ももすけの日記

品良きは背筋伸びたる夏帽子
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

涙がとまらなかった

2005年01月31日 17時46分00秒 | 日記
ぼくのおかあさんはたいてい夜中にお風呂に入ります*(温泉)*
で、ゆ~くりお湯に浸かります。

テレビは時間泥棒のような気がするから(今ではパソのほうが、だけれど)あまり好きじゃないのだけど、この長風呂ではいつもテレビを見ています。

昨夜は広島で被爆した女性が車でアメリカの各地を回って"NO MORE HIROSHIMA"を訴えたアーカイブ版でした。

アメリカは広い国ですから、原爆に対する感覚も地方によってもかなり違うみたいです。

西海岸に近い高校で被爆者が書いた原爆の絵を見せながら、たどたどしい英語で訴えます。
被爆した悲しい経験を話するのはとてもつらいことだけれど、二度と繰り返して欲しくないから、と。

し~んと静まり返って聞く高校生たち。講演が終わって出て行く生徒にひとりひとり、挨拶します。
最初は笑顔で。ひとりの生徒が彼女に話しかけました。お辞儀をする彼女の耳元で。
どんな会話だったか、もう忘れてしまいましたが、講演を聴いて感動のあまり声をかけたのでしょう。

次々と彼女に話しかける生徒が出てきて、感極まる彼女はふかぶかとお辞儀しつつ泣きじゃくっていました。
もう、おかあさんもくしゃくしゃに泣いて涙がとまりませんでした。

その後、どこかの街でラジオかテレビで訴えるのですが、聴取者から電話でひどいことを言われたり、教会での原爆の絵の展示会には人がほとんど来てくれなかったり。。。

ボストンでは核シェルターが出てきます。すごい装置で何重にも扉が続いていました。
毎日、各都市との連絡がとれているか確認もしています。
しかし、130人が1ヶ月過ごすことが出来る食料の備蓄と聞いて、おかあさんは腹が立って仕方がありませんでした。

しっかりテレビを見ているわけではないので、これがいつ頃の放映分だったのかわからないのですが、被爆されていたその女性がその後どうなさっているのかと気になりました。。。

こそぐ

2005年01月30日 14時48分00秒 | 日記
ぼくのおかあさんは結婚するまでお母さんにご飯を食べさせてもらっていたのでお料理というものをしたことありませんでした*(シャイ)*

しょっちゅう電話して、これはどうするの、あれは*(はてな)*ってきいていました。

人参のむき方がわからない、即電話したらお父さんでした。
「人参はこそぐんだ」
ふ~ん、ごぼうといっしょなんや*(!?)*
30年も前もことです。。。

「こそぐ」という言葉はいつも父を思い出させてくれます。

末っ子のおかあさんはいつもお父さんのあぐらの両足の中で”おっちょん”していたようです*(笑顔)*

小学校にあがると鉛筆の削り方、削る木の部分と芯は3対1の配分にすること、学校から帰ったら宿題はすぐにしてしまうこと、など几帳面な部分は父親からもらいました。

自転車の乗り方もお父さんでした*(自転車)*
布団のシーツはしわひとつないような神経質な子供であったことが今ではうそのようです。

人参と牛蒡のきんぴらでもと、思い出したのでした。

イーハトーブ

2005年01月28日 15時13分00秒 | 日記
二度とない人生だから、といってもやはり、ぼくのおかあさんは朝が遅いです。

今朝もいいお天気で厚手のカーテンに外側のレースカーテンの模様がくっきり出ているのに、小鳥が多分メジロなのでしょう、ちゅるちゅるちゅると鳴いているのにベッドから出ることが出来ません。

ピンポーン、誰かが来ました。慌てて飛び起きました*(汗)*

それから、おもむろに洗濯機をまわして。。。

ああ、こんなんじゃいけないと自省しながら、夜遅くまで本を読んでいるのは、でも、イーハトーブのあのすがすがしい空気をすっているようで、それはそれでもいいじゃない、とか。。

それにしても宮沢賢治に関する本って、どうしてこんなに多いのかしらとも思います。

いよいよ確定申告の時期です。
Cafeで遊んでいるとあっという間に何時間もたってしまいます。

しばらくは深刻な申告とイーハトーブを行ったり来りしながら過ごします。
こうでも書いておかないと、ぼくのおかあさんはすぐうろうろしてしまいそうですから。。。*(山)**(三日月)**(キラキラ)**(クローバー)**(雷)**(曇)**(雪)**(結晶)**(青りんご)**(庭)*

チーズフォンデュ

2005年01月27日 14時36分00秒 | 日記
ぼくのおかあさんは好奇心は強いのですが難しいことは苦手です。

調べたりすることも元来は好きだったのですが最近は調べても結局は理解できないことばかりなので、人間にたずねることが一番と思い込んでいます*(コメント)*

夏にスイスのCoopで買ったチーズフォンデユ、冬になってやってみようとしたら書いていることがわかりません。
ドイツにいるおにいちゃんにパッケージを写真で撮ってメールしました。
なかなか返事をくれないので督促すると

*(レター)*書いてあることは簡単なことで、「鍋に内容物を入れて中または強火で3から5分焦げないよう、混ぜながら温めたら、フォンデュは出来上がり。パンの小切れを入れて食べる。白ワイン、黒茶(紅茶みたいなもの)、チェリージュースとの相性がいいです。」ということをドイツ語、フランス語、イタリア語で書いてあります。
あさってから2泊3日でハンガリーのブダペストに旅行に行ってきます。ドナウの真珠と言われる世界遺産の街です*(レター)*

そんなに簡単なことなら(そんなことだろうとは想像はついていたけど)年を越さないで早く返事くれたらいいのにぃ、とぼくも思いました。

おにいちゃんはお正月休みには日本に帰っていたそうなのですが。。

そういえばおかあさんだって第2外国語フランス語だったんだ*(シャイ)*
昔の辞書も大切に本棚にあります。それより、何カ国語かの入った電子辞書だって持ってるのに使ったこと無いんだから*(ニヤ)*

おにいちゃんの会社は三月期決算は倍の下方修正赤字をだしたと新聞に載っていました。
彼は平社員だからブタペストに遊びに行ってもいいのです。

おねいちゃんは風邪で熱があっても咳で苦しくってもお仕事を休めないでがんばっていました。
おねいちゃんは責任者のつもりなのかなぁ*(はてな)*



2005年01月25日 17時40分00秒 | 日記
ぼくのおねいちゃんはこの一週間ほど風邪気味で熱も咳もあるのに、お仕事休まず頑張っていました*(うるうる)*

昨晩、急に背中とおなかが痛いと唸りだし、ぼくはどうしていいかわからず、ただ、おねいちゃんのそばにくっついていました。

土曜日に医院でお薬をもらっていたし、この日の朝も咳がとまらないから、と再診してもらって肺炎の疑いは無いとのことでした。

でも、あまりに痛みがひどいので救急の病院におかあさんと行きました。外は雨。
昨日の日記に自転車はいいな、と書きましたが、こんなときは自動車がいいです*(マル)*

前もって電話をしておいたのでインターフォンをならすと若いお兄さんが玄関のドアを開けに来てくれました。
はて、病院っていつでも玄関が開いていなかったっけ*(はてな)*

誰もいないのに待合は空調がきいていて暖かでした。看護婦(士、って書くのぼくは抵抗があるのです)さんが体温計を持ってきました。

それから、まだしばらくして診察室に呼ばれました。電話をしておいたのに遅い、と思いましたが。

肺の音は大丈夫のようですが、今ごろ来てもレントゲンも撮れないなから時間内に早く来なさい、と橙みたいにでこぼこな顔をした先生がおねいちゃんに言いました。
多分、咳がひどいので背中とおなかの筋肉痛だとおかあさんも思ったのでしたが、やはりそのようで一安心は一安心*(OK)*

でも、おねいちゃんは先生の顔をにらみつけていました。
先生が「どうしたん。何も言わんと」
それでもおねいちゃんは返事もしません。

「痛くなったの、ついさっきなのです。時間内に痛くなったらそのとき来ています。”痛み”に時間外に来ないよう、よう言い聞かせときます」
おかあさんは言ってしまいました*(爆弾)*

そもそも、これが共依存というヤツかもしれませんが。。。

診察の後、看護婦さんがにやにやと何度も目を合わせて笑いました*(ニヤ)*

咳は相変わらずひどいからお休みしたら、と言うおかあさんでしたが、午後からのお仕事に出かけたおねいちゃんです。