54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

私が旅したバッハゆかりの地写真2

2014-03-05 12:03:05 | 『冊子バッハ』
私の旅[Ⅲ] 1993.7/6 シュターデ8:13→ 8:45ハンブルク 9:17→ 9:43リューネブルク/
リューネブルク13:16→ 14:00メルン 15:05→ 15:39リューベック 18:00→18:59リューネブルク

リューネブルク 3番目:駅近くにすぐ素敵な宿が見つかった 1泊60DM(約4千円)すぐ街へ
 隣りは北ドイツ最古の木造建築の「市庁舎」と見事な市庁舎の裁判の間

リューネブルク 15歳のバッハが友人と300キロ歩いて来た街だ 聖ミカエル寄宿学校はどの辺?
美声の少年バッハがここで過ごしたのは1700.3-1702年 右は私の宿泊ホテル入口 
3時間半散策してリューベックへ(1回目に6時間滞在)もう一度行くことに
 
メルンで途中下車 陽気な道化師ティル・オイレンシュピーゲルの街1時間半散策


リューベック2時間半散策 右4枚絵はがき  リューネブルクに戻る 
7/7(水)リューネブルク 10:13→ 11:09 ハノーファー 11:30→ 12:57 ゴスラー
   
       
リューネブルク また来たい心残りな街 (ゴスラーへ向う前に)

私の旅[Ⅳ] 1994.6/17フルダ8:20→09:38アイゼナハ13:30→14:40ワイマール18:54→
19:14エアフルト19:34→21:37フルダ
 
今回の旅でまず決めたバッハ生誕地アイゼナハへ そのため選んだフルダ朝食(左)  右:アイゼナハ駅前 
 
バッハが受洗されたゲオルクキルヘへ(左2枚一人静かな時間を持てた)  坂を上がりバッハの家へ(右3枚)
 
バッハの家 (左:感動の演奏後に写真OK?と聞いたらまた弾いてくれた) 

バッハの家から一緒だったアルゼンチンのダニエラさんとルターの家へ ルターの家からの眺め
一緒にワイマールに行くことになった ダニエラさんはパタゴニア地方のことをドイツ語で説明
とても住みやすく富士山に似た山もあるとか… 今回4ヶ月のヨーロッパ旅行で10日が過ぎたと
今日の宿は駅すぐのユーゲントハウスに決め身軽になって一緒にワイマールを散策したが電車が遅れて
滞在4時間 ワイマールはリストの家やゲーテの山荘など見るものがたくさんあるのだが…


ワイマール 左がゲーテハウスは8DM 広い家 入るとすぐこの馬車が ヘルダーキルヘ絵はがき 1518年
ルターが説教をし1803年牧師のヘルダーも訓戒を述べた 祭壇画はクラナハとその息子2代の作(写真なし) 右:有名なゲーテ・シラー像の前  ダニエラさんから後日アルゼンチンの絵はがきが届いた

(再三同じ文を入れることを迷うがその頁を見ただけでも分かるように削除せず投稿)


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