54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

私が旅したバッハゆかりの地写真6

2014-03-14 21:03:12 | 『冊子バッハ』
私の旅[Ⅵ] 続き2 6/27(水)ツヴィッカウ08:48→ 11:41エアフルト11:53→ 12:17アルンシュタット→ゴータ→
21:06アルンシュタット(ドイツパス 9日の内 5回目使用)クローネ1泊90DM

ツヴィッカウ 8時前ホテル近くのヨハニスKに行くと鐘が鳴り大勢の人が入っていく そして演奏が…

予定の列車で今回の旅で特に興味のある、青春時代のバッハの地アルンシュタットへ 
エアフルドでの車中で16歳の少女たちの賑やかなこと
いつも心配なホテル探し、駅すぐに素敵なホテル、100DM(約5,400円)を90DMにしてくれた ラッキー!

アルンシュタット荷物を置きすぐ町へ バッハ一族の本拠地 1703年 18歳 オルガニストとして就職
ここからリューベッグでオルガンを聴きに歩いて行ったり、バルバラと知り合い後に結婚したり…
右:市庁舎前に建つ椅子にのんびり座り足を投げ出したバッハ像に親しみを感じる 

青年バッハが住んだ小さい町を感慨深く散策 バッハ記念館にはバッハが弾いたオルガンがあり
その頃のカツラ屋の様子も興味深かった 右:インフォメーションに行き情報入手、オールドゥルフは止めて
パス有効利用でゴータへ行くことに 大きな封筒貰って自分宛郵便も送れる 親切 

左:ナイデック城跡 バッハ教会2度行ったが入れず残念 近くの坂道角の店先で目に付いたアヒル買う
(写真下にあり)  右:コールガッセのバッハの家の跡は空き地だった 
アルンシュタットが古文書に登場するのは704年、発掘物から人々の居住が始まったのは
紀元前4000年-1800年と推定され、954にはオットー1世が帝国会議を開いた
バッハは22才の時この町を離れ、ミュールハウゼンに1年いた後、ワイマールの宮廷礼拝堂オルガニストに
迎えられた この町にバッハが18歳で招かれた時ボニファーティウス教会は(現在のバッハ教会)
新しいパイプオルガンを建造中だった ここでいくつもの作品を創作している 
クラヴィーア曲 『最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッツィオ』、オルガン曲 『トッカータとフーガニ短調』…
(ここから西へ12Km の小さな村オールドゥルフは9歳で母を、10歳で父を失ったバッハがこの村の教会オルガニストになっていた長兄ヨハン・クリストフのもとに引き取られ、この兄からオルガンとクラヴィーアの手ほどきを受けた所 学校教育も受けさせてもらった この兄なくして大バッハはあり得なかった)
  
アルンシュタットは丘の上に見所が集まっている ( 読んだ本の若いバッハのあれこれが思い出されもっと散策したかったが、暑くて食欲なく市庁舎広場に面したお店でサラダを注文して昼食にした後、駅に行き明日のプランの相談をしたが小さな駅は心もとない エアフルトかゴータなら大丈夫かと…)
小物写真 左:後ろ左2つ:アルンシュタット 前兎:ケーテン 前右2つ:ツヴィッカウ 後ろ兎:マイニンゲン
右:後ろ左2つ:ベルリン SLバッチと笛:ベルニゲローデ アヒル:これから行くアンスバッハ 鳥:オーバーストドルフ

ゴータ列車も丁度ありゴータのDBでプランを貰えてひと安心 何時の列車に乗り帰ったか?
2時間滞在のメモはある 左から:町の中心に向う途中の「紅茶の小城」、絵葉書マーガレットK、
マーガレットK、市庁舎、坂道の上のフリーデンシュタイン城、ここで引き返しSバーンに乗って駅へ
   
2番目エアフルト乗り換え時4番線と言われたが2番線だった 確認は念入りに!
1時間の待ち時間にお金の計算… 21:06アルンシュタット着 右:6/28(木)アルンシュタット Hクローネの朝食
バッハが住んだ所に絞った今回の旅 10才~15歳の地オールドルフだけ残してしまった
これで私が旅したバッハが住んだ地の投稿は終了 トラブル解消せずこの投稿はGoogleChromeで


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