54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

私が旅したバッハゆかりの地 5

2014-03-07 18:31:10 | 『冊子バッハ』
 私の旅 〔Ⅵ〕
 2001.6.15~7.06 (22日間)13回目の旅の前半プランはバッハを意識した フランクフルト駅そばで2泊したので鉄道駅インフォメーションでゆっくり相談でき予想もしないヴェルニゲローデへSL列車旅もできた ミュールハウゼンへの途中アルスフェルトで下車し2時間ほど町を見て11:25→12:10フルダ13:08→15:23ミュールハウゼン1泊 宿はすぐ駅近くに決まった 日曜で町に人がみえずホテルの客もいなかった 小さな町で着いた日に一回りできた 翌早朝また聖ブラジウスに行った 扉が開いていたのでだれもいないバッハの教会で感慨に浸っていたら外から関係者が扉を閉めていた 危うく閉じ込められるところで声をかけたらその人は笑顔で待ってくれた バッハが22歳から23歳の新婚時代を過ごした町、その空気の中に自分がいたのが不思議に思える その後ハルツ縦断鉄道のSL列車でハルツ地方1,2を争う古い家並みの残るベルニゲローテ゛へ ミュールハウゼン8:31→ライネフェルト→ノルトハウゼン→ドライアンネンホーネ→ベルニゲローデ13:18着 また駅前に宿がすぐ決まった 1泊して翌早朝お城まで30分歩いて登ってからベルリンへ 途中大きな町ヴォルフォンヴュッテル下車1時間、ブラウンシュヴァイクにも下車2時間を過ごし14:21ベルリンツォー駅着
ベルリン2泊 全てが大きく“ちょっと散策”とはいかない 駅そばの高層ホテル「フォーラム」2泊したが上階だったため揺れて気持ちが悪かった ベルリン大聖堂のコンサートに行けたのは幸運 コンサートには軽食と内部の案内まで付いていた ベルガモン美術館も見応えがあった 次にポツダム1泊 サンスーシー宮殿、ツェツィーリエンホーフ宮殿の“ポツダム宣言の間”も見た 次の宿泊地ライプツィッヒに行く途中ユネスコ遺産のクヴェトリンブルクに寄った すばらしい町だったが1時間の散策でがまんして ケーテンへ13:31着 ベルリン、ポツダムと大きな町からケーテンに来てほっとした 疲れてしまい2時間しかいなかったが小さな町なのでほゞ見れた 
16:47ライプツィヒ着 ライプツィヒ2泊 駅前のHノボテルを予約しておいた 上階で眺めよく部屋も食事も今までの最高 2度目のライプツィヒは初回から10年経ちきれいになっていた メンデルスゾーンの家 ゲヴァントハウスでプロムシュテット指揮のコンサートも行けた 
6/24(日)「戦いの記念碑やマルクト広場など12:26の列車までライプツィッヒで過ごしケムニッツへ
6/25ケムニッツは高層ビルが目だって工事中も多く、翌朝ツヴィッカウに向かった 気にいって2泊した 「シューマンの生家」にも入った 急遽決めたチェコとの国境駅ヨハンゲオルゲンシュタットへの往復の車窓は山間を走る一味違う旅を満喫できた 次にツヴィッカウ8:44→12:17アルンシュタット2泊 駅前にすぐホテルが決まったのでゴータまで往復し2時間過ごしてきた ゴータも印象に残る町で行っておいてよかった アルンシュタットは今回の旅のメイン “バッハ一族の町” だ 市庁舎は小高い場所にあり何本かの道が放射線状に下っていた 市庁舎前広場には生誕300年記念に立てられた血気盛んなバッハが、市庁舎を真正面に見て足を投げ出している銅像があった 近くのバッハが住んでいたという壊れかけた家にも行ってみた
アルンシュタットから次の予定地ニュルンベルクに向かう途中、マイニンゲンで3時間過ごすことができた マイニンゲンからアイスフェルトへの車窓、そこからゾンネベルクへのバス旅は感動した 乗換駅のコーブルクは駅の近くを30分ほど見ただけでニュルンベルクに向かい2泊(日本で予約済み)した
トラブル発生:一昨日2014.3.5 goo編集画面の「プレビュー」表示が出なくなった その日最初に編集画面至る所に黄色の線が出たがすぐ直った バッハ編の続きをやってプレビュ‐画面がないのに気づいた
gooに問い合わせ翌日回答が来たが専門用語を理解できない上かなり複雑なので、電話で質問したい旨送信したがまだ返事はない  
プレビュー出来なくても投稿はできるが公開投稿してから編集を直すことになる
簡単に自分で治せそうもない バッハ編を早く終わらせ8年目になるブログをこれを機会に休もうかと思っている トラブルの原因は全く分からない 投稿済み写真をたくさん纏めて再利用したりリンクしたからか?



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする