54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

7/24日本橋 7/29 四谷・新宿

2010-07-31 20:40:27 | 都内

神楽坂の阿波踊りを見る前、三越に行った
都営線連絡通路にはいつもまごつく 東日本橋ホームのトイレ表示に韓国語?
え?羽田行きに乗るんだ~ 日本橋駅で地上に出ると?どっちが三越?? 
20.5.31(写真4枚削除)

 三越別館のこの入口は知らなかった(右から2番目) このエレベーターで屋上へ 

好きな三越屋上 ウィーンカフェに寄る時間はなく残念 榎木孝明展開催中  
右写真:三越を出て都営宝町駅へ向う途中、東京駅を正面に見て写す

7/29猛暑から久々に開放され雨がぱらつく午後、用事で四谷へ出かけた

左:訪問先のビルの前に私が25年前6年ほど勤め退社した会社のビルがあり写す
帰路は曙橋へ この公園で毎朝ラジオ体操やっているのだろう どんなメンバー?

都営線曙橋への途中に「新宿歴史博物館」があった
酒井忠勝と小浜藩矢来屋敷展をやっていた 9/19まで

新宿南口で足立の花火に行く娘さんたちに声をかけて… ルミネ8階から甲州街道

ルミネ7,8,9階のレストラン街で迷った末、馴染みのないロシヤ料理に
ボルシチ・ピロシキ、ミネラル水にも拘った店でおいしかった
三鷹で下車し駅前のスポーツジムで入浴して帰宅20時

今日7/31は「隅田川花火大会」行こうかな?とちょっと思ったが
今20:30テレビ生中継を見ている 凄い!!みごと!テレビでもいいな

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今年3回目の富士見

2010-07-28 23:08:37 | 富士見

去年は7月までに7回行っているのに天候不順で出そびれて…
庭は1ヶ月経っただけで雑草の凄いことに驚く 一泊しか出来ないが
汚いのは我慢できず、朝5時前から草取り ブヨにたかられひどい足に
1000m近い高原はさすがに気持ちいいが…


7/26 いつもの鈍行列車だが今回は早朝でなくお昼に家を出た

まず、大工さんのお宅に寄るとお花がいっぱい

ヒベリカムの花と実 ブルーベリー摘みもさせてもらい、たくさんいただいて…

夕方6時過ぎ、庭を見てがっかり!?? 隣りの雑草も侵入し石垣が見えない

左:7/27 朝 5:10 庭から八ヶ岳、5:30八ヶ岳右端から日の出
12時庭は少しましになったが… いつも花が咲いていたのに…
ニゲラ、すぐりなど終わっていた 今回も富士山は見えない
家の中の片付けをして 17時50分の鈍行で21時50分帰宅

富士見駅へ徒歩20分だが早めに出た あちこちにゆりが
商店街の店先に並んだ花火 子どもの姿がないのがさみしい





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7/25府中競馬場の花火

2010-07-26 10:33:03 | 近隣

今年は競馬場に入らず多摩川べりで見た
稲光や、ぱらついた雨に心配したがピタッとなくなり
20時~20時半 30分見事な花火が満喫できた












カメラは4年前に買ったキャノンデジカメIXY5.0メガ 
ポケットに入れて持ち歩いてる
シャッターを押しても一歩遅れの失敗ばかりだが
写真家とは違う自分の感動を残す写真として撮影順に並べた
ビルの谷間にいい場所見つけて静かに楽しめた
地べたの余熱が心地よかった 多摩川越しに満月も見えた


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7/24(土)神楽坂阿波踊り

2010-07-25 14:54:02 | 都内

ラジオで神楽坂の阿波踊りのことを聞いたので行ってみた
「神楽坂祭り」は もう39回目ほおずき市もあったとネットで知った
   
17:30 飯田橋駅前 18:00から子供たちが踊りだす 
猛暑の毎日、既にみんな体力消耗だが…
地元の4つの小学校と幼稚園、保育園児たち
   
子供たちの掛け声!!頑張ってます みんな一生懸命
写真クリックしてみてください

都内に残る地元の協力 子供たちを見守るやさしさ 子供の純真さ

本番は30分位でしたが待つ間の猛暑、子供達の頑張りは涙ぐましいほどでした

18:30ちょうどお蕎麦屋さんがあり助かりました 
19:00~21:00大人祭り

22の連が集合、熱いエネルギー  ビルの谷間の粋な神楽坂 大満足
太鼓と掛け声に後ろ髪引かれながら都営牛込神楽坂駅へ8時

(この日飯田橋に来る前、日本橋を少し散策したので後日投稿予定)

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続 近隣散歩

2010-07-21 13:43:53 | 近隣
続 7/18(日 )8:30頃

亜細亜大通りに今年もこんなに咲いてました 
「武蔵野都市計画生産緑地地区」と看板があります 
駅そばです 有効利用を期待します この横に大きな道路が出来ました

7/8 朝の写真追加


7/12 夕方

銀行の入口に“待てよ!”と言われて… お利口なワンちゃんに近寄っていく人も
飼い主の方の後姿を撮らせてもらいました 6歳雄とのこと
駅前ですれ違った2人のおじさん(50才位なのかな~)の会話が? まじ声で
「すきっぷ通り」と書いてあるのを見上げて“この通りはスキップして通るんだ~”
私は振り向くわけにもいかず、可笑しくて笑って歩いてました
すきっぷ通りの先が独歩通り  いいネーミングですね
写真:右の上、下が武蔵境北口駅前の「すきっぷ通り」 


7/19 家庭菜園に誘われて トマト、モロヘイヤ、収穫したジャガイモもいただきました
 野菜作りは大変です 美味しかったで~す

家庭菜園の近くの公園に寄りました トンボ池に赤とんぼが!!


10時まで水はありません 循環しているとのこと 時間より遅れて滝から水が…




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近隣散歩

2010-07-20 21:18:32 | 近隣

7/18(日) 青空に誘われ朝7時過ぎ散歩に

よその玄関先に朝顔が…、ちょっと失礼して撮らせてもらって 
国木田独歩が散歩したあたりを先日の講座を思い出しながら散歩

玉川上水べりを独歩橋近くから小金井方向へ

五日市街道の交差点で戻る

玉川上水の境橋の下に鯉が 私が見ていると餌を待ってすぐ集まってきた

日曜の8時ころ 中学生の部活 小学生は野球に


千川は暗渠になっていたり  下中:この自動車教習場で2年前免許の更新のため
久々に運転した  毎年綺麗に咲くキョウチクトウも 

風も心地よく1時間半、食前に歩いた 途中の向日葵は次回に続く

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続ショパン 私の海外一人旅写真

2010-07-18 23:16:03 | 欧州旅 思い出…
こんなに続けてショパンにするつもりでなかったが…
私が一人旅したその地をショパンが行き来していたと思うと写真が載せたくなり
更に脱線して、ショパンに関係ない写真まで載せたくなってしまった
前回のマルセイユの続き 撮影日2000年6月5日

マルセイユ港脇からミニトレインに乗り、坂を上ってノートルダムへ 
友人の追悼ミサでショパンが弾いたノートルダムのオルガンも写真に撮ってあった

ノートルダム寺院
マルセイユからイフ島に15分の船旅 6/5


6/3ブリュッセルからマルセイユは飛行機で約1時間半
6/4エクサンプロバンスへはバスで30分 5時間ほど過ごしマルセイユに戻る

エクサンプロヴァンス 中2枚セザンヌのアトリエ
6/5イフ島からマルセイユに戻りアルルへ列車で1時間  下左:ゴッホが入院した病院

アルル 右:凄い風ミストラル吹くのでローヌ川縁に避けてバナナ食べたっけ…

6/7アルルからアビニヨンは列車で20分 5時間ほど過ごしヴァランスへ約1時間

左からアルル駅  アヴィニヨンの橋  ヴァランスの駅  シャモニーの教会 
 この後6/23までスイス、フランス、ドイツを旅した

1994.6.14~ 7.5(22日間)パリほかへ

左オルセー美術館、セーヌ川、マドレーヌ寺院2枚(ショパンの葬儀が行われた)

ショパンが家族と楽しい時を過ごしたカルロヴィヴァリの写真もたくさんあるのだが…

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7/14続ショパン 本の返却日②

2010-07-14 20:07:43 | 欧州旅 思い出…

ショパンの生涯
ポーランドで生まれ育ち、20歳で祖国を離れウィーンで8ヶ月、
パリで18年過ごし39歳で生涯を閉じた
ワルシャワから60キロのジェラゾヴァ・ヴォラで生まれ7ヶ月でワルシャワに越した
父はフルートやヴァイオリンを、母はピアノを弾く音楽が溢れた家庭
この生まれた地に、幼児期何度も訪れショパンの原風景になった
14,15歳夏 親元を離れシャファルニャという田舎で過ごしたり、
16歳夏 母親、姉とドゥシニキ・ズドルイで療養した(2人とも病弱)
18歳夏 友人の家サンニキに滞在した このような経験がマズルカを生んだ
17~18歳で音楽家への決意をする
20歳1830.11.2 プラハを経由してウィーンへ 
21歳1831.9 パリ生活が始まる 程なくして名声を確立
25歳1835夏 カルロヴィヴァリで5年ぶりに両親と再会 ショパンはそのあとドレスデンの
ヴォジンスカ家(ワルシャワ時代家族ぐるみで親しかった)を訪ね16歳のマリアと再会
2週間の滞在でお互い惹かれ 1年後にまたマリアンスケで婚約まで漕ぎつけたがショパンの
吐血を知ったマリアの両親に反対され、悲しい別れの結末となる

28歳1838.10ショパンより10才年上のジョルジュ・サンドとその2人の子供とマヨルカ島へ
マヨルカ島は素晴らしかったが冬は最悪でショパンは衰弱していく
結核をことさら忌み嫌う島民に意地悪をされマルセイユに向う
29歳1839.2.24マルセイユに着く 2ヶ月の滞在で病気は回復、2週間のジェノバ旅行もした
マルセイユでは殆ど外出しなかったが唯一 ノートルダム・デュ・モンを訪れた
滞在中、友人のオペラ歌手アドルフがナポリで自殺、家族がこの教会で追悼ミサを行った
その時、ショパンがオルガンを弾いたことがこの教会に書かれている
29歳~36歳 ノアンのサンドの館での日々
1839.10.11 一年ぶりにパリに戻った お互いがスープの冷めない位置に住んだ
パリとノアン(パリから270kmサンドの故郷)で過ごすパターンが続いた 
サンドのショパンへの心配りが友人に宛てた手紙に滲んでいる
写真にあるドラクロアと語り合った石のベンチ、当時の馬車、ショパンの髪の毛も使われて
いるであろう人形劇の人形(息子モーリス作)リストやバルザックも来た部屋など面白い
子供たちが成長し複雑さが増した サンドは娘と気が合わなかった
サンドとの別れは突然に起きた
娘のソランジュ夫婦がノアンでモーリスと取っ組み合いのけんかをしサンドに追い出されて
しまった  その時パリにいたショパンに、手を貸さないようサンドから頼まれたのに
妊娠し衰弱しているソランジュに馬車を貸した 
それがサンドに決別の手紙を書かせることになった 
その後サンドとショパンが会ったのは1度だけ偶然すれ違い二言三言
ソランジュの出産について話しただけという

1848.4.20 ショパンはロンドンへ (以前マリアとの恋が終わり、傷心を癒すために来た)
今回はスコットランドの富豪の令嬢ジェインに勧められたのだ 
演奏続きで疲れきっていった スコットランドでも家系の話を聞かされる苦痛な毎日
1848.11.16 ロンドンのギルドホールの演奏が最後の演奏になった

1848.11.24 パリに戻った 衰弱しきった体、体調がよいとき馬車でブローニュの森へ
「絶筆のマズルカ」を書けたのは5年ぶりに姉ルドヴィカと再開だろう
ショパンは夫と子供を連れて駆けつけた姉の姿を見て涙を流して喜んだという
1849.10.17 すでに昏睡状態だったショパンはルドヴィカやソランジュ、グジマワなど
親しい人に見守られながら生涯を閉じた 最後まで咳と吐血に苦しみながら
その前日遺言を告げた 自分の心臓をワルシャワへ運ぶこと、
葬儀にモーツアルトのレクイエムを演奏してほしいこと
未完の作品はすべて焼却することの 3点だった
葬儀はマドレーヌ寺院で行われた

「ショパン紀行」あの日ショパンが見た風景 堀内みさ文/堀内昭彦写真より
 


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7/13続ショパン 本の返却日①マルセイユ

2010-07-13 22:26:53 | 欧州旅 思い出…

この2週間 CD「ショパン大好き」と「練習曲」を聴きながら 一緒に借りた本
「ショパンを廻るパリ散歩」と「ショパン紀行」を少しづつ読んでいた
どちらの本も写真がきれいで、あっちを見たりこっちを見たりしていたが
今日じっくり読み出したら、ここに何を書くか?時間がかかり過ぎて難しい

「ショパン紀行」を読むと、私が一人旅で行ったマルセイユ、チェコのカルロヴィヴァリ
パリのマドレーヌ寺院などが出てきて、そこでのショパンが浮かんでくる
18回の一人旅で撮った1万枚の写真は整理してアルバムになっているが見る機会は少ない
こんな時、マルセイユの事など思い出したくてアルバムを開いたら、またまた脱線
これもブログに載せようか? と迷う 欲張りが始まってしまった

本の内容を後回しにして写真を載せることに 
軽量でズームのないコンパクトカメラで撮った写真だが、アルバムは行程順になって
いるので、次々思い出され満足している それをスキャンした写真はかなり不満足だ
実は私がブログを始めるきっかけは「海外旅行の記録」を少しずつ載せようと思ったことだ
その全体像が纏れないでいるうち、4年も過ぎてしまった
こんな機会に一部の切り取りでその旅行の一端を載せるのもいいかと
(最近多くの方にこのブログを見ていただいているので、何をどう書くか考えてしまう
自分の日記代わりに書いておこうと思っているのだから気負わず、つれづれに…)
アルバムを見ると載せたいものが広がってどんどん増えていく

マルセイユに、ショパン(29歳)はマヨルカ島を追われるように病身で着いた
殆ど外出しなかったが唯一、ノートルダム・デュ・モン教会を訪れた
2ヶ月の滞在でかなり回復し、その間に2週間のジェノバ旅行もできた

私は2000.5.31~6.23 (24日間)オランダ、フランス、スイス、ドイツの一人旅をした
ブリュッセルからマルセイユへ飛行機で入り、中央駅そばのイビスホテルに1泊、
次の日は港のそばのメルキュールヴォーヴォーに1泊した
一日目にエクサンプロバンスへ行ってきた 翌日メルキュールで朝食中、目の前に
イフ島行きらしい船着場の看板が見えた フロントで確認すると15分で島に着くとのこと
出航時間も近く急いだ 9:00→9:15→1時間半イフ島滞在10:45→11:00
その後、12:09→13:08予定通りの列車でアルルに着いた ドイツ語圏はホテルの
予約はしないが、フランスではしておいたので行程が縛られた

ショパンが弾いたピアノとショパンも泊まったホテルメルキュールの朝食

左:メルキュールの私の部屋は北の安い部屋だが朝食はみな同じ所で同じ物、
中央:メルキュール外観 前の景色と朝並ぶ行商のおばさんの屋台の魚


左から マルセイユの高台から オペラハウス メルキュール前の旧港
《ここまで作るのに随分時間が掛かった 綺麗な写真でもなく続きは思案中、
折角やったので投稿することにはしたが… 》

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7/12雨の日

2010-07-12 13:34:33 | ブログ開始07.1~2010.12

サッカーがスペインの優勝で終わり、お相撲はテレビ生中継がないまま始まり、
昨日の選挙の結果「ねじれ国会」となり、あちこちに集中豪雨が突然現れ…

今回の参院選では多くの人が日本の将来を思い、誰に投票するか迷い、
熱心に考えていたと思う これから簡単に変化がある筈はないが物質・生産主義でなく
自然を大事に、心豊かに過ごせる方向だけは見失わずに政治家が働いて欲しい

夫が急に転院することになった 治療の必要がなくなったから、と長期療養型病院へ
元気になったといっても、ベッドから車椅子に移れず、ベッドに座っていられるのも短時間
透析週3回、人工肛門 今までの5倍近い費用 介護保険を使いたくても自宅療養は無理
何かあるごとにタクシー代、医療費… 今までの病院なら心配はなかったのに…
他に方法は? もっと適当なところはない? お金が払えなくなったら?
私が病気になったら? 納得でないままに、不安だらけで転院するしかない
誰にでもくる老後、「安心できる老後」 やさしい社会を切望している

今、NHK-FMでモーツアルトのセレナードが始まった
“こんな暗いこと考えないで~!” と 寄り添ってくれているようだ
不思議に急に日がさしてきた 3時だ コーヒータイムにしよう
シューベルトの曲、大好きな「即興曲」 ブレンデルの演奏で始まった
やっぱりショパンとは違って気分が明るくなる うれしくなる
3:23「シューマン 交響曲1番」マーラー編曲版が始まった

産経新聞をとっている 朝日や読売より気に入っている
●日曜の「数独」はできるまでやって今まで全回解けている できると何ともスッキリする
解けない時は気になり2日がかりも“やった~!”と  早い時でも30分かかるかな~
漢字クロスワードも挑戦する ひらめいたり、降参したりして次週の正解を待つ
●まず読むのが「朝の詩」今日のは 84歳女性「葱の母さん」
“橋の擬宝珠は立っている 畑のぎぼうしはねんねして 子種は一杯大家族
そっとさわれば しっかりと 葱になる子はまんまるく 離しはしないと まもってる”
●毎日、男性でもこんなこと感じてるんだ~とか 6歳の子が~? と驚かされたり…
●中でも柴田トヨさんの詩は心打つ 7/10 トヨさん99歳の詩を紹介
“家の垣根に朝顔が ひとつひっそり咲きました 次の日ふたつ咲きました 三つ咲いたら
出稼ぎの夫の便り届くでしょう そんな昔を思い出す 朝顔 私の好きな花”
●次に必ず読むのが「産経抄」、関係あると読むのが「ゆうゆうLife」「次代への名言」
「オピニオン」 小欄の「きのうきょう」、本の紹介、BSとFMの番組欄もチェックしておく
切抜きの整理に追われるが、たまに広げて、また仕舞って…


柴田トヨさんの〈白寿記念詩集〉は去年12月に産経新聞に申し込んで送ってもらった
今朝新聞を取りに出てふと横を見るとヒメフウロ?に おいしいの?

雨が止んだのでちょっと散歩に出た

今6:40テレビで相撲の録画をやっている バルトが負けた 魁皇がんばれ~ 勝った~!



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続 7/2 投稿「ショパン生誕200年」

2010-07-10 13:49:36 | 欧州旅 思い出…
ショパンに入る前に、前回7/8に書いたブログのトラブルの件
gooからメールで当日に返答あり、7/5投稿の「休日の町」が原因と分かり
すぐ「亜細亜大吹奏楽部」を削除したら元に戻り解決しました

●図書館で借りた CD「ショパン大好き」から(9曲70分)
① 「幻想即興曲嬰ハ短調」
 20代半ばで作曲したらしいが死後に楽譜箱から発見された 気に入らなかったらしいが若いショパンの多感な心情があらわれている「即興曲」とだけ書かれていた
② 「バラード第1番ト短調」
 “バラード”というと一般には物語性を持った歌曲をさしたが器楽作品の分野に完成させた
③ 「ノクターン第二番変ホ長調」
 親しまれている甘味な感傷性に満ちた美しいノクターン ショパン青春時代の作品
④ 「ワルツ第6番 変ニ長調 子犬」
 サンドが自分のペットの子犬が尻尾をクルクル回して遊ぶのを見て、私が作曲家なら描くといわれたのがきっかけでできた
⑤ 「幻想曲ヘ短調」
 ロマンチックなファンタジーの世界を生み出したショパンの最高傑作のひとつ
 サンドとの愛の暮らしがいちばん順調な時期の作品 「ゆ~きのふるまちを~」のメロディ
⑥ 「ワルツ第7番 嬰ハ短調」
 病に悩まされている時期の作品で、2年後に世を去る 悲哀感や憂愁の色調、渋い感傷
⑦ 「プレリュード変ニ長調 雨だれ」
 病気の静養のためマジョルカ島の僧院にサンドと滞在中、雨の夜に窓の外の雨だれから
⑧ 「ピアノ協奏曲 第2番ヘ短調」
 母国ポーランドのワルシャワ音楽院を卒業した時の初恋の相手グラドコフスカを思って作曲  青春のみずみずしさ、さわやかな詩情、甘美でメランコリック 彼女への想いが色濃い曲
⑨ 「アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ変ホ長調」
 最初はオーケストラを伴ったが現在はピアノだけで演奏する
    * ピアノ:クラウディオ・アラウ  ロンドンフィル 指揮エリアフ・インパル
●何度も聴いての感想 
幻想曲、バラード、ノクターン、ワルツ、プレリュード(前奏曲)、協奏曲、ポロネーズ 
短調5曲と長調4曲 こんな聴き比べができた いつも何気なく聞き流していた曲も、
作曲者がどんな状況の中で書いたか?解説を読みながら聴くと今まで知った諸々のイメージと重ってくる (図書館で借りる時、解説がなくなっているものが多い)
● いま机の周りにショパンの本や切り抜き、メモがどんどん増えてしまった
借りた本の中に上に書いた⑧のピアノ協奏曲が初恋のせつない想いで作曲されたというのに彼女は気づいていなかった と グラドコフスカはハンサムで富裕のグラボフスキの2度目の妻になるが36歳で視力を失い79歳まで生きた 後年ショパンの想いを知り深く驚いた

●もう1枚のCDはショパンの残した練習曲27曲すべてが収められている 
     *ピアノ:アシュケナージの若かりし頃1971~1982収録 68分
単に演奏技巧を訓練するのではなく、高い芸術性を目指した小品集
彼が練習曲を書き始めたのはポーランドにいた10代終わり頃 聴きなれた「別れの曲」など

●2冊の本「ショパンを廻るパリ散歩」「ショパン紀行」も写真が多くて楽しみながら読める 返却日も近い 少しメモして後日また投稿したいと思う

●本を読んでいるうちに、2000年の一人旅でマルセイユでショパンが弾いたピアノのあるホテルに泊まったことを思い出した 次回、そのホテルからの写真も載せようか… そのピアノはイフ島への乗船時間が近づき写真を撮れなかったことも思い出した

●音楽評論家黒田恭一さんが亡くなりテレビ・ラジオ・雑誌でお目にかかれなくなってしまった
4日ほど前、夜テレビBSで横山幸雄さんと草笛光子さんが黒田先生の書き残したメモなどから先生の思いに沿って作成された心に残る番組があり、じっくりと見入った


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7/8 朝の散歩

2010-07-08 17:32:02 | 近隣

ラジオでサッカー、ドイツとスペインの準決勝戦を早朝から聞いていた
最後の巻き返しもなく1:0でドイツは負けてしまった
殆ど毎日深夜放送からラジオ朝一番へ、日中もNHKFMかAMを聞く
朝の天気予報で今日の予定を考える 今日はまず早朝?散歩に出た

ワンちゃんは右がお母さん3歳左が1歳の親子で~す 8時頃

真中の写真は水滴写したつもりだったんですけど…

ブラックベリーは別荘で育ちすぎて困りましたが…

しばらく振りで行ったら、もうこんな季節でした

手入れをされている方に感謝です

バラの新芽  大きな松葉牡丹は5分後に戻ったら咲き始めてました


このブログの画面の左面に出ていた「お知らせ」「カレンダー」……の欄が
表示されなくなり、7月からの分が右寄せになったりしていることが分かりました
gooに問い合わせメールをしましたが返答はまだです
日記のつもりで書いてはいるもののたくさんの方に見ていただいているので
前のように回復出来るといいんですが…

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講座:近現代文学を中心に武蔵野の歴史

2010-07-07 15:49:53 | ブログ開始07.1~2010.12
     4/12~7/5(15回)武蔵野大学2時限 社会人50名、学生数人
1回目:4/12 「国木田独歩と武蔵野」 講師:立教大文学部教授 藤井先生
《国木田独歩》
20歳(明治24年)麹町教会で受洗 その頃徳富蘇峰を知る 
   5月山口の両親のもとへ帰郷 松下村塾にならい小学校分教場に「波野英学塾」を
  開くが5ヶ月足らずで転居のため閉鎖
21歳「ワーズワース詩集」を入手、以後愛読する
22歳「欺かざるの記」起筆 職探しに奔走 大分の教師に赴任
24歳上京 6月日本橋の医師佐々木夫妻の招きで夕食会に出席 長女信子と出会う
  信子との交情が急激に深まり、8月小金井近くの武蔵野を散歩
  両親に結婚を反対され、佐々木家と絶縁し東京を立ち退く条件が出され逗子に住む
25歳3月逗子を引き上げ麹町の両親宅に同居 教会の帰途信子疾走、独歩の思い空しく離婚
26歳離婚した信子は独歩との子浦子を生んだが、数年独歩はそれを知らなかった
  5~6月(1897年)田山花袋と日光に滞在  6月麹町に下宿、隣家の榎本治子を知る
27歳「今の武蔵野」(後に「武藏野」と改題)を「国民の友」に連載 8月榎本治子と結婚
30歳 第一小説集「武蔵野」を民友社から刊行 与謝野鉄幹・昌子夫妻を知る

貰った資料から復習しながら書き出したのだが…
先生の話は、独歩の一途な性格など面白くもっと聞きたかった
家の近くの独歩橋、独歩碑 三鷹駅前の独歩碑 色々知った 
「武蔵野」という最初のイメージを作った国木田独歩 
小説「武蔵野」を図書館で借りて読んでみようかな
この後18回までを書くのは自信がない 簡単に…
2回目:「太宰治と武蔵野」書ききれない  講師は元文学部客員教授 野口先生
3回目:「金子光晴と武蔵野」 講師は文学部准教授 土屋先生
   金子光晴は野口雨情の紹介で成蹊大学近くに家を建て3人の家族と一生を送った
   父の遺産で海外旅行が出来シンガポール経由オランダ、フランスにも行き語学堪能
   (同じ頃太宰も近くに住んでいた)
4回目:「三木露風と武蔵野」 講師は近代文学研究家 福嶋先生
   露風は明治22年兵庫県生まれ 明治39年駒込に住み、尾上柴舟主宰の短歌結社
   「事前草社」の同人になる 相馬御風らと「早稲田詩社」を結成 明星派と対立
   大正3年栗山なかと結婚 池袋郊外に住む 昭和3年三鷹村牟礼に定住
   昭和38年紫綬褒章受賞 (童謡「赤とんぼ」の印税が日記に書いてあったと…)
   昭和39年12月輪禍に遭い、一週間後死去 
5回目:「山本有三と武蔵野」 講師は文学部教授 宮川先生 
   これも書ききれないので三鷹に立派な「山本有三記念館」があるということだけで
6・7回目:2班に分かれて実地踏査 私は「太宰治の武蔵野を歩く」に参加
8回目:「実地踏査の後に」 講師は宮川、土屋先生
9回目:「松本清張と武蔵野」 講師は立教大学文学部教授 石川先生
   清張は昭和28年家族を小倉に置いたまま、朝日新聞東京本社に転勤
   荻窪の叔母宅に寄宿
   翌年家族を呼び寄せ練馬区関町に転居 2部屋にに8人が起居していた
   昭和31年依願退職、文筆専業に 昭和32年石神井に家を新築し移住 
   昭和36年高井戸に家を新築晩年まで住む(浜田山)
   石炭の町小倉の落ちゆく姿と栄える武蔵野を描いている
10・12・13回目:「武蔵野の碑と拓本」 講師は文学部教授 広瀬先生
11回目:大岡昇平の「武蔵野夫人」を読む 講師は本学名誉教授 竹田先生 
   小説の舞台 武蔵小金井、貫井神社、野川、はけの小道 村山貯水池など
14回目:「武蔵野と文献検索」 講師文学部教授 小西先生
15回目:「たまらん坂」を書くまで 講師元文学部客員教授 黒井先生
16回目: 6班に分かれて感想まとめ発表 武蔵野大学長から終了証授与

6/19 三鷹駅前の独歩詩碑を拓本 “山林に 自由 存す” 武者小路実篤之書
どれも内容濃く、知識がない分新鮮で「そうなんだ~」の連続 勉強させてもらった
(忘備録のつもりで書き入れました)

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市主催の寄附講座最終日

2010-07-06 23:04:26 | ブログ開始07.1~2010.12
7/4(月)4倍の抽選に当たって受講した4月から16回の講座が終わった
この講座は毎年前期、後期に募集される武蔵野市の寄附講座
今回は武蔵野大学の“「武蔵野」の記憶と現在”というテーマの2回目
市で生涯教育の一環としている中で
五大学(亜細亜大、武蔵野大、成蹊大、獣医大、東京女子大)に「聴講生」として
開かれているのは、大学生の授業に少人数の社会人が受講出来るもの
寄附講座は社会人が主で学生も受講でき単位が取れるもの
初めて参加したが充実した内容でそれについては別に記載します

武蔵野自由大学が出来た平成15年から私は何らかの受講をしたので
五大学全部の校風を垣間見ました 武蔵野大学は途中から共学になったのです
学生の様子を写真に撮りたくてもなかなか出来なかったのですが
今日は声をかけて撮らせてもらったので載せることに…
足元を見て雨の日など特に多種多様な履物があって見とれるんです
ヒールの裏が真っ赤なものや、編み上げブーツ、スニーカー
みんなおしゃれだな~ 若いっていいな~ 


家から自転車で10分で着きます 正面玄関で後姿を 次に勇気を出して声をかけて

やっぱり声は掛けられないな~と思っていたら、ポーズとってくれる学生さんも

声を掛けやすいのは無難なもの、目に付くのは撮れないのです
最後にエレベーターの閉まるところで“靴撮らせてね~”といったらみんな笑顔で



今日の授業の国木田独歩の碑に寄って帰宅
碑の前は浄水場 後ろは玉川上水 覗いたらコサギが

 


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休日の町吉祥寺他

2010-07-05 19:29:16 | 近隣

吉祥寺の土・日の人波はいつも凄い
人気は上がっていると聞くが私には伊勢丹も三浦屋もなくなり
魅力がなくなった ただただ若者でごった返している 


7/3(土)吉祥寺駅前で「浅岡雄也デビュー15周年ライブ」をやっていた
駅前、サンロード通りなどの人混みの写真を撮ったのだが
顔が入って載せられない 大丈夫そうなのだけ…

行列の有名なメンチカツ店、老舗の最中の店、おいしい鰻屋さん
 みんな長い行列が


ハモニカ横丁も人人人  サービスコーヒーに列  ちょっと路地に入ると質屋さん

こんなお店も最近増えてます


自由が丘から2ヶ月前にこちらに来たばかりとのこと
楽しいおしゃべりが出来ました 商売順調にいくといいですね~




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