ももすけの日記

品良きは背筋伸びたる夏帽子
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

ちいさいももちゃん

2013年03月30日 00時52分49秒 | 日記

ぼくは本名はももすけですが、ふだんはももちゃんとよばれています。

でも、おかさんや他の人たちが「ももちゃん」と呼んでも、もう聞こえていません。かろうじて、台所できゅうりを刻む音が耳に入ってきて、おかあさんの足元でおすわりして、きゅうりのへたをくれるのを待っていますが、いつもではありません。

おかあさんはきゅうりを刻んでいても、ぼくが台所にやってこないとさびしくなります。

ずっと2・8kgだった体重は2・2kgになり、まるで人間のおじいさんのように背中が曲がってきています。

1日中、ほとんど寝ていて、夕方のゆったりとしたおさんぽだけが今のぼくのたのしみです。

散歩道や公園で会う犬はほとんどぼくより大きいです。

犬にも相性というものがあって、女の子はたいてい好きなのだけれど、男の子も好きな子と嫌いな子がいました。

かなり離れていても向こうに嫌いな(というより、もしかして苦手なのかも)わんこが来ると、ちいさいくせしてぼくは吠えていました。向こうのわんこたちは友好的でほぼ知らんぷりしていたのですが。

ところが、最近はその苦手のわんこが来てももう吠えません。おかあさんが相手の飼い主のおばさんにそういうと「もう、どうでもよくなったのかしらね」と笑っていました。

そう、どっちだっていいのです。人間だっておかあさんくらいの年になると、お友だちは男でも女でも、どっちでもいいのです。でも、お友だちは必要です。

おさんぽに出て、誰にも会わないで帰ってくることほど心残りなことはありません。ぼくんちの門のところまで戻っても、通り過ぎてもう一度行こうよ、というふうにぼくは意思表示するのです。

このところ日が長くなったし暖かいので、昨日の公園にはたくさんのわんこがいました。

ぼくより一回り以上大きいテリアの2匹とは最近、何度か公園で出会い、おかあさんどうしもあいさつをしていました。

いつものお友だちのトイプードルのハナちゃんや、同じヨーキーのヒナちゃんといたとき、その2匹が近付いてきて、ぼくのおかあさんはその子になでなでしていました。

ぼくはちょっといやだったので、ウーっと口の中でちいさくうなっていました。と、突然、2匹のうちのオスのほうがぼくの胸ぐらに噛みついてきました!

あわてて、向こうのおばさんはリードを引っ張って引き離しましたが、もう、ぼくはショックで興奮してしまいました。おかあさんが抱っこしてもあばれました。震えが止まりませんでした。

さいわいなことに冬用の厚手の服を着ていたので怪我はなかったのですが、おかあさんはごめんね、ごめんね、こんなこわい思いをさせて、と抱っこしながらぼくの小ささを感じていました。

噛みついた犬のほうのおばさんったら、大丈夫?と尋ねましたが、「ごめんなさい」とも言わず、そそくさと立ち去ってしまいました。こういうとき、もし何かあったらと、自分の名前と電話番号くらい言っておくものだと思うのだけど。

そうなのです、噛みつく犬の飼い主は自分の方が悪いと思わないらしい。1月の末、おかあさんが退院してすぐのとき、やはりお散歩中にぼくは噛まれました。道の向こうから飛びかかってきたのですから明らかに向こうの飼い主の責任です。リードをしっかり握っていれば届かなかったのですから。

そのときも、ぼくは服を着ていましたが、洋服からはみ出した足をかまれて血が出ていました。そのときも、年配の夫婦連れ、謝ろうとしませんでした。

おかあさんは腹立たしく「これから病院に連れて行きますから、治療費はそちらでもってください」と気丈に言いました。メモも持っていないし、名前も電話番号も覚えられないので、すぐ近くだったのでぼくんちに来てもらいました。名前と電話番号を書いたあと男性は帽子をとって一礼したけれど謝罪の言葉はありませんでした。奥さんはというと庭で待っていましたが、おかあさんが外に出ても何も言いませんでした。

以来、おかあさんはよその犬との接触にすこしナイーブになっていたのですが「人を見たら泥棒と思え」式の考えはいやなので、極力、顔には出さず、内心びくついていたのでした。

15年も生きてきて、それまでフィラリアの予防の薬をもらいに獣医さんちに行くくらいだったのに、昨年の夏、玄関のドアに挟まれて怪我をし、そして今年に入って2回も噛まれた。

そして今日は階段から落っこちた。

おかあさんが2階で掃除機をかけていたので、ぼくは開いていた廊下から階段を上ったんだけど途中で動けなくなったのです。掃除機を止めたときに何かく~んと聞こえた、と気になったおかあさんが2階の踊り場からのぞきました。

「ももちゃん、じっとしていなさいよ!」と叫ぶおかあさんの声がなんとなく聞こえたようだったけれど、降りてくるおかあさんが気になって、よけいにバランスをくずしておっこちてしまいました。

下から3分の1くらいのところだったから、大丈夫だったけど。

おかあさんはちいさなぼくを抱っこしてしばらくすわりこんでいました。

 

 


これでいいのだ

2013年03月14日 00時55分27秒 | 日記

白内障手術でお医者のすすめるまま手元に焦点を合わせたレンズをいれてもらったおかあさんは、やっぱり遠くに焦点を合わせたほうがよかったんじゃないか、と同室の患者さんの視力をうらやんで一晩は悶々と眠れませんでした。

でも、再手術にはリスクが高くなるし、実際問題、そう簡単に手術をやり直すことなど、失敗ではないのですからありえません。

以前よりは良く見えるようになったんだからありがたいことではないかと思ったり、でも、もう少しだけでも遠くまで見えるといいんだけれどと思ったり、やっぱり、遠くに焦点をあわせてほしかった、と、思いが堂々巡り。

メガネをかけて初めて車の運転をしてみました。(実際はゆるめに調整しているので運転できるほどの視力はないのですが)まぁ、なんとか。

でも、やはりコンタクトレンズのほうがいい、と以前からの眼科の先生のところで診てもらいました。

ソフトレンズの1日使い捨てというのが楽そう、とお願いしました。ハードレンズはやはりもう少し先、4月になってから、ということで。

もうそれこそ何10年もコンタクトレンズのお世話になっているおかあさんです、ソフトレンズのつけはずしがこんなに難しいものだとは思ってもいませんでした。

左手の中指で上瞼をあげ(おかあさんの瞼は華麗・先にこの文字が出た、じゃなくって加齢で上瞼が半分下垂していますが、していなくても引き上げないとつけられません)右手の中指で下瞼を引き下げて黒目をまるごとあらわにします。

そこまではできるのですが、右手人差し指の先のぶよぶよのソフトレンズが途中でよれてしまったり、表裏が逆さになったり、くっついたり、、、なんとか位置を保って、、、それを目の玉に押し当てるのです。

ハードレンズは目の表面に触るか触らないかくらいで磁石のように吸いつくのですが、ソフトはそうはいきません。悪戦苦闘の末、なんとか装着。

なんとよく見えること!目の良い人はいつもこんなに見えてるんだなぁと、つくづくうらやましく思いました。

そしてはずすのは、つけるより難しいと感じました。同じように上瞼と下瞼をがっと開けて、右手の親指と人差し指でつまんではがすのです。

片方だけはずして、もう一度装着。なかなかうまく行かなくてお手上げで泣きたくなるほど(実際、涙がぽろぽろ)

うまく一人ではずすことができるかと不安な思いで家に帰りました。

わぉ、家の中もよく見える、、、でも、新聞の文字が見にくい!!

そうだったんだ、老眼であることを忘れていたのです。眼科のお姉さんもきっちりと視力の出ることだけを考えて調整してくれていたのです。

そう思うとなんだか息がつまりそうな苦しさで、また、難儀して難儀してレンズを外しました。

遠いところまで見えるソフトレンズを外して、気がつきました。

手術で遠いところに焦点を合わせてもらっていたら、ずっと、この息苦しさから逃れられなかったんだと。

ながながと、くどくどと、返す返すも残念なこと、などと思い悩んでいましたが、バチあたりでした。あの先生は名医だったのでした。

これでよかったのだと気がついた3月8日のさくらんぼの蕾

2日後の3月10日、花咲かじいさんってほんとうにいるんだ、と思い出すほどいっぺんに咲いてしまいました。