54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

高円寺阿波踊りと玄関の花

2009-08-31 17:28:14 | 近隣

8/30 高円寺は電車で行けばすぐだ
本番は6時からだが3時からも少しやっていることを確認して出た
狭いアーケードに太鼓、お囃子、掛け声が響いて充分満足し
一時間ほどで帰宅した 画面クリックして楽しんでください









8月末の玄関前の花です バラとチェリーセージは次々咲き続け
ランタナもまた咲き出しました 暑い中頑張った花たちをアップで 






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8/30 早朝 深大寺へ自転車で

2009-08-31 14:03:48 | 近隣

夏があったような なかったような…
でも秋が来ていました
今朝は自転車2時間の散歩です

深大寺へ自転車道ができ快適です 百日紅、松、こんなパンパスグラスも
野川まで行ってみました 除草剤が使われたのでしょうか

深大寺のおそば屋さん2箇所に水車が
橋の右の弁財天 左の大黒天・毘沙門天が向かい合っています
まだあじさいも 池に百日紅の花びらが なんともう彼岸花が!右:東京名水の湧き水

山門 左から2番目ススキを撮りたくて曲がった写真に
   
午前9時ごろです 掃き清められた境内はなんともいえません


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早朝散歩

2009-08-29 17:37:25 | 近隣
 
8/26 青空に誘われ散歩に出た ザクロとイチジク見つけた


8/28 朝食前30分3150歩 見事なもみじ、玉川上水の桜の古木



8/29 朝食前40分3750歩 昨日と逆方向から玉川上水へ



左:玉川上水の橋上でブログにOKといわれて 次に花ちゃん7歳 次レオ君3歳も






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今年9回目の富士見

2009-08-24 11:00:36 | 富士見

標高960mとはいえ日中は庭仕事をするには暑すぎる
気になっていた韮崎に途中下車してみた(8/21)
駅を出てガードを抜け目前の階段を登ると屈観音入口 怖くないと聞き入ってみた

屈観音を戻り観音さまへは生涯センター内にエレベーターがあった

この時期富士山も見えないが駅から10分でのこの景色があることを知ってよかった
駅に戻ると団体客が”宴列車”で着いた 中は座卓でお座敷風になっていて驚いた


小淵沢の列車待ち時間に取れたてトマトが買えた 別荘は松葉牡丹が待っていた


右:ロックガーデンにしたいのだが… エーデルワイス風のこれ枯れるかな~?

栗は7個付いている アスパラ苗5本植えたのだが… 唐辛子はアリや虫で葉は
使えそうもない トマトと雨宮さんにもらったぬかずけがあるので食べものは満足





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お盆休みの上野

2009-08-15 12:43:22 | 都内

やっと天気が落ち着いた 
夏の1日をどうしようか迷いながら お盆で
都内は人が少ないと思い上野の美術館に向かった
強烈な日照りもなくさわやかな一日 
  

不忍池から五条天神を抜けて上がるとドラムの音 上手で感じよく”グー!”
  
”後1曲で終りになりましたお願いがあります” カンパにすぐ千円札を入れる外人
  
目当てのエジプト展は長蛇、待つのが嫌いなので迷わず書道展へ

芸大美術館に行く前、気になっていた建物を見に行くと 「国際こども図書館」だ
   
1906年に「帝国図書館」として建立 その経緯をビデオでやっていたので見た

こども図書館のカフェテラスで400円のカレーが食べられた
内部もルネサンス様式で立派 こどもがもっと利用すればいいのに…と

芸大美術館で藤田嗣二、高山辰夫などを鑑賞後公園に戻ると

週1回のボランティアの恩恵に並ぶ失業者の長い列 胸がつまる
噴水の前では楽しい笑い声 不忍池そばではゲートボールに興じる人




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今年8回目の富士見

2009-08-11 10:28:39 | 富士見

8/6 2週間後に来れたので庭の作業は少ない
剪定や消毒、点検だけでもいいのだ
天気も毎日夕立はあったが日中の日照りなく快適
今年はじめて3泊できたので入笠山にも登れた


8/6早朝の車窓 富士見駅から別荘までに 椿の実 かぼちゃの花


8/8 朝 別荘から駅までの途中で (この後入笠山へ)


8/7 別荘の庭の花とクワガタ 
上中央は夕立がやっと止み散歩に出て撮れた八ヶ岳(18:42写)




追記:8/4 夕方6時半ころの野川



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8/8 入笠山山頂へ ②

2009-08-10 14:45:48 | 富士見


山頂近くにナデシコ 蝶々(大きくきれいなのがいたが撮れず)マツムシソウなど

12:10山頂に無事到着 たくさんのトンボに迎えられて  右:向こうに牧場が

360度の大展望からは木曾御岳、北アルプス 目前に八ヶ岳など見えるのだが
この日は八ヶ岳はすっぽり雲の中、諏訪湖が小さく見えた 手製おにぎりを食べ
13:10岩場を避けながら、ほぼ来た道を下山

さっきの湿原を抜けゴンドラ山頂へ 中央写真ワニに似てる? 左:八ヶ岳は残念

ゴンドラ頂上駅の傍に新しいお花畑を作っていた 
そこに桔梗、ナデシコ、マツムシソウ オミナエシなど植え込まれていた

カモミールはチロルの旅を思い出す 中央:ゴンドラ下車すると足湯(210円)もある
右:だれが優勝するか? クライマックスの興奮が伝わる 怪我人は?
3時のバスで駅まで20分くらい 別荘に戻って暫くして夕立に


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8/8 入笠山山頂へ ①

2009-08-10 11:48:39 | 富士見

天候不順の中、雨の心配もなくラッキーだった
土・日だけ10時に富士見駅からゴンドラ乗り場までの
無料送迎バスがある(帰りは3時発富士見駅行きのみ)
スズランの季節から雪景色の絶景まで魅力いっぱいだが
今回はじめて登頂した
ゴンドラ乗り場近くにモトクロスやハングライダーの若者たちが

標高差730mを一気に登る景色はすばらしい

ゴンドラ山頂から湿原まで10分はほぼ平らな林、きのこもいろいろあった

ワレモコウ、ヤナギラン、ウツボグサやコオニユリ

左:ホソバトリカブト 中央:ツリフネ草?  右:湿原から山頂へ向かう

岩場コースを避けたつもりがこの岩場、ゆっくり慎重に登る すれ違う人に頂上は
まだですか?と何度も聞きながら 中央:白樺がオレンジ色? 右:ヤマハハコ



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続 ショパン

2009-08-05 13:24:55 | ブログ開始07.1~2010.12
09.7.15投稿アクシデントとショパン 怪我の光明でショパンについての本を読み
ショパンコンクールで東洋初の優勝者ダン・タイ・ソンに及んだ
彼の国ベトナムについて、ベトナム戦争しか浮かばなかったのに
歴史のある、日本とも古くから交わりのある国としてイメージが変わった


図書館にダン・タイ・ソン(1958生れ)のショパンのCDがなかったので
ルイサダを借りた  それが良かった 
ソンは40才後半となりとても味わい深いメンデルスゾーンを聴かせ
ルイサダの選曲も親しみやすい曲で纏められている
図書館で借りるCDには傷があるものがあり最後までヒヤヒヤする
幸い付録の説明書きも欠損なくて読め参考になった
左写真:上2枚CD表紙 下読んだ本の表紙  
中央:CDの曲目ソンとルイサダ
右:「ショパンに愛されたピアニスト ダン・タイ・ソン物語」目次
興味があったらクリックしてみてください

《ダン・タイ・ソン物語 内容の一部》
1980年第10回ショパンコンクール1位(その時の審査員に東洋で1人安川加壽子)
歴代の1位にはポリーニ、アルゲリチ、ツィマーマンなど
  
*母リエン:1918年サイゴン生まれ、家族は音楽を愛しフランス語を話し4才で
カトリックの学校に入り修道女たちから厳しい教育を受けた
音楽教育も受け30才でフランスに留学、イジドールに師事
3番目の夫がベトナム初のチェコ大使になったため一緒にプラハに行き、
プラハ音楽院で3年間学ぶ この滞在中1949年ソンの異父姉が生まれる
ベトナムに帰った頃はインドシナ戦争の真っ只中、ジャングル生活となる
過酷な生活の中で夫と死別、そのあと1953年ジャングル生活の中だれの助けも
借りられず、さ迷い歩いて一軒の家の水牛小屋で男児を出産
(この9歳上の異父姉はソンを可愛がった 異父兄のピンは活発でソンに
”男らしくしろ 元気で強くなくてはいけない!"といい続けた)
このジャングル生活の中でソンの父詩人のフンと知り合う
*父フン:1924生れ ベトナム文学を教える学校の教師 べトナムの伝統的な
きびしい躾を課す家庭に育ったが、正反対の性格を持つリエンに惹かれる
父はソンの才能を認め”紙鍵盤”を作り弾きたいソンを見守った
(上の異姉兄に母は音楽を熱心に指導し、父が国の要職についていたこともあり
政府の援助も受け姉は中国に留学してピアノを学び、兄はハノイ音楽院で
8年間チェロを学んだ それに対しソンに母はピアノを触らせなかった)
政府に要注意人物とみなされ、悲観的に考えるようになる
1975年ベトナム戦争が終結し政府は留学生を選抜し始めた
それは政府に認知された仕事に従事している家庭の子供のみに許された ソンが留学
するために離婚(父は自転車と扇風機とフライパン 母はベットと物入れと自転車と鍋を持って)
この位にしてまた本を借りて読むことに…。


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