54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

日記(モーツアルト)続き3

2011-01-31 17:48:58 | 欧州旅 思い出…
図書館の本を返す前に…と1/18にリンク 始めたのだが私の旅のアルバムを広げ
訪問した町、モーツアルトが弾いたオルガンを見たくて行った教会など
選び出したら、とても時間が掛かることになってしまった
本は、モーツアルトがイタリア旅行を終えザルツブルクに戻った所で中断している
前回投稿予定と書いた町は一人旅 17回目と18回目なので、その2回に絞り
後で利用出来、写真も選び易いよう 「イタリア部分の行程」 を載せることにした
モーツアルトの旅と順序が合わないし、モーツアルトに関係ない内容になってしまうが…
写真を最小限にし、このタイトルの投稿は後2-3回で終了したいと思う

17回目の一人旅 2004.8.30~9.15
8/30ミラノマルペンサ18:25成田より着  ミラノ中央駅前2泊
8/31ミラノ8:05→9:39ヴェローナ11:29→12:01マントヴァ14:45→15:49モデナ17:05→18:50ミラノ
9/1ミラノ8:05→10:38パドヴァ13:37→14:33フェラーラ16:15→17:25ラヴェンナ2泊
9/2ラヴェンナ(サン・ヴィターレ、ガッラプラチーディアの廟、ダンテの墓、ネオニアーノ礼拝堂、ドオーモ
  ブランカレアーネ城塞、郊外5k世界遺産サンタポッリナーレ・イングラッセ大聖堂…
9/3ラヴェンナ7:49→8;47ボローニャ9:30→10:28パルマ15:32→16:30ボローニャ18:44→19:38パルマ
8/4パルマ7:52→9:51ラ・スペツィア→チンクエッテレ→11:09サンタマルグレーテ11:44→12:10ジェノヴァ
8/5ジェノヴァ7:50→9:40トリノ11:25→13:23アオスタ
8/6アオスタ8:00→バス→サンベルナルド峠2472m→ナポレオンの道でスイスに入る→
  →9:55マルティニ9:59→11:11フィスプ11:30→12:10サースフェー泊 
 以後スイスのユリア峠2281m オーバーアルプ峠2033m フルカ峠2431m
  グリムゼル峠2165m スーステン峠2224mをポストバスで最高の旅をした
  サルガンス1泊、アローサ2泊、アンデルマット2泊、ジュネーブ2泊しミラノ経由 帰国


ミラノ中央駅前Hアオスタから見た中央駅 駅横と駅側の教会→ 右:ヴェローナホームとヴェローナ

ジュリエットのバルコニー 3枚とアレーナ付近(アレーナは工事中) ヴェローナは2時間散策
 
アレーナ傍市庁舎 エルベ広場とその傍 右2枚アディジェ川傍のマジョレKとアディジェ川

ヴェローナから30分マントヴァ(三方を湖に囲まれた芸術の町)2時間半散策
   
サンタンドレアK前で サンタンドレアK メッゾ湖傍のサン・ジョルジョ城 メッゾ湖  続く
追記:20.7.20文修正

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日記(モーツアルト)続き2

2011-01-28 19:48:31 | 欧州旅 思い出…
1/27続き 初めての一人旅1990.5 続き ブレンナー峠
   
時々見えるのが旧道の馬車道だろうか ソニーのウォークマンでモーツアルトを聴きながら…
インスブルック10:53→13:09ボーツェン14:00→14:38メラノ 18:04→ブレンナー→18:40ミュンヘン
ブレンナー峠を越えるとガラッといきなりイタリアになるのが強烈な印象だった
   
左からイタリアのボーツェン2枚・メラノ2枚 (メラノはボーツェンの北30k温泉の湧くリゾート地
当時知られてなかったのか?…モーツアルトが立ち寄ったとは書いてないが…)

リンツ 2回目の旅で1991.6.3 リンツへ(パッサウ滞在中に往復)
   
左から「交響曲リンツ」を短時間で書き上げた家は、お巡りさんに聞いても
知らなくてやっと見つけた ブルックナーがこの旧大聖堂でオルガンを弾いていた
パッサウ 2回目の旅(17日間)
    
         
イン川とドナウ川が交わるここでモーツアルトは船に乗り換えウィーンに向った
ここには世界最大のパイプオルガンがあり私は3DMのチケットを買って
聴き、ビデオも奮発して買ったのだが未だに見れてない
丘上まで歩いて上がりオーベルハウスから見た眺め、武器庫は忘れられない 
2泊して次ぎの地バイロイト・バンベルク・G.Pキルヘン・ミッテンバルトへと… 
右地図にはモーツアルトが訪ねたこの本に載っていた地と私が行った町に印を
つけました 開いた後虫眼鏡マークを地図に当てると拡大で字が読めます

何度も見直してはいるのですが間違いがあると思います 気がついて
訂正したりしてます ご容赦ください (前回の写真2枚入れ替えました) 
こうして写真を選んでいると、これも…これも、と迷い纏らない
訪れた素晴らしい町フェラーラ、ラヴェンナ、モデナ、パドヴァ、ベルガモ、ブレーシャ、
アオスタ、クールマユール等々 そして載せきれない数々の写真…
また何かの機会に投稿したいと思います とりあえず、次回私も旅した
この本に出ていた ブリクセン、ロヴェレート、ボーツェン、トレント、ヴェローナ、マントヴァ、クレモナ、
パルマ、ボローニャを投稿予定です 綺麗な写真でなく恐縮ですが…  続く


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日記(モーツアルト)続き1

2011-01-27 15:47:26 | 欧州旅 思い出…
1/26の続き 「切手が伝えるモーツアルトその生涯と旅」
3年半の大旅行から帰って3年後、1年3ヶ月のイタリア旅行へ
その間にウィーン2回目の旅が1年3ヶ月ある
*1769.12月父子はインスブルックに4泊しブレンナー峠を越えイタリアへ
ブリクセン、ボーツェン、トレント、ロヴェレートを経てヴェローナ1770.1.5着
私が一人旅の最初と最後に選んだコースだ 写真も思い出もいっぱい!
書きたいことが湧き出てくるが、まずは本に沿って整理しておこう


ベローナで天才振りを発揮、熱烈な歓迎を受ける 有名な「14歳の肖像画」が
ある 2週間滞在後、マントヴァ、クレモナ2泊経由ミラノへ*1770.1.23着
(帰路にも寄る その後2度ミラノを短期で訪問しフェルデナント大公へ就職活動
をするがマリアテレジアの差し金で叶わずイタリア行きは3回で終わる)
ミラノを出てパルマ(期待したコンサートなし)、ボローニァ *1770.3(マルティーニ神父から
アカデミア入会を認められた話は有名)、フィレンツェへ フィレンツェではレオポルト大公に
謁見し、離宮でのモーツアルト歓迎コンサートは大好評であった
*1770.4.11 ローマ着、早速システィナ礼拝堂で「ミゼレーレ」を聴き、暗譜
して驚かされた話も有名、ナポリからの帰路、クレメンス14世の命により
枢機卿から「黄金拍車勲章」を拝受したうえ、サンタ・マリア・マジョレ大聖堂で
教皇自身に拝謁する 多忙な1ヶ月だったが気ままなローマ見物もした
*1770.5.8ナポリに向う5/14着 ベネチアに並ぶオペラの中心であり
父子は作曲はせずオペラを観たり知人に会ったりしてのんびり過ごした
ポンペイの遺跡見物もし、何でも知ろうと精力的に駆け回ったようだ
ローマからアドリア海に面するロレート、リミニ、ペサロ経由、ボローニャ、ミラノ、ベローナに寄り
*1771.2月ベネチアに着く 謝肉祭が始まったばかりでオペラや仮面舞踏会
を楽しみ、招かれた貴族の邸をゴンドラで次々訪問している
*1771.3月末(15歳) 栄光の旅を終えてザルツブルクに戻った

ここまで書いたらやはり私の旅の写真をもっと載せたくなった
1万枚の写真から選ぶのは大変だがアルバムに整理されているので
適当なのをスキャンした いつか旅の写真をブログに!と思っていたのだから
この機会に少しでも投稿しておけば懐かしいし、全体などいつやる気に
なるか分からない 日記なので自分の写ったのも入れて… 
    
ツァーに参加(1989.11月)左からローマ、ポンペイ、ナポリ、ベネチア
ローマ→ナポリ→ポンペイ→フィレンツェ→ベニス→ミラノ ベニスでゴンドラに乗った
以後一人旅2回目にチューリヒから夜行でベニスに行き4時間過ごしフィラハに向かった
ミラノには17回目と18回目、2回とも駅前のホテルに2泊した

   
インスブルック(1990.5月)
初めての一人旅はヘルシンキに入りヘルシンキから帰国 18日間
→インスブルック→ブレンナー峠・ボーツエン・メラノ→ミュンヘン夜行でハノーバ-→ツェレ2泊→ 続く



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日記(モーツアルト)

2011-01-26 15:58:40 | 欧州旅 思い出…
1/18投稿続き(図書館の本を読んで)
「切手が伝えるモーツアルトその生涯と旅」
延長して借りられて飽きずに眺め、読み、旅を思い出し…
書き留めておきたくなったが著作権のことあるの?行った地の写真ということで

モーツアルトは35年10ヶ月の人生の3分の1が旅 6歳から17歳までは3分の2が旅 
3歳で和音を楽しむ天才に気付いた父が最初に連れて出たのが6歳誕生日前
ミュンヘンへ姉ナンネルと共に 大成功し続いてウィーンへ1762.10月
マリアテレジアに謁見、大金と大礼服を下賜された その時ハンガリーの
貴族の招きでブラティスラバを訪問し、そこで自家用馬車購入
マリアテレジア→ヨーゼフ二世→レオポルト二世と皇帝が変わった
マリアテレジアからは3回の旅行でいずれも謁見を許され、
音楽好きで啓蒙主義者のヨーゼフ二世からはいくつか作曲の依頼があった
晩年借金苦の時代、ヨーゼフ二世が1790.2没した際は念願の第二楽長へ昇進もなく
10月フランクフルトでのレオポルト戴冠式メンバーにも加われなかった 
この祝典でチャンスを掴もうと自費で行ったが祝典への参加は許されず
自ら企画したコンサートも成果なく失意のうちにウィーンに戻り、12月には
ロンドンに旅立つハイドンと涙ながらに抱擁し合って別れを惜しんだのだと

初めてのウィーン旅行から帰って半年後ヨーロッパを3年半掛ける旅に出る
ブリュッセル、パリ、ロンドン、ハーグなど自家用、乗合い、郵便馬車を使い分けて…
*1763.6月7歳ミュンヘン、アウグスブルク、シュベツィンゲン、マンハイム、フランクフルトなどを
経てブリュッセルに向った フランクフルトでは5回の演奏会をし、その時14歳のゲーテ
が見て「髪をきちんと整え、剣をつけた小さな男の子をはっきり思い出す」
と回想に書いてあるという ザルツブルクを出て4ヵ月後
*ブリュッセル着 宮廷からの拝謁を待たされること5週間にも及び
イライラしたが驚くほどの厚遇で、大型のコンサートも開かれ大金を得た
*次にパリへ向う 父の手配の上手さもあり王家、身分の高い貴族、上流の
有力者と逢い「神童モーツアルト」をパリ社交界に送り込むことに大成功
5ヶ月の滞在中ヴェルサイユ宮殿でルイ15世に謁見、御前演奏も行う
*1764.4.23ロンドン着 当時ロンドンは大陸と違う政治形態で、議会が力を持
つ内閣制度が整いつつあり、植民地戦争に勝利し世界の富が集中する大都市
ジョージ3世、シャーロット王妃は共に音楽好きであった 彼らが到着する5年前
45年にわたって宮廷音楽家として仕えたヘンデルが死去していた
到着5日目に宮殿に招かれ、大バッハの子息クリスティアンバッハを紹介された
ロンドンでレオポルトが健康を害し1年3ヶ月もの長逗留となった
*帰路のハーグで子供たちが腸チフスで重態になるが回復しパリ経由
*1766.11月末ザルツブルクに帰り着いた

思い出写真 初めてのヨーロッパ旅行はツァーに参加
    
左からウィーン3拍中バーデンへ(アベベルムコルプスの教会 この教会に魅せられて私の
一人旅が始まったのかも…) ザルツブルク城からの眺めと祝祭劇場(正装して鑑賞)
ザルツブルクからロマンチック街道の旅への前アウグスブルクに1泊レオポルトの生家

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日記(モーツアルトとハイドン)

2011-01-24 16:06:18 | 欧州旅 思い出…
1/18投稿続き1(図書館の本を読んで)
「ハイドン106の交響曲を聴く」 井上太郎著
ハイドン(1732~1809)77歳没  モーツアルト(1756~91)35歳没
ハイドンが35歳で死んでいたら彼の名は残らなかったかもしれない 
晩年の1791年ロンドンで12曲のシンフォニーを演奏しイギリス人から
「世界最高の作曲家」と絶賛され名声と収益を得た
エステルハージー候からの年金もあり安定した生活が出来た
106曲に及ぶ交響曲は単純そうで大変緻密で指揮者を悩ますのだと
「交響曲の父」と呼ばれたのはユーモアがあり楽しめる曲だから
ベートーヴェン以後交響曲は哲学的で威義を正して聴くものになっていき
ブルックナー、マーラーと続きハイドンの大部分が無縁とされてきた
現在演奏会で聴けるのは晩年の作品が殆んどでベーム、ヨッフムなど巨匠の
指揮も晩年のものだけ 現在一番使われている1番から104番のものは
1908年に発表されたマンディチェフスキーの「ハイドン全集」とのこと
(私はさら~っと心地よくクラシックを聴くだけなので図書館で探して
後期以外のものがあったら借り、またこの本を参考に聴きたいと思う)
*ハイドンとモーツアルトの交響曲の違いはハイドンは楽団員との連携プレー
モーツアルトは特定の楽団がなくどこでも演奏できる平均的なもの
*モーツアルトもイギリス行きを計画し1788年「三大交響曲」39.40.41を
書き上げたのだが旅費の工面がつかず1791年に世を去った

ちなみにモーツアルトは尊敬するハイドンを自宅(現在のフィガロハウス)に
招き「ハイドンセット」と呼ばれる6曲の弦楽四重奏を1785年に贈呈している
この力作に24才年上のハイドンは感銘し、披露の場にいたレオポルトに
「あなたの息子は偉大な作曲家だ」と最大限の賛辞を述べたと、色々な本にある
ショパンが愛用したピアノの製作者プレイエル(1757~1831)は、5年間
ハイドンの下に寄宿して教えを受けた弟子でハイドンに並ぶ作曲者となり
パリに1795年移住し出版業、ピアノ製作者として広く認められた

   
私が撮ったアイゼンシュタット 左から:駅 街 宮殿からの眺め2枚
3回目の一人旅は22日間、ヘルシンキのカリオンキルヘでバッハを聴き2日目ウィーンへ
ウィーン3日目フィガロハウス、4日目クラーゲンフルトに発つ前アイゼンシュタット往復
アイゼンシュタットの滞在時間は1時間ちょっと 駅は畑の中、町は全く見えず心細かった
宮殿の中からの写真よりハイドンの住んだ家が思い出されるのだが写真はない
    
左:急ぎ駅に戻りホームの私 ウィーンへの車中の短い時間 「さようなら~」
右:ウィーン「フィガロハウス」2階窓からの道と天井 ”写真どうぞ!”と言われうれしかった
この道をたくさんの音楽家が通ったのだ! そしてモーツアルトが幸せな日々を
3年過ごし「フィガロの結婚」私の好きな「すみれ」などたくさん作曲した家
1/26訂正三大交響曲を書いた年1778を1788に

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 汐留・トリトンスクエア

2011-01-23 22:52:30 | 都内

1/19都営緯「汐留」徒歩3分の「旧新橋停車場鉄道歴史展示室」へ
「石川光陽写真展」3/21まで 月休館 11:00~18:00  
ドーム屋根の東京駅、洋装と和装が交じる銀座、皇帝溥儀の来日、
二・二六事件の反乱軍等々 貴重な歴史の瞬間が…
(石川光陽は東京大空襲の写真で知られる元警視庁カメラマン)
内部撮影禁止
    
左から汐留駅前、駅前から見える旧停車場、旧停車場正面2枚、汐留駅前
復元された明治時代の立派な停車場に驚く  建物後ろは高層電通ビル

もう少し見たかったが汐留の次ぎの駅「勝どき」に予定がもう一つ 
一年位前トリトンスクエアで話が弾んだご夫妻の奥様(生家が近い)がアルツハイマーで入院されたとご主人様の年賀状にあった 素敵なご夫妻だったのでどんなにお寂しいかとお電話してお話した後お伺いすることになった 駅そばの高層マンション お話であの時もう奥様は痴呆の兆候があったとのこと 以後の介護がどんなに大変だったか想像以上のお話しだった それでも奥様が家に戻れることを願っているお気持が言葉の端々に 奥様との思い出の部屋をきれいに掃除しお一人で過ごしている85才のご主人
ちょうどその日の新聞に話題の映画「僕と妻の1778の物語」の作者眉村卓の小文
があり 正義・正論はもういらない 自分の話だけでいい、力を抜き…、日常の中に…
などと書いてあり赤線を入れた切り抜きを渡した 1/20美智子皇后さまがご鑑賞になり
草なぎくん 竹内結子さんとお話しになったと新聞にあった どんな映画なのかな? 
長い老後をどう生きるか 世界の先頭を探りながら歩む私たち世代 
常識の物差しも家族の形態も大きく変わってしまった 歴史や読書、芸術で学び、
自然に親しみ 明るく行動する そんなことを考えている 

   
都営「勝どき」からトリトンスクエアに向う
右はマンションからの眺め、奥様は目の前に大きなマンションが建つことに
耐えられなかったのでは?年をとり引っ越すことも諦めるしかなく…
   
トリトンスクエア
ご主人は8時に起き散歩をし、きちんと食事もして集会にも出てお元気な様子、
また伺いますと3時間以上おしゃべりしてお別れした ここは佃島も銀座も近い


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東久留米 落合川

2011-01-21 21:09:34 | 近隣
1/21天気が良いので家にいるのは勿体ない
どこに行くか? 先日京王線駅で貰った七福神めぐりの地図の
東久留米にした 家のそばのバス停からひばりが丘行きは本数多く
ひばりが丘まで30分  シルバーパスのお蔭で支払いもなし
今日乗ったバスは団地経由で公団住宅の名残りがあちこちに見えた
50年前、新所沢団地に入居できた時を思い出す  
車でよく行ったテニスコートのそばも通った
ひばりが丘から東久留米へは一駅なので歩いた
途中の広大な敷地は自由学園(羽仁吉一・もと子夫妻創設から90年)
ここにあったんだ~ と、ちょっと憧れを持ったことを思い出す 14:10
  
自由学園の幼稚園と初等科の校庭の子 自由学園に沿って行くと竹林公園 駅から20分
   
竹林公園は前から気になっていた所 ここを抜け坂を下ると落合川 駅から30分
   
驚いた!こんなにきれいな水の流れる環境 落合川 静かに散歩する人も多い
    
目的の七福神めぐり1番目の多聞寺へ この後は予定変更してこの川の湧水地へ
   
氷川神社のそばの湧水にアオ鷺の子がカルガモとおしゃべりしてるみたいに
    
コ鷺は黄色い足で小石の中から餌をおびき出して食べている 見飽きない
   
来た道を戻りひばりが丘駅前のクィーンズ伊勢丹7階から 駅の写真を16:40
 









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日記(モーツアルトと切手)

2011-01-18 23:22:12 | 欧州旅 思い出…
 お正月に読む積りで図書館から借りた本とCD 殆ど読まない内に返却日
別荘売却で落ち着く気分になれずテレビで過ごした正月 NHK BSで
イタリアの「古代ローマ」「町歩き」など連日良い番組があり浸りきった
特に「ローマ皇帝の歩いた道」はシーザー、アウグストゥス、ハドリアヌス…
今までの断片的な知識が納得でき、私が一人旅で歩き回った街が出てきて
懐かしく、それらの写真をここに投稿したいと思いつつ日が過ぎた
今日は急いで読んだ本を返す前に忘れたくない部分を書いておこうと
   
左:借りた内2冊は読めず返却、CDは「メンデルスゾーン・P三重奏」と「アルペン
ホルンのモーツアルト」解説を読みながら2回じっくり聴いてから何回も聴いた

「切手が伝えるモーツアルトとその生涯」は、たくさんの切手が当時を語り見入った
その中にハノーバーの知人(モーツアルトと同じWolfgangさん)からの切手を見つけ
まとめて投稿したくなった(右から2番目)この中のモーツアルトの2枚は 
初演のポスターとパパゲーノ 楽譜 “わたしは鳥刺し” より
(右:昨年末に来た手紙 上フィンランドのはカレンダー入り)

「切手が伝える…」読みながら私が一人旅出来たのはモーツアルトの音楽が好きだからだな~と
最初の旅で絶対行きたかったのがブレンナー峠 モーツアルト父子が3回馬車で往復した道 
ブレンナー峠に入る前インスブルックで父子が泊まったホテルに私は最後になるかもしれない
18回目旅で再度ブレンナー峠を選び宿泊した ここまで書いたら写真が入れたくなりまた脱線
写真を選んでスキャンすることに まっ いいか~ 私の日記だから 気の向くままに…
   
上:モーツアルト父子が泊まったインスブルックのHヴァィセンクロイツ 私は05.9.9に1泊
この旅で本にあるロベレート、ボーツェン、ブリクセン…訪問 いろいろ思い出す 
次々写真を載せたくなるが横道に逸れると時間がかかり纏らない 運動不足だし図書館へ
3:30~5:00家庭画報、芸術新潮、音楽の友…本は全部延長できた 昨日より丸いお月さんが…
今週土曜、はじめて「能・狂言」を鑑賞するので借りた本
追記:2020.7.17文修正

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1/9 よみうりランド

2011-01-15 19:09:05 | 近隣

世界的に有名な照明デザイナー石井幹子プロデュース
7色のジュエリーカラーを基調とする100万球のLDEとのこと娘と行ってみた
2/14まで 土日祭16:00~20:00 入園料500円
   
調布からよみうりランド(京王線130円)15:30  車でよく通った道を歩いて入場口へ
   
高台なので風があると寒くてたまらないがこの日は快適 16:10入場
    
孫がこのお化け屋敷が怖くて遠くの方から泣いて横目で見てたのを思い出す
   
16:45 あちこちから、わ~~! わ~~~! と悲鳴・歓声
   
よみうりランドが変わらず人気で良かった
     
広い敷地のイルミネーションは上手く撮れずイメージが伝わらないが…

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1/8富士見別荘手放す日

2011-01-14 16:53:58 | 富士見

慌しく引き渡すことになったが良い人にめぐり合えてよかった
2005年秋、富士山と八ヶ岳が見える土地が見つかり気に入って買い
2006.2.15上棟式、2006.6.5入居、8月隣家との境界に石垣などの庭工事
2007.4.22夫が救急車で入院、以後私は草取りに追われた鈍行列車の往復
IHコンロもお風呂も殆ど使わず、冷蔵庫、電子レンジなど新品
ブルーフレームは替え芯まで買ってあり、気に入りコタツ布団、ソファー
こちらの家にはない床の間、照明器具はこちらの良いのを外して取り付けた
台所や洗面所の小物、鏡、快適に住める最小限の調度を選んで運んだ

これから庭は、まずフキノトウが芽を出し(大町から移植した蕗)
クロッカス、水仙、スミレ、チューリップ、カモミール…
真っ白い梅花うつぎと大山れんげ、黒種草 ……スグリ、ジュンベリー…
シンボルツリーにしたナナカマドは今年は実をつけるだろう
百日紅も記念樹なのだが… 玉竜はせっせと株分けして増やした
釜無川へ乗用車で何往復もして小石を拾いレイアウトした庭…
簡単に収穫できた物は少量のフキノトウ、ジャガイモ、オクラ、ミニトマト
人参、インゲン、小葱、にんにく、赤唐辛子 栗もあったっけ 
おいしい蕗は何度も持ち帰って煮た スグリはいっぱい生ったのに
タイミング悪くジャムに出来なかった 高原の野菜は美味しく花の色が違う

未練は尽きないが喜んで使ってもらえるのが何より
維持は難しく手放すしかないのだ  肩の荷が軽くなったのだから
今年を人生何回目かのスタートにしよう 夫も安定している
夢を描いて、無理せず、だらけず楽しくなるよう行動しなくては!

    
左から:行き車窓 南アルプスと八ヶ岳   別荘からの富士山と八ヶ岳 2011.1.8 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1/8 10:30が引渡し手続きなのでいつもより30分遅く6時に家を出て鈍行で
3連休の初日、天気もよくいつもの4人掛け占領とはいかず相席に
行きも帰りも[青春きっぷ]利用の人、行きは話に夢中でもうちょっとで
富士見で降り損なうところだった 帰りは富士見15:36のいつもの鈍行
八王子まで一緒だった若者は今朝、大町で列車に乗り遅れて車で松本まできた
その時の北アルプスの景色を伝えてくれたり、松本でまた乗り遅れ最悪だったのに
私と出会えた事をとても喜んでくれたり 小学校教師になって2年目の話など…
富士山や白馬岳には私も登ったのでデジカメを見せてもらって思い出したり…

別荘にはもう少し居たかったが今日から入居との事、荷物も運び入れていたので
遠慮した 上棟式からのアルバム3冊を持参したが預けて後で見てもらうことに
ブルーフレームに火を付けポリタンクに灯油があるのも確認した
しんしんと寒いが家が小さいので温まるだろう 私は1度も冬来ていない
 
この投稿にどこまで何を書いておくか迷った 8日は写真をあまり撮ってない
別荘の写真は何枚か投稿済み 今回でカテゴリー「富士見別荘」最終 

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1/6大宮八幡宮

2011-01-09 12:55:03 | 近隣

京王井の頭線浜田山13:00→善福寺川緑地→和田堀公園→大宮八幡宮→
大円寺→熊野神社→龍光寺→永福町駅15:30
    
善福寺川べりを行くと向日葵までが
    
和田堀公園
    
善福寺川を離れ右へ上がると大宮遺跡 すぐ大宮八幡赤門(神社北門)
    
大宮八幡宮
    
大宮八幡宮 上左写真は女銀杏 下左写真は大きな男銀杏 山門左右に
    

    
上左3枚:大円寺14:50 右:和泉熊野神社15:10
    
4枚:龍光寺15:15 永福町駅まで徒歩約10分



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欧州一人旅 行程2

2011-01-05 21:12:14 | 欧州旅 思い出…

2010.09.16 投稿した「行程1」からの続きをやっとやる気に
8/30に初回と13回目 9/4に11回目 9/16に2回目・3回目・4回目が
済んだので「18回まで」を順次できるところまで


1994.6.14-7.5 (22日間) 5回目

AOMフランス 89,600 ユーロパス10日 56,700

ヘルシンキ経由パリ・オルリー空港(14時間半)パリ2泊中(ノートルダム、サンシャペル、
コンシェンジュリー、サンルイアンリールK、パルテノンなど) パリ東駅→
「ドイツ」ザールブリュッケン→マンハイム→フランクフルト→フルダ2泊中
(アイゼハナハ滞在4h、ワイマール滞在4h) フルダ→ミュンヘン→
「オーストリア」キッツビール5泊中
(インスブルック滞在2h、キッツビールホルン1996mロープウエイでアルプス庭園、
ドイツ語学校見学半日、バートガシュタイン滞在2h、ペルチャッハ滞在1h半) キッツビール→
ロイテ2泊中(ハーネンカム1938mロープウェイとバスでアルプス庭園) ロイテ→
「ドイツ」ガルミッシP.K→ムルナウ→オーバーアマガウ1泊中(リンダーホフ滞在4h) 
→ミュンヘン→ウルム→フライブルク→バーゼル
バーゼル駅ホームにブルノ夫妻出迎え 車でブルノ宅まで20分アルレスハイム1泊→
ブルノ別荘ヌ・シャテル湖畔シェアーへ車5h、途中で昼食とフォンジュ材料など買い物
別荘滞在3泊中1日目腹痛で寝ていた (一人旅 朝ブルノ夫人サンドイッチ作ってくれた 
シェア6:45→イベルドン→ローザンヌ大事故発生で列車混乱したが誘導バスで
乗り継ぎ予定通り→コソネイ→ローザンヌ→ヴェベイ→ブリーク→シンプロントンネル
→ドモドッソラ→チェンバリートンネル→ロカルノ→ベリンツォーナ→ゴッタルド峠→
ルツェルン→オルテン→ベルン→フリブール1h→シェアー19:45着)
電話をしなくてブルノさんに怒られた ず~っと心配で電話を待っていたと!
シェア8:10→イベルドン→バーゼル10:50→12:00チューリヒ→シャフハウゼン1泊中
(シュタインアムライン滞在5h帰り船)シャフハウゼン7:55→10:44カールスルーヘ1泊中
(ストラスブール滞在3h)カールスルーヘ11:07→バーデンバーデン→ストラスブール→
ナンシー→16:20パリ東駅 パリ2泊中(カンタン市場、マドレーヌ寺院、サンロックK、
シャンゼリゼ凱旋門、シャイヨ宮、エッフェル塔、アンバリット、オルセー美術館3h
サンジェルマン通り、バスチーユ、サンルイ島、シテ島など)
パリ東駅からバスでオルリー空港12:00→帰国

[ベータバージョン]を試してみると文だけなら文字サイズ・色が簡単に変えられて便利 
欧州旅行記をどう載せる?まだ形が定まらず 自分しか分からない部分が多いし間違いも?
手元の記録から行った所だけ行程順に並べたが思い出すことを書き留めたくなったり、
国別に色を変える?文字の大きさを替える?、迷うが後日修正する積りで投稿
こうして書いているといろいろ思い出せて楽しい

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正月②杵築神社 日記 駅伝…

2011-01-04 20:31:55 | 日記・雑記2011.1~
  
2日、駅伝中継のあと近くの神社に行ったが長い列、3日の4時過ぎに参拝

今まで続けたブログを止めるのも勿体ないし
写真は簡単に並べられるのだが、新しい画面に馴染めないし
「やり方」に挑戦する気にはなれず
とりあえずボケ予防に日記を投稿しておくことに

2日3日と快晴なのにテレビの「駅伝」中継に夢中で過ごし 
4日もBSテレビが10時の「ローマ皇帝の歩いた道」から始まりイタリアの歴史と
いいのが続いて6時までテレビ三昧 行った町を見れたり色々疑問が解けたり…
 何度聞いても忘れるかなしさ! でも夢中になれる時間がいい

駅伝は復路を三越前と大門前の2回応援に行った
今年は特に盛り上がった 襷を手渡す・受け取る、その選手の表情
仲間の思いをいっぱいにして走る姿 そして富士山や海を見れるのが楽しみ
今日の新聞によると駅伝は大正6年、京都~東京「東海道駅伝」がはじまり
主催した読売新聞の社会部長だった土岐善麿が「駅伝」の名付け親
大赤字で土岐は辞職し朝日新聞に移り、反戦歌発表など問題になったりしたが
94歳まで幅広く活動、石川啄木との友情も有名で啄木の葬儀は善麿の生家の寺で
営まれたと 新潮社を説得し「啄木全集」を刊行したのも彼で「仲間」のおかげと








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正月① 元旦武蔵境駅周辺 三鷹太宰の陸橋から富士山

2011-01-03 14:57:15 | 日記・雑記2011.1~

元旦 7:45~8:45  家の近隣散歩 澄んだ空気で~す
今年も歩いて健康を維持できますように!!

   
武蔵境駅周辺です  来年はまた様変わりでしょう
   
どの道にも だ~れもいません
   
武蔵境から15分位で三鷹太宰の陸橋 富士山を見に
  
投稿方法:12/31には《前のバージョン》をクリックしても変化
しなかったのに今日は出来る。??
面倒だが今日も新バージョンで出来る範囲で投稿することに 
写真のサイズが2種(大き過ぎるのと小さすぎるの)しかできない
昨年9/23に「ベータバージョン」で投稿した時は簡単にサイズが
拡大・縮小できたが、とりあえず今日できることで投稿
写真を並べるのは簡単でした  クリックして見てください


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