54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

今年4回目の富士見

2010-09-27 20:45:02 | 富士見

9/25猛暑で庭の手入れに行けなかったがやっと別荘へ
やはり隣りの草も侵入してひどい庭
見たとたん手がつかない、と諦めたのだが思い直して1泊し
娘を呼んで手入れした 雨上がりで以外にはかどりきれいになった
気持ちのいい高原の風、秋の空、富士山も見える
4年前、せっせと釜無川に石拾いに行って選んだ石
Jマートで色々買ってレーアウトした手作りの庭
将来の姿を思い選んで植えた木、球根、畑…  何もしない内に
夫の病気で持ちこたえるのは無理になった
不景気で簡単には売れないかもしれない


9/25車窓 富士見近くのそば畑と稲  大工さんの家のミネゾと立派なアプチロン
来た時の庭

隣りのつるが家の庭の木に絡み付いている これでは手がつかないと…

よく見ればやっぱり高原の花だ~  庭からの富士山


9/26 朝6時にお祭りの花火の合図が近くでパン・パンと 
日中、お神輿を担ぐ“ワッショイ・ワッショイ”の掛け声も…
昼食は庭で有り合わせで簡単に済ませて精を出したが3時までで限界
腰も腕も痛くなり早く帰りたい これだけきれいになれば満足
16:55の鈍行で娘と帰宅した 車中は空いていたが食べ物なくて…
帰る時の庭

百日紅、大山れんげ、紫式部、日向みずきなどに隣りのつるが巻きついていた

     玄関側もざっときれいに…   庭からの八ヶ岳   持ち帰った置き物

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ICU 湯浅記念館

2010-09-23 17:11:14 | 近隣

「あかり展」をやっているのを知り行ってみた
初代学長の湯浅八郎の蒐集した貴重なものの企画展が年3回開催されている
     

今回の「あかり展」では屋根瓦と同じ土で焼いた灯火具、
植物油に芯を浸して火を灯す容器、台座に柱を立て皿を置く灯火具、
カンテラ、ランプ、行灯、雪洞、小田原城提灯など…
      

武蔵野公園がゴルフ場でICUの敷地でありこの近辺に
約3万年前から人が住みつき、これだけの土器が出土していたとは!
      

キリシタン禁令高札(天和二年 1682年)
        

      
  
     

         編集のやり方を変えて挑戦してみたが…


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都薬用植物園

2010-09-22 13:49:35 | 近隣
9/18朝 テレビで薬用植物園の「カリガネ草」が咲いていると…
どんな花だっけ? 国分寺に住んでいた頃自転車でよく行ったが…
ロックガーデンや水生植物区、有毒植物区、広い空、変わってなくてホッとした
説明員が親切に一緒に回ってくれて色々教えてもらったのに
メモ書きが読めず日もたって思い出せないことばかり
根が…、葉が…、花が… に効く、染料にするなど


温室に

温室出た所にチョウマメ

ムラサキイネ         シュクシャ(しょうが科)   

これが「カリガネソウ」テレビで聞いて来た人が「えっ!?これですか?」
近くにいっぱい咲いてると言ってる声も 
右:お彼岸だというのに彼岸花が咲いてないのは珍しいと

センニンソウ       右:春にきれいに咲くロウバイが今はこんな姿

左:ムラサキバレンギク  真中:大きな瓜  右:蜜線に蟻のリクズ(草にわとこ) 

ツノゴマ(一角獣)辺りにゴマの匂いが  右:アカヤジオウ(ゴマノハグサ科)

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続9/19飯倉・集団疎開

2010-09-21 20:47:12 | 都内
幼少時この近くにいた
鞆絵小学校に入学した(たしか日本で最初の公立小学校)
登校時は防空頭巾を持ち、学校へ着くとすぐ帰る練習も
花電車、水交社の庭、家の藤棚 防空壕 空襲警報など思い出す
S19年小学3年の8月集団疎開で栃木の川治ホテルにトラックで送られた
ひもじい疎開生活で栄養失調になりS20年長野の父の実家へ疎開

家があった辺りに行ってみると都心だというのに空き家、空き地が多く
どこに家があったか分からない 大通りをちょっと入るだけでこんなに
違うの~? 地主の問題? 便利な所… 神谷町駅に3分 虎ノ門も近い

疎開の時、記念撮影した八幡神社へ



左:ビルに東京タワーが写っている 
飯倉交差点を六本木方面に行くと昔からあったロシア大使館(写真なし)
狸穴坂 有名人が来るという「キャンティ」や高そうなおしゃれな店が…
通りの向かい側に立派な建物の麻布郵便局があった(写真なし) 

立派な郵便局を見た後に、上真中写真:なんとマッチ箱みたいな「派出所」が

増上寺へ 

左:増上寺の菩薩像の写真撮ったのだが失敗 右は東京タワーに入る人の行列の
すぐ横にこんな所も この辺りまで水交社だったのでは? 飯倉山の端?
水交社は戦後進駐軍に接収された後返還され三越があったように思う
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の新聞から
港区観光協会は、区のシンボルとして徳川二代将軍、秀忠の正室
「お江」を認定 イメージキャラクター「お江姫」のイラストが載っていた
増上寺には6人の将軍とお江ら妻たちが埋葬されている
お江は、NHK23年の大河ドラマの主役  

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9/19(日) 芝大神宮だらだら祭り

2010-09-20 15:50:21 | 都内
9/7、9/8「水交社」を投稿した 私の生まれた地が懐かしくお祭りに出かけた
しょうが祭り、だらだら祭りとも だらだら続くから(11日~21日)
ご祭神:天照大神、豊受大神
平安時代・一条天皇の御代に創建された千年の歴史のある神社
飯倉山芝公園丸山(東京タワー付近)に鎮座し、慶長3年(1598)当地に鎮座
江戸時代には多くの崇敬者を集め境内には角力(相撲)、芝居小屋、
見世物小屋が常にあり庶民の憩いの場として賑わった 鳶頭と角力取りとの
トラブルは歌舞伎の『め組の喧嘩』として有名
御社殿鎮座当時、周辺がしょうが畑だったことからこの呼び名が
広重の錦絵にも画かれていると

振る舞い酒を私に並々入れてくれて、飲みきれず気分ウキウキ 外人に飲んで~~
上右はニュージーランドの高校生、下左からオーストラリア人、長野の人、アメリカ人



素敵なカップルの結婚式も

左は江戸時代より伝統の千木ばこ  境内を出て別の通りに   
下:周辺散策後、大門前でお神輿を見る


お神輿を見る前に東京タワー周辺散歩したのが続く

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9/17 神代植物公園 ②

2010-09-19 19:56:56 | 近隣
神代植物園温室

真中:ホコバテイキンサクラ

左:サンタンカ  真中:アデリウム(キョウチクトウ)
右:いちばん気にいったアサヒカズラ

ハイビスカス(コーラル系)  白ウコンの花  右:モンキーバナナ 隣りには大きな
バナナも生っていたが上手く撮れなかった 垂れ下がっているのが雄花

左:イエライシャン(夜来香)  右:カリアントラ(ネムの木)
真中:3年目始めて咲いたと係員が案内してくれたアノッテアヌス(ハイビスカス)
期待しないで行ったが珍しい花が見れて良かった
球根ベコニアはいつものように賑やかに咲いてました
温室外には

睡蓮がまだこんなに咲いていたのでした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 敬老の日 9/20に追記
この投稿はなるべくA4版に纏めている 空白利用で「敬老の日」の新聞から
長野「姥捨山伝説」はお年寄りを大切にという内容なのだと…
姥捨山=冠着山(カムリキヤマ1252m)
若者が殿様の命令に反し母を床下にかくまう
その母の知恵で隣国から攻められそうになった殿様を救う
殿様は詫び、年寄りを大切にするようお触れを出した…
という家族愛を伝える物語 棚田と稲冠着山の写真が載っていた

二進も三進も:にっちもさっちも (こう読む!!)
ナナカマド:7回釜土で焼かないと燃えないほど堅い木からきた名
オミナエシ(女郎花)あわ花ともいう 昔は粟飯は女が食べる物
「女飯」が転じてついた名   花言葉「親切」 
この花に似た草で白花が咲くのがオトコエシ(男郎花)



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9/17 神代植物公園①

2010-09-17 22:31:04 | 近隣
やっと気持ちのいい秋日和 神代植物園へ
受付で、今見ごろは?と聞くと特にないと言われたが
12:30~15:15良い時間を過ごした


展示室前の鉢植えに可愛い花!   

展示室前の綿の花(ハイビスカスに似てる)と木と弾けた綿 エゾミソハギが天に向って

山野草園から芝生広場へ 来年の蓮も楽しみ

ハーブ園のアーティチョーク アザミ セージ

パンパースグラス 2歳半なのに“ごちそうさま!”って自然に言えるお利口さん
右:ブログのアドレスのメモを上げたらポケットにしまってくれました
楽しいひとときをありがとう! また逢いたいな~

名前は ゆうり雄里君 生後8週目パパはロシア人 うれしそうですね お幸せに! 
白の花の名前分かりません 右は葛(クズ)の花 良い匂いがしてました

ピーマンみたいなウバユリの実 立派な百日紅の木 はぎ園に行ってみたが
まだ三分咲き オミナエシ 右フジバカマ

左から萩の花 ムクゲ スイフヨウ イチゴノキの実(いっぱい生っていた)

温室にも今しか見れない花がありました 投稿続きます


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欧州一人旅 行程再編1

2010-09-16 21:55:32 | 欧州旅 思い出…

萩のトンネル、彼岸花など見に行こうと思っていたら雨
せっかく涼しくなってやる気が出たから
「18回の海外ひとり旅」の記録をここに載せることに
8/30に初回と13回目 9/4に11回目の簡単な行程を載せたから
その他を続けておこうと思う 1万枚ある写真や出来事は後日にし
まずは行程記録18回分を完成させておきたい 
ここに2,3,4回が出来たので18回のうち残りは12回分
写真も入れ楽しめるものにしたいが、その下準備としての投稿ということで 

1991.5.25-6.13 (17日間) 2回目   
大韓航空139,000 ユーレイルパス15日52,700
「スイス」チューリヒ→夜行→ベネチア4h滞在→「オーストリア」フィラハ1泊→
クラーゲンフルト2泊中(グラーツ3h滞在)→ツェルアムゼー3泊中
(インスブルック4h滞在、リンツ4h滞在)→「ドイツ」パッサウ2泊中
(バンベルク3h滞在、レーゲンスブルク2h滞在)→バンベルク4泊中
(バイロイト4h、ライプツィヒ4h滞在)→ガルミッシュP.Kv1泊中
(ミッテンバルト1h滞在)ブレゲンツ1h滞在→チューリヒ1泊 ソウル経由帰国

1992.3.29-4.19 (22日間) 3回目 
フィンランド航空136,500 ユーレイルパス15日58,100
ヘルシンキ1泊中〈カリオンキルヘコンサート〉→「オーストリア」
ウィーン3泊中 〈1泊はクロニック宅、ムジーク・フェラインコンサート、
シェーンブルン宮殿、オーバラー、カーレンベルク、シューベルトの家、
フィガロハウス、アイゼンシュタット1h半滞在など〉 →クラーゲンフルト2泊中
〈アイスルーデンのインゲボルク宅5h滞在〉→リエンツ2泊中 
〈教会コンサートでクリスティネと知り合う〉→ミッテンバルト8h滞在 →
シャルニッツのヘルムート宅で2泊中〈ラッテンベルク4h滞在〉→「ドイツ」 
ミュンヘン2h滞在→フュッセン1泊中〈ノイシュバンシュタイン城に行ったが
日本人ツァーで混んでいたので入らず〉→リンダウ1h滞在 →「スイス」 
クール2泊中〈「イタリア」ティラノ1h滞在 ブルノ夫妻と知り合う〉 →
ルツェルン→インターラーケン→シュピーツ2泊中 〈パノラマ特急でモントルー
 →ローザンヌ1h滞在 →ブリーク→シュピーツ〉 →ベルン→チューリヒ→ 
「ドイツ」ドナウエッシンゲン1h滞在 →ゲンゲンバッハ1泊 →カールスルーエ
→マンハイム→マインツ→コブレンツ→ボン→ケルン→アーヘン1泊 →
「オランダ」 アムステルダム→ハーレム→ライデン→スキポール空港 →
「フィンランド」 ヘルシンキヴァンタ空港 ヘルシンキ2泊中〈タンペレ1h滞在、
ヘイノラのマティの叔母さんの家1泊→マティの家族と車で3h空港へ

1993.6.28-7.18 (21日間) 4回目 
大韓航空103,700 ユーレイルパス15日58,900
ソウル経由「オランダ」アムステルダム2泊中〈アンネの家、コンセルトヘボー、
国立博物館など〉→ハーレム1泊中〈ドルドレヒト2h、デルフト1h半滞在〉→
ホールン2泊中〈SLでメデンブリック→船でエンクハイゼン、アルクマール3h半滞在
デンヘルダー(北海)、ホールン地方博物館〉→「ドイツ」フーズム2泊中 
(フレンスブルク1h半滞在→キール→ヴェスターラント1h半滞在〉→シュターデ1泊→
ハンブルク →リューネブルク1泊中〈メルン1h半滞在→リューベック2h半滞在〉→
ゴスラー1泊 →フランクフルト→コブレンツ→トリヤー2泊中〈「ベルギー」
リエージュ30分滞在→「ルクセンブルク」2h滞在〉→「スイス」バーゼル→ベルン2泊中
〈ルツェルンのワーグナーの家など3h、ブリエンツ1h→船で→インターラーケン→
車で→トゥーン1h滞在〉→バーゼルのブルノ宅2泊中〈バーゼル市内〉→
「オーストリア」インスブルック→ シュピタールのクリスティネの家に2泊中
〈ハイリゲンブルート、リエンツなどドライブ7h〉→インスブルック→ ミッテンヴァルト1泊中
〈ガルミッシュ.P.K 1h滞在〉→ロイテ1h滞在→「ドイツ」ウルム2h滞在→
フランクフルト空港→ソウル経由帰国
短い滞在時間だがいろいろなことが鮮明に思い出される


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9/13武蔵野音大楽器博物館江古田

2010-09-14 14:25:30 | 近隣

毎月届く月刊誌に「武蔵野音大楽器博物館」が載っていた
海外一人旅で現地に着くと、真っ先に行くのは教会
(ステンドグラスとオルガン見たさに)
楽器博物館があると知ると探して行っていたが
日本に、こんなにあることに驚いた 
浜松でヤマハのも見たし、国立音大の資料館も見たことがある


月刊誌 特集  「楽器」~人を魅了する“道具”~ をデジカメで撮る

武蔵野音大楽器博物館

入口にあった手押しオルガンを見たとたんオランダのデルフトでのこと
(演奏していた人に家に招待されたこと) ハーグでのことも思い出した
上右はベートーヴェンホール前庭に

貰ってきたパンフレットをデジカメに撮って

1階にはピアノが凄い!!クララシューマンが使ったものなどなど~~
2階、3階にもあるとのこと、行ってまた驚いた お寺の鐘、木魚まで
撮影禁止が何とも…

思い立つと急に出かけるので今日も閉館間際だったが30分見れた
これだけの資料を何かのやり方で解説したり公開講座、ビデオなど
ないものか?  説明が聞きたいと思うばかり


途中のケーキ屋さんの入口に鉢植えのザクロが、左にはオリーブも

江古田には初めて行った 西武線駅は大きく改装中、途中に葬祭場が…



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9/11すきっぷ通り

2010-09-12 12:12:47 | 近隣

7回目というサンバパレードは「舞祭」のネーミングに
13:00~子供囃子  14:00~花笠踊り 15:15~ガムラン(亜細亜大)
16:00~サンバフェスティバル
(ICU、武蔵野美大、東京外大、ピー・ラジル)
~18:45終了 各チーム2回パレード出場
家が近いので1時と4時に行って写真を撮った

猛暑が戻り、やる方も見る方も大変

何枚か撮ったが見物人の顔が入ってモザイクも面倒で止めに

こういう写真が私には向いてるな~ (撮影順)

狭く短い通りをサンバのリズムが響く…

暑い中の熱演だが… 帰りの路地のオシロイバナに癒されホッとした


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今朝のラジオでクツワ虫が減ってしまったと
狭山丘陵の公園では草刈の長さを残したり冬の管理もし、今鳴いていると
クツワムシ、キリギリスは雄が鳴いている
バッタとキリギリスの違いは
バッタは鳴かない、目が大きい、髭が短い、草しか食べない


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9/7国技館から隅田川へ

2010-09-09 12:11:15 | 都内

国技館前の横断歩道を渡るとすぐ隅田川に出られた

途中に旧古川邸があったので次回来たいと

満潮時で淵ギリギリまでの水面


いくつあるのか分からないがまだあった

この日も猛暑 夕涼みの風ではないが気持ちいいだろう

久々に 花だ~~~!!

途中に水門が  会社帰りの予約団体 18:06写
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相撲博物館と水上バス案内をデジカメに撮って


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水交社② 相撲博物館へ

2010-09-08 16:00:39 | 都内
昨日9/6の写真の続き 水交社 《天覧相撲昭和8年5月27日》

昭和天皇  《右:前年横綱になった「玉錦」土俵入り》

《人気力士巨体の「出羽ヶ嶽」、男女川?、》

《優勝旗は「玉錦」、準優勝は「武藏山」 この時大関》
《》内は9/7教えてもらったこと
お相撲と関係ない写真も後ろの頁にあった 写真47枚中35枚投稿


9/7午後 このアルバムを相撲博物館に持参し調べてもらうことに
電話で問い合わせると4時半までと 4時過ぎに着いたら
見たことのある力士がちらほら… あっ!この人は知ってる~~!
応援してた霧島だぁ!“貴重な写真持って来たんですけど見ますか?”
と話しかけてしまった ツーショット写真も撮らせてもらった

この横綱はだれだろう? 戦前だもんな~ 博物館で分かるかな~?

左:親切に分かる範囲で調べてくれた 隣りは私の“どなたですか?”という失礼な
質問に“大山親方です 頑張ります!”と快く 右の説明文読んでいただけたらと 

豊国稲荷と出世稲荷が並んでいた 
9月場所の準備が出来ていてタイミングよく行ったようだ

分かったこと:アルバムはS8.5.27の天覧相撲が順番に収まっている
その横綱は「玉錦」に間違いない、大関「武蔵山」が、この時準優勝した
巨体人気力士の「出羽ヶ嶽」がいる  

コピーしてくれた資料から: 国技として、お相撲は
江戸時代の「上監相撲」が寛永3年江戸城吹き上げ御所で始まり7回
明治時代「天覧相撲」が慶応4年4月京都相撲、芝黒田邸、
目黒西郷伯別邸、九段偕行社、永田町鍋島邸など9回
昭和時代「天覧相撲」が水交社で7回、宮城内など4回で計11回
昭和12年5月27日の水交社が最後
戦後 昭和30年5月からは蔵前国技館で「両陛下行幸啓」
昭和天皇は国民とともに観覧することを大変喜ばれたと…
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相撲博物館は無料で今回は「記録を作った力士たち展」10.22まで
化粧まわしや横綱の実物を見て立派で驚いた 素人に分かるように
説明もして貰えた 5時過ぎ隅田川がすぐなので向った
何だか親孝行したみたいで…天国の父の顔が…
 
9/7、9/8分はコメント可にしておきます 
分かること、間違いありましたらよろしくお願いします

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水交社①

2010-09-07 12:06:56 | ブログ開始07.1~2010.12
連日の猛暑に散歩する気にもなれず好きな花の写真がない
こんな機会に貴重かも知れない父の残した写真を投稿することにした

東京タワーの場所に、戦前海軍の「水交社」があり、
明治29年5月生まれの父はそこに勤務していた
昭和19年ごろ田舎へ大事な物を送れるだけ送ったらしい
燕尾服、お雛様や私のおもちゃの卓上ピアノもあった
戦後その田舎に両親は住み続け、父は昭和56年6月 85歳で去った
○○大将、○○中将、東郷元帥、軍艦などの額が戦後も座敷に
掛け続けてあった 母も昭和61年12月 84歳で去り 
その家を処分する際に殆ど整理したが残った物をどうするか悩む

東郷元帥の額とその裏 はがされた写真をスキャンし30%に縮小 百武?

三笠宮様だけ分かるが、いつ頃のものか?
2011.2.26三笠宮ではなく高松宮と知る 百武海軍大将のことはネットに詳細あり

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アルバム27c×19c×3c 24枚 写真47枚をデジカメで撮る
お相撲を昭和天皇がご観覧になる日が順番に貼られているのか?
一応貼られてある順序で選んで載せた










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市民講座「秋の美術館巡り」②アルル

2010-09-04 19:52:57 | 欧州旅 思い出…

アルルの思い出
1泊目は日本で予約したホテルに泊まり、もう1泊はたまたま駅で
アルルに住む日本人に合い、「ゴッホ」というホテルを教えてもらった
あのゴッホの絵の「黄色い家」の場所にあり、駅に近かった
1階は簡素なレストランで、2階の部屋も安宿風だった

左から町の入口、ローマ闘技場前から出る市内めぐり乗り物 サン・トロフィーム教会

左:ゴッホが1989.2 入院したことのある病院跡は総合文化センターに
「ゴッホが描いた中庭」 は美しい花に埋められ彼のパレットのよう
跳ね橋に行く予定だったが有名なミストラルが吹きまくるので止め
チョコとバナナを買ってローヌ川に下りて風を避けひと時を
右:アルル駅ホーム

・・・・・・・・・・・・・・・・・

2000.5.31-6.23(24日間) 11回目の1人旅
ベルギー(ブリュッセル、ゲント、メヘレン、モンス)→
フランス(マルセイユ、エクサンブロヴァンス、イフ島、アルル、アヴィニヨン、
ヴァンス、シャモニー)→スイス(マルティニ、ローザンヌ、アッペンツェル、
ザンクト・ガレン、ゼーアルプゼー、ライネック)→ドイツ(コンスタンツ、マイナウ、
メーアスブルク)→フランス(ストラスブール、コルマール)→ドイツ
(フロイデンシュタット、シュトゥットゥガルト、ハイルブロン、バートヴィンプヘン、
マールバッハ、ヒルデスハイム、ブレーメン、ハーメルン、ミンデン、
ブレーメンハーフェン)→ブレーメン空港よりブリュッセル経由帰国


講座のあった日、市民会館にサギソウときれいな花があった

家ではランタナだけが暑い中、元気に咲き続けている


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市民講座「秋の美術館巡り」①

2010-09-03 20:08:03 | 欧州旅 思い出…
この秋開催される絵画展に沿った4回の講座でとても良かった
その講座でいただいた資料から、復習としてまとめておきたくなった
7/31 シャガール  8/7 ドガ   8/25・9/1 ゴッホ
シャガール
ロシアでユダヤ人社会の中、9人兄弟の長男として23歳まで過ごした
パリに出て4年目、一時ロシアに帰京したまま戦争で戻れなくなる
30歳の時ロシア革命で美術委員に任命され美術学校を創設するが対立し
辞職 ソ連政府が社会主義的リアリズムを提唱するに及んでロシアを脱出
ベルリンで妻子と合流。パリに1923-41住む
1930年後半ナチスのユダヤ人迫害が迫りパリを脱出アメリカへ
61歳フランスに戻り、パリ近郊に住んだ後ヴァンスへ
晩年は壁画や天井画、ステンドグラス、版画、陶芸など広範囲に活動
パリオペラ座の天井画は有名 1985.3.28  97歳で死去
ドガ
裕福な家庭に育ち家業を継ぐべく法学に進んだが途中から画家を目指す
巨匠アングルの教え「線を引くように」を生涯守った
オペラ座に通い踊り子を描き音楽にも感心が高まった
動きの一瞬を捉え、その形と色彩の美を表現した
8回あった印象画展に7回出展したが独自の作風を通した
日常の風俗や姿態をさりげなく、巧妙に表現
普仏戦争に従軍し目を痛め視力の低下に悩んだ 生涯独身だった彼の
晩年は視力を失い孤独を余儀なくされた 1917.9.27 83歳で死去
ゴッホ
ゴッホについては聞いたり見たり読んだりと大体のイメージがあるが、
耳きり事件や自殺の真相は断定できないとか?…
牧師を志し聖書を読みふけった時期や伝道師の仮免許まで取った教養人
普段は紳士なのに絵に集中してしまうと狂人のようになり
村の人に病院に入れられてしまうことに 抜群の集中力の持ち主
ゴーガンの来るのがどれほどうれしかったか 部屋を向日葵で飾り自分より
ずっと上等なイスを用意し… 2人が上手くいかなかった様子も理解できた

絵画を見ながら解説してもらい、前に見た絵も深い感動で見ることが出来そうだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シャガールで私に浮かんだのはチューリヒの聖母教会のステンドグラス
1998年だから随分前なのだが、はっきり思い出すのは列車を次にしてまで
ゆっくり見たこと シャガールのステンドグラスに引き込まれた
左写真:上手く撮れていないが…

1998.10 チューリヒにて  ゴッホのアルルも思い出があるので後日に…




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