高山清洲・世界平和 人類みんな兄弟

世界平和に導く為の語録

日本国はなぜここまで変貌してしまったのか? 

2024-08-04 00:05:00 | 日本終焉

日本国はなぜここまで変貌してしまったのか? 

国家の根幹が完全に壊れた。

日本がここまで変化した背後には複雑な要因が絡んでいますが、いくつかの理由が挙げられています。

以下にいくつかの視点を共有します。

  1. グローバル競争と工業化の影響:韓国、台湾、そして中国が工業化し、安い労働力を使って安価な工業製品を生産できるようになったことが、日本の製造業の成長を抑え、経済停滞とデフレをもたらしたと言われています

  2. 人的資源の劣化:平成時代に起こった日本の凋落は、「教育の敗戦」の結果だったとも言われています。

  3. 変革への対応が得意だった日本人が、この30年、負け続けた理由は、人々が短期的な自己利益に走り、長期的な共同体の利益を考える習慣を失ったことが挙げられます2

  4. 政治・経済の問題:政治家や経済界の一部が法律のグレーゾーンを利用して汚いことを続けているという指摘もあります。

  5. 特に維新の会などが典型的な例です。兵庫県知事の「おねだり野郎」に関する問題も社会の不信感を高めています

これらの要因が絡み合い、日本の現状に影響を与えていると言えるでしょう。

日本社会はなぜ劣化したのか? 政治や事件の根底に流れる史実

 

「戦後史の知識と理解が、現在の情況や、日々起きてくる事件・事象を考察し、分析する能力の前提になる」、つまりは「戦後史をがわからなければ、いま起きていることの本当の意味がわからない」という福井さんの熱い思いで貫かれた1冊です。

冒頭に安倍首相の現代史に対する無知・誤認への指摘があります。「政治家としての資質が問われる」ようなポツダム宣言の認識、満州国に対する誤認など戦後史に対する無知には福井さんならずとも驚かされますが、福井さんが言うようにそれらの発言は「ジャーナリズムで大きく取り上げられることもなく、そのまま見過ごされて」きました。

現代史・戦後史の上に私たちの未来がある以上、それらの誤認は正さなければならないと思います。歴史の無知の上に未来を築いてはならないからです。

この戦後史に福井さんは「虫の目」と「鳥の目」を交互に使って迫っていきます。「生きる人を自分の等身大として、息づかいや肌合いまでをもとらえようと」する〝虫の目〟と全体を俯瞰する〝鳥の目〟、その2つの視点から歴史を捉えた試みがこの本です。

敗戦後「日本の「非軍事化・民主化」を具体化する五大改革指令」をGHQは出します。ちなみに五大改革とは以下のものです。
(1)婦人の解放……婦人参政権など
(2)労働組合の奨励……労働三法など
(3)教育の自由主義化……教育基本法・学校教育法・教育委員会法など
(4)圧政的諸制度の撤廃……治安警察法・治安維持法などの廃止
(5)経済の民主化……財閥解体・農地改革など

こうして出発点を押さえてみると、その後日本がどのような変貌を遂げていったのかよく理解できると思います。

そして、その目的はどこまで達せられたのか、この改革によって日本人の意識がどのように変わったのか、どのように民衆の生活に影響したのかを生き生きと描き出していきます。

政治・経済の事件だけを追うものではありません。敗戦後のいわゆる焼け跡・闇市、それらが生んだ文化や風俗について詳細に語られています。

太宰治、坂口安吾ら、無頼派と呼ばれる作家が大活躍しましたが、それもまた戦後の解放が生んだものだったのがよくわかります。

彼らだけではありません。同時代の出来事として丸山真男、大塚久雄という学者の登場もまた、その解放が生んだものでした。

このような叙述に「虫の目」と「鳥の目」をつかいながら歴史を重層的なものとして描き出そうという福井さんの強い意志が感じられます。

そして日本国憲法の制定。この憲法に示された立憲主義は今ますます重要になってきているように思います。ちなみに立憲主義とは「憲法によって国家権力を制約することにより、個人の人権を守ることです。国家権力の肥大化を抑えるのが、近代民主主義」というものです。

日本国憲法の成立は1つの成果ではあるもののそれで民主主義が完成したわけではありません。憲法のもとでそれまでの民法、刑法の改正がどのように行われたのか、またどこでその改正がせばめられたのかまで詳述されています。

そして大きく歴史が動きます。冷戦下でのいわゆる〝逆コース〟の始まりです。この本の後半はこの逆コース後の日本の動きを追っていきます。

55年体制、高度成長、安保闘争、学園紛争、オイルショック、狂乱物価、バブルとその崩壊、そして冷戦の終焉と国際紛争・テロの時代へと日本は歩んでいます。的確に記述された現代という姿を一望にできます。

最後に福井さんはこう記しています。
「「戦後七〇年」、大きな転換期で筆をおきます。来年のいまごろ、日本がどうなっているのか僕にはわかりません。多分、誰もわからない、わかっているようなことをいう者は詐欺師かもしれません。そのような「歴史的現在」にいるのです」

誠実に語り続けた後の言葉としてとても重く感じられます。

ところで、読み進めるとこんな一節に出会いました。1966年中央教育審議会が佐藤栄作内閣に出した答申「期待される人間像」にふれた部分です。

「日本社会の大きな欠陥は、社会的規範力の弱さにあり、社会秩序が無視されることにある」、また「日本人は社会的正義に対して比較的鈍感である」と断定している答申に対してこう福井さんはこう反論しています。

「一種の愚民観とも取れますね。そんなどうしようもない日本社会や日本人だから、「国家を正しく愛することが国家に対する忠誠であると」(略)そんな「日本人」を「期待」したようです」。


教育とはそのようなものではありません。「教育は、教育を受ける者のためにおこなわれるもので、教育を受ける者のよりよき自己実現の手伝いをするだけです。(略)教育は、国家が「こういう人間をつくる」ための手段ではありません」。

近頃このような〝期待される人間像〟というものがゾンビのように復活してきているように思えます。

掛け声勇ましい〝一億総活躍社会〟もなにやらかつての〝一億一心〟を思わせたりもします。

〝一億一心〟がその国民運動に疑義を呈した人たちを排除したように〝一億総活躍社会〟も国が認める〝活躍〟ができない人を排除することがないとはいえません。

弱者の居場所がないとまでいわれる今の日本に、どうしてこうなってしまったのか、出発点はどうだったのかを知るときにはうってつけの1冊です。読みやすく、その時代の空気がヒシヒシと感じられる見事な戦後史です。

法律では禁止されていない」と言いながら、グレーゾーンを利用して汚いことを続ける連中が、社会の第一線でやりたい放題やっている。

典型的なのは維新の会だ。ついには愛知県で裁判所によるガサ入れが発生。

兵庫県知事の座にしがみつくパワハラの「おねだり野郎」に関しては、兵庫県警も動き出した。新刊『自民党の大罪』(祥伝社新書)で「日本の悪の構造」に言及した作家・適菜収氏の「だから何度も言ったのに」第68回。


兵庫県知事・斎藤元彦

「日本ってこんな国だったっけ?」

 最近、かなり疲れてきた。毎日、暑いし。

かといって絶望するわけでもない。

今さら絶望するほど、おぼこでもない。

日本が完全に狂い始めたのは、正常な人間なら誰もが気づいているが、小手先の対応でなんとかなるようなものでもない。

  

 ぬるい浴槽のある銭湯によく行くが、変な客もいて「日本ってこんな国だったっけ?」と思うことが多い。

浴槽で顔や頭を洗ったり、タオルを入れたり、ひどいのになると濡れたタオルを絞ったりする。

子供が浴槽で泳いだり、潜ったりしているのに、目の前にいる親は注意をしないどころか一緒になって遊んでいる。

脱衣所どころか浴槽でスマホを使っている奴もいた。老人のマナーもひどい。

あまりにもひどい奴には注意したこともあるが、そいつが仮に反省しても、次から次へと変な客が湧いてくるし、逆切れされるケースもあるので面倒臭い。

かといって、見て見ないフリをするのも精神的に疲れる。

 脱衣所に店員の若者がいたので、「顔や髪の毛を浴槽につけるな、タオルを浴槽に入れるな、浴槽で泳ぐなという注意書きの張り紙をしたほうがいいんじゃないかな」と言うと、その後、新しい張り紙があった。

その店員の対応は素晴らしいが、問題はその後である。

たしかに浴槽で泳ぐ子供は減った気がする。

気になったのは、父親が子供に「ここで泳いではだめだよ。あそこの張り紙に書いてあるだろ」と注意していたこと。

   

 モラル、公共、マナーの問題ではなく、「張り紙に書いてあるから」という理由で禁止するのは、逆に言えば、「張り紙に書いてないことはやってもいい」という発想につながる。

既視感があったが、「法律で禁止されているわけではない」と言いながら、グレーゾーンを利用して汚いことを続ける連中だ。こうした連中の台頭も、国の衰退と密接な関係がある。

    

 4月30日、日本維新の会の愛知県総支部がおかれるビルに、裁判所の「ガサ」が入った。ガサ入れを行うのは基本的に警察や検察であり、裁判所によるガサ入れは異例だという(「現代ビジネス」)。

これは衆議院議員の岬麻紀のパワハラ問題を巡って、元維新の市議が、愛知維新の会代表の浦野靖人を訴えた件に関連するもの。

岬といえば、選挙公報に虚偽の経歴を記載したいわくつきの人物だが、市議のもとには、岬の秘書、運転手らから「パワハラ」「公私混同」「机をたたき相手を追い込む」といった苦情が寄せられたという。

この市議も岬から土下座を強要されたという。

 

 都合の悪い指摘をされると、気が狂ったかのように怒鳴りだし、机をバンバン叩くような奴はたまにいる。昔知り合いにそういう人がいたが(某大学院教授)、あまりにもアホなので縁を切った。

  

 維新のパワハラと言えば、「おねだり」で話題になった兵庫県知事の斎藤元彦だ。

吉村洋文の元部下で、選挙では維新が推薦した。

 おねだりというより「たかり」。コーヒーメーカー、トースター、ロードバイク、ゴルフのクラブ、スポーツウェア、ワインなどを受け取ったとされるが、他にも多数の疑惑が噴出。側近の県幹部職員4人が選挙期間前から事前運動を行い論功行賞で昇任したとか、プロ野球の阪神とオリックスの優勝を祝し計画したパレードに関し、信用金庫の補助金を増額し、キックバックで寄付させた疑惑、政治資金パーティーの券を、県補助金の減額をちらつかせて関係団体を脅して買わせた疑惑……。

典型的な維新しぐさ。

小沢一郎

■小沢一郎の「大罪」

 自民党の堀井学が選挙区内の有権者に秘書らを通じて香典を配った件。

堀井は所属していた安倍派から5年間で計2196万円の還流を受けたが、政治資金収支報告書に収入として記載していなかった。

 その裏金が香典の原資になっていた可能性があり、悪質性が高いと東京地検特捜部は判断し捜査を開始したという。

 なんだかよくわからない。裏金の還流自体が犯罪であり、悪質なのだから。

トカゲの尻尾切りというやつですかね。

    

小沢一郎『日本改造計画』 今こそ読みたい日本改革構想 牧原出/東京大学先端科学技術研究センター教授》(「日経BOOKプラス」)というネット記事を読んだ。

リードによると、「日本の政治に絶望している人に読んでほしい本」とのこと。

勘弁してほしい。政治に対する絶望を生み出したが小沢ではないか。

 

 冷戦という国際環境の下で作られた戦後日本をどう変えていくべきか。

小沢は冷戦終結を明治維新、第2次世界大戦に続く変革期と捉え、日本を「普通の国」にするための「第3の改革」を訴えました

 米国人は自分で自分の身を守ろうとするのに対し、日本人は自分の身さえ国や規制によって守ってもらおうとする。

だから、小沢は日本人には「自己責任」、地方には「自立」、政治では同調圧力に負けない「強いリーダーシップ」が大事だと説き、大久保利通、伊藤博文、原敬、吉田茂といったリーダーの名前を挙げます。

 政治家として日本の将来をしっかりと見据えよう、新しい日本の政治ビジョンをきちんと作り上げようという気迫が伝わります。
 
その背後には、冷戦終結後、世界中で起きた改革の波がありました。
 
単に社会主義国が崩壊しただけでなく、諸外国でも、例えば司法権の強化、憲法における人権擁護の強化、地方分権化、さまざまな民主化や透明化の動きがありました。

 小沢の「新しい日本の政治ビジョン」とやらは何を生み出したのか。「司法権の強化」「憲法における人権擁護の強化」「透明化」が進行したのか。

まったくの逆である。

 そこでは『日本改造計画』が日本凋落の大元にあることも説明した。

新自由主義的な経済改革、首相官邸機能の強化、軍事も含めた積極的な国際貢献、政権交代のある二大政党制を可能とする政治改革(小選挙区制の導入)……。

小沢はこれらを「民主主義的革命」と呼んだ。

熟議や合意形成を重視した保守政治をぶち壊し、権力を集中させ、一気に日本を「改造」しようとしたわけだ。

この流れは、小泉純一郎政権、民主党政権、安倍晋三政権を経て、日本を終焉に追い込んだ。

 

 
 

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