54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

2/26(水)神代植物公園…井之頭公園

2014-02-27 16:00:20 | 近隣
神代植物園の通年パスが終了するので2/13に行ったばかりだが梅を見に

梅園の先にマンサクがある(毎年投稿しているかも)梅は遠くからは地味だが老木の花に惹かれる

 
開山堂の方へ中西悟堂像が 下の方から鐘の音11:30 深大寺出口から深大寺へ 右:布田天神

2時からのFMがモーツアルトなのでそれまでに帰るつもりだったがバス本数少ないので調布まで
歩くことに 20年以上も前になるがよく自転車で急坂を上って深大寺や園芸店に花を買いに来た
途中にフキノトウ? ツクシ? あるかな~と きょろきょろしながら20分位で布田天神12:00
右写真鳥居先20号を渡れば調布駅すぐ パルコの登山用品の店で探している品の説明してもらい
外に出たら吉祥寺行バスがいたので井之頭公園の「かいぼり」見に 2時には帰れないけど 
象のはな子を何度も見たくて昨年末に買った井之頭自然文化園通年パスで分園だけ入った

井の頭公園の池の水を抜いてあるのを見たかったがもう今週月曜から水を入れ始めていた
「かいぼり」したのは弁天池以外の全範囲 目的は外来種駆除と水質改善 前回は28年前
在来種は弁天池と自然文化園のいけすで保護飼育され1か月の池干しを経て水が戻ったら再放流
作業には大勢のボランティアが協力した せっかく抜いた水 カチカチになるまでもう少し乾かしたいが
桜の名所なので待てないのだそうだ 昭和公園の池がカチカチになっていたのを見たっけ 公園出口「鳥良」で親子丼580円美味しかった14:40 帰宅したら玄関に咲いていたクロッカスが鳥にちぎられてなし
追記:20.5.10 画像削除 25枚 文修正

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私が旅したバッハゆかりの地 1

2014-02-25 15:21:19 | 『冊子バッハ』
 私の旅 〔Ⅰ〕                        下線部の箇所で写真リンク可 
1990.5.23~6.09 (18日間) はじめての一人旅(54歳)で ツェレリューネブルク・リューベック・ハンブルク に行った 
わが家にホームスティしたMattiがヘルシンキでフランクフルトではMartinが出迎えてくれ、それぞれのお宅で暖かなもてなしをしていただいた後 5/28ミュンヘンに向かった
 “一人旅が一回しか出来ないとしたら…”と思って迷わず決めたのがブレンナー峠だった イタリアのメラノまで行きミュンヘンに戻り、乗換え(夜行)てツェレに午前に着き始めての宿探しをした

 ツェレを選んだのはバッハにも関係があり、当時TVの放送大学を見ていて町の様子が少し分かっていたこと、ヘルシンキからの帰国便に近いハンブルクに戻るのが安全だと思ったから それにバッハがあこがれたオルガンのあるリューベックや15歳で来て聖ミカエル学校で過ごしたリューネブルクも近い
 宿は川べりの親切なおばさんの宿がすぐ決まった 2泊してリューネブルク経由でリューベックへ 
(リューネブルクに下車してみたが駅前には何もなく町への道を教えてもらったが心細くなり次の列車を1時間弱待ちリューベックに向かってしまった)
 リューベックはちょうど祝祭日で大変な賑わい 私も人々のやさしい視線の中気軽にワイン片手にステージの演奏を楽しんだりしていてバッハが感動したオルガンのある聖マリア教会に入ったか覚えがない 少し離れた
ヤコビ教会で数人しかいない中で突然オルガンが響き始め感動に胸が詰まり夢のような時間を過ごしたことを思い出す
(このヤコビ教会のオルガンは戦災を免れた貴重なもの) 
 ツェレでもバッハのことは忘れていた  写真を見るとフランス風のおしゃれな街を思い出す バッハが度々訪れたという1700年頃はどんな景色で、どんな事を考えながらバッハは歩いていたのだろう 
 ツェレの後ハンブルクに行ったがバッハがハンブルクに来ていた事もその時知らなかった 
 バッハを意識してプランしたのだがその時々の出来事に関心事は移りバッハを思い描くゆとりはなかった 
初めての旅はブレンナー峠を新製品のSonyウォークマンでモーツアルトやメンデルスゾーンを聞きながら満喫して満足 

 私の旅 〔Ⅱ〕
 1991.5.28~6.13 (17日間) 2回目の旅でライプツィヒに行った 
大韓航空でチューリヒに深夜着 00:10発列車でミラノ乗換え05:40→09:20ベニス着  2回目のベニス(1989年にツァー参加で1泊)を4時間散策後オーストリアのフィラハに向かい16:00着 1泊してクラーゲンフルトで2泊、ツェリアムゼーで3泊、パッサウで2泊の後バンベルクヘ 
バンベルクに4泊し、バイロイト4時間とライプツィヒ4時間散策の時間を別々の日に往復した 
東西ドイツが統一されてまだ1年 ライプツィヒの町は破壊の痕跡がいたるところに残り車は小さなポンコツ車しか見当たらなかった 
バンベルクの後ライプツィヒに宿泊を予定していたが旅の最後を過ごす気にならずアルプスの町ガルミッシュ・パルテンキルヘンに変更した 

 私の旅 〔Ⅲ〕
 1993.6.28~7.18 (21日間) 4回目の旅でリューネブルクリューベックを再訪した 
オランダで5泊し(アムステルダム2泊、ハーレム1泊、ドルドレヒト、デルフト、ホールン2泊、メデンブリック、エンクハイゼン、アルクメール、デンヘルダー)北ドイツへ オスナーブルック経由フーズムに行き2泊、フレンスブルク、キール、ヴェスターランドを見てからシュターデで1泊しリューネブルクへ 前回は町まで行けなかったので今回は1泊することにし朝9:43に着いて宿探しをした すてきな宿がすぐ見つかり午後はリュー-ベックへ ティル・オイゲンシュ-ピ‐ゲルで有名なメルンに途中下車1時間半ほど過ごして再訪したのでリュー-ベックに2時間半しかいられなかった この時もバッハのことが浮かばず聖マリア教会の内部の記憶がない 20歳のバッハが感激のあまり休暇を4倍も伸ばしてしまったブクステフーデの主宰する「夕べの音楽」 バッハはブクステフーデの後任に推されたのだがその地位は世襲でブクステフーデの一人娘は当時30歳、バッハは申し出を断ったといわれている…そんなことを思い浮かべながら過ごせなかったことが悔やまれる (現在の聖マリア教会は1941年米軍の空襲で破壊され戦後復興されたもので2本の塔の真下に戦災で地面にめりこんで割れたままの鐘がそのままの姿で残されている)この季節ドイツは日が長く夜10時でも電灯もつけずに日記が書ける リューベックから列車で1時間ほどのリューネブルクに戻り夕方7時ごろから町を散策した 翌日10:13リューネブルク発ハノーヴァー乗換えゴスラー12:57着 宿探しのため早く着かなければならずリューネブルク・リューベックとも慌しい旅になってしまったが車窓や空気は蘇ってくる

 
 私の旅 〔Ⅳ〕
 1994.6.14~7.05 (22日間) 5回目の旅で
パリに2泊し列車でフランクフルト経由フルダに向かい2泊した
 
6/17フルダ8:20→9:38 アイゼナハ 4時間 アイゼナハ13:30→14:40 ワイマール 4時間 18:54→19:14 エアフルト19:34→21:37フルダに戻る1日を過ごした 列車の遅れもあり、ちょっと空気を吸ってきた程度の町歩きだったが、バッハの家での演奏も聴くことができ、アルゼンチンの学生ダニエラさんとの一日は楽しかった

この後オーストリアのキッツビュールへ向かい5泊した



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2/22(土)大手町・KITTE・銀座ぶらり

2014-02-23 16:52:55 | 都内
風もなくいい天気 都営三田線大手町下車 目の前に和田蔵門 明日23日は8回目の東京マラソン

今日の予定はKITTEの学術文化総合ミュージアムと6階屋上庭園を見ることが決まっているだけ

右:行幸通りの郵船ビル前に

KITTEの屋上庭園 確かに空いっぱいの景色だが… 駅に東北新幹線最後尾も見える
 
旧郵便局長室は撮影できたが「学術文化総合ミュージアム」は禁止 凄い展示物を堪能し
東京駅前を端まで行って八重洲口への通路から新しくなった八重洲口を見に
(丸の内側と八重洲口が未だにこんな通路を使うのが納得できないな~ 不便!)

左;八重洲口に出来た大丸2階から続く通路 八重洲地下街で昼食して銀座方面へ
所々に食事に並ぶ長い列 ここはお肉が目当てらしい15:40 
 
キャノンのショウルームに行き写真展を見て、近くの歌舞伎座写 ここも屋上庭園があり無料で入れる
エレベーターで上がり狭い庭園を見て歌舞伎座の屋根を見ながら歩いて下りるようになっていた

歩行者天国の銀座通りを戻り「ポーラミュージアム」に寄ってみたら なんと 可愛い!!
ここも入場無料 「渡辺おさむ」という人を知らなかったが、身の回りのさまざまなものにデコレーションを
施す「フェイク・クリーム・アート」の第一人者で1990年生まれの気鋭のアーテェストと書いてある
メルヘンの世界を楽しませてもらった 感心すること、知らないこといっぱいだ 18600歩 

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バッハが住んだ地一覧

2014-02-21 20:22:47 | 『冊子バッハ』
      ♪ J.S.バッハの生涯 ♪

アイゼナッハ   1685~1695   0歳から10歳・・・・・・・・・・・・・・・生誕から10年
         1685年3月21日誕生 3月23日聖ゲオルク教会で受洗
          8歳 アイゼナハのラテン語学校に入学
         10歳 両親と死別オールドルフの長兄のもとへ

オールドルフ   1695~1700  10歳から15歳・・・・・・・・・・・・・・・情熱の芽生え
         15歳 友人エルトマンと歩いてリューネブルクに行き聖歌隊員となる

リューネブルク  1700~1702  15歳から17歳・・・・・・・・・・・・・・・旅立ち
            ハンブルクのラインケンの即興オルガン演奏やオペラ劇場
            ツェレの宮廷楽団のしゃれたフランス音楽を聴きにしばしば訪れる

アルンシュタット 1703~1707  18歳から22歳・・・・・・・・・・・・・・・若き音楽家
         20歳 リューベックへブクステフーデの演奏を聴きに行く

ミュールハウゼン 1707~1708  22歳から23歳・・・・・・・・・・・・・・・疾走する情熱
         22歳 ドルンハイムでひとつ年上のバルバラと結婚

ワイマール    1708~1717  23歳から32歳・・・・・・・・・・・・・・・大家への道
         28歳 ハレの聖母教会オルガニストに志願するが撤回 
              ワイマール宮廷楽団の楽師長になる
         32歳 辞任主張の罪により拘留4週間 その後ケーテンへ

ケーテン     1717~1723  32歳から38歳・・・・・・・・・・・・・・・楽興の時
         35歳 カールスバート旅行中に妻バルバラは4人の子供を残して死去
         35歳 ハンブルク聖ヤコビのオルガニストに応募、採用されたが辞退
         36歳 16歳年下のマグダレーナと再婚
         38歳 ライプツィヒへ転居

ライプツィヒ1  1723~1730  38歳から45歳・・・・・・・・・・・・・・・教会音楽の王者へ
         44歳 コレギウム・ムジクムの指揮者となる 
         46歳 ドレスデン聖ソフィアのジルバーマン・オルガンで演奏会

ライプツィヒ2  1730~1740  45歳から55歳・・・・・・・・・・・・・・・商都の賑わいの中で
         51歳 ドレスデン聖母教会演奏会
         54歳 中断していたコレギウム・ムジクム再開

ライプツィヒ3  1740~1750  55歳から65歳・・・・・・・・・・・・・・・晩年の10年
         61歳.8月 ベルリン旅行
         62歳.5月 フリードリヒ二世の招待でポツダム宮殿演奏
         62歳.6月 音楽学協会入会
         65歳 3月と4月の2回の目の手術に失敗 7月28日死亡

    
 備考:バッハが住んだこれらの町の内オールドルフだけ私は行ってない
アイゼナハ1994.6.17 滞在4時間  リューネブルク1993.7.6-7 2泊  アルンシュタット2001.6.27 1泊
ミュールハウゼン2001.6.17 1泊  ワイマール 1994.6.17 滞在4時間  ケーテン 2001.6.22 滞在2時間
ライプツィヒ 1991.6.9 滞在4時間 / 2001.6.22-23 2泊


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冊子バッハ「表紙」・「はじめに」・「おわりに」

2014-02-20 12:16:49 | 『冊子バッハ』
 この投稿について
1/22に「手作り冊子バッハ編」をスキャンしたのを投稿したがそれを拡大すれば文字が読めるようになって
いた 同じ内容を投稿することや「バッハ編」というタイトルに違和感も(バッハが住んだ所に行ったというだけ)
ブログにどう纏める?時間差は?迷うが …やりだしたこと 寒くて閉じこもるこの時期に楽しみながら…
文内容は多少削除したり変更するがほゞ冊子のまま、写真は投稿済み頁をリンクで見るようにするつもり
 久々に「手作り冊子」を見直してブログとは違う良さに満足している 未熟さの痛感は別として 
2014.2.20
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 まえがき
 はじめてのヨーロッパ旅行は1987年(51歳) モーツアルト協会主催の25名のツアーだ アンカレッジ経由ウィーンへ まず“国立劇場の2階正面席”から「魔笛」を観劇 (長旅疲れの睡魔の中で) 名門ホテルインペリアルに3泊しプラター公園、バーデン、ハイリゲンシュタットなど気ままに散策 続いて手配バスでメルク→ブルックナーの地→ザルツカンマーグートを満喫してザルツブルクへ
 ザルツブルクで有名な “祝祭劇場の夏の音楽祭” に全員正装して出席 ミラベル庭園そばのホテルに3泊後、アウグスブルクに1泊、続いてロマンチック街道の旅3日(シュロスホテルにも泊まる) という私にとって夢のような12日間だった
 一生に一度と思って参加したのがきっかけで、一人で安く何度も行きたい!と思うようになり、ドイツ語を習い始めた その頃、家にホームステイしたヘルシンキ大学生(1990.7-8 月)とドイツ・ヴィッテン大学生(1991.1-2月)が帰国後それぞれのお宅に招待してくれたのに甘えることで私は “一人旅の最初の一歩” を 1990年夏 (54歳) に踏み出すことが出来た
 不安な語学は旅行中に自分からどんどん話しかけているうち、最低限の会話は自然に出るようになり知人も増えていった プラン作りは「地球の歩き方」が一番の頼り、行きたい場所選びはいろいろ本を読み絞った “毎年1回3週間前後で” を目安に18回、一度のトラブルもなく69歳まで続けられた
 一人旅の目的はいろいろあるがクラシック音楽鑑賞の世界を広げたい!というのもそのひとつ 音楽教育を受けたわけでもなく演奏できる楽器もないが、クラシック音楽を聴いているのが大好きな私 作曲家ゆかりの地を散策したことで自分なりにより感動し楽しめるようになった
 どう纏めるか試行錯誤のままのスタートだが、まず『バッハ編』を気負わずに仕上げたいと思う
2008.06.05

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あとがき
 「18回のヨーロッパ一人旅」で撮った一万枚近い写真をパソコンで整理したい!と思ったものの、途中までやっては続かずにいた 仕上げるためにテーマを決めることにし“バッハ”を選んだ 「まえがき」に始める日付けを入れ、早くひと区切りするようにした やり始めると写真選びではバッハに関するもの以外も旅の流れから入れたくなったり、肝心なものがなかったり、短いコメントにもあれこれ迷った バッハがその地でどんな毎日を過ごしたのか、調べ始めると読む本は広がっていくばかり
 どういう冊子にしたいのか? 仕上げることを優先 人に見せるというより自分史のつもりで欲張らず!
 16年に亘る旅、はじめは不安と緊張で写真も落ち着いて撮っていない 徐々に楽しんだことが思い出される写真で埋まってくる その間に東西ドイツの統一、ユーロの導入、ネット社会と世界は大きく変わった 今、旧東ドイツの町にあの頃の姿はないのだろうか 最後の旅の2005年から「ユーロ高」が進み気軽に旅行する気分になれない状況 加えて年も重ね体力に自信もなくなっている
 これからは18回の旅行をテーマごとに作ることでその都度いろいろと思い出し楽しめそうだ テーマは「バッハ」に続き「モーツアルト」「ベートーヴェン」「その他の音楽家」「世界遺産」「教会・オルガン・コンサート」「景色・山・花」「お祭り」「出会い・知人宅」などと浮かんでくる  国別にイタリア、スイス、フランス、ドイツ、オーストリア、チェコ、フィンランド、ベルギー・オランダ、ポルトガルに纏めたいとも思う 
 パソコンXPの調子が悪くヒヤヒヤしたが 「あとがき」に日付けを入れて完成とする 
 …旅のひとこまとして慌しく過ごした“バッハゆかりの地” じっくり再訪できることを願いながら…
2008.8.20


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雪景色・神代植物公園・羽生スケート…

2014-02-15 14:28:36 | 日記・雑記2011.1~
1/18 神代植物園 久々にちょっと行ってみた

カメラマンの見る方向にカワセミが!左2と3番目写真に これだけでも撮れてうれしい~~

2/9(日) 8:00玄関ドア開かない 体でドア押して開け新聞を取りに 柔らかな雪
 
右:バッハ編を中断しているがこういう本を図書館で借りてくるとまた補足したい所だらけに

2/13 明日また大雪の予報なので神代植物園へ 大人の休日4日間の旅投稿が終わり気分転換


丹精込めて育てられ開花したクリスマスローズに癒された 福寿草はまだ少ししか咲いてない
神代植物園通年パス2/28で終了 また買おうかな わが庭の気分で散歩できる16時~16時半


左:2/14(金)15時 次:2/15 8時 またドア開かない今度は体で押しても開かない重い雪 右:12時
甲府が 114㎝ 120年振りと 今まででは考えられない事の連続 イギリスでは洪水の被害…

2/15羽生結弦ラジオで深夜ハラハラ聞き、テレビを10時に見た 日記代わりのブログに感動を 

追記 2/21(金) 2/20未明女子フィギアでなんと浅田真央ちゃんがSPで16位 みんなショック… 
まだフリーがある真央ちゃんを思うと私は深夜の生放送を見る気にはなれなかった 
早朝ラジオで6位に入ったと知りすぐテレビをつけ見た “よかった~!” 3回転を8回ノーミス 凄い!
銀メダルのレジェンド葛西は帰国し次回オリンピックにも!と またすぐ海外の大会に行くそうだ 
真央ちゃんの人生はどうなるのかな~ たくさんの人に感動を与えた真央ちゃん ありがとう!! 
 
*金曜のFM2時~オペラが多くて聴かないのだが今日はハイドンの「天地創造」をじっくり聴き6時までハイドン晩年の作品三昧 「ハイドンの旅」という本を読んだばかりでハイドンがますます好きになった
*大雪から1週間、まだ孤立している所も 今日小海線復旧 甲府のブドウ園の被害甚大
追記:20.5.9 画像削除 5枚 文修正 今「ハイドンの旅」懐かしく再読中

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「大人の休日パス旅」 3回目⑨ 完

2014-02-11 10:13:09 | 国内旅
1/31(金)善光寺続き 東京7:12→つばさ123号→9:26米沢9:47→つばさ132号→11:30大宮11:50→
あさま519号→12:51長野15:04→篠ノ井線→16:19松本16:58→あずさ28号→19:11立川
 
2時善光寺の鐘の音を聴いた 右:釈迦堂 重要文化財

駅への帰路東山魁夷館庭木にザクロが残り レトロな郵便局も 予定した飯山線プランには間に合わず
篠ノ井線に変更 松本から特急あずさで帰ることに 姥捨や聖高原は車で来ているが… 

左:長野を出て暫く高速道が並行し車窓見えず やっと撮れたリンゴ畑の景色写15:20 姥捨て13:35

姥捨 スイッチバックのため停車中写 48枚の棚田に映る月が美しく「姥捨の棚田」として
重要文化的景観に選定された 日本棚田100選の中でお月見ポイントでは全国一と 冠着15:44

聖高原15:44→ 明科16:05→ 田沢16:11

左:犀川と有明山 篠ノ井線明科~松本は高校時代利用した疎開の地 色々な思い出が…
次:松本駅通路に 次:松本駅前 美ヶ原が見えた 発車すぐ北アルプス見えたかも…座席反対側で残念 

右:小淵沢から八ヶ岳写17:38 期待して変更したコースだったが夕暮れ10分遅かったらな~ あっと
いう間に暗くなってしまった 新幹線とあずさでは乗り心地も速さも随分違う 長野に篠ノ井線で
戻り明科で下車したりして長野新幹線でゆっくり帰れば良かった~ ちょっと後悔

時刻表660円必要頁だけ切り取り持参するのは欧州旅と同じ 長野からの頁なく変更プラン不便

旅4日目は特急指定残り4回分どう使うか 伊豆? 千葉? 日光? 富山? どれも日帰り可能で迷った
閑散期のキャンペーンだから仕方ないが日暮れも早く風は冷たく快適なのは空いていること
また良い時期に行きたいと思う所ばかり 疲れもなく車窓に満足の旅だった
この旅のあと東京にも28㎝の雪 三陸海岸・盛岡・釜石線車窓・毛越寺・松島…今どんな景色かな~

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「大人の休日パス旅」 3回目⑧

2014-02-10 12:13:39 | 国内旅
1/31(金)東京7:12→つばさ123号→9:26米沢9:47→つばさ132号→11:30大宮11:50→あさま519号
→12:51長野15:04→篠ノ井線→16:19松本16:58→あずさ28号→19:11立川

予定は東京7:12→つばさ123号→9:26米沢10:27→米坂線→12:23坂町12:36→羽越本線
→13:38新潟13:59→16:49長野19:30→あさま548号→21:16東京   快晴

大宮辺りで富士山見えた 福島が近づいた頃から急に雪景色 あっという間に吹雪 急変にビックリ

日本海に向かうということはこういうこと? 45分ほど車窓の景色に見惚れていてが米沢駅で
吹雪で上り新幹線遅れの放送 やはり先に進むのは止めることにし大宮へ戻って長野に行くことに

真中:米沢駅前 せめて駅の米沢牛の駅弁買うことに1100円 通路側席で車窓見れないまま大宮

軽井沢から浅間山 上田の次長野12:51着 長野は善光寺再訪したくて選んだが早く着いたので
雪景色の見れる飯山線を往復する時刻表を観光案内でもらい予定してから先に善光寺

山門 重要文化財 60年位前テレビ放映開始時に見に来た事は覚えているが他は何も思い出さない

駅から2Km 高低差44.5m 善光寺から七に因んだ数字の距離に駅は作られたとか
   
左:護摩堂   経蔵 重要文化財

本堂  鐘楼 重要文化品  善光寺  続く
 


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「大人の休日パス旅」 3回目⑦

2014-02-09 10:01:12 | 国内旅
1/30続き 松島海岸11:34→11:58仙台16:26→18:20東京
 
駅前バス案内所で「るーぷる仙台一日乗車券」600円購入 平日30分間隔 12:30に乗りまず瑞鳳殿下車

瑞鳳殿
   
涅槃門→戊辰戦争弔魂碑→感仙殿(2代藩主伊達忠宗公霊屋)→

   
西南戦争弔魂碑 30分後のバスに乗れた 待っている間に広瀬川見てくる 仙台城跡


バスは震災のため大回りして仙台城跡着→ 大崎八幡宮 バス停近いのでまた30分後のに乗れた


   
ここも30分後の「るーぷるバス」に乗れメディアテーク前下車 いくつものアーケードを20分位歩き駅へ

予定していた所全部行けた 次回はゆっくり見て回りたい 新幹線変更し2時間半早めて帰路に

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「大人の休日パス旅」 3回目⑥ 

2014-02-08 11:50:44 | 国内旅
1/30(木) 松島海岸11:34→11:58仙台16:26→やまびこ62号→18:20東京

 
部屋から日の出が見れて良かった~ 朝食は団体客の後にして8:30からゆっくりいっぱい食べた
チェックアウト9:50 てくてく坂道を下り昨日見てない浜辺を右写真の林まで行き戻る 


雄島へ (ネット検索「松島芭蕉」でも きれいな写真いっぱい) 



右:芭蕉碑と曾良の句碑 2人は塩釜から船で着いた 芭蕉は1句も読むことはなかった



 
美しい松島 遊覧船案内放送が気になったが駅へ 塩釜神社再訪も迷いつつ仙台へ 続く 

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「大人の休日パス旅」 3回目⑤ 伊豆沼→松島

2014-02-07 13:03:38 | 国内旅
1/29 伊豆沼続き 14:22新田15:20→16:10松島


左:展望台に上がったが凄い風 吹き飛ばされて湖に落ちそう しがみついて写 真中写真の建物で 
近くのサンクチュアリーセンターに寄ってみた 受付の人だけ 渡り鳥たちは夕方いっせいに帰って来ると 

駅に伊豆沼小唄の額 あれは栗駒山だったんだ 昔はもっと大きくて大沼と呼んでいたとか
(ネットで検索したら毛越寺も伊豆沼もきれいな写真満載 私のこんな写真の投稿を迷うが…)

東北本線新田→松島の途中の小牛田駅に色々な列車 ここで仙台行を連結した 16:10松島着





予定は松島駅着18:00だったが釜石線で遠野で引き換えし、平泉で走って1列車前に乗れて、この
松島の夕景を見れた H大観荘は山の上で松島海岸駅からタクシーを薦められたが歩いて15分とのこと
歩いたがきつい坂だった(災害時住民がここに避難した)夕食なし11000円+海側リクエスト追加2000円
当然コンビニもなく館内で高い食事をするしかない 売店におにぎりやサンドイッチなし ジュースだけ買い持参したおせんべなどで夕食 部屋は暖房機の風が調節しても暑かったり寒かったり
“台湾からの団体客これで最後のグループ”というのを受付で聞いたのでかなりいるらしい
寒くてユニットバスに入る気しない 団体客いっぱいの大浴場に行く気にもならず着替えもせずベッドに
日の出が6:44と聞いたのでタイマーを入れておいた やはり私は駅に近いビジネスホテル好み
松島も大変な被災地 短い滞在にこの美しい景色からその時を想像できない 被災地を旅するのは
複雑な心境 話しかけるのも難しい せめて1人でも旅人がいることに意味があればと…

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「大人の休日パス旅」 3回目④

2014-02-06 11:00:14 | 国内旅
1/29 毛越寺続き 12:28平泉13:31→13:40一ノ関13:54→14:22新田15:20→16:10松島







 
毛越寺 入場料500円 人のいない毛越寺最高! 時計を見たら電車が間に合いそう 走ってセーフ
 
一ノ関→新田は広々した田園風景 渡り鳥も見かける 伊豆沼らしい湖見えてすぐ14:22新田
駅から徒歩10分線路を渡ると大きな伊豆沼 全く人いない


伊豆沼のことは地図の裏の記事をみて知り渡り鳥を見に寄れたら行くことにした 続く


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「大人の休日パス旅」 3回目③ 

2014-02-05 10:04:30 | 国内旅
 1/29(水)盛岡8:44→はまゆり1号→10:06遠野10:12→11:23花巻11:45→
12:28平泉13:31→13:40一ノ関13:54→14:22新田15:20→16:10松島


盛岡 朝食満足 北上川を旭橋を渡り開運橋で戻り駅へ 右:川沿いは“啄木であい道”また来たい

銀河ドリームライン釜石線で遠野へ 駅で“メガネ橋”を渡る時間を教えてくれたのに写真失敗


遠野1時間散策を予定したが雪だしちょうど花巻行電車が来たので飛び乗り戻る


メガネ橋写帰路に成功し落ち着いた 予定変更したので持参の時刻表で電車連絡? ラッキー順調!  

花巻で東北本線に乗り換え平泉へ これで伊豆沼にも寄り松島にも早く着くことに


平泉着12:28 徒歩10分 毛越寺 以前中尊寺とセットで来たが毛越寺は短時間になってしまった 続く



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「大人の休日パス旅」 3回目②

2014-02-04 12:18:08 | 国内旅
1/28(火)東京6:32→はやぶさ1号→9:19八戸10:13→八戸線→11:59久慈12:36→
三陸鉄道→13:25田野畑→バス→14:00小本15:05→15:38宮古15:52→山田線→18:00盛岡




鮫(八戸港)→陸奥白浜10:43→種差海岸→種市→陸中八木(八木港)→陸中中野の車窓→久慈着

久慈駅観光案内で30分で見られる所を聞いて駅すぐの水族館へ 水害の中助かった魚たちなど



久慈~宮古 現在田野畑~小本バス代行 堀内13:06→普代13:17 (三陸北リアス線)


田野畑13:25下車 駅周辺写 すぐ代行バスで小本へ 列車4月復旧するとこの景色見れない

小本14:00着 列車待ち1時間にラーメンの看板を見て入る 私好み細麺さっぱり味で安くて美味しかった

小本復旧も近く忙しそうな作業員 ご苦労様! 小本15:05→15:38宮古15:52→山田線→18:00盛岡

 
川内16:50 盛岡18:00着 駅大きく何を食べるか迷う お寿司(880円)買いHメトロポリタンへ(1泊7220円)
駅直結で快適 19:00女性専用ドアを入るとこの廊下 アメニティも整い満足 お寿司も美味しかった~





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「大人の休日パス旅」 3回目①

2014-02-03 14:10:46 | 国内旅
 
JR東日本の年2回のこのキャンペーンを1昨年知り2回利用 凄くお得 今回の利用期間1/21-2/2
1昨年4日間乗り放題指定6回可13000円が昨年から内容同じで17000円になり昨年は行かなかった
今年も寒くてとても旅行に出る気にはならなかったが10日ほど前から青空の好天続き
1/24(金)スポーツクラブの帰路、駅びゅープラザに寄り聞いてみたら30分足らずで良いプランを
作成してくれた 全く急な旅だが震災地方面に行きたいと思っていた その場で火曜日から
4日間に決め盛岡と松島1泊を予約 指定も取っておいた (キャンセル料金を確認し予約先行) 
帰宅し天気予報を見たり色々支障が出ないか考えて決断 それから資料を広げあれこれプランを練った
八戸線(うみねこレール)で宮古へ (先日テレビで見た釜石線の車窓が見たかったが宮古~釜石不通)
山田線で盛岡泊 翌日釜石線で釜石往復を予定したが昨日の山田線の盛岡までが長かったことを思い
途中の遠野で下車し来た列車に飛び乗り引き返した その分毛越寺と伊豆沼そして松島の夕景も見れた
松島の朝日の写真も撮れたし雄島散策も良かった 仙台12時着 「るーぷるパス」で観光
帰路の新幹線やまびこ指定を変更 予定より2時間早く19時帰宅 4日目は米坂線で新潟経由
長野の予定が米沢まで行ったら凄い雪 車窓の雪景色は見れたし吹雪いているので米沢から急遽
大宮に戻って長野へ 長野12:51着 飯山線で雪景色見ようと思ったが善光寺をゆっくり見たので
篠ノ井線で姥捨→明科→松本 新幹線を特急あずさに変更 4日目も予定より2時間早く19:30帰宅
(6回の指定席は開始前なら何度でも変更可 窓側でなく車窓が見れないこともあるが)
写真は800枚も撮ってしまった 良い写真ではないがどれも流れがあり載せたいものばかり
八戸から種差海岸→宮古の車窓、毛越寺、伊豆沼、松島、仙台、善光寺、篠ノ井線車窓…
長い日本列島 太平洋側と日本海側の違い あっという間に景色が変わる驚き 冬ならばこその体験
 
 1/28(火)
東京6:32→はやぶさ1号→9:19八戸10:13→八戸線→11:59久慈12:36→三陸鉄道→13:25田野畑
→バス→14:00小本15:05→15:38宮古15:52→山田線→18:00盛岡 メトロポリタン泊 9298歩

 1/29(水)
盛岡8:44→はまゆり1号→10:06遠野10:12→11:23花巻11:45→12:28平泉13:31→13:40一ノ関13:54→
14:22新田15:20→16:10松島 大観荘泊 18193歩

 1/30(木)
松島海岸11:34→11:58仙台 (るーぷるパス600円で瑞鳳殿→仙台城→木崎八幡→定禅寺通り)
仙台16:26→やまびこ62号18:20東京 18282歩

 1/31(金)
東京7:12→つばさ123号→9:26米沢9:47→つばさ132号→11:30大宮11:50→あさま519号→12:51長野
15:04→篠ノ井線→16:19松本16:58→あずさ28号→19:11立川 12445歩

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1/28(火)東京6:32→はやぶさ1号→9:19八戸

左:今回のコース 1/28東京日の出6:35 雪景色8:40~

八戸駅写9:36 八戸線乗り換え待ち時間に駅そば写9:19~10:13   


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