54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

欧一人旅「2回目」 写真4 完

2011-05-31 12:46:18 | 欧一人旅1~18回 写真
5/28 から続く
6/9(日)バンベルク 10:24→ 14:21ライプツィヒ 18:18→ 22:04バンベルク
     
6/8(土)午後市内の店がどこも閉まってしまいマイン・ドナウ運河を渡って駅へ水を買いに 
6/9(日)朝食時 ライプツィヒへの列車は綺麗だが人は少なく車窓は黒い屋根や壁… 何もが暗い

ライプツィヒ駅は立派に出来ていたが市内は壊れた建物だらけ トーマス教会は感動!
バッハ像に逢えた時の思いは深い ルターとバッハの入ったステンドグラス、主祭壇の前のバッハの墓
(ライプツィヒは2001.6.22-24再訪 10年で整備されゲバントハウスのコンサートも行った)

左はトーマス教会そばのメンデルスゾーンが建立した「バッハ像」 再建された建物と小さな車とが…
     
6/10 バンベルク8:52→ 9:35ニュルンベルク 9:53 →11:36ミュンヘン 12:00→ 13:19ガルミッシュ.P.K
旧東マイセンなどのプランは止めアルプスを見て旅を終わりたくなりガルミッシュ・パルテン・キルヘンへ
     
ここを選んで大成功、この山男姿のおじさん達の声をウォークマンに入れて聴いて盛り上がった
    
6/11 G.P.K 8:22→8:45ミッテンヴァルト9:46→10:48インスブルック11:02→13:44ブレゲンツ14:40→
16:21チューリヒ 上5枚ミッテンヴァルト(ヴァイオリン作りで有名、ここも再訪) 3枚目:リュックを旅最終日に買った 以後愛用 2回はスキー用リュックで我慢(カウンター下床に見える)  
     
左:ミッテンヴァルトのペグラーさん(翌々年偶然また逢ってお宅に2泊) チロルの景色
ブレゲンツ音楽祭舞台 右:チューリヒホテル 下左:6/12ホテル前、新しいリュックを背負って
       
6/12 チューリヒ空港11:40… フランクフルト… ソウル…   6/13 13:00成田
ホテル前のリマト川 チューリヒ駅ホーム 旅の思い出   一人旅2回目 完




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欧一人旅「2回目」 写真3

2011-05-28 21:01:42 | 欧一人旅1~18回 写真
5/24 から続く
6/5 パッサウ 9:00→ ニュルンベルク→ 12:08 バンベルク 15:46→ レーゲンスブルク→ 21:00パッサウ

右3枚バンベルク(ニュルンベルク、レーゲンスブルク写真なし)右:レグニッツ川の小ベニス地区

6/5 左バンベルク駅→パッサウに戻る      6/6 パッサウ13:00→ 16:08バンベルク
上3枚6/6朝 宿泊パッサウ ガストハウス 中と外観(2泊約6千円)

6/6 午前は対岸のオーベルハウスへ パッサウはドナウ、イン、イルツの3つの川に囲まれた交通の要所

オーベルハウスからの眺めはすばらしい 帰路一緒だったイギリスの人と12時の大聖堂の
オルガンに急いだ(入場料2DM)  右写真:感激して買ったビデオは未だに見られず書棚に

6/7 バンベルク9:06→ 10:41バイロイト14:44→ 16:09バンベルク  上写真5枚バイロイト4時間散策
    
6/8(土)バンベルク滞在 バンベルクは戦火を免れ中世の佇まいを残す古都で「小ベニス」と言われる
 
落ち着いた芸術と文化の町、バンベルク交響楽団の人と少し話して興奮したのを思い出した
 
歴史博物館に入った ドームでオルガンを聴きテープに入れた 一緒に聴いたこの少年たちと文通もした
赤い車は結婚式のサイレンを鳴り響かせて走り回り、その前後にも車が…ピーポーピーポーと
ライプツィヒに続く

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5/25日比谷へ ドイツビール祭り

2011-05-26 21:45:29 | 都内
天気予報が「1日だけの貴重な快晴!」というので落ち着かない
バラを見にどこへ行こうか? 都電荒川線? 新宿御苑? ひょっとして
日比谷公園が例年のフェアをやってるかも?と、ネットで見たら「ドイツ」の文字が…
迷わず出掛けたら駅のホームに人がいっぱい、混んだ電車にすぐ乗れたが、乗り換えたら
また人身事故のアナウンス… あまり遅れることもなく12時に日比谷公園  
      
都営三田線「日比谷」を地上に出ると斜め前はすぐ日比谷公園 
いつもと違うコースを歩くと猫が  水曜コンサートの日だった~ 
     
ちょうど始まったところ (12時-13時 6月は1,8,15,22,29 7月は6,13) ドイツフェアが気になり
「1部」だけ聴いて移動 ビールの売り場に、この時は人が少なかったが後で凄い列に
     
フレンドリーな雰囲気は海外旅行のよう 1人で来ても仲間ができる 私がドイツ人と話したくて
来たと言ったらドイツ語で返事をしてくれた女性はグラーツ近郊でホームステイ経験があり私たちは
5時間近く次々に話題が広がった 途中から一人、二人と仲間が出来本当に楽しい時間だった
2番目写真は私の黒ビールとミュンヘンソーセージ ビール煮の牛肉、最後にはピックルスを
この若者達に (それぞれ一人で来た) ご馳走になった
また来年逢える奇跡が起きたらな~ 二人共とても頼もしかった がんばって~!
    
日比谷公園のバラ5:30 帰りかけたが少し散歩したくなり歩いていると災害時用のスペース発見、
斜め前は日比谷公園 ここは前何だったっけ? こんな一等地が… 仮説トイレ使わせてもらった
     
もう一度ビール会場に行ってみたら凄い人、生ビール千円は高いと思ったが災害募金になるようだ
    
陛下が田植えをされているお姿が新聞にあった 夕日をご覧になっているかも…
和田倉噴水公園を抜け和田倉橋を渡って三田線「大手町」へ、次の「神保町」で新宿線に
乗り換え(慣れたら負担でなくなった)「東中野」に着くと電車が人身事故で止まっていると…
改札入れず 振り替え切符を貰って「中野坂上」に戻り、丸の内線で「荻窪」まで さらに
「西荻窪」までバスで行き、また乗り換えて「吉祥寺」へ、ヤレヤレ… 電車は動いたらしいが
下りは相当な混雑かと思いバス利用で  9:30帰宅





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欧一人旅「2回目」 写真2

2011-05-24 21:29:46 | 欧一人旅1~18回 写真
5/22投稿から続く
1991年 6/1 クラーゲンフルト8/35→ 11/55ツェルアムゼー
    
ツェルアムゼー:ザルツブルクとインスブルックの間にあるリゾート地 左:3泊6000円 駅前宿
    
上9枚ツェルアムゼー  駅からツェル湖はすぐ オランダ人の踊るグループ
    
左1枚イエンバッハ   右3枚、下4枚インスブルック
6/2 ツェルアムゼー8:46→ 10:20イェンバッハ10:50→ 11:14インスブルック15:20→ 17:16ツェルアムゼー
イェンバッハからSLに乗るか迷ったが30分ホームで写真撮ったりしてインスブルックへ
   
王宮と王宮庭園を見た 右:インスブルックホーム
    
上5枚リンツ
6/3 ツェルアムゼー8:20→ 12:38パッサウ13:03→ 14:12リンツ 18:34→ 21;39ツェルアムゼー
パッサウですぐ明日の宿が決まったのでリンツで4時間とれた 
モーツアルト27歳の時4日で書き上げたという家を何人に聞いても知らなくて驚いた
ブルックナーが長年勤めた教会でひとときを過ごせて満足ツェルアムゼーへ戻る
    
左:6/3車内で知り合ったクロニックさんの靴 次:6/4ツェルアムゼーを去る朝ツェルアムゼーのホームの女性 次:車内で話かけて色々教えてくれた人 右:パッサウとリンツとフィラッハのパンフレット
日記に車窓の山・牛など満足している様子… 少し余裕が出たところで気をつけようとも
   
上4枚パッサウ
6/4 ツェルアムゼー8:20→10:25 ザルツブルク11:10→12:38パッサウ泊 午後パッサウ散策
続く



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欧一人旅「2回目」 写真1

2011-05-22 22:46:26 | 欧一人旅1~18回 写真
1991.5.25-6.13 訪問国:スイス・イタリア・オーストリア・ドイツ

       
1等車に乗ると座席にその列車の行き先、乗り換えて行ける所などの分かり易いパンフレットが
置いてあり、それを見て急にプラン変更することも。駅では3箇所位行きたい所を言うと
乗り換えや時刻が載ったものを印刷してくれたし、車内で車掌に聞いても色々書いてくれた
上3枚 右:ベニス4時間位滞在 (サンタルチア着9:20-発13:35?→16:00頃フィラハ)
     
5/29 フィラハ駅1分 Hオイロパの中庭と部屋からの眺め イタリアにも近い古くからの交通の要衝
   
5/30 朝教会へキリストの祭日(聖ニコライ教会) 散歩ドラウ川 10:00発→ 10:34クラーゲンフルト着
    
左:クラーゲンフルト駅で宿探し 紹介してくれた宿が気に入ったので荷物を置きグラーツにいく事に
車中でインゲボルクさんと話し来年訪問の約束をする グラーヅでは3時間も掛かった
右2枚と下左2枚は城山 グラーツのシンボル時計塔 ハンガリー、ユーゴスラビアが見える 
ナポレオン時代の大砲も睨みを利かせていた 城山は500mもないがかなりの急坂で
私が登る時だれもいなかった ケーブルカーがあることは後で知った 
   
グラーツ市街はユネスコ文化遺産でオーストリア第2の都市、駅から市街まで徒歩15分位、
ムーア川を渡って行く 城山に真っ先に行ったので時間がなくなり市街を殆ど見れなかった
名門音楽院があり、カールベーム生誕地、シューベルトが一時期住み未完成交響曲はグラーツの
友人宅に死後40年も眠っていた ナポレオンが宿泊した家もあり、州庁舎は1557-65年築とのこと 
    
5/31 クラーゲンフルト:左は2泊5000円の宿の朝食時 右は綺麗なお店がいっぱいあって
荷物になるのに買ってしまったレースだがやっぱり買って良かった 今、家の窓に
   
クラーゲンフルトはヴェルター湖に近い文化の高い町 ローマ時代からウィーンとローマを結ぶ
ローマ街道に沿った地 右は泊まったガストハウスの外観  
ツェルアムゼーに続く  

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欧一人旅「2回目」行程 冊子より 17日間イタリア・オーストリア・ドイツ

2011-05-21 15:02:20 | 欧一人旅1~18回 行程 (現地文字1含む)
 1991年 5/28~6/13{17日間} 2回目
訪問国:スイス・イタリア・オーストリア・ドイツ 
航空機とパス:大韓航空 139,000円  ユーレイルパス1等15日 52,700円
5/28 成田9:40→  ソウル→ 21:40チューリヒ   00:10→夜行→ 5:40ミラノ経由→
5/29 → 9:20ヴェネチアサンタルチア 滞在4h 13:35→ 16:00 フィラハ泊 (1泊500As)
5/30 フィラハ10:00→ 10:34クラーゲンフルト泊 / クラーゲンフルト13:38→ 16:35グラーツ19:50→ クラーゲンフルト23:04 グラーツ滞在3h 
5/31 クラーゲンフルト泊 (2泊500As) 一日市内ゲーテ公園など…
6/01 クラーゲンフルト8:35→ 11:55ツェルアムゼー泊 
6/02 ツェルアムゼー泊 (3泊597As) /イエンバッハ インスブルック往復 インスブルック滞在4h 
6/03 ツェルアムゼー泊 / ザルツブルク パッサウ リンツ往復 リンツ滞在4h 
6/04 ツェルアムゼー8:20→ 10:05ザルツブルク11:10→ 12:38パッサウ泊 (2泊70DM) 
6/05 パッサウ泊 / ニュルンベルク、バンベルク滞在3h レーゲンスブルク滞在2h 往復する 
6/06 パッサウ13:00→ 16:08バンベルク泊
6/07 バンベルク泊 (1泊80DM 6/7) / バイロイト往復 バイロイト滞在4h 
6/08 バンベルク泊 (3泊105DM 6/6,8,9) 午後市内散策Dom、歴史博物館など
6/09 バンベルク泊 / ライプツィヒ往復 ライプツィヒ滞在4h
6/10 バンベルク8:52→ 11:36ミュンヘン12:00→ 13:19ガルミッシュ・P・キルヘン泊 (1泊34DM)
6/11 ガルミッシュ・P・キルヘン8:22→ 8:45ミッテンヴァルト9:46→ 10:48インスブルック11:02→ 13:44ブレゲンツ14:40→ 16:21チューリッヒ泊 (1泊95Sfリマトホテル)
6/12 チューリッヒ11:40→ フランクフルト→ ソウル→ 大韓航空機内泊→  6/13 13:00成田

2回目は安い大韓航空にし15日間列車乗り放題のパスを購入、ホテル予約なしで出た。昨年の経験でホテル探しはできると思えたし、夜行も使えるパスだから宿探しが上手くいかなければ列車に乗っていればいいのだ。草々、チューリッヒからの夜行が心配だったが機中で隣りだったチューリッヒで働いている日本人がチューリッヒ駅ホームでミラノに行くという日本人女性に声を掛けてくれて、その人と一緒にミラノ経由ベニスまで行けた。彼女はベニスのことを良く知っていて4時間付き合ってくれた(私は2度目)。ベニスからローマ発のウィーン行きでフィラハ下車、最初の部屋探しは駅1分、教会の見える心地よい部屋がすぐ決まった(1泊約5000円)。翌日クラーゲンフルトも駅のインフォメーションで安くて安心できる(1階が地元の人で賑わう食堂)ガストハウスを紹介され、気に入ってすぐ決めた(駅から10分2泊約5000円)。フィラハからの列車でインゲボルクさん親子と知り合いになり「来年はぜひ来るように」といわれ実現した。グラーツでゆっくりし過ぎてクラーゲンフルトに着いたのが23:04になってしまい駅から人のいない道を走って帰った。ツェルアムゼーの部屋探しは、当てにしていた駅のインフォメーションが12時ぴったりに閉まっていて戸惑ったが駅前に「空室あり」の看板を見つけすぐ決まった(3泊約6000円)。朝食は簡単なものが付きシャワーもあった。ここで3泊する間に次の部屋探しにパッサウへ往復した。ツェルアムゼーは駅前の宿なのでインスブルックやリンツにも安心して行けた。この移動中の列車でクロニックさんと知り合いご夫妻とは今も文通していてお宅にも2回お邪魔した。パッサウの宿(2泊約5500円)も簡単に駅前を決められたのでリュックを背負っての苦労はしないで済んだ。パッサウは、まず丘の上にある博物館オーベルンハウスで武器・農具を見た。そこからのドナウとイン河が合流する眺めはすばらしかった。 Domの世界一という大きいパイプオルガンの演奏を12時に3DM(約240円)で聴き感激して私にとっては高いビデオも買った。パッサウ宿泊中に次の予定地バンベルクへ往復し宿を決めておいた。バンベルク滞在中にバイロイトに行きワーグナーで有名な美しいオペラハウスを見てきた。バンベルクは町の中心へは駅から川を越していくので10分以上かかるが、Domも素晴らしかったしオルガンも聴けて北のベニスと呼ばれる街を満喫した。4泊中にライプツィヒも往復した。旧東ドイツは壊れた建物や小さいポンコツ車が目立ち列車は新型車なのに暗い感じだった。ワイマールやマイセンを予定していたが変更し旅の終りは帰国便にも近くなるミュンヘン経由、G・P・キルヘンにした。リヒアルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」で有名だが想像以上に感動の地だった。宿は線路のガードを潜ってすぐ、町の入り口に見つかった(1泊約3000円)。ここから20分で行けるミッテンヴアルトへも車窓を楽しみながら休憩を兼ねて往復した。この時ペグラーさんと知り合い、翌年お宅にお邪魔することになった。3回目旅から使い続けるリュックも買った「この二つの町には絶対また来る!」と。 インスブルック→ブレゲンツ経由チューリヒに戻った。チューリヒの宿はどこも高くて1泊1万円もしたが、ゆったりした湯船はやはりいいな~と、満足な旅を振り返った。
今回、参考資料をコンパクトにして持参、行く先はその中から毎日決めながら気ままな旅をした (駅で行く先の時刻表をプリントしてくれるので3箇所位もらい比べて…)。
持参した候補地で行けなかった所は次回の楽しみに。 1等車を有効に利用したし、来年訪ねる約束が3箇所もできた。ドイツ語の勉強もできた。



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欧一人旅「1回目」 写真4 完

2011-05-16 22:10:55 | 欧一人旅1~18回 写真
5/15投稿から続く  1990年 6/2 フィンランド
    
6/2左2枚 マティ家(ペルニオ)の夏の家 大きな敷地にサウナの建物やクリケット場、
ボートまであった サウナ体験をしクリケットで遊び、夜遅くペルニオに戻る
6/3右2枚 姉宅 ペルニオから車でヘルシンキに近いお姉さんの家へ センスの良いこと 
部屋のような冷蔵庫 庭には見たことない孔雀みたいな鳥がきていたり…
写真は顔が入っていて載せられず残念 手作りケーキなどご馳走になり4時間ほど滞在
マッティの車でトゥルクへ2時間、予約した船シリアラインに乗るため トゥルク2時間滞在
    
トゥルク21:30→ 6/4 7:00ストックホルム(9時間半の船旅は安い個室を予約)
左3番目シリアライン船上からトゥルクを撮る 月が見える 4番目は夜10:30頃 右は船内の子供
   
ストックホルムに近い船上からの朝 ストックホルム市内10時間半散策 立派なコインでポテトが買えただけ お水も高かったし言葉も分からず、月曜なのに休みが多く印象は良くなかった
17:43の夜行でスェーデンを北上しボーデンへ 北欧らしい列車に乗客ガラガラ 寒かった
 
左写真:ボーデンからバスだと思っていたが列車に乗り換えることに 列車待ち時間に
パンとコーヒーをご馳走してくれた人 私はクローネをもう持っていなかった(船内で少額両替え)
トルニオからケミまでのバスからの田舎らしい景色を思い出す スェーデンからフィンランドに入る
写真3枚ロバニエミ駅前 あ~ここまで来た~!駅の後ろの丘(右写真)で1時間感激の時を
6/5 ロバニエミ18:10→夜行 6/6 07:00ヘルシンキ着
 
6/6午後アイノラのシベリウスの家へマティの車で友人も一緒 右2枚:ヘルシンキに戻りシベリウス公園 夜コンサートへ グリーク聴く(5/24はフィンランディアHでブラームスを)マティが連れて行ってくれた
 
6/7 レールパス使用1人でヘルシンキ10:25→ 13:36イマトラ(ソ連はすぐ前に)15:40→ ヘルシンキ18:55
行き列車サヴォンリンナ(オペラフェス有名)行き 1等車は素晴らしく歌手?音楽家14‐5人と一緒に
きれいな川に沿って帰り列車時刻に合わせ行ける所まで歩き戻る(約2時間)右列車でヘルシンキへ
6/8 車でヘルシンキ市内観光(岩の教会、ウスペンスキー…)買い物(アラビア、ストックマン)
空港へ車で20分 19:20ヘルシンキヴァンタ空港から成田着6/9 14:55 (北極点通過証あり)
「1回目のひとり旅」写真 完

 

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欧一人旅「1回目」 写真3

2011-05-15 18:37:12 | 欧一人旅1~18回 写真
5/14投稿から続く
1990年 5/31 ツエレ→リューネブルク→リューベック→ツエレ
      
写真2番目リューネブルク駅前 町までの行き方を聞いたが分からず今回は止めて
次の電車でリューベックへ向う 右2枚からリューベック トラベ川に倉庫群が並ぶ
    
リューベック 6時間滞在 5/31(木)何の日かな~ 
    
北ドイツにしては明るい雰囲気 ワインをご馳走して歓迎してくれた 
      
リューベック ヤコビ教会(6枚)で静かな時を過ごしていたら何とオルガン演奏が始まり感激!

6/1 ツエレ9:20→ 10:30ハンブルク   17:05 フィンエアー→ 19:55ヘルシンキ マッティが車で迎えに
   
ハンブルク4枚 飛行機に乗るので時間をたっぷりとって出たが大きな町は分かりにくくて…
駅のコインロッカーは壊れているものが多くて手間取ったりしたが買い物は楽しめた
盆栽の店があった 右2番目は空港行きのバスを待っていたらこんな乗り物が…
空港でもフィンエアーの窓口表示がなくてうろたえた チェックインを済ませて入ると美味しい果物など
自由に食べられようになっていた 飛行機からの眺めに感動して下手な絵が日記に書いてある
フィンランド この時期、夜10時でも明るい
    
左からマティの実家ペルニオと後ろの家 心のこもったお料理(良い所は写ってなくて残念) 
家の近くで獲れたお魚料理 右写真のお父さんが獲った  
      
6/2 朝、キリスト特別ミサに参加 その後マティ家の夏の家へ車で   右は砂糖大根畑  
フィンランド 続く
  

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欧一人旅「1回目」 写真2

2011-05-14 13:29:45 | 欧一人旅1~18回 写真
5/13投稿から続く
1990年 5/28 ミュンヘンの宿はマーティンが駅近くに取ってくれたので安心
フランクフルトからの途中駅ヴュルツブルク、シュトゥットガルト、チユービンゲンに立ち寄る
   
ヴュルツブルク 1時間、アルテマイン橋を渡ってマリエンブルク要塞近くまで行く
   
シュトッツガルト1時間、周辺見ただけ→ チュービンゲン1時間半、ネッカー川また来たい町
   
ミュンヘン18:40着、宿がすぐ見つかりホッとする   5/29朝食  右ミュンヘン駅私のリュックが手前に (スキーで使用の大きな靴入れが両ポケットにあるのを利用) 
    
5/29ミュンヘン8:00→ 9:45インスブルック 1時間市内見て(写真左2枚) ブレンナー峠へ
   
ブレンネルロ11:29→ 13:09イタリア・ボルツァーノ 1時間駅周辺見て(写真右から2番目)14:00→
イタリア・メラン14:38(右写真) メラン18:04→ブレンナー→ミュンヘン22:45→ 夜行でハノーバーへ 
ウォークマン聴きながらのブレンナー峠往復は最高だった 夜行も1等は安心、夜明けが印象的
   
5/30 ハノーバー7:23~9:58散歩 立派な街、主要観光地が地面に赤線で書いてありそれに沿って
    
ツェレ「地球の歩き方」を参考に初めて自分で探した安い宿(上写真2番目)川の傍で気に入って2泊
   
ツェレ(写真8枚)は当時テレビのドイツ語講座や放送大学でよく出てきて街の様子が
少し分かっていたので選んだ    リューベックへ続く 
:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どう写真を選ぶか? 1回目の写真は少ない方なのに後3回に収まるかどうか?
写真を見てすぐどこなのか分かるようにするには時間が掛かるし… 出来ることで前進!

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欧一人旅「1回目」 写真1

2011-05-13 18:52:12 | 欧一人旅1~18回 写真

1990.5.23-6.9 訪問国:フィンランド・ドイツ・オーストリア・イタリア・スェーデン 行程順
      
参考:ユーレイルパス1等15日間 50400円  右はフィンマルカ
    
5/23 フィンエアー機内食 成田10:30→北極点18:40→ヘルシンキ22:30(現地時間16:30)
   
5/24 車でポルボーへ(50k) 右はヘルシンキ市内ウスペンスキー寺院
    
5/25 フランクフルトへ 320段の階段を上ってDomからのマイン川の眺め 次オペラハウス
右:私の荷物を持ってくれるフランクフルト駅のマーテイン後姿 
    
フランクフルトでゲーテ生家や市内を見てマンハイム(上写真2枚)ヴァインハイム散策後マーティン宅へ
   
5/26 列車で(マーテインは2等に乗る)ボンへ ベートーヴェンハウスを見た後、シューマン夫妻のお墓探しに時間が掛かった ケルン大聖堂を見て マインツへ Stシュテファンで90歳のシャガールのステンドグラスは見れなかった 
      
5/27 マーテインのお母さんと友人が車で案内してくれた ライン下りはリューデスハイムからStゴアまで 
帰りは昨日乗ったライン川の反対側の路線の列車で戻り、リューデスハイムで昼食 
その後ハーナウの宮殿を見てから友人宅へ 日本庭園まである立派なお宅だった
写真左3番目からリュ-デスハイム 友人宅標本 家にいるマーティン 夕暮れのアルテンシュタット 
5/28 早朝別れ いよいよ本当のひとり旅が始まる ミュンヘンへ 続く



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欧一人旅「1回目」行程 冊子より 18日間フィンランド・ドイツ・オーストリア・スウェーデン

2011-05-12 22:02:19 | 欧一人旅1~18回 行程 (現地文字1含む)

《年度別 旅記録》
1990年 5/23~6/09〔18日間〕 1回目 
訪問国:フィンランド・ドイツ・オーストリア・イタリア・スウェーデン 
航空機と鉄道パス:フィンエアー251,760円 ユーレイルパス1等15日 50,400円
5/23 成田10:00→  16:50ヘルシンキ ヘルシンキ泊 (マティ宅)
5/24 ヘルシンキ泊(マティ宅)  / マティの車で→ポルボー(1346年スウェーデン王により創られたフィンランドで2番目に古い町に2h滞在) 夜フィンランディアホール(ブラームス2番)  
5/25 ヘルシンキ06:55→飛行機→ 8:30フランクフルト(マーティンとフランクフルト市内ゲーテ生家等)→ マンハイム→ ヴァインハイム→ フランクフルト→ バードフィルベル→ アルテンシュタット アルテンシュタット泊(マーティン宅)
5/26 アルテンシュタット→ バードフィルベル→ フランクフルト→ ボン(ベートーベン生家、シューマン夫妻のお墓)→ ケルン大聖堂→ マインツ→ アルテンシュタット泊(マーティン宅)
5/27 アルテンシュタット→車→ リューデスハイム→ライン下りの船→ St.ゴアハウゼン→ リューデスハイム→車→ ニーデルヴァルト→ ハーナウ→ アルテンシュタット泊(マーティン宅)
5/28 アルテンシュタット6:03→ 6:20フランクフルト→ ヴュルツブルグ滞在1h→ シュツゥットガルト滞在1h→ チュービンゲン滞在1.5h 15:58→ 18:40ミュンヘン ミュンヘン泊 (H.ハーバーストック68DM) 
5/29 ミュンヘン8:00→ 9:45インスブルック滞在1h → ブレンネロ→ ボルツァーノ滞在1h → メラノ滞在3h → ブレンネロ18:57→ 22:34ミュンヘン23:45→夜行→
5/30 → 07:23 ハノーファー滞在3h→ 10:23ツェレ ツェレ泊(2泊90DM)
5/31 ツェレ泊 / ツェレ9:20→ 9:54リューネブルク10:42→ 11:51リューベック17:30→ リューネブルク18:46→ 19:56ツェレ
6/01 ツェレ9:20→ 10:29 ハンブルク滞在5h ハンブルク17:05→飛行機→ 19:55ヘルシンキ
(マティの車で両親宅へ) ペルニオ泊 (マティ両親宅)
6/02 ペルニオ泊 (マティ両親宅)  / マティ家の夏の別荘へ車で サウナ、クロケット体験
6/03 ペルニオからマティの姉の家へ両親と4人で→車 姉宅滞在4h→ マティの車でトウルク 滞在3hの後トウルク21:30→ 船旅シリアラインで10h  ストックホルムへ→
6/04 → 07:00ストックホルム17:43夜行→
6/05 → 07:43ボーデン09:00→ ケミ1.5h滞在の後15:40→ 17:00ロバニエミ 滞在1h→ 18:10→夜行→
6/06 → 07:30ヘルシンキ  マティの車でアイノラへ(シベリウスの家)ヘルシンキ泊(マティ宅)
6/07 ヘルシンキ泊(マティ宅)  ヘルシンキ10:25→ 13;36イマトラ15;20→ 18:55ヘルシンキ
6/08 ヘルシンキ市内 (アラビア→ ストックマンデパート→ ウスペンスキー寺院等)→ ヘルシンキ空港19:20→  フィンエア機内(北極点通過20;30)泊→
6/09 → 14:55成田
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わが家にホームスティしたマティ(フィンランド)とマーティン(ドイツ)のお宅へ。一人旅スタート!
*初めての「一人旅プラン」作りに、まず決めたのはブレンナー峠を越える事だった。
列車を15日間続けて使うレールパスを買うことは迷わなかった。このパスでシリアラインにも乗り夜行列車も3回利用した。当時、格安航空券は少し危険な感じがあり、フィンツアーで購入した。ドイツ語会話や緊急時用の小さなメモ帳作りを念入りにやり、辞書も持参した。
*マティ(日本語が良く分かる)とマーティン(日本語が分からない)が、それぞれ空港(ヘルシンキ、フランクフルト)の見つけやすい所で待っていてくれた。そしてそのご家族の暖かなもてなしで沢山の経験をさせていただいた。
*マーティンがやっと見つけたボンのシューマン夫妻のお墓。お母さんと出かけたライン川下り。知人の大邸宅。(そこの立派な地下室には沢山の化石の標本が並び、手入れの行き届いた日本庭園まであった)
*ミュンヘンのホテルが初めて一人で泊まる宿だった(マーティンが予約)。美しい町インスブルックから、感動の続くブレンナー峠を往復。ミュンヘンから夜行でハノーバーに着くまでの明けゆく靄の中のドイツの大地。フランス風の家並みの美しい町ツェレでの初めての部屋探し。リューベックでは、にぎやかな市とバッハゆかりの教会で偶然響きだしたオルガンの音色に感動。
*まさしく森と湖の国フィンランドをいっぱいドライブ。対向車は昼間でもランプをつけていたし、大きなトナカイの絵の注意を促す道路標識があった。マティのご両親の北欧らしい家やお父さんの釣ってきたお魚の料理でのおもてなし。お姉さんの家の大きな冷凍室やセンスの良いインテリア。シリアライン船上からの夕日。ストックホルムの一日。 “ロバニエミまで一人で来ているんだ~!”と、大空を見上げ、足元のかわいい草花をちょっとだけいただき、大切に押し花にしたひととき。川の向こうはソ連だから写真を撮ってはいけないというイマトラまでも行ったり・・・・フィンランド人のしずかで、やさしい気持ちに満たされて帰国した。
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ここまでは旅行記小冊子のコピーを少し修正して投稿したが、写真をどう選ぶか迷う
思いつくまま思い出を書き加えて旅順に投稿することにしてみようかと…
新しいパソコンのウィンドウス7は印刷すると文字が小さくなってしまう
A4に収める内容に纏めて投稿してきたがセブンの場合、文字が小さい分行数が増える
1回の投稿に長々と続けるのが良いか、バラバラになっても前後を分かりやすくするには?
次回からの写真がどうなるか試行錯誤の内の今日の投稿です





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5/4両国~向島

2011-05-06 15:32:44 | 都内

天気が良いので両国から向島百花園まで歩くことに
     
大江戸線「両国」から北斎通りを行くとすぐ左側に「東あられ本舗」、そこに上左写真看板が
(美味しそうなお煎餅がいっぱいあったので買う)更に5分位行くと「大横川親水公園」
    
東武線「業平橋ホーム」がスカイツリーのすぐそばに 愛用「町歩き冊子」の赤線に沿って行くと
「堀辰雄住居跡」、説明読んでから5分位歩くと「森鴎外住居跡」の説明板も
小道は分かりにくかったが羽子板資料館、昭和20年代後半にカフェ街として栄えた通り
地蔵坂通りなど… 連休で閉店の店が多いが下町風情、平日はどんななのかな?
     
近いとは思ってはいなかったが暑くて向島百花園まではくたびれた
お煎餅屋さんと和菓子屋さんはあるが食事所がなくて…
向島百花園2時半 上左から2番目は「くろばなろうばい」
     
向島百花園から見たスカイツリー、あやめ、ムサシノキスゲ、翁草の綿毛、鳩の街商店街
百花園で30分ほど休んで元気が出たので浅草へ向った
     
言問橋手前に牛島神社  枕橋過ぎると勝海舟像が 
吾妻橋でやっと美味しいお蕎麦屋さんで昼食4時 
    
厩橋を渡るとすぐ大江戸線「蔵前」だった 
左写真:川向こうに下船する人、乗船する人の波 人混みと全く人がいない所と極端
右から2番目は厩橋からのスカイツリー

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海外旅行記冊子より「ツアー3」続き

2011-05-05 13:06:52 | 『冊子50歳…』ツアー3含

シチリア (アグリジェント)   右:バス車窓 (このような景色は珍しい)

シチリア (タオルミナ)
シチリアから本土へ (メッシーナからフェリー20分)

バスでアルベロベッロ (寒くて暑い地、トゥルッリという建物)世界遺産の町泊

マテラ洞窟教会 2時間歩いて観光

ソレントで昼食  カプリ島へ  宿泊ホテル床  1人で教会へ
 
カプリの教会  アナカプリへロープウエイで
   
カプリからティレニア海をフェリーでナポリへ50分  ポンペイで昼食  ローマカンツォーネの夕べ
  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これらの写真はスキャナーで取り込み65%縮小して使用したがこれからの
本番のひとり旅分は写真をデジカメに残しながら選んで投稿するつもりでいる
2007.8月作成の「50歳からのヨーロッパ旅行」冊子にはないものの追加、外すものなど
修正して4回目1993年までを、とりあえず完成させたいが写真が多くなりそう…
旅をした人には懐かしく、興味のある人には楽しんでもらえることを意識して
ひとりよがりな旅日記だが試行錯誤しながらゆっくり投稿したいと思っている
手元のきれいな2L版の写真のように投稿写真がならなくて残念

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海外旅行記冊子より「ツアー2」「ツアー3」

2011-05-03 20:27:34 | 『冊子50歳…』ツアー3含

*2回目のツアー旅行   1989年11月1日~11月8日 (8日間 27万円)
ローマ3泊(ポンペイ・ナポリ日帰り往復)→フィレンツェ1泊→ベニス1泊→ミラノ1泊
丸の内倶楽部主宰の“イタリア浪漫物語8日間”(参加者20名 差額なし一人部屋)
 行きのアリタリア機内から見た夕日の印象が今一番に思い出される。成田16:30発ニューデリー経由だったのでズーッと太陽を追いかけていくのだ。夕焼けがかすかに夕闇の中にスジになって残っていく (その感激がへたな絵入りでアルバムに書いてある)。デリーで乗り換えてミラノまで行き、さらにローマへと成田から20時間かかった。ローマに着いて早々、メンバー2人がスリに合い添乗員はそれで走り回る事となり2日目が自由行動に変更になったがお蔭でナポリ・ポンペイに行けた(追加料金で)。お決まりの慌しい8日間のイタリアはスリに注意!と、お土産屋で貴重な時間を割かれた。買ってしまったベニスのオンザロック用グラス6個2万円は一度も使う機会もなく後悔している。写真を撮る時間などまるでなく集合時間に縛られ通し。特にフィレンツェの鑑賞時間がなくて残念だった。ベニスの大理石ずくめの豪華な宿泊ホテルとゴンドラ体験は心に残った。

       
ローマ凱旋門、コロッセオ ヴァチカン(最上階右2番目の窓から毎週法王の話が聞けるとの説明)
右はジプシー軍団が目の前で…この後私の前の2人の被害を知った
    
ここにも怪しいジプシー? 追記:21.5.13旅メモ:午後自由行動になり2人の女性とミラノ駅横を通リマジョレ寺院を抜けスペイン広場へ 階段傍の「カフェグレコ」でコーヒーを飲み名入カップ購入
3日目ナポリ・ポンペイ 4日目フィレンツェ泊 5日目ヴェニス
   
ヴェニス ヴェネチアングラス工房でグラス買わされた 6日目ミラノ
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*3回目のツアー旅行  2000年3月12日~3月19日 (8日間 19万円)
パレルモ→モンレアーレ→アグリジェント→タオルミーナ→メッシーナ→アルベロベッロ→マテラ→ソレント→カプリ→ポンペイ→ナポリ→ローマ(参加者23名 差額なし一人部屋)
10回のヨーロッパ一人旅をしてからのツアー参加は前回とは違い下調べもした。一人旅をしているうちにどんどん行きたい所は膨らんだ。ツアーでも行ってみたいと思ったのがシシリー島などギリシャ、ビザンチン文明に触れてみる事だった。このコースは、添乗員手書きの分かりやすい地図もあり気にいった。一人ではとてもこんなに知らない世界を見て歩けない。パレルモのノルマン王宮、モンレアーレ大聖堂、アグリジェントの“神殿の谷”、タオルミーナの古代劇場とホテル前の浜辺、世界文化遺産のアルベロベッロやマテラの洞窟住居群、ソレントからカプリ島そして最後のローマの夜にはカンツォーネまで用意されていた。前回1989年とは違い買い物もし予想以上の充足感があった。


 上5枚:シチリア(パレルモ) 
続く(タオルミナ)本土アルベロベッロ、マテラ、カプリ、ポンペイ、ナポリ、ローマ

  


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