました!

古いバスタオルを何枚も何枚も使って吸水。階下の居間に漏れてやしないかと心配でした。

干していた洗濯物(大きな屋根が自慢の選択干し場なのにやはりずぶ濡れに)や、古いバスタオル(もう捨ててしまおうと吸水に使ったのに、やっぱりまた洗ってしまう、、)床に敷いていたカーペット類、たくさんのお洗濯をして、もちろん、マットレスも枕も、今日は乾いてくれるだろう、と。

今、1時。

今日はもう、絶対に出かけない!

 


いいとこだけ

2012年08月06日 12時28分19秒 | 日記

ぼくのおかあさんは、もう何日も前の新聞の広告のところを残して手許に置いています。

切り抜きするわけでもなく、ときどき眺めては、ふうんとため息とも納得ともつかないあやふやな態度。

 

50万部突破『聞く力』阿川佐和子

心をひらく35のヒント、のうち(か、どうかはわからないけれど)24個の箇条書きが載っています。

・2秒の「・・・」が人間関係を変える

・「わかります」と安易に言わない

・「オウム返し質問」活用法

・「あれ?」と思ったことを聞く

・面白そうに聞く

・先入観にとらわれない

・知ったかぶりをしない

・素朴な質問を大切に

・フックになる言葉を探す

・目の高さを合わせる

・脳みそを捜索する

・相手の気持ちを推し測る

・観察を生かす

・段取りを完全に決めない

・自分ならどう思うかを考える

・最後まであきらめない

以上、おかあさんが参考にしたい項目、これで読んだ気分。

 

最新作 書き下ろし『幸せは弱さにある』曽野綾子

・どんな苦しい状況のなかにも喜びの種を見つけることができたら人生は、成功なんです

・自分の弱さを自覚するとき、初めて強くなれる

・自分の信じる論理の対極にも正しさはある

・与えられた環境の中で、自分の才能を発揮できるか考える

 

ふと、いじめで自殺しなければならなかった子どもたちのことを思います。

新聞には有名人たちが「いじめられている君へ、ぼくもいじめられていたけど、こうしたよ」とか「私はこんなにいじめられていたけど、こんなことがあってがんばれたのよ」とか。。

へぇぇ、そんなにみんないじめられっ子だったのか、と思います。

励ましや、いたわりや、愛が、その子の心に届けば、そして心に吸収されればいいのだけれど、同様な環境にあっても、乾いた砂のようにすぐに蒸発してしまったり、もしくは、こちこちにかたまった土のようにはじけて流れ落ちてしまう心の子どもたちはかなしい。

ぼくはここ数カ月の間で目も耳もほとんど機能しなくなってきています。

おさんぽのとき、おかあさんは盲導犬ではなくて盲導人になります。

人間の子どもたち、いじめられっ子もいじめっ子も、大人になっている弱い人間(ぼくのおねいちゃんを含めて)も、ぼくのおかあさんみたいに、いいとこだけを切り取って考えられるといいのだけどなぁ。。