ももすけの日記

品良きは背筋伸びたる夏帽子
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

前だけ向いて走る

2015年04月18日 15時38分54秒 | ひとりごと

時折り春風がそよそよ吹いて暖かくてお日様は燦々と天にあり、お布団を干すにはもってこいの日より。

今晩はおとうさん、会議(?)だから晩御飯要らない、と言っていた。いつもたいそうな晩御飯を用意するわけでもないのだけれど、この解放感~~

どこかに出かけようと思えばいつだって出かけられる、なのに、お洗濯をして、冬物のブーツを陰干しにしたり、家の中の鉢植えをデッキに出したりと、なんとなくつまらないことばかり。

そうこうしているうちに、もう、こんな時間・・・もう、どこかに行くには遅すぎる・・・

      

昨日、ちらと読んだ新聞の記事が気になっていました。

東京オリンピックマラソンで3位の円谷幸吉の話だった。円谷と言えば、マラソン3位というより、後に自殺した、というイメージが強い。

 

>戦後まもまく、円谷が通う小学校の運動会。後ろを振り返りながらゴールをした子がいた。

 「みぐさい(見苦しい)こと、すんでねえぞ」父が幼い幸吉を諭した。

 勝っても負けても、前だけを向いて走りなさい、それが円谷家の教えだった。

 

ほんと、かっこいいなぁ、円谷のお父さん、と思いました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89

そして、今、彼の遺書を読んで、川端康成や三島由紀夫のコメントを読んで泣いてしまいました。

走者が後ろを見てラストスパートをかけるのは陸上競技だけでなく、他のスポーツでもその駆け引きは常識なのかもしれない。

でも、ぼくは内心、ずっと思っていた。あれはかっこう悪い、そう、みぐさい、と。

 

もうひとつ、新聞の記事で共感。

朝日新聞編集委員の稲垣えみ子さんの『ザ・コラム』

原発事故の後、節電のために様々な家電製品を手放し、ついに冷蔵庫の電源を抜いた、お話!

 

>冷蔵庫とは時を止める装置であった。----「いつか」の箱といってもいい。今は使わないが、いつか使う(かも)。----

  見渡せば、私の周囲は「いつか」の夢でいっぱいだ。いつか着る服。いつか読む本。いつか行きたい場所。いつかに思いを巡らせ、思いにまかせぬ今を慰めてきた。----だが、いつかっていつだ?人生はしょせん、今日の積み重ねである。きょう必要なものだけを買う暮らしは、じつのところかなりつまらない。夢も希望もなかりけり。しかし、生きるとは、しょせんこの程度のことなのだ。---- 人はたえず過去を後悔し、未来に心を悩ませる。だが、過去も未来もしょせんコントロールできないものだ。----今を真剣に生きよ。

 

 

まん丸のお顔にお月さまのような眉と目と口、帽子のようなパンチパーマのでっかい頭。いっぺんに、この編集委員、稲垣さんのファンになってしまいました。(顔が見える、ってとても親近感がわいていいです)


春の雨

2015年04月01日 16時40分11秒 | ひとりごと

音もなく春の雨が降っています。

書こう、書こうと思いつつ、お友だちのところもなかなか訪問できないでいるのに、と後ろめたく、でも、今日は4月1日、新しい始まりですから、少し書いてみたく、パソコンをあけてみました。

朝日新聞では今日から夏目漱石の「それから」と沢木耕太郎「春に散る」という小説の連載がはじまりました。

夏目漱石ファンを自認していたのに、これまで再掲載されていた「こころ」も「三四郎」も内容をほとんど記憶していなかったという事実に愕然として、今日また「それから」の主人公が代助であったことも記憶になく、ほとほと情けないと落ち込んでいます。

まあ、でも、こんなものでしょう、わたし、って、と自らなぐさめというか、あきらめというか、「人間は健康のために生きているのではない」という言葉を思い起こして気を取り直し、生きていくことにいたします。

そして、その気を取り直すのがうぬぼれにつながるのだと、あらためて感じたことがあります。

朗読ボランティアをやめても、やはりいつかまた、何かのお役に立ちたいと朝日新聞の「天声人語」は声を出して読む習慣にしています。もっとも、正確なアクセントを調べたり、とかはしていませんが。

今日は漱石と沢木耕太郎を読んでみました。うん、なかなかいい、これなら、もし目の不自由なかたから依頼があっても初見で読めるかも、なんて。

でも、おそらくはそうでないと、自覚しなければならない事実がついこの前のことでした。                                         

          

1年半ほど前から始めた英会話スクールでの先生が開催する、春休みの「東日本大震災へのチャリティ英語会」(今年で4回目)のプレゼンターをすることになり、こんな機会はもう2度とないだろうから、と引き受けたのでした。

”新たなチャレンジで輝いている中高年の皆さんによる簡単な英語のプレゼン”

テーマはクィーンエリザベス号航海記、このブログに掲載したものをかいつまみ英訳し(なにしろ50年ぶりの英作文、この作業が大変でなかなか出来上がらず)出来上がりを先生に校正してもらいましたが、なんだか意味が違うようになった気がしたり、どの写真をどこに挿入するか、とかで、スピーチの練習はかなり差し迫ってからはじめたのでした。

何度か声を出して読んでいるうちに、なんとなく上手になったような気がして、どんなかなぁ、と録音してみたのです。

うー、(~_~;)このままではひとさまの前でさらすわけにはいかない、と思うくらいのひどいものでした。

いつも間際にならないとできない性格、でも、いつもなんとかなってる、と思うイヤなうぬぼれ性格、直りません。

どんな姿勢でどんな調子だったか客観的に、とiPadもICレコーダーも用意していたのに、なんだか誰にも頼めずじまいにプレゼンがはじまり、終わってしまったのでした。。

”本当に”輝いていたであろう高校生の時の英語弁論大会での1位の賞状を断捨離で捨ててしまったのをいまさら悔んでいます。(でも、悔んではいますが、押し入れにしまったままの賞状なんか、あっても無くっても同じことなのだとも思っています。)

 

 ともあれ、かけがえのない経験をさせてもらえたわけですから感謝しなくては。

少々落ち込んでいますが、また”輝ける”中高年に復活しなくてはなりません。