54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

欧一人旅「13回目」 写真10

2012-07-07 14:45:43 | 欧一人旅1~18回 写真
6/27(水)アルンシュタット続き

左:ナイデック城跡 バッハ教会2度行ったが入れず残念 近くの坂道角の店先で目に付いたアヒル買う
(写真撮って下へ)  右:コールガッセのバッハの家の跡は空き地だった 
アルンシュタットが古文書に登場するのは704年、発掘物から人々の居住が始まったのは
紀元前4000年-1800年と推定され、954にはオットー1世が帝国会議を開いた
バッハは22才の時この町を離れ、ミュールハウゼンに1年いた後、ワイマールの宮廷礼拝堂オルガニストに
迎えられた この町にバッハが18歳で招かれた時ボニファーティウス教会は(現在のバッハ教会)
新しいパイプオルガンを建造中だった ここでいくつもの作品を創作している 
クラヴィーア曲 『最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッツィオ』、オルガン曲 『トッカータとフーガニ短調』…
(ここから西へ12Km の小さな村オールドゥルフは9歳で母を、10歳で父を失ったバッハがこの村の教会オルガニストになっていた長兄ヨハン・クリストフのもとに引き取られ、この兄からオルガンとクラヴィーアの手ほどきを受けた所 学校教育も受けさせてもらった この兄なくして大バッハはあり得なかった)
  
アルンシュタットは丘の上に見所は集まっている 読んだ本の若いバッハのあれこれが思い出されもっと散策したかったが、暑くて食欲なく市庁舎広場に面したお店でサラダを注文して昼食にした後、駅に行き
明日のプランの相談をしたが小さな駅は心もとない エアフルトかゴータなら大丈夫かと
小物写真 左:後ろ左2つ:アルンシュタット 前兎:ケーテン 前右2つ:ツヴィッカウ 後ろ兎:マイニンゲン
右:後ろ左2つ:ベルリン SLバッチと笛:ベルニゲローデ アヒル:これから行くアンスバッハ 鳥:オーバーストドルフ}

ゴータ 列車も丁度ありゴータのDBでプランを貰えてひと安心 何時の列車に乗り、帰ったか?
2時間滞在のメモはある 左から:町の中心に向う途中の「紅茶の小城」、絵葉書マーガレットK、
マーガレットK、市庁舎、坂道の上のフリーデンシュタイン城、ここで引き返しSバーンに乗って駅へ
   
2番目エアフルト乗り換え時4番線と言われたが2番線だった 確かに2番線の表示、確認は念入りに!
1時間の待ち時間にお金の計算… 21:06アルンシュタット着 右:6/28(木)アルンシュタット Hクローネの朝食
バッハが住んだ所に絞った今回の旅 10才~15歳の地オールドゥルフだけ残してしまった

6/28(木)アルンシュタット09:07→ 10:19マイニンゲン13:17→14:20アイスフェルト14:36→ 15:26ゾンネベルク
15:36→ 15:58コーブルク16:32→ 18:10ニュールンベルク Hインターシティ 1泊 ドイツパス9回の内6回使用

マイニンゲンは小さい町 初めてタクシーでマリエンKまで行く 右:マリエンKとその前 続く

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