SNOOKS EAGLIN / SOUL'S EDGE
悲しいです。2月18日、私のフェイヴァリット・アーティストの一人、ニューオーリンズの偉大な盲目のギタリスト、スヌークス・イーグリンが亡くなられたそうです。ブルース銀座さんのブログで知りました。数日前の記事ではスヌークスが前立腺ガンで入院したものの、その後退院し快方に向かっているとのことでしたので、心配半分、安心半分だったのですが、それからこんなに早く亡くなってしまうとは…。
私がスヌークスを知ったのは95年作「ソウル・エッジ」でした。御茶ノ水のディスク・ユニオンで買ったんです。当時、ニューオーリンズ音楽は大好きでしたがスヌークス・イーグリンは知りませんでした。ですが何故かこのジャケットはインパクトがあったんですよね~、私には。何て言うか佇まいですかね?とにかくこの人はただ者ではないと私は直感したのでした。
スヌークスの魅力は、ゴツゴツとしていながらもスピード感と切れ味が抜群なギター・スタイル。そしてそれと対照的などこか飄々とした歌声。この二つが相まって彼にしかないユニークな味わいを醸し出すのです。もちろんかの地ならではの和みと哀愁の深いスロー・ナンバーも味わい深い。さらに「人間ジュークボックス」の異名を取る多彩なレパートリー。それを全て自分の物としてしまう個性。そしてライヴ!
当時、心あるニューオーリンズ音楽ファンの間では「ニューオーリンズに行ったらスヌークスを観ろ!」が合い言葉になっていたとかいないとか。ま、それは冗談ですけど、しかしそんな声が聞えるぐらい、マニアの間でスヌークスのライヴに伝説じみた羨望が沸き上がっていたのです。とにかくスヌークスのライヴが凄いぞ!と。そしてそのスヌークスが95年12月、パークタワー・ブルース・フェスティヴァルで初来日したのです。
もちろん私も観に行きましたよ! 忘れもしない95年12月10日新宿パークタワーホール。ヴァーノン・ギャレット、ロバート・ジュニア・ロックウッド、リトル・サニー、そしてトリとして登場したのがスヌークス・イーグリンでした。座席指定式のイベントでありながら、最後のスヌークスの時には、ファンがステージ前に大勢詰めかけ、私もここぞとばかりに中央向かって左寄りながら最前列かぶりつきで観ることが出来ました。残念ながらどんなライヴだったかはもう記憶の彼方ですが、鋭い切れ込みからスリリングに展開して行くギター・ソロの臨場感や、強力で無骨なカッティングに大興奮したことは覚えています。そして彼をサポートしたジョージ・ポーター・ジュニアも流石のプレイでした。会場が一体となって幸福感たっぷりに盛り上がったあの感じは、一生忘れることはないでしょう。そしてこの日から私のフェイヴァリット・ギタリストはスヌークスになったのでした!
で、この来日公演の盛況が功を奏したのか、彼は翌年にも来日してくれました。8月3日渋谷オン・エアー・ウェスト。この時はど真ん中かぶりつき。目の前でスヌークスの弦捌きをまざまざと観れました。まあ、観れたところで彼の神業的弦捌きは、増々神業に見えるばかりでしたが…。そしてライヴ終了後には握手もしてもらいました。といっても彼は盲目です。ステージ上から手探りで観客に向けて手を差し伸べてくれるのです。私もしっかりと彼の手を握りました。そしておつきの人に促されてステージを去って行くスヌークス、もうどんなに手を伸ばしても届かない位置になっても、観客の声に律儀に手探りで手を伸ばしていたスヌークスの姿がなんだか印象的でした。
私がスヌークスのライヴを観たのはこの2回だけです。でもブルース銀座さんのブログによりますと、スヌークスは地元を離れるのを嫌い、滅多にツアーに出なかったそうです。そんな彼のステージを日本で2度も観れたことは幸せなことだったかもしれません。
スヌークス・イーグリンは自身のソロ作品はもちろん、ニューオーリンズの数々のアーティストのバックでも個性を発揮しています。ワイルド・マグノリアスとか、トミー・リッジリーとか、アール・キングとか。大概、スヌークスのギターが強烈にファンキーさを演出するんですよね。主役を立てながらもいかにもスヌークス!って感じで。偉大なギタリストならではの説得力です。本当に偉大なギタリストでした。
またいつか来日してくれることを楽しみにしていたんですけどね…。
スヌークス・イーグリンさん、安らかに。
悲しいです。2月18日、私のフェイヴァリット・アーティストの一人、ニューオーリンズの偉大な盲目のギタリスト、スヌークス・イーグリンが亡くなられたそうです。ブルース銀座さんのブログで知りました。数日前の記事ではスヌークスが前立腺ガンで入院したものの、その後退院し快方に向かっているとのことでしたので、心配半分、安心半分だったのですが、それからこんなに早く亡くなってしまうとは…。
私がスヌークスを知ったのは95年作「ソウル・エッジ」でした。御茶ノ水のディスク・ユニオンで買ったんです。当時、ニューオーリンズ音楽は大好きでしたがスヌークス・イーグリンは知りませんでした。ですが何故かこのジャケットはインパクトがあったんですよね~、私には。何て言うか佇まいですかね?とにかくこの人はただ者ではないと私は直感したのでした。
スヌークスの魅力は、ゴツゴツとしていながらもスピード感と切れ味が抜群なギター・スタイル。そしてそれと対照的などこか飄々とした歌声。この二つが相まって彼にしかないユニークな味わいを醸し出すのです。もちろんかの地ならではの和みと哀愁の深いスロー・ナンバーも味わい深い。さらに「人間ジュークボックス」の異名を取る多彩なレパートリー。それを全て自分の物としてしまう個性。そしてライヴ!
当時、心あるニューオーリンズ音楽ファンの間では「ニューオーリンズに行ったらスヌークスを観ろ!」が合い言葉になっていたとかいないとか。ま、それは冗談ですけど、しかしそんな声が聞えるぐらい、マニアの間でスヌークスのライヴに伝説じみた羨望が沸き上がっていたのです。とにかくスヌークスのライヴが凄いぞ!と。そしてそのスヌークスが95年12月、パークタワー・ブルース・フェスティヴァルで初来日したのです。
もちろん私も観に行きましたよ! 忘れもしない95年12月10日新宿パークタワーホール。ヴァーノン・ギャレット、ロバート・ジュニア・ロックウッド、リトル・サニー、そしてトリとして登場したのがスヌークス・イーグリンでした。座席指定式のイベントでありながら、最後のスヌークスの時には、ファンがステージ前に大勢詰めかけ、私もここぞとばかりに中央向かって左寄りながら最前列かぶりつきで観ることが出来ました。残念ながらどんなライヴだったかはもう記憶の彼方ですが、鋭い切れ込みからスリリングに展開して行くギター・ソロの臨場感や、強力で無骨なカッティングに大興奮したことは覚えています。そして彼をサポートしたジョージ・ポーター・ジュニアも流石のプレイでした。会場が一体となって幸福感たっぷりに盛り上がったあの感じは、一生忘れることはないでしょう。そしてこの日から私のフェイヴァリット・ギタリストはスヌークスになったのでした!
で、この来日公演の盛況が功を奏したのか、彼は翌年にも来日してくれました。8月3日渋谷オン・エアー・ウェスト。この時はど真ん中かぶりつき。目の前でスヌークスの弦捌きをまざまざと観れました。まあ、観れたところで彼の神業的弦捌きは、増々神業に見えるばかりでしたが…。そしてライヴ終了後には握手もしてもらいました。といっても彼は盲目です。ステージ上から手探りで観客に向けて手を差し伸べてくれるのです。私もしっかりと彼の手を握りました。そしておつきの人に促されてステージを去って行くスヌークス、もうどんなに手を伸ばしても届かない位置になっても、観客の声に律儀に手探りで手を伸ばしていたスヌークスの姿がなんだか印象的でした。
私がスヌークスのライヴを観たのはこの2回だけです。でもブルース銀座さんのブログによりますと、スヌークスは地元を離れるのを嫌い、滅多にツアーに出なかったそうです。そんな彼のステージを日本で2度も観れたことは幸せなことだったかもしれません。
スヌークス・イーグリンは自身のソロ作品はもちろん、ニューオーリンズの数々のアーティストのバックでも個性を発揮しています。ワイルド・マグノリアスとか、トミー・リッジリーとか、アール・キングとか。大概、スヌークスのギターが強烈にファンキーさを演出するんですよね。主役を立てながらもいかにもスヌークス!って感じで。偉大なギタリストならではの説得力です。本当に偉大なギタリストでした。
またいつか来日してくれることを楽しみにしていたんですけどね…。
スヌークス・イーグリンさん、安らかに。