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ドーピング: 女性→男性の例も

2009年11月04日 09時46分33秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「砲丸女王は男になった 16歳から知らずに筋肉増強剤」という記事がありました。

20年前に砲丸投げで優勝した女性選手(旧東ドイツ)は、現在は男性として生活しているのだそうです。

ハイディ・クリーガーさんは、東ドイツのベルリンで生まれました。

スポーツができる女の子で、スポーツエリート養成校の「SCディエモ・ベルリン」に14歳で入ります。

旧東ドイツは、1970年代から1980年代にかけ、オリンピックでメダルを大量に獲得し、世界新記録を次々に出しました。

「国家計画14.25」と名づけられたドーピングの結果です。

クリーガーさんも、スポーツエリート養成校に入ったときから、薬を毎日飲むようになりました。

最初は単なるビタミン剤でしたが、16歳になったら銀紙に包まれた錠剤になりました。

通称「ブルーピル」と呼ばれる「経口トリナボール」(男性ホルモン系の筋肉増強剤)です。

クリーガーさんは、
「なぜおかしいと思わなかったのか、とよく言われます。でも、信頼しているコーチから成績向上に役立つと言われ、疑いませんでした」

錠剤の量は加速度的に増え、19歳で年間2590ミリグラムを飲んでいました。
ベン・ジョンソン選手が金メダルをドーピングで剥奪されたときの量より、1000ミリグラム以上多い量です。

21歳で欧州選手権の女子砲丸投げで優勝します。

その後は、腱や脊椎の故障が続きます。
原因は、過度の練習でした。

「普通なら体が警告を出すのですが、薬のせいで、疲労を超えて、いくらでも練習できるから」

筋力トレーニングで、多いときには2週間で合計100トンを持ちあげました。

1989年にベルリンの壁か崩壊し、1990年に統一ドイツが誕生します。

旧ドイツの組織的ドーピングの暴露本が出版され、クリーガーさんは1991年に引退していましたが、その本の中に自分の名前があると知らされ、初めて真実を知ります。

それから5年間はうつ病に悩み、風呂で手首を切ろうとしたこともありました。

女性に惹かれるようになり、自分の女性の体を受け入れられなくなりました。

1997年に性転換手術を受け、男性になります。
大学の専門家に聞くと、「10代のステロイド過剰摂取で、心のありかたが男性に傾くことは十分にあり得る」と言われました。

1998年、旧東ドイツの組織的ドーピングの中心的人物、マンフレート・エバルト(旧東ドイツのオリンピック委員会会長)等2人の裁判で、クリーガーさんは証言に立ちました。

公判中、同じように証言に立った元競泳選手のウテ・クラウゼさんに出会い、お互いに一目ぼれで、2002年に結婚しました。

クラウゼさんは、14歳から「経口トリナボール」を与えられていましたが、早い時期に選手を辞め、看護師になっていました。

勤務した病院で、薬がステロイド(男性ホルモン)だったことを知ります。

クリーガーさんは、現在では、名前もアンドレア・クリーガーに変え、各国の軍服や装備の中古品をマニア向けに売るミリタリーショップを経営しています。

男性ホルモンを自分の体では生産できないので、3週間に1度の注射が必要ということです。
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壮絶な人生です。

実名を出し、伴侶も見つけて生活していらっしゃるのは、強い方だと思いました。


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