ももすけの日記

畏怖といふをおもいおこせし台風禍
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

なんということ!

2018年10月14日 13時32分25秒 | ひとりごと

今年は台風で我が家のシンボルツリーでもあったミモザが倒れてしまいました。

「花いっぱい街づくりボランティア講習会」でお友だちになった3人を(いつも4人でお弁当を食べる)、講習の終わる3月にミモザを見に来てもらおうと思っていたのに。

でも、あの大風の中で必死に枝や幹にくっついていた花梨の実が今年はずいぶんたくさん実っていました。去年はほとんどできなかったのに。

先週の火曜日、おかあさんはお出かけで。

家に帰ると、おとうさんが庭でチョキチョキやっていたのはいいのですが、、、なんと、花梨の実を全部とってしまっていました。

え、え、え、えぇーーーーーーーーーーーーーーー

枝を剪定しようと、だって!!!

別にカリン酒を作るわけでもなく、ただごろごろと転がせて香りを楽しむだけではありますが、何も何も、こんなに早く取ってしまわなくってもいいものを!!!

なんということ!

おかあさんはあまりの驚きに涙声になっていました。

いや、「私は今、怒っている」と気づいて、、、しばらくして冷静になりました。。

一番きれいなのをテーブルに置いて眺めています。ちっとも、香りなんかはしませんが。

明日から出かけるというのに、用意しなくちゃ、と言いつつ、まだスーツケースは空っぽのまま。

日程表を昨夜はじめてぱらぱらと見て、ようやくテンションあがってきました。

世界一きれいな街、というだけの憧れで決めただけで、例によって何の予備知識もありません。

このごろは、だんだん、億劫と思うことが多くなってきています。あんなに外に出ることが楽しみだったのに、突然、しんどいなー、、と思ったり。

でも、行くしかない。楽しまなくてはもったいないもんね、人生。

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<気づき>ということ

2018年09月30日 14時58分57秒 | ひとりごと

おにいちゃんだったか、おねいちゃんだったか、小学校の入学式で校長先生が

「ご飯を食べるときはいっしょうけんめいご飯を食べましょう。友だちと遊ぶときはいっしょうけんめい遊びましょう。」と祝辞で述べられたことが、おかあさんには印象に残っています。

多分このあと、勉強するときはいっしょうけんめい勉強しましょう、と続いていたのかもしれない。

今、自分が何をしているのかを気づくということが大切。意識する、としない、とでは、せっかくの人間に生まれたかいが無い。

最近読んだ、大井玄『老人という海を行く』(この本もなかなか良かった)の中に、テイク・ナット・ハンという禅僧の本のことが書かれていて、気になって図書館で借りてみた。

mindfulness    ブッダの<気づき>の瞑想 

気づきの対象には4つの領域、それを入念に観察していくことで、私たちは守られ、喜びが育ち、心の痛みは変化して、真実を見抜く力が得られる、と。

4種とは「身体」「感覚」「心」「心の対象」

息を吸っているとき、息を吸っていることに気づき、息を吐くとき、息を吐いていることに気づく。長く吸っているときは長く吸っていると知り意、長く吐いているときは長く吐いている、と知る。

息を吸い、体を静める   息を吐き、微笑む   今ここに心をとめて すばらしいひとときを味わう

歩くときには歩いているtと気づき、立つときは立っていると気づき、座るときは座っていると気づく。その身体の姿勢に気づく。

不快を感じたときはその感覚を急いで打ち消そうとせずに、意識的な呼吸に戻って観察をする。「息を吸う、不快感が心に生まれたのがわかる。息を吐く、不快感が心にあることがわかる。」

快感であれ、中性の感覚であれ、その感覚自体に意識を向け観察してみる。感覚こそ自分自身であり、感じているとき自分は感覚そのものであることがわかる。

心に怒りがあるとき、自分の心には怒りがあると気づき、怒りが無いとき、心に怒りが無いと気づく。怒りが生じはじめたとき、それに気づき、すでに生じた怒りを放棄したとき、それに気づく。すでに放棄した怒りがそこから後にも生じないとき、それに気づく。

おもいやり。人の苦しみに接すると、、、、、、理解しようとしてよく見ること。呼吸を集中し、気づきを働かせて相手を観察するならば、その苦しみに触れることができ、思いやりのエネルギーが心のなかから湧いてくる。

自分をいじめないこと。無理強いを続けていると、心からの安らぎと喜びが失われるだけでなく、気づきと集中が奪われる。瞑想は大きな苦痛の耐えられる勇者になるためだけではなく、解放、安らぎ、喜びのために行うのです。

 

こんな大事なことを、あの校長先生はおっしゃっていたわけです。

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私としたことが!

2018年08月26日 13時21分00秒 | ひとりごと

今年の秋は、ドナウ川のクルーズに行く予定をしていたのですが、日程が合わず、オーストラリアのパースに行くことにしました。まるで方向は違います!!

大体、ドナウ川といったって、どこからどっち方向に流れているのかも知らないのですが(苦笑

さて、旅行社にツアーの申し込みをしましたが、ビザ(ビザではなくETAというらしい)は自分で取るつもりでした。

ETAのオーストラリア政府への申請手数料は20オーストラリアドル、1600円くらい。それを旅行社にたのむと3000円あまり。当然、元旅行代理店社員だったおかあさんは自分でできると思っていました。去年のニュージーランドだって、一昨年のアメリカだって、ちゃんとできましたもん^^

20年以上前になりますが、確かオーストラリアは大阪の総領事館で申請したような記憶があります、当時は数次ではなくて、1年か2年後の渡豪のときも再度、申請しました。

今はなんでもインターネットの時代。最近のアメリカもニュージーランドも、今回ほど手ごわくはわかったのですが。

旅行会社の案内にはETAを自分で取るのは、インターネットで、としか書いていません。だって、自分の会社で手数料を払ってほしいですものね。

まず、オーストラリア、ETAと検索すると、最初にでてきたのが、[広告]付、これは違うみたいと、数行下の[広告]マークの無いのをあけると、同じ画面でした。あ、オーストラリア政府も広告料を出して呼び込んでるんだと、勝手に解釈。これがいけなかった、、、

まずは、おかあさん、自分の分から。どんどん、必要事項を記入して、(日本語バージョンとなってるけれど、知らない英語が出てくるたびに行き詰まり、翻訳ページに行ったりで四苦八苦)ようやく、カード支払いを済ませました。なんの疑いも無く!!

じゃ、次はおとうさんの分を。さっきは[広告]マーク付のほうだったけど、同じ画面だし、今度は[広告]マークが付いてないほうからやってみました。2回目はすんなりと、カード支払いまで到達。ところが、申請者本人とカードの名義人が同じでないと通りません。そんなはずは無い、カード名義人が本人以外の欄もあるし、おかしいなと思いつつ、それでも、まだ、何の疑いも無く、おかあさんはおとうさんに電話して、彼のカード番号とセキュリティ番号を聞き出しました。

そして、ふと、端っこに¥6480の数字が見えたのです。ようやく、これはオーストラリア政府のページではないことに気がつきました。

クレジットカードを、どこの誰かもわからないところで記入してしまったのです。まず、カード会社に電話しました。これが、なかなかつながらない。おまけに、居間の電話の子機はこのところ充電機能が落ちていて、携帯電話から。(2階の親機の部屋は暑いし)

10分以上も待って、ようやくつながった先はなんとも鷹揚な。こっちはあせってるのにー。

「お客様がお支払いになったのですから、その支払先が取り下げないとキャンセルはできません。お客様から、先方にその旨お伝えになって取り消しする方法しかありません。」

その先方がどこの誰かもわからないから電話してるんじゃありませんか!!

じゃ、お調べしますので、と待つこと数分。6480円の請求はあがっていますが、どこからかはまだ不明です、とのこと。

とりあえずは、もう、そのカードをもう使えなくして、再発行をお願いしました。なので、これ以上の被害はでないと、ほっと一安心。

で、旅行会社に電話で問い合わせ。

説明が不十分で申し訳ありません、と一応は謝ってくれました。

で、一緒にパソコンの画面を見てくれて、「オーストラリア、ETA 」じゃなく、オーストラリア政府をまず開いて、、、ほんとうにわかりにくいところから申請の画面が出てきました。

しかし、今回の旅行会社はJTBだけれど、問い合わせ先は熊本でした。そういえば、去年、iPadですったもんだしてたときも、東京だとばかり思い込んでいた相手は仙台だった。

その政府の申請窓口で、おかあさんはまず自分のETAが登録されていなくて愕然としながら、おとうさんのを申請しました。やはり、たいした英語力ないおかあさんはここでも、かなりの苦戦(汗)、でも、なんとかやり終えました。

18$のメールを受け取って申請が受け付けられた確認をしました。さて、自分の分も申請しなおさなくては、と、念のために確認画面にいくと、ちゃんと受理されていたので、まったくの詐欺ではなかったようです。時間を置かないと反映されない、みたい。

メールには、あなたのETAはこちらのデータに記録されているから、エアラインやイミグレーションでも大丈夫です。パスポートにビザのラベルは必要ありません、というようなことが、、、多分、書かれているのだろうと思うけど、、、心配だな。

私の周りには、それほど語学力も無く、それほど海外の知識が無くても、パッケージツアー(この言葉も最近使わないみたい、、)じゃなく、自分でエアーもホテルも手配して楽しんでいる人が結構いるみたいだけど、おかあさんにはできません。

昔、ビザの申請書を持って、大阪や神戸の大使館や領事館に行ってた、と言っても、ああ、半世紀も前のことだからね。

写真のクロワッサンは、例によって、おねいちゃんがパン教室で焼いた、高~い、パンです。チョコ入りとチョコ無しを3個ずつ。

今朝、おかあさんはチョコのクロワッサンを食べ、おとうさんとおねいちゃんは普通のクロワッサンを食べました。おねいちゃんはチョコ入りを1個持って帰りました。あと、1個ずつあります。

おねいちゃんは「明日の朝は、おとうさんにチョコをあげてね。」とおかあさんに言いましたが、おかあさんは、うんと返事しませんでした。おかあさんはチョコが好きだからです。

おねいちゃんは、おとうさんが好きなんだね。

 

 

 

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秋立ちぬ

2018年08月08日 15時07分53秒 | ひとりごと

お盆の前のお墓参り、郡山と奈良に行きました。

懐かしの郡山城址はかなり面影が変わっていました。

天守閣跡には、この暑いのに若いアベックさんがべったり、しかも長い間くっついて楽しそうにしていました。 恋人もいそうにないぼくのおねいちゃんがちょっとかわいそうでした。でも、おねいちゃん、ぼくはいつもおねいちゃんといっしょにいるよ。死んだら、どこへだって行けるんだから。

 おかあさんは、自分の高校時代のボーイフレンドを思い出していました。何度かいっしょに来たのか忘れていましたが、夏の暑い盛り、ここに来たことは確かにあります。松本清張の小説を貸してもらったような??胸きゅんのはずなのに、そんなことを思い出していました。青春の城下町です。

 

 それから、奈良のお墓参りを済ませて、奈良公園に。

奈良公園では鹿たちも暑そうでした。そういえば、ぼくは鹿がちょっとこわかったんだな。口の中でうー、って吠えてたけど、人には聞こえないようにしてた。農林センターの牛だって、最初にあったときはびっくりして後ずさりしたもの。

女の子の鹿がちゃんとした角の牡鹿(角の節といいうか、分岐している部分、で年齢が推測できると、今年、北海道の鹿を見て教わったけれどもう忘れています。多分、2,3歳以上だね)の耳や喉の辺りをなめなめしていました。うっとりした目をしていました。普通は牡が牝にするんじゃないかなと、逆のような光景でしばらく見とれていました。

 

 

郡山城址でだったか、奈良公園でだったか、はっきりしませんが、たしかにツクツクボウシが鳴いているのが聞こえてきました。おねいちゃんが最初、聞きつけました。そうやね、ツクツクボウシは夏休みの終わりごろに「シュクダイしたか~、シュクダイしたか~」って鳴くのにね。

夕方、おうちに帰ってくると、やっぱり、どこかでツクツクボウシが鳴いていました。

普通だと、立秋のころが一番暑いはずなんだけど、今年は早くから暑かったから、そろそろ、天の暑さも尽きてきたんだろうか?今朝はクーラーで締め切った部屋の窓を開けると、外のほうが涼しかったもの。

暦を調べると、昨日、8月7日が立秋だったようです。

今朝からボランティアのお仕事をちょっとやって、さてとクーラー無し、扇風機だけでお昼寝しよう、と。

 

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教誨師

2018年07月08日 00時59分39秒 | ひとりごと

堀川惠子著「教誨師」という本を読みました。

初めて知る言葉であり、仕事(ボランティア)でした。

教誨師とはその精神の救済のために死刑囚と対話し、最後は死刑執行の現場にも立ち会う。それを長く勤めた渡邉普相という僧侶のインタビューをまとめたドキュメンタリー。

「この話は、わしが死んでから世に出して下さいの」と言う約束どおり、その僧侶の死後に出版された。

彼はアルコール中毒で入院しながらも刑務所に通って教誨を続けた。

 

「お母さん、お母さん!」声にならない声で届くあてない名を叫び続けている。事態を察した刑務官が互いに目配せし、さっと彼の四方を固め、両脇を抱え、ずるずると処刑部屋へ引きずっていく。もはや順を踏んで行われたお別れの儀式の余韻など無い。こうなると一転、よってたかっての殺人現場と化す。ーーーーーーーーーー死刑囚の身体が視界から消え去る間際、渡邉の頬に大粒の涙が流れた。

死刑執行までの長く孤独な道のりに、ほんの一時でもほっとできる時間、空間を作る大切さ。

許されざる罪を犯し、命で償えと送られてくる死刑囚。彼らの未来はそれ以上でもそれ以下でもない。反省や更正でなく、究極の「罰」を受けること。それが社会が彼らに求めた最後の仕事。そこに宗教者が乗り込んで何かをできるとおもうことのほうが間違っている。死を突きつけられた人間に対して他人がそう簡単に「救い」など与えられるものではない。

ただ相手の話に真摯に耳を傾け「聴く」。少しでも穏やかな時間を作る。偏見を持たずひとりの人間として向き合い、会話を重ね、時を重ね、同じ空間に寄り添う。できることはそれだけ。

犯罪と言うのは、被害者の家庭も崩す、加害者の家庭も崩す、いいことなんか何も無い。本人が執行されても、幸せになった人間は誰一人いません。誰も幸せになってない。だから、そういう犯罪を防ぐ、減らす運動を、本当は考えないといけない。

 

重い重い話でした。でも、知らないといけないと思いました。

まさに、7月6日、7人の死刑執行がありました。

オウムのことは長い時間かかって、結局のところ、真実は暴かれなかったと、徒労に終わったと、被害者側の弁護人が言っていました。

死刑執行よりも、なぜそうなったか、二度と同じことを繰り返さないために究明すべきだったのではないか、と。

死刑執行の現場には上のお役人は来ないそうです。つらいつらい仕事でしょうね、想像するだけでも。

 

 

 

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