ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
現在、 フジロック ブログ と化しています。

20年前のフジロック

2018-07-18 18:54:19 | フジロック
今年のフジロックは、苗場開催20年。ほぼ毎年行っていますが、もう20年も経つとは、なかなか感慨深いものがあります。

私は、フジロック伝説の初開催、嵐の天神山には行ってません。正直、あの時のフジロックにはほとんど魅力を感じませんでした。メンツにもそそられませんでしたし、何よりも、わざわざ山の中で2日間というのが意味分かりませんでした。

そして豊洲での2回目。この時は大好きなビョークをはじめ、プライマル・スクリーム、ソニック・ユースなどメンツも好みで、しかも東京開催だったこともあり、迷わず飛びつきました。そしてフェスの虜になりました。

当時、日本で洋楽のロックフェスが開催されること自体が稀であり、しかも複数ステージで別内容の2日間開催というのは、日本ではフジロックが初だったのではないでしょうか。私にとってももちろん初体験。2ステージ同時進行にも驚きましたが、その初日が終わり、会場からの帰り道、その日の感動の余韻に浸かりながら「また明日もあるんだ!」という希望に胸を膨らませながら駅へと向う、その何とも言えない幸福感は、今もしっかりと心に刻まれています。

そしてその翌1999年、いよいよフジロックが苗場に降り立ちます。私がそれを初めて知ったのは、音楽雑誌か何かのニュース欄でした。まだアーティスト名も何も無い、ただ開催を告げるだけの記事でしたが、それを読み、慌てて苗場プリンスへ予約の電話を入れたものの、あっさり断られたのが私にとって、フジロック苗場初年度の始まりでした。

でもその後、オフィシャルツアーで苗場プリンスは無事取れましたけどね。あの当時は今ほど何でもネットで出来る時代ではなく、オフィシャルツアーの予約も、郵送による先着順という、今思えばなんとも牧歌的な方法でした。私は予約開始と同時に申し込みを郵送しましたが、予約が出来たのかどうか、しばらく返信がこないので、心配すぎて電話で予約の確認を入れたんです。すると「いつ郵送されましたか?」「開始初日に郵送しました」「それなら取れてますよ!」という、これまた牧歌的な受け答えで…。ちゃんと取れてるかどうか名前で確認して欲しかったんですけどね…。ま、取れてたから良いんですけど。

準備も万全に整えました。上下ゴアテックスのレインウェアなんて生まれて初めて買いましたし。3日間の山歩きを考え、防水のごっついトレッキングシューズを選んだり、謎の膝サポーターを買ってみたり。まさかロックフェスに行くために登山用品店へ買い物に行くとは思いもしませんでした。今では当たり前のことですけどね。それでもキャンプをする訳ではなかったので、そこは楽でしたけどね〜。



そしていよいよ開催日。新幹線に乗って、越後湯沢駅に降りたとき、なんだか空の色も空気も何もかもが違って感じましたね。さらにシャトルバスにのって苗場に着いたとき、いよいよ始まるんだ!っていうワクワク感。そしてなんかよく分かりませんが、真っ先にプリンスホテルのトイレに向かったのを覚えています…。

プリンスホテルと言えばその時、ゲームコーナーで遊びたそうにしているフィッシュのトレイ・アナスタシオを見かけました。普通に出演アーティストが居るのがなんか衝撃的で。凄いなフジロックって!と驚いたのを覚えています。ただ、私もトレイ・アナスタシオを生で見るのはその時が初めてだったので、本当にトレイ・アナスタシオだったのか?と問われると、確信は持てないんですけどね。でも98%以上の確率でトレイ・アナスタシオだったと思っております。最近のプリンス・ホテルはどんな感じが知りませんが、あの当時はアーティストが普通にホテル周辺をうろちょろしていましたからね〜。




さて、いよいよ会場へと向かう訳ですが、この当時はまだ入場ゲートでチケットをリストバンドに変えていたので、入場まで結構長い列に並びました。この並んでいるときに印象的な出来事があって。私の前には3人組の若い男子が並んでいたのですが、それはもう高いテンションでした。多分、これを観よう、あれを観よう、これヤバイよね? 的な話で盛り上がっていたんだと思います。ですが突然その一人が「チケットが無い!」的なことを言い始めて、どうやら一人が3人分のチケットを纏めて持っていたようで、「多分あのバスの中だ!」「バス会社に連絡してみる」的な展開になり、残りの2人も彼を責める訳にもいかず、ただうなだれながら列を離れて行きました。私もどうすることも出来ず、ただただ、頑張れ!無事に会場に入れますようにと、祈るばかりでした。あの後、あの3人はどうなったのでしょう?20年経った今でも気になっています…。

でも私、事情を話せば何とかなるよ、って本気で思ってました。あの頃のフジロックって、そんな楽観的と言うか、ピースフルな雰囲気ってありましたよね。そんなことないですか? チケット見つかったかな? 3日間、ちゃんと楽しんでたらいいな〜。



さて、気を取り戻しつつ、私もいよいよ苗場のフジロックへと足を踏み入れます。初めてグリーンステージが見えてきたときの何ともいえない高揚感。緑に囲まれた周囲が都会とは違う輝きを放っている。そして一発目のロケット・フロム・ザ・クリプトが始まった瞬間の、腹に響く音圧。それを浴びる開放感。これが山で聴くロックか!!初年度の開催ニュースを見て、わざわざ山中でやる意味が分からない、などと思った自分を棚に上げ、とにかく山で体験するロックフェスに全身が震えましたね!


震えると言えば、こんな最高なフジロックの是非が、実は私たち観客の行動如何にかかっているという現実にも。初回の天神山のこともあり、ここで失敗したら次回は無い、みたいなシビアな共有認識と言うか、そうしないための一体感みたいなのがありましたよね。ここで言う失敗とは、ひとえに近隣からノーを突きつけられること。つまり私達のマナーの問題。ゴミをポイ捨てしないとか、会場外で騒がないとか、勝手に他人の敷地内に入らないとか。ごく当たり前のこと。でもロックフェスに来る連中は、そんな当たり前のことすら守れない”ならず者”、それが一般的なイメージだったんです。実際、苗場の近隣もそれを心配していたらしい。なのでそれではいけない!フジロックに来る人たちは違う! そんな気概を持ってみんな参加していましたよね。だってもし苗場から「もう来ないでくれ」と言われたら、行き場を失ってしまうのですから。死活問題だったんです。


とは言えね、マナーのことばっかり考えていた訳でもありませんけどね。それを気持ちの片隅に置きつつ、初めての苗場フジロックを満喫しましたよ。山の中のステージ間をタイムテーブル片手に移動するのも、そのステージ間が遠いいのも、全てが新鮮で楽しかった!そして今は何処もかしこもフェス的な装飾で満たされていて、それも素敵なんですけど、初期の頃はもっと簡素でしたしね。最終地点のフィールド・オブ・ヘヴンなんて、今と比べたら何も無いような場所でしたよ。ただただ静かな森の中。最奥地だけにどこか神聖な空気すら漂っている雰囲気。2、3のティピが立ってたかな?あと美味しいコーヒーを出してくれるカフェがありました。私がそのカフェでコーヒーを飲んでいると、突然「ここ座っても良いですか〜?」とやたら気さくな感じに話しかけてくる人がいらして、見てみたら、ブライアン・バートンルイスさんでした。

驚いた〜。ほんの少し前にリーバイス・ニュー・ステージでブライアンのライヴを観たばかりだったので。初年度はまだルーキー・ア・ゴーゴーが無くて、ルーキー・ステージは、今でいうオアシスのエリアにあたんです。その名もリーバイス・ニュー・ステージ。私の記憶も定かではないのですが、オアシスの辺りのレイアウトって今と大分違ってましたよね。レッド・マーキーの前身たるヴァージン・テントが現在のフードエリアの場所にあって、フードエリアがレッド・マーキーの場所にありませんでした?そしてそのドン突きがリーバイス・ニュー・ステージ。違いましたっけ?ま、それはそうと、とにかく私はそのリーバイス・ニュー・ステージで、当時、ブライアンが浅野忠信さんとやっていたバンド、SAFARIのライヴを観たのです。ちなみに出演者としてエントリーはされてませんでした。

そして、ヘヴンでブライアンと相席です。私は人見知りだし、引っ込み思案ですが、やはりフジロックですよね、気がついたら「さっきライヴ観ましたよ!」とか話しかけてて。そしてらブライアンも「マジで!あそこに居たの!?」みたいな感じで凄く驚いて嬉しそうでした。その後しばらく歓談しました。いつもスペシャの「メガロマニアックス」で見ていたブライアンと共に、人もまばらな、だだっ広い天国の風景、印象的なひと時でした。

このフィールド・オブ・ヘヴンって、フィッシュが3日間演るために作られたステージと言われていますが、私の苗場初年度で、唯一後悔があるとすれば、ヘヴンでフィッシュを見ていないことなんです。ちらっと覗きには行きました。でもちゃんと見ていないんです。昼にグリーンステージで演ったのは見ました。それは最高でした。夜はもっと凄いだろうと思いました。でも私は、とにかく沢山のアーティストが見たかった。フィッシュはグリーンで観れたから充分。夜はアンダーワールドやケミカル・ブラザーズ、ブラー、ハッピー・マンデーズの方が観たかったのです。何せ旬のアーティストからレジェンドまで、次から次へと出てくる凄いメンツでしたからね。もちろんどのアクトも最高だったので、結局のところ、その後現在まで続く被り問題なんですけどね…。

それにしても、この99年にフィッシュを日本に呼んで、3日間連続でと言うのはなかなか凄いことだったと思いますよ。何せ、一般的にはフィッシュという名はもちろん、そもそもジャム・バンドって何?っていう時代でしたから。ボナルーの初開催が2002年ですからね。その一方で、ロックフェスでありながら、アンダーワールドやケミカルブラザーズという打ち込み系のダンスアクトが主役に躍り出たり、アフロビートの遺伝子フェミ・クティ、ダブの王様リー・ペリーなどなど、個人的にも未知との遭遇が多すぎて目眩がするほどでした。もちろん、ブラー、リンプ・ビスキット、スカンク・アナンシー、ハイ・スタンダード、オーシャン・カラー・シーン、レイ・デイヴィス、ブラック・クロウズ、ジョー・ストラマー、そんな新旧ロックの入り乱れにもただただクラクラするばかり。最後はZZトップですからね!! いやはや、どんなに音楽雑誌を読み漁ってみても、CDを買い集めてもみても、それでは得られない量の圧倒的な音楽体験。今のように何でもネットで聴ける時代ではありません。YouTubeが出来る数年前の話。フジロックこそ新しい音楽との出会いそのものでした。しかも苗場という山の中で3日間。

まったく、夢のような音楽トリップでした。

それが20年も続いているのですから、本当にありがたいことです。感謝の言葉しかありません。もし、苗場のフジロックが無かったら?とか考えると、本当に恐ろしい…。


ちなみに、私にとって、苗場初年度のベストアクトは初日ホワイトのアンダーワールド。次点はケミカル・ブラザーズ、ブラー、ブラック・クロウズ辺り。ブレイクビート・エラ、カタトニア、フェミ・クティも印象的。もちろんフィッシュも良かったです!


コメントを投稿