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ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

父に学ぶ人生・・・

2025-01-17 23:31:54 | 私(みぃみ)

今日は、もし父が生きていれば、104歳の誕生日です。

 

大正10年生まれの父。

86歳で他界しています。

 

大変な時代を生きて、いろいろ苦労もしている父ですが、

晩年は「俺は幸せ者だなぁ~」と何度となく口にしていました。

悔いのない人生を生きた父。

 

そんな風に生きたいなと、思わせてくれる父です。

今日は少し父の人生を振り返ってみようと思います。

 

父は、12人兄弟の8男です。
生めや育てやの時代です。

戦死や結核などの病死で、私が生まれた時には、すでに4人しか残っていませんでした。
父も一度、死にかけて、三途の川まで行ったけど、
後ろから母の声が聞えたので、渡らないで引き返してきたそうです。

名前は、大雪の日に生まれた男の子だから「雪男」
それに、出生届けを出すのが遅くなり、実際はもっと早い日に生まれているらしいです。

まあ、適当ですよね。
そんな時代です。

小学校の時に意外と勉強ができたそうですが、
家は貧乏農家で、親は家族を食べさせていくだけで精一杯。
この先、「学校に行きたい」と言い出されたら困ると
勉強していると「勉強するな」と親に怒られたそうです。

尋常小学校を卒業すると、すぐ丁稚奉公に出されます。
奉公あけて帰ってくると、次の奉公先が決まっていて、また奉公に出る。
それが何回も繰り返されたそうですが、文句ひとつ言わなかったそうです。
(弟は奉公先から逃げたそうですが)

ある時、結核になり、療養所へ。
社会から隔離された場所での生活が始まります。
手術するお金がなかったので、自然治癒で結核が消えるのを待つのみ。
完治して出てこれるまで、確か、5、6年かかったと言っていました。

母とはそこで知り合っています。


父のことをひと言で表すなら「温厚」

家でも外でも同じ。
裏表のまったくない人でした。
文句を言うこともないし、怒ることもない。
いつも笑顔の父でした。

主人が私の両親と同居を始めた頃、
「あんないい人に生まれて初めて会った」と言っていたくらいです。

大工の仕事を60過ぎに辞めてからは、まあ、よく遊んでいましたね。
常に家にいなかったですから~

人生を謳歌していました。

ゲートボール、歩こう会、写真クラブで撮影旅行にでかけたり・・・
老人クラブの仲間たちとはバス旅行に行ったり、カラオケに行ったりね。

ゲートボールでは全国大会にも出場しています。

この遊びっぷり、私なんて足元にも及びませんよ(笑)


ある日、ゲートボール場で倒れ、その日のうちに帰らぬ人になってしまいましたが、
まさしく、ピンピンコロリ。

父の仲間が「皆、そうやって死にたいんだよ。〇〇さんが羨ましいよ」と言っていました。

義母は「いいお父さんだったから、こんないい死に方ができたんだよ」と。


父は多分、

自分の死になんの悔いもなく、人生を全うした。

・・・と思っていると思います。

「俺はもう思い残すことはない。いつ死んでもいい」とも言っていたので。


だから、「お疲れ様~」と言ってあげたかった。
葬儀の時も、悲しくはありませんでした。

人の死が悲しいとは限らない・・・初めてその時、そう思いました。

父が、娘の私にも悔いが残らないようにしてくれたんだと思います。




温厚で怒ったことのない父ですが、
一度だけ私のために怒ってくれました。

前の夫にね。

顔を真っ赤にして怒ってくれました。

「生まれて初めて怒った」と言っていました。

それが最初で最後でした。

その時ほど、父の愛情を感じたことはありません。

そう思うと、離婚もそんなに悪いことじゃありません。
いいことも必ずあります。


父の温厚さも、若い頃の苦労があってのことだと思います。

どんなことがあっても、あの時のことを考えたら、
今の方がずっと幸せだ・・・と思えたんじゃないのかな?

だから、どんなことも、ありがたく感じ、
生きることができたんだと思います。


私は父から、〇〇しなさい、〇〇した方がいい、〇〇はダメだぞ・・・

そういう事を言われたことは一度もないんです。

以前、書いたことがあると思いますが・・・

たまに、私が、遊んで、帰宅が夜中の2時、3時になる時があって、
その日も2時過ぎに帰宅したら、リビングに電気がついていて、

恐る恐る部屋に入ると父がいて

「メロン、冷蔵庫に入っているからな。それを言おうと思って・・・」とだけ言って
自分の部屋に戻っていきました。

夜の9時、10時に寝る父です。
多分、心配していたんですよね。

なんか涙が出てきましたよ。
心配かけちゃっているなと反省しました。

「何時だと思っているんだ~何、考えているんだ~」と叱られるより、
多分、効いたと思います。


父はいつも何も言わなかったけど、
父から学ぶことばかりでした。


私も父のように「私は幸せ者だぁ~」と死にたいなぁ~

なにげない日々に感謝ができる人生を送りたいです。

 

もう少し先だと思うけど、会いに行くまで、待っててね。


 

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