THE JAMES COTTON BAND / 100% COTTON
3月16日、シカゴ・ブルースの全盛期を知る数少ないレジェンド中のレジェンド、ブルース・ハーピストのジェイムズ・コットンが旅立たれました。81歳。肺炎のため入院中の病院で亡くなられたそうです。
1935年、ミシシッピ州はチュニカに生まれたジェイムズ・コットン。1956年頃にリトル・ウォルターの後釜としてマディ・ウォーターズのバンドに加入し、シカゴ・ブルースの黄金期に活躍しました。マディの有名なライヴ盤「MUDDY WATERS AT NEWPORT 1960」でハープを吹いてるのがコットンです。一時不遇を囲っていたマディが、70年代にジョニー・ウィンターの助力で復活する際にも召集されてますから、マディの信頼も相当熱かったのでしょうね。
そしてジェイムズ・コットンと言えば、「100% COTTON」でしょう!1967年にヴァンガードよりアルバム・デビューして依頼、ヴァーヴやアリゲーターなどに幾枚もの名盤を残しているジェイムズ・コットンですが、74年にブッダよりリリースしたこの作品こそ、ファンク・ブルースの金字塔と賞される傑作中の傑作なのです。
もちろん、これより前にもブルースにファンクのリズムを持ち込んだ作品はあります。ローウェル・フルスンとか、ジュニア・ウェルズとか。ですがしばしばこの「100% COTTON」こそファンク・ブルースの元祖であるように語られるのは、リズムがどうのというより、ファンクのエネルギーをブルースに閉じ込めたような作品だからだと思います。ジェイムズ・コットンの躍動しまくるハープを中心に、瑞々しいバンドの演奏もめちゃくちゃ格好良い!!もちろん、マット・マーフィーのギターも!! そしてこの後、ニューオーリンズへ向かい、アラン・トゥーサンやジェイムス・ブッカーとコラボするんですから。やはり、ファンク・ブルースと言えば、ジェイムス・コットンなのです。
さて、私が始めてジェイムズ・コットンのライヴを観たのは1991年のブルースカーニバルでした。その前年に、ジョン・メイオールが観たくて初めて足を運んだブルカニで、メインのバディ・ガイに衝撃を受け、黒人ブルースに目覚めたばかりの私にとって、ジェイムズ・コットンは、まさに2ndインパクトでした。うねりまくるハープの野太い音色に、ブルースハープって凄いな!黒人って凄いな!本物のブルースって最高だな!と大興奮したのを今でも覚えています。最後はアルバート・コリンズとのセッションもあったりで、良い時代でした。
ブルカニと言えば、96年にもジェイムズ・コットンは出演していますが、前日の横浜公演でジョニー・"ギター"・ワトソンが倒れ、亡くなってしまったんですよね。それでたしかジェイムズ・コットンが、土曜、日曜の両日出演して、ジョニーの分まで頑張って会場を沸かしてくれたように記憶しています。
ですがこの頃、ジェイムズ・コットンは喉頭がんに冒されていて、喉の手術もしていたんですよね。その翌97年に来日した際には、ヴォーカリストを従え、自身はハープに専念せるを得ないステージだったそうです。とは言え、本業がハーピストですから、その衰え知らずなブロウで、観客達を熱狂させたそうですから、さすがはジェイムズ・コットンです!
その後も度々来日しています。生で歌が聴けなくなったのは残念ではあるものの、それでも、ステージに上がり、ハープを吹き続けるジェイムズ・コットンの姿に、沢山のブルースファンが勇気づけられたことでしょう。
ジェイムズ・コットンさん、ありがとう。そして安らかに。
3月16日、シカゴ・ブルースの全盛期を知る数少ないレジェンド中のレジェンド、ブルース・ハーピストのジェイムズ・コットンが旅立たれました。81歳。肺炎のため入院中の病院で亡くなられたそうです。
1935年、ミシシッピ州はチュニカに生まれたジェイムズ・コットン。1956年頃にリトル・ウォルターの後釜としてマディ・ウォーターズのバンドに加入し、シカゴ・ブルースの黄金期に活躍しました。マディの有名なライヴ盤「MUDDY WATERS AT NEWPORT 1960」でハープを吹いてるのがコットンです。一時不遇を囲っていたマディが、70年代にジョニー・ウィンターの助力で復活する際にも召集されてますから、マディの信頼も相当熱かったのでしょうね。
そしてジェイムズ・コットンと言えば、「100% COTTON」でしょう!1967年にヴァンガードよりアルバム・デビューして依頼、ヴァーヴやアリゲーターなどに幾枚もの名盤を残しているジェイムズ・コットンですが、74年にブッダよりリリースしたこの作品こそ、ファンク・ブルースの金字塔と賞される傑作中の傑作なのです。
もちろん、これより前にもブルースにファンクのリズムを持ち込んだ作品はあります。ローウェル・フルスンとか、ジュニア・ウェルズとか。ですがしばしばこの「100% COTTON」こそファンク・ブルースの元祖であるように語られるのは、リズムがどうのというより、ファンクのエネルギーをブルースに閉じ込めたような作品だからだと思います。ジェイムズ・コットンの躍動しまくるハープを中心に、瑞々しいバンドの演奏もめちゃくちゃ格好良い!!もちろん、マット・マーフィーのギターも!! そしてこの後、ニューオーリンズへ向かい、アラン・トゥーサンやジェイムス・ブッカーとコラボするんですから。やはり、ファンク・ブルースと言えば、ジェイムス・コットンなのです。
さて、私が始めてジェイムズ・コットンのライヴを観たのは1991年のブルースカーニバルでした。その前年に、ジョン・メイオールが観たくて初めて足を運んだブルカニで、メインのバディ・ガイに衝撃を受け、黒人ブルースに目覚めたばかりの私にとって、ジェイムズ・コットンは、まさに2ndインパクトでした。うねりまくるハープの野太い音色に、ブルースハープって凄いな!黒人って凄いな!本物のブルースって最高だな!と大興奮したのを今でも覚えています。最後はアルバート・コリンズとのセッションもあったりで、良い時代でした。
ブルカニと言えば、96年にもジェイムズ・コットンは出演していますが、前日の横浜公演でジョニー・"ギター"・ワトソンが倒れ、亡くなってしまったんですよね。それでたしかジェイムズ・コットンが、土曜、日曜の両日出演して、ジョニーの分まで頑張って会場を沸かしてくれたように記憶しています。
ですがこの頃、ジェイムズ・コットンは喉頭がんに冒されていて、喉の手術もしていたんですよね。その翌97年に来日した際には、ヴォーカリストを従え、自身はハープに専念せるを得ないステージだったそうです。とは言え、本業がハーピストですから、その衰え知らずなブロウで、観客達を熱狂させたそうですから、さすがはジェイムズ・コットンです!
その後も度々来日しています。生で歌が聴けなくなったのは残念ではあるものの、それでも、ステージに上がり、ハープを吹き続けるジェイムズ・コットンの姿に、沢山のブルースファンが勇気づけられたことでしょう。
ジェイムズ・コットンさん、ありがとう。そして安らかに。
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