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my happy talking

ちょっぴり楽しくちょっぴりほろ苦い独り言

怒り心頭に...、 が、やがて...

2013-08-11 13:14:10 | documentary

Gyaaaaa..... Qusotaray Jijieeeeeeee....

Listen to me what happened to me in this early morning.

 l’ve really blown a fuse against the lender of my house then.

I got very very angry at him. I couldn't understand what He
said to me, because of his broken Japanese. We actually
spoke
in our mother tounge language Japanese, but unfor-
tunately o
ur talk and feeling could not intersect at all.

I've got a long story concerning with my anger to farmers in-
cluding
him of this area.

It began one month & a half ago.

Some farmers in this area made me so mad at a really sad
official
news delivered by a neighborhood association of this
town.


ほぼ一ヶ月前のこと、町会から以下の広報が配布された。

<o:p></o:p>

Img006001_2

 

<o:p></o:p>

 

 











画像は不鮮明ですが、画像をマウスでクリックしていただくと、
画像が拡大され、
文章が明確になります。

 FaceBookでも、7月半ばに本件を記事にして投稿したので、本記事
を書くに当って、過去
ログをチェックしてみた。が、どういう訳か
見当たらないので、
FB記事の原稿を転載する事にする。


 ***

今朝、新聞を取り入れようと郵便受けを覗くと、こんな文書一枚が
郵便受けに入れられて
あった。

町会からの「お知らせ」だった。読んで、ゾッとした。そして、
違和感を感じた。

ある町民一家の愛犬が亡くなったと言う。

だ稚拙で情緒的な文書で、最後の結びには町民に注意を勧告し、
この町を安心で安全な
街にしよう、と、呼びかけている。

亡くなった犬が可哀想でならないし、飼い主一家の悲嘆を思うと
心が痛くてたまら
ない。亡くなった犬の死因は畑の薬剤(畑の農
産物に散布する農薬と推察)と断定
できているのなら、畑の所有
者も農産物の生産者も判明しているだろう。ならば、
加害当事者
たちで、

今後こうした悲しい事(単に事故と、片付けて欲しくない)の再発
を防止するため
に、薬剤使用に当たっては、使用した畑にそれと分
かる立札を立てるとか、あぜ道
への立ち入りを禁止するなど、何ら
かの対策を話し合った上で、町民に注意を勧告
するなら、分からな
いでもない。が、ただ、出来事の知らせと注意勧告で、読んだ
町民
たちは納得できるのだろうか。

畑の農産物に薬剤を使用しても、一般の人々の目には見えないし、
臭いも嗅ぎ分け
られない。どの畑の土なら安全なのか、どのあぜ道
の雑草には薬剤がかかってない
のかなど、分別できるはずがない。

町会の知らせに関係があるか無いかは分からないのだけれど、気に
なっていること
があって、それと「お知らせ」の一件が、心にひか
かってならない。

この二週間、毎朝夕、元気盛りの柴犬を連れて野辺と多摩川の土手
を散歩される初
老の紳士をお見かけしない。猛暑の折から体調を崩
しておられるのだろうか、と案
じていたのだけれど、今朝、町会か
らの「お知らせ」を読んで、不吉な思いが頭を
かすめた。

この柴犬は2歳のNNちゃんで、朝夕私が鉢植えの草花を手入してい
ると、決まって
通りかかって、フェンス越しに触れ合う仲良し同士。
飼い主さんとは挨拶を交わし
て、お互い飽きもせずに「この子がど
うのこうの」と、犬談義を楽しむ。チョコは
チョコでNNちゃんと遊
びたいものだからリビングの戸口に立って可愛く吠えてア
ピールする。
そんな朝夕の日課をシェアする間柄の愛犬家同士なので、姿を見かけ
ないと朝夕の日課に穴が開いたようで、ずっと気がかりだった。

10日ほど前だったか、この町のある大地主が消毒液とおぼしきタンク
を肩に掛けて
通りを上りながら塀沿いをタンク内の液を散布して歩い
ていた。それを見て、今年
は春先から、フェンス沿いに雑草が生える
のを殆ど見かけないけれど、もしや、あ
れは枯葉剤の一種だったのだ
ろうか、と思っていた。今朝主人に話すまでは一人
で思うだけだった。

昨夕、主人とチョコと私の三人で高尾のスタバでお茶をしようとドラ
イブに出た。
陽は落ちても気温は下がらず、余りにも暑くて30


平和主義の根幹憲法9条を考える

2013-06-04 16:44:33 | diary

6月2日(日)午後早くに知人から電話があった。 何でも、最新の赤旗日曜版に面白い
インタビュー記事が掲載されていると言うので、さっそくネットでその記事を読んでみた。
読み始める前に、「まさか“ギャク”の筈はないけれど、はて、」と、私が思ったのも無理
はない。赤旗が、古賀誠氏(元自民党幹事長)に憲法について聞いたインタビュー記事
だったのだから。

古賀氏の考えには同意・共感することが多く、インタビューを受ける側とする側で、立場
は違えても、普遍的平和を希求し、日本国憲法・9条を誇りとすることを共有できる幸い
も、日本国憲法が崇高故との思いを強くした。そして、愉快になったものの、先ずは、元
自民党幹事長・古賀氏のインタビュー記事が赤旗日曜版の一面に掲載されているだけ
でもちょっと驚いた。そして、記事を読み進めていく程に不思議な感覚に陥り、言い得て
妙な「二大政党」の件に至る最後は、タイムリーで面白可笑しくもあったけれど、清々し
い風が吹いて過ぎたような感覚すら覚えた。

私は、安倍首相が9条改憲を見据えた上で進めようとしている憲法96条改正に反対して
いる。日本国民にとどまらならい人類の宝であり、世界に類のない戦争放棄・平和主義
を根幹とする9条を世々代々の子孫らに渡す責任があると思っている。

以下は赤旗日曜版6月2日号のインタビュー記事ダイジェスト。

古賀自民元幹事長、96条改憲 やるべきでない
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-05-31/2013053101_08_1.html

更に、全文は以下に転載。

古賀誠氏、元自民党幹事長への憲法改定に関するインタビュー記事
赤旗・日曜版6月2号
 

 私は、憲法改正の勉学、研究、学習は当然として、議論はやっていいが、実際の改正
には慎重でなければならないという立場です。とくに現行憲法の平和主義、主権在民、
基本的人権という崇高な精神は尊重しなければならない。なかでも平和主義は「世界
遺産」に匹敵すると私は講演でも話しています。 いま、96条を変えて憲法改正手続き
のハードルを下げるということが出ていますが、私は認めることはできません。絶対に
やるべきではない。  
 憲法はわが国の最高法規です。他の法規を扱う基準と違うのは当然でしょう。一般の
法規が「過半数以上」ということなら、憲法改正発議が「各議院の総議員の3分の2以上
の賛成」という現在の規定は当然です。諸外国を見ても、憲法改正のハードルは高くな
っているじゃないですか。

Img010001 憲法の平和主義は「世界遺産」  

  私は、自民党の制作グループ「宏池会」(注)の
 4月の会合でも「今日の日本があるのは、平和憲
 法が根底に強く存在していたということだけは忘
 れてはならないとつねづね思っている。」とあいさ
 つしました。  
  憲法の議論は、現行憲法に流れる平和主義・
 主権在民・基本的人権の尊重という三つの崇高な
 精神を軸にしなければならない。とくに 9条は平和
 憲法の根幹です。“浮世離れしている”と見られる
 かもしれないが、その精神が一番ありがたいところ
 で、だから「世界遺産」と言っているのです。平和主
義は絶対に守るべきだと思っています。  
 ただ、ここはあなた方と意見が違うでしょうが、自衛隊は9条2項を1行変えて認めれば
いい、というのが私の考えです。ここは国民的議論をすればいい。

母の背中を見て  

 私の父は、私が2歳の時、「赤紙」1枚で召集され、フィリピンのレイテ島で戦死しました。
父の訃報が届いた時はまだ 5歳でした。私には父の思い出がありません。 
 あの時代、母は自分の幸せなど、何ひとつ求めることなく、私と姉を必死で育ててくれま
した。子どもの心にも母の背中を見ていて、戦争は嫌だ、二度と戦争を起こしてはならない、
と思いました。この思いが私の政治家としても原点です。 
 戦争を知らない人たちが国民の8割を占めるようになりました。たからこそ私たちのような
世代の役割は大きいと思っています。 
 私は、自衛隊をイラクに派遣するイラク特措法案の衆院採決の際(2003年)議場から退
場しました。平和を脅かすようなことをしてはいけない、と戦争を知らない世代に目に見え
る形で示したかったからです。 
 党幹部からはお叱りを受けましたが、退場したことは間違っていなかったと今でも思って
います。今回、あなた方(赤旗日曜版)のインタビューを受けたのも戦争を知る世代の政治
家の責任だと思ったからです。

自共が二大政党  

 
 戦後の長い期間、国政の場で、自由民主党と日本共産党は、立場や政策は違っても、
それぞれが自負も埃も持って活動してきた、と私は思っています。離合集散する政党は
たくさんあり、照る日や曇る日もあったが、その中でもぶれずにやってきた。私に言わせ
ると自民党と共産党こそが「二大政党」だと思っています。


(注)宏池会は自民党の派閥のひとつ。1957年に池田勇人元首相が創設し、「保守本流」
を自任しています。池田、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一の4人の首相が出ています。
現在の会長は岸田文雄外相で、古賀氏は名誉会長。

こが・まこと=1940年、福岡県瀬高町(現・みやま市)生まれ。80年の衆院選で初当選し、
当選10期。運輸相、自民党幹事長などを歴任し、昨年の総選挙で国会議員を引退。



私もさなぎ...  『安藤栄作展 光のさなぎたち』に出かけて    2013年4月29日(月) 

2013-05-01 18:07:43 | essay

4月29日に原爆の丸木美術館で開催中の『安藤作展 光のさなぎたち』を
鑑賞しに、一人で東松山まで出かけた。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2013/2013ando.html

***


20130429_125806_2展示会
場正面の壁面を覆う安藤氏
が3日かかって展示会場現場で描か
れたという『福島第一原
事故現
』を背に光を放って立つ
一体のさなぎたち』
圧巻だった

展示
場入り口でさなぎたち全体
を目にした時
私は身震いして立ち
すくんでしまった。


安藤氏が大木に斧を振り降ろして彫られたさなぎたちに吸い寄せられるように
近づき細部
を眺めてはまた遠ざかってさなぎたちを眺めた。安藤氏によって命
を宿されたさなぎたちに新生・
復活・再生を感じた。

福島第一原発が爆発した2011.3.12から2年、大小様々なメディア報道で静止画
動画映像を視聴しない日はなく視聴する度に地獄を見る思いをして来た。怒り
やりきれない思い切なさを抱えて出来る限りの反原発への意思表示をせずには
居られなかった私が、安藤氏の『原発事故現場の線画』を観た時、私の心が鎮
まるのを感じた。何故
かはわからないけれど、事故を収束させる知恵も技術も
持ち得ていない人間がなんとしても収束させなければならない原発事故を収束
させるのは
とてつもない年月が過ぎた果ての果てで、そう、今生存している人
間がもう生きてはいないほど遠い未来だろうけれど、それでも人間はその未来
に生き
ていると感じた。そして、私は、これまで通りに反原発を私のやり方で
叫び続けて生きて死んで往くけれど、未来に生きる人々が、地も海も空も彼ら
の身体も魂も浄化されやさしく回復しているだろうことに希望を見ようと肚が
据わった。

命の光・希望は、一瞬前まで在った全てが破壊され失われてしまい、無残がさら
され続けていても、魂を絶望のままにしないのだ。

***


Img010_2

安藤氏の絵本処女作:『あくしゅだ』が
クレヨンハウスで出版され、一般販売に
先駆けて本個展中に丸木美術館で販売さ
れるとの案内に、私は絵本を手に取って
見て読むことを楽しみにして出掛けた。

果たして、『あくしゅだ』は、自然と生
きとし生けるものたちと人が融合して生
きる幸いの普遍を運んでくれた。




Img011_2




『あくしゅだ』の原画も展示されていた。
安藤氏の描く線に宿る勢いには惑いが
なくしなやかで決して強制するで
ない
「『あくしゅだ』よ」への誘いを感
じた。
そして、私もあくしゅをした。








地と海と空のある美しい星、地球を棲家とする人が自然とあくしゅを繋いで
いく普遍の愛が、絵本を手に取る個々の魂に甦る気がしてくる。希望にあふ
れている。やさしく楽しく愉快に繋がっていく命の讃美が伝わってくる。

私も生きとし生けるものたちとあくしゅをして生きよう。地球の慈しみを喜
感謝して人の可愛さを大切にして生きる限りに自立を目指して魂たちの叫
びに
耳を澄ましていよう。と、絵本と対話をした。

***


安藤栄作氏と落合恵子さんのトークライブは、3.11以降の自身の気づきを芸術
の立場で、そして、言葉と行動による活動家の立場で表現することについて
静け
さの中で語られて、私には一つ一つが他人事ではなく共感出来て感謝だっ
た。

自然(宇宙・地球)と人間は支配従属関係にあるのではなく、人間は自然に受
されている自覚を持ち自立し、地球と融合し合ってこそ魂のステータスを持
ち得
るのだろうことを、私はお二人のトークからも再確信した。

3.11から2年が過ぎたけれど、魂の着地点がない。」そう語られた安藤氏の告
は心にずしんと落ちた。3.11は、私たち一人一人が自立をし直し、社会(の
しくみ)を変革していくことを知らしめられた時だったのだとのお二人のお話
にも心が呼応した。

***


1時間半のトークで、大切が何なのかが深く丁寧に語られた。私の覚書に以下
を書き留めておこう。そう、ずっと心に留めて生きたいと思った話を。

『安藤氏の話』

には三つの種類があること
1.機械的に流す 目に物がたって流す機械的な
2.喜怒哀して流す


私の桜抄  第三章 6:思い出の地・甦る木立で遊んだ日々の記憶

2013-04-13 21:56:11 | essay

母の葬儀から一週間が経った昨日、娘夫婦が私とチョコを今はまだ早春の軽井沢へ
連れていって行ってくれました。主人は仕事で同行出来ず残念そうでした。

快適なドライブを楽しみながら車窓を流れる遠近の山々の春の芽吹きに心が洗われる
ようでした。

20130413090559
モールでランチ(花畑牧場)-ショッピング
の後、星野エリアへ移動。ハルニレテラ
スと森の木立に挟まれた小道を散策-
温泉-夕食と、緩やかに過ぎる時間の中
で心癒される至福の一日でした。

浅間山にはまだ冠雪が残り、地には時折
雪が落ちて寒く、思わず身が縮みはしまし
たが、大気は春めいてハイシーズン前の
軽井沢は静かでした。



露天でお湯に浸かっていると、尾根林の其処此処から現れた猿の群れが手の届きそうな
処まで下りて来ました。自然に逆らわずに生きる猿一族の日常なのでしょう、私の目には
豊かに見えるワンシーンに心が和みました。人の気配が絶える深夜には、猿一家が満点
の星が降り落ちるお湯に浸かるのだろうな~と、一人童話を楽しみました。

娘夫婦が連れて行ってくれた軽井沢でも行く先々で母が偲ばれてなりませんでした。母は
三昔も四昔も前の軽井沢を愛していました。静かな木立に囲まれた知人の山荘で家
族で
過ごした幾つかの夏が懐かしく思い出されてなりませんでした。母は軽井沢でも自宅で過
ごす日常そのままに読書を楽しんでいました。自然を愛し、土を愛し、動植物を愛したした
母には軽井沢は心身にやさしい地でした。
それにしても「母ともう一度一緒に.....したかった..」と思うことのなんと多いことか。

母なら露天温泉に浸かりながら自然の恩恵の中で群れていたあの猿一家を眺めて何を
思うだろう... ふと我に返ると、母と対話をしていました。

***

「私の桜抄  第三章」アーカイブ:
1:河津桜 
http://blog.goo.ne.jp/praisepm13/d/20130315

2:新旧交代
http://blog.goo.ne.jp/praisepm13/d/20130316

3:ベッドでお花見 
http://blog.goo.ne.jp/praisepm13/d/20130320

4:母の旅立ち 父のもとへ
http://blog.goo.ne.jp/praisepm13/d/20130413

5:家族葬で母を送る
http://blog.goo.ne.jp/praisepm13/d/20130413





私の桜抄 第三章 5:家族葬儀で母を送る  2013年4月5日(金)6日(土)

2013-04-13 21:14:54 | essay

4月2日が明けて間もなく92歳で他界した母を、4月5日6日の両日に家族葬で送りました。

母は、手際よく美しい料理をする人でした。私は料理をする母の横で「お料理はね、国語
算数理科社会音楽体育芸術何もかもが入ってるのよ。」と話してくれる母が大好きでした。
来訪下さるお客様にお食事のおもてなしをする母の料理がお客様の間でいつしか評判に
なっていった程、母の料理は独創的で自然界が広がり季節語りをして美味でした。


20130405_171415
最期に向かう長い日々飲食が叶わなかった
母にお弁当をこしらえました。母を迎え待つ
父と一緒ピクニックを楽しむ二人を思い浮か
べて、母に父へもお揃いのお弁当を託しま
した。




両親揃っての大好物:五目散らし寿司、エビグラタン、煮林檎とバナナのサワー&シャンテ
クリーム和えクレープ、苺をランチボックスに詰めました。そして、生ハムとバジルのピザを
チーズ三種で焼きました。

花園や森林、野辺や川原をよく散策した母と父は、再会を果たしたかの地の枯れない花園
でお花見に興じたことでしょう。

母は和装も洋装も似合うお洒落で優雅な人でした。母が30代の頃から近年まで好んで装っ
た着物の中から旅立ちにふさわしいものをきょうだいで選び、棺で眠る母に白装束の上から
かけて旅装束をしてあげました。長く病床に伏した母でしたが、別れに際して母は穏やかな
表情に戻り旅立ちました。

今日は一人で、母を迎えて安堵したでしょう父と父に再会を果たして安堵したでしょう母を
偲び、父と母の菩提寺住職の「限りある命」のお話を心で反芻しては、母と父の何を思い
出しても感謝で暮れました。

これからは母と父が降り注いでくれるやさしい眼差しを感じながら生かされる命を大事にし
ていきたいと思います。

(2013年4月7日 深夜記)

追記:
娘の誕生日と重なった母の葬儀。定められて始まり終わるそれぞれの命。娘の綴りに連鎖
し継がれていく愛を感受。そして、一歳の誕生日に一升餅を背負い歩いて、筆・そろばん・
財布の中から筆を選んだ娘を喜んでくれた母と父を思い出した。娘の初参りに誂えてくれた
白無地寿光織の着物が大好きになった娘が母と父と写るツーショットスリーショットに、あれ
から32年の時を経てあらゆる思いが融合して感謝に変わっていく。
https://www.facebook.com/chiyoself?ref=tn_tnmn#!/photo.php?fbid=238769396267939&set=a.110167845794762.17919.100004046422209&type=1&theater


***

「私の桜抄  第三章」アーカイブ:
1:河津桜 
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2:新旧交代
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3:ベッドでお花見 
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4:母の旅立ち 父のもとへ
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