1986年来日 若手音楽家に大きな影響を与えた 辻井さんの母:「生後8か月でCDをかけるとブーニンの『英雄ポロネーズ』だけに満面の笑顔でリズムをとった ピアニストになりたい!憧れを持ったと思う」と 反田さん:足治療中の彼からレッスンを受け出場を決意し2次予選に意識して彼と同じ曲を選んだ 山下さん:ジャズマンのバッハを好んでくれて「自由にやることが喜びだ」と 世界各地から招かれ演奏したが全て国家の為で監視された 1985年ゴルバチョフ政権になったが変わらず反発心を強めていた時決定的な出来事が パリでルイサダさんと音楽談義中「怖い監視役が割り込んできた」 知り合いから「あなたの海外演奏を禁止するらしい」と 1988.6.7ボン郊外の公演ツアーで出演ない日に命懸けで母と亡命 2013年公演中止 2018年足骨折 2022.6月東京の自宅 6/23復帰公演八ヶ岳へピアノ搬送伴に 6/24猛練習 6/25無事終了したが予定のアンコール曲は無理という感じで披露できず 7/18人見講堂(収容2000人) 最後写真の後 “本も出来上がってるといいな~” (ご夫婦の90分録画を繰り返し見て聴いて…3頁に拘り苦戦 ドイツ語が私にもほゞ分かり気持ちが伝わってきた)
ショパコン1位1985年 来日1986年 西独亡命1988年 左手麻痺公演中止2013.7月 母死去2013.8.25 報道:公演中止は健康上の理由2013.11.30 長期休養4年目2017年オビエドの幼なじみアンドレイさんを訪ねた 復帰に向け動き出した矢先自宅で左足骨折2018年 足切断しかないと言われたが1年半探し名医に出会え乗り越えたが復帰に踏み出せずにいた その後押しをしたのは榮子さん(フリージャーナリストとして活動し始めた時音大の依頼で亡命直後のブーニン訪独初対面) ボン在住 東京自宅2022年6月 復帰公演最初は八ヶ岳高原音楽堂(シューマン) 6/15人見記念講堂ホール借りきって練習 6/21長くサポートしてもらっているイタリアのメーカーで本番使用のピアノ選び