54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

海外旅行記冊子より「ツアー3」続き

2011-05-05 13:06:52 | 『冊子50歳…』ツアー3含

シチリア (アグリジェント)   右:バス車窓 (このような景色は珍しい)

シチリア (タオルミナ)
シチリアから本土へ (メッシーナからフェリー20分)

バスでアルベロベッロ (寒くて暑い地、トゥルッリという建物)世界遺産の町泊

マテラ洞窟教会 2時間歩いて観光

ソレントで昼食  カプリ島へ  宿泊ホテル床  1人で教会へ
 
カプリの教会  アナカプリへロープウエイで
   
カプリからティレニア海をフェリーでナポリへ50分  ポンペイで昼食  ローマカンツォーネの夕べ
  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これらの写真はスキャナーで取り込み65%縮小して使用したがこれからの
本番のひとり旅分は写真をデジカメに残しながら選んで投稿するつもりでいる
2007.8月作成の「50歳からのヨーロッパ旅行」冊子にはないものの追加、外すものなど
修正して4回目1993年までを、とりあえず完成させたいが写真が多くなりそう…
旅をした人には懐かしく、興味のある人には楽しんでもらえることを意識して
ひとりよがりな旅日記だが試行錯誤しながらゆっくり投稿したいと思っている
手元のきれいな2L版の写真のように投稿写真がならなくて残念

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海外旅行記冊子より「ツアー2」「ツアー3」

2011-05-03 20:27:34 | 『冊子50歳…』ツアー3含

*2回目のツアー旅行   1989年11月1日~11月8日 (8日間 27万円)
ローマ3泊(ポンペイ・ナポリ日帰り往復)→フィレンツェ1泊→ベニス1泊→ミラノ1泊
丸の内倶楽部主宰の“イタリア浪漫物語8日間”(参加者20名 差額なし一人部屋)
 行きのアリタリア機内から見た夕日の印象が今一番に思い出される。成田16:30発ニューデリー経由だったのでズーッと太陽を追いかけていくのだ。夕焼けがかすかに夕闇の中にスジになって残っていく (その感激がへたな絵入りでアルバムに書いてある)。デリーで乗り換えてミラノまで行き、さらにローマへと成田から20時間かかった。ローマに着いて早々、メンバー2人がスリに合い添乗員はそれで走り回る事となり2日目が自由行動に変更になったがお蔭でナポリ・ポンペイに行けた(追加料金で)。お決まりの慌しい8日間のイタリアはスリに注意!と、お土産屋で貴重な時間を割かれた。買ってしまったベニスのオンザロック用グラス6個2万円は一度も使う機会もなく後悔している。写真を撮る時間などまるでなく集合時間に縛られ通し。特にフィレンツェの鑑賞時間がなくて残念だった。ベニスの大理石ずくめの豪華な宿泊ホテルとゴンドラ体験は心に残った。

       
ローマ凱旋門、コロッセオ ヴァチカン(最上階右2番目の窓から毎週法王の話が聞けるとの説明)
右はジプシー軍団が目の前で…この後私の前の2人の被害を知った
    
ここにも怪しいジプシー? 追記:21.5.13旅メモ:午後自由行動になり2人の女性とミラノ駅横を通リマジョレ寺院を抜けスペイン広場へ 階段傍の「カフェグレコ」でコーヒーを飲み名入カップ購入
3日目ナポリ・ポンペイ 4日目フィレンツェ泊 5日目ヴェニス
   
ヴェニス ヴェネチアングラス工房でグラス買わされた 6日目ミラノ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


*3回目のツアー旅行  2000年3月12日~3月19日 (8日間 19万円)
パレルモ→モンレアーレ→アグリジェント→タオルミーナ→メッシーナ→アルベロベッロ→マテラ→ソレント→カプリ→ポンペイ→ナポリ→ローマ(参加者23名 差額なし一人部屋)
10回のヨーロッパ一人旅をしてからのツアー参加は前回とは違い下調べもした。一人旅をしているうちにどんどん行きたい所は膨らんだ。ツアーでも行ってみたいと思ったのがシシリー島などギリシャ、ビザンチン文明に触れてみる事だった。このコースは、添乗員手書きの分かりやすい地図もあり気にいった。一人ではとてもこんなに知らない世界を見て歩けない。パレルモのノルマン王宮、モンレアーレ大聖堂、アグリジェントの“神殿の谷”、タオルミーナの古代劇場とホテル前の浜辺、世界文化遺産のアルベロベッロやマテラの洞窟住居群、ソレントからカプリ島そして最後のローマの夜にはカンツォーネまで用意されていた。前回1989年とは違い買い物もし予想以上の充足感があった。


 上5枚:シチリア(パレルモ) 
続く(タオルミナ)本土アルベロベッロ、マテラ、カプリ、ポンペイ、ナポリ、ローマ

  


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海外旅行記冊子より「ツアー1」

2011-04-27 20:31:27 | 『冊子50歳…』ツアー3含

《ツァー旅行》  
*1回目のツアー旅行   1987年7月30日~8月10日 (12日間 約65万円)
 ウィーン、ザルツブルク、ロマンチック街道  (参加者25名 差額なし一人部屋)
 日本モーツアルト協会主催12日間のツアーに参加。成田からアンカレッジまで6時間30分、更に8時間45分でデュッセルドルフ、また乗り換えてウィーンに到着という機内だけでも16時間以上掛かるものだった。私以外はクラシック音楽の知識人で綿密で魅力的な内容に埋め尽くされていた。
 ウィーン空港到着後、この旅行中お世話になる手配済みのバスで、まず中央墓地に寄って偉大な音楽家のお墓を各人自由に訪れてから、名門のホテル・インペリアルに向かった。着くとすぐ豪華なロビーやお部屋にウットリする時間も惜しんで、それぞれケルントナー通り散策に。その夜は国立劇場の“夏の音楽祭”、「魔笛」を2階正面席で観たのだが、長旅の疲れで睡魔との闘いだったことを思い出す。H.インペリアル3泊中はバーデン、ハイリゲンシュタット、プラター公園など適当にグループを作り自由にウィーンを楽しんだ。
 5日目、貸し切りバスでザルツブルクへ。メルクの壮大な修道院、ブルックナーの生地St.フローリアン、車窓の美しいザルツカンマーグートと感動のうちに340km、4時間でザルツブルク、ミラベル庭園そばのH・アウストロッテルに着いた。その夜は、この旅行のメイン“ザルツブルク祝祭劇場音楽祭”の「フィガロの結婚」指揮J・レバイン鑑賞。私たちも和服、ロングドレス、モーニングと伝統の雰囲気を壊さないような衣服を持参しドレスアップ。ここに集まる世界中の富豪の姿を見るのを楽しむ人たちも町に溢れていた。次の日は思い思いにザルツブルクを味わった。私は一人でホーエンザルツブルクへ歩いて上った。その時お城の歴史などを教えてくれたこの地に住む日本人に、人気のお店のランチまでご一緒していただけてラッキーな一日になった。次の日は貸し切りバスでドイツのケーニッヒゼーへ。ヒットラーの山荘近くだ。途中“塩の湖底”見学のスリルを体験した(ハラインの岩塩坑)。 夜は指揮アバド、ピアノはブレンデルの“室内楽の夕べ”へ。
 ザルツブルクに3泊した後、貸し切りバスでアウグスブルクへ向かった。モーツアルトの父の家、フッカライ、金箔ずくめの市庁舎などをめぐり、モーツアルト父子が宿泊したドライモーレンホテルに1泊。
 9~10日目は貸し切りバスでのロマンチック街道だ。ネルトリンゲン→ディンケルスヴュール→ローテンブルク町散策の後シュバービッシュハルで1泊、次の日はハイデルべルクをゆっくり楽しんでからヴァイルブルク4:30着、もう最後の夜だ。シュロスホテルに泊まった。11日目、フランクフルト発14:30アンカレッジを経由して12日目14:45成田に着いた。
 高額だったが何もかも満足できる旅行だった。帰国後も写真交換会などに出席、興奮は続いた。当時、勤めていたのでこんな機会にめぐり合えたのだが51歳という節目に初めて海外旅行に踏み切れたのはやはりモーツアルトを聴く毎日があったからだと思う。


ウィーン Hインペリアル 国立歌劇場2枚 市内2枚

ウィーンプラター公園観覧車上から バーデン2枚 ハイリゲンシュタット2枚

メルク修道院 Stフローリアン3枚ブルックナーの墓とオルガン ザルツカンマーグート
     
ザルツブルク3枚 祝祭劇場、城からの眺め アウグスブルク モーツアルト父の家
     
ネルトリンゲン1枚 ディンケルスビュール4枚
    
ローテンブルク シュヴェービッシュ・ハル2枚 ハイデルベルク 
   
最後の宿泊シュロスホテル ヴァイルブルク4枚

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海外旅行記2007.8作成の冊子から 6

2011-04-23 16:48:19 | 『冊子50歳…』ツアー3含
 《参考写真》
   
ここまでの文中に出てきたもの 
    

《記念になったテレカ》 
始めは郵便局のボックスに入って電話したがカードを買うようにした
綺麗なのを!、と言うと探してくれたり選ばせてくれたり…
公衆電話をかける時は気をつけないと思わぬ被害に合うようだ
1枚が500円か1000円で3週間足りた   
     
購入地記入 左から ポルトガル、 パリ、 オランダ
       
左から ドイツ場所?、コンスタンツ、北ドイツヴェルニゲローデ、ヴィスマール 
  
左からミュンヘン(ルードヴィッヒ)、スイスジュネーブ、ウィーン(エリザベート)
   
左からスイス ベルン、マイリンゲン、サースフェー
  
左からチューリヒ オーストリア場所?、ユーロ場所?
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2007年夏に急ぎ完成させた手作り冊子の前書き部分を少し修正して終わりました
後は「ツアー分」を挟んで、1990年から1993年までの「ひとり旅4回分」です
でも、本番はその後の14回分の大仕事です 自信は50%かな~?
写真の枚数は始めは旅に夢中でゆとりがなくて少ないのですが、回が進むと
良い写真がいっぱいで、どれを選ぶか迷ってページ数が増えています
ブログ用ではどうなるかまだ見当つきませんが、やれる範囲で妥協しながら…
行程をコピーすると冊子通りにならず見難いのですがそのままで…
ここまで見ていただいた方々の参考になるように出来ればいいのですが…


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海外旅行記2007.8作成の冊子から 5

2011-04-21 13:25:21 | 『冊子50歳…』ツアー3含
《思い出》
*まず浮かんだのはジュネーブで近くのサレーブ山(1100mフランス領)に行った時のこと。山頂でハングライダーが次々とレマン湖へ飛立って行くのに見とれ時間も経ち、写真も撮りすぎたのでバス停に戻ったら、そこに10才位の2人の女の子がいた。ジュネーブはフランス語なのでバスの切符の買い方が分からず、来る時はバスの運転手が、いい!いうのでただ乗りになってしまった。今度は自販機があるから買えると思い、買い方を女の子に聞くとそれがなかなか理解できない。他に人はいないし「コルナヴァン行き」でないバスが来ると彼女たちはそれはダメといって教えてくれる。そのうち自分達のお財布を出して切符を買ってくれた。私がお金を渡しても受け取らない。バスがなかなか来ないし時刻表も見当たらず30分位経ってしまった時、切符をまた新しいのに買い替えてくれたのだ。もうこの切符は時間が過ぎて使えないから、という。バスを待つ間ずっとそばにいてくれた。私はフィルムが無くて彼女達を撮ることができないのを残念がった。それを知った彼女達は持っていたノートを切り取って自分たちの顔を描き発車間際のバスに走って持ってきてくれたのだ。いつまでも手を振って送ってくれた。その可愛らしい絵は大切にアルバムに張ってある

*次に浮かんだのはオーストリアのクリスティネ。彼女とはリエンツの教会で知り合った。30代の活発できれいな独身の人だ。教会で聴いたコンサートの指揮者とも知り合いらしく、その時のカセットテープもプレゼントしてもらい、レストランで食事までご馳走になった。私は安ホテルだったが部屋に案内して、家族の写真を見せたり折り紙で鶴を折って楽しく過ごした。来年は、ぜひ家に来るように!と言われていたので、翌年バーゼルのお宅のあとクリスティネ宅に向った。バーゼルからパノラマ列車に乗る私をブルノご夫妻に見送ってもらい、インスブルック経由6時間半列車に乗ってオーストリアのシュピタールに着いた。彼女がホームで待っていた。教会や彼女の父のお墓によってから、なんとも酷いポンコツ車で山の上の一軒家に向かった。途中で車が止まってしまうし暗くなるしエンジンは掛からず、どうなるのかと心配したが無事家に着いた。家の入り口近くの道にキリスト像もあった。家の人が狩猟した毛皮が壁一面に飾られ、用意してくれた部屋のベットにはチョコレートまで置いてあった。お母さんの焼くパンの釜の暖かさで家中が心地よかった。 次の日その家の周りにたくさん熟しているグミを取ってジュースにする手伝いもした。下を眺めると昨日乗ってきた列車が小さく見えた。あのポンコツ車で出かけるより私はここで一日過ごしたかったのだがハイリゲンブルート(1301m)へ連れて行くという。帰りはリエンツも回ってオーストリアの山(ドロミテ)を満喫した。でも7時間のドライブは気も遣うし疲れた。彼女は平和運動に関心があるようだった。2泊させてもらってから、大好きなミッテンヴァルトでこの旅の最後の夜を過ごした。 帰国後クリスティネが描く和服には遠く及ばないがユカタと簡単な帯、下駄など送った。彼女から大きなハートマークいっぱいの手紙が頻繁にきていたが途絶えてしまった。私の手紙は2回ともはるばる戻ってきている。

*バーゼルのブルノご夫妻とはスイスのクールからイタリアのティラノへ往復したとき帰りに知り合った。私はティラノに着いてもイタリア通貨はないし発車までの1時間を駅の周りや「箱根」という文字が機関車にあるのを写真に撮ったりして過ごした。列車に乗って待っているとブルノさん夫妻とお母さんが同席になった。ブルノさんは機関車に興味があり発車間際まで席に戻らなかった。しばらくして“これを食べませんか?”とサンドウィッチを勧められたので遠慮なくいただき、拙いドイツ語でクールまでの4時間半、会話したり車窓に感動の声を上げて過ごし再開を約束して別れた。そして次の年にバーゼルのホームでご夫妻の暖かい出迎えを受けた。お宅には私が出した手紙がきちんとファイルされていた。バーゼル市内を一緒に歩き回りレストランで食事をご馳走になった。翌年には、またバーゼル駅に出迎えていただき車でヌーシャテル湖畔の別荘に行った。別荘まで2時間以上とのこと。途中ドライブインのようなスーパーのような所に寄り、チーズフォンジュの材料を買ったり(私が食べたことないと言ったので)、明日は山に連れて行くといってブルノさんはリュックまで買った。別荘はフランス語圏で眼下にヌーシャテル湖を見渡す素晴らしい所。散歩をしながらサクランボをつんで食べたり、小さな教会に寄ったりした。翌日、私はお腹をこわしてしまいせっかくの山行きは止めになった。次の日は予定通り一人旅に出たのだが出てすぐ近くのローザンヌで列車事故がありブルノさんには随分心配をかけてしまった。その朝夫人はサンドイッチを作ってくれた。この素晴らしい別荘に4泊させていただいた。

*思い出は尽きない シャルニッツのミハエラ家、ルーデンのインゲボルク家、バーデンのクロニック家、ツェレのマーツさん、スイスではマイリンゲンのマリエさん、ヴィルのトーマさん、リースのドーラさん… 私の一人旅の恩人フィンランドのホータリ家とドイツのマーティン家 つづきはまたの機会に…


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海外旅行記2007.8作成の冊子から 4

2011-04-19 11:27:47 | 『冊子50歳…』ツアー3含
*荷物、服装
・荷物を出来る限り少なくする事はとても重要。多いと失くす、探す、くたびれる…と良いことはない。私は回を重ねるごとに減って、近年家を出る時はリュックの中に機内で身近に置くショルダーバックまで入れてしまう。リュックは2回目の旅行中に買った物を使い続けている。傘はポルトガルのを日ごろ愛用。必要になった時、現地調達することにして絞りきる。
・苦労するのは資料を減らすことだ。コピーは読める範囲に縮小する。小分けする封筒も無地にし、書くことを決めて使う。(ジッパー式は、かさ張るしメモ代わりにならない)印刷物の空きスペースには両面ぎっしり使って書き留めて紙数を増やさない。
・洗剤は空のフィルムケース2個に入れた分で間に合うし、化粧品は小さな提供品を使い切ってくる。(私が泊まった宿の殆どにタオルやボディ兼用のシャンプーはあった)
・着るものは洗ってすぐ乾く軽い物だけ厳選する。(宿に着いたらまず洗濯を優先し、生渇きになると思ったら明日も着ることにする)圧縮袋を利用した事があるが袋の分だけ重くなるし面倒だった。下着、Tシャツ等は柔らかなスカーフに包み、代えズボンや靴下はリュックの隙間にそのままつめる。 フォーマル用には絹のスカーフとイヤリングを手製の小袋に入れ、白い薄手のブラウスを持った。
・高価な品物は持たない。失くすことを考え時計も手持ちの安い方にする。
・しっかりと防水をする。(リュック、ショルダー、帽子、ズボン)
・カメラはミノルタ・ミューを8年愛用、140gでズームも無い2万円位の品だが現地でも自慢だった。
・フィルムは36枚撮り10個のと5個入り持参が多い。感度は100、メーカーに拘らずその時の特売品にする。買うまではあれこれ迷うが手振れと光量と構図の問題だと納得している。
・役立ちグッズとして日本の使用済み切手やテレフォンカ-ド、8cmサイズの和風の折り紙、ボールペンや鉛筆も日本語の入ったのを持っていくと交換したり上げたりして楽しい時間ができる。
・履物は履きなれたウォーキング用で、夜の音楽会でも目立たないものとか、現地で買い換えて捨てられるようなものにし換え用の靴は重くなるので持たない。外にも出られる軽いサンダルは必需品。
・眼鏡の予備も持つ。かなりの近眼なのでぶつかったり落としたら大変だから。
・薬は睡眠薬、痛み止め、胃腸薬、風邪薬をいつも持参するが、睡眠薬以外の出番はなかった。
・それまでの旅行記録(現地語表記)と、家族などの写真をL版24枚の簡単なアルバムに入れ、言葉が通じず、信用されない時に役立つかもしれないので必ず持っていく。
・雨の日や寒いとき用にフード付きの軽いコートも持つ。時期によっては折りたたみ傘も。 持ってくればよかったと後悔したことは無い。現地で調達したソックス、Tシャツ、歯ブラシ、栓ぬき、財布、ハサミ、口紅など思い出品として残った。 反対に持ってくるんじゃなかった! と後悔し苦労した経験が多い。そんな時は持参したもの(セーター、カセット、履物など)を船便で家に戻した。
・服装は着慣れてポケットが内と外にある上着、機内で楽なもの、直ぐ乾き軽い事に徹底的に拘る。
・旅に慣れるほど荷物は信じられないほど減った 無いなりに何とかなるし楽だから。

《体験記》
*ヒャーッとしたこと
・ブリュッセルに着き日本で直前に両替した現地紙幣が使えないと言われたこと。成田から直行便で着き、これから旅が始まるというのに駅で旧札だから切符が買えないという。後ろにはもう何人もの人が待っている。私は日本円で500円位の現地紙幣を20枚ほど大手の銀行で両替してきたのだ。明日国立銀行で両替できるということだが今どうしたら良いのか、困っていたら後ろの人が買ってくれた。150円位なのだがうれしかった。翌日は大きな国立銀行の入り口探しだけで疲れてしまったが、両替できてホッとすると同時になぜこんな紙幣を両替してよこしたのか腹が立った。帰国後その銀行に行って報告はしたが、ベルギーの紙幣はよく変わるとかの説明だけだった。こんな事もアリなので初日は宿も空港から近くし、ゆとりをとる事がベターだ。
・もう一つブリュッセルで出くわしたのだが、中央駅から空港行きの電車が30分経っても発車しなかったのだ。移動日なので2時間位ゆとりを取って出たがアナウンスも無く時々電気が消えて車内が真っ暗になったりした。 ベルギー3日間の旅の後ウィーンに行くところで、まだこれからの予定はいっぱいだ。そのうちに静かに座っていた人達が動き出した。前の座席の紳士に話しかけてみたら何とウィーンの人でこれから帰るのだという。そして“急いでタクシーで行きましょう、心配しなくても大丈夫!”といって、外へ出てタクシー探しをしたのだが、走って先回りをしないとつかまらずこれもヒヤヒヤした。その人のお蔭でウィーンに着くことが出来た。帰国後拙いドイツ語でお礼の手紙を書き日本的なものを同封して送った。
・オランダのホールンでこれから15日間続けて使用するユーロパスにデリバリースタンプを押してもらいに駅に行ったら「記入の文字が不鮮明」でダメだといわれたのだ。駅員はその大事なパスを奥の方に持っていってしまい、どうなるのかと気をもんだ。それまでの3日間はオランダでは切符を買って過ごし、これからオランダを出てドイツやスイスを回ることにしていたのだが、大事に体につけてリュックを背負ったりしている内に皺が出来てしまったのだ。やっとブツブツ言いながらそれでも笑顔でスタンプを押してもらえてホッとした。(旅行中最も大事なものはハンカチで作った袋状のものに細いゴムをつけ腹巻のように身につけていた)
・ドイツでは日本のニュースにも載った大きなICE列車事故の最中に旅行をしていた。コブレンツ滞在中で、その日あちこち列車に乗っていたのだがホームは静かで人は少ないし列車が遅れて何か変だと思ったが事故を知ったのは2日後だった。コッヘムの宿に21時(6月だからまだ明るい)には戻るつもりだったのが23時に駅に着いた。暗くなり人もいない道を15分、夢中で宿に戻った。次の日コッヘムで宿の人に薦められロープウエイで近くの山に登った。尾根を歩いてコッヘムの隣のクローテン駅へ下るのだが茂った森の中にだれも来ない。かすかに若いグループの声が聞こえ、間もなく挨拶を交わしてすれ違い、やっとこの道で大丈夫だ!と安心したが心細い思いをした。 1時間位で尾根を抜けると下には一面モーゼルワインになるブドウ畑が広がり小さく目指すクローテン駅が見えた。
・オーストリアでは2度水害の影響を受けた。1度目はボーデン湖の水が溢れブレゲンツ駅前も水浸しになっていたこと。その時、駅前に人は少なく、でも慌てる様子もないのが不思議だった。私は翌朝にわか作りの板を並べた遠回りの道を通り、駅に行き駅員に訪ねて、60歳以上は日曜はバスがタダということを知った。それなら急げ!と、貰った資料でエッグ、ショッペナウ、ベッツァウと次々に予定外のすばらしい景色を一日中堪能することができた。
2度目は2005年9月インスブルック~St.アントンが大水害で幹線の列車が復旧に3ヶ月以上掛かるという時だ。事前に知る事も出来た筈なのに…。ランデック~ブルデンツ~シュルンスと手軽に行けるつもりが列車は全く通らず、代替バスがずらりと行き先ごとに並んでいる中から確かめるという複雑なものになってしまった。バスの中から見た川の氾濫痕はすさまじく懸命に復旧作業をしていた人々の姿は忘れられない。この体験も無駄ではなく列車では見れない山々を眺め、いくつもの長いトンネルに驚き、人々の違う姿に接することができた。そしてプランも予定通りにこなした。
・スイスでは文化遺産のミシュスタイアに行った帰り、列車を乗り損ねそうになったのだ。サンモリッツからツェルネッツへ行き、それから1時間半バスに乗って(車窓が最高!)ミシュタイアに着き1時間15分教会などを見てからツェルネッツに戻り、また列車でグァルダ、シュクオールと足を伸ばした。シュクオールを17:45に乗りサンモリッツに帰る途中、往きの列車から見かけた教会に寄りたくなって18:00にラヴィンという小さな駅に途中下車した。時刻表では次の列車が18:48なので駅前のその教会の中をゆっくり見て駅に戻って待っていた。駅員も人もいないがスイスの事だし気にしていなかったのだが、列車の来るちょっと前に車できた人が、“このベルを押さないと通り過ぎてしまいますよ!”と教えてくれて間にあった。
・飛行機では成田からウィーン経由でミラノに行く時、大幅に遅れてウィーン発が最終便になった。ジュネーブから帰国する時、サベナベルギーが飛ばずエールフランスに変わった。ベルギーからの帰国便が大幅に遅れたが食事券が出たうえ、ビジネス座席に変更になった。 こうして書いてみると“ラッキーだったなあ”と。でもその時点ではハラハラした。

*出会い・一人旅だから出来ること
・旅行中は積極的にならなければ楽しくないと思う。幸い私はドイツ語をできるだけ使いたいという目的がある。一生懸命どの町に行きたいか考えて、ここを選んで来ているのだから町の人々には通じると思ってどんどん話しかけるようにした。教会や車中で知り合い10年以上文通している人が今も10人ほどいる。お招きにも遠慮せず便乗し、出会った翌年にお宅を訪問した家は5軒あり、2年続けてお世話になったお宅もある。文通は勉強になるしモーツアルトの切手が貼ってあったりしてツアーでは得られないことはいっぱいある。語学力、体力、気力が落ちてだんだん疎遠になるのが寂しい。でもその人達の笑顔と親切はいつまでも忘れることはない。
・一人旅はなんと言っても自由がいい。気に入れば気が済むまでいる、具合が悪ければ予定を変える、食べたくなければ食べない、寝たいとき寝るなどときりなく私向きなのだ。人それぞれ苦手なものがあるのだから無理をしない方がいい。



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海外旅行記2007.8作成の冊子から 3

2011-04-17 10:49:40 | 『冊子50歳…』ツアー3含

《私流の旅》 
 人それぞれに目的、環境、健康、趣味と違うわけで私の場合、まず安全を第一に考え、その上で出来るだけ安くあげて回を重ねられるようにした。ホテル、食事、コンサート選びなどはあまり拘らず、チャンスがあれば少々高いと思っても後悔しないようにしメリハリをつけた。荷物を軽くし常に手元から離さず、航空機も行きは必ず手荷物にできる範囲とし、スイスで便利といわれるライゼゲペック(旅行者手荷物託送システム)も利用しなかった。疲れたら連泊してその町をぶらぶらしたり車窓を楽しむ日にした。(列車の利用には、土、日の確認、本数、終電には乗らない等に注意) そして楽しい旅にするよう積極的に語学力に拘らず話しかけた。咄嗟の事態が起きた時点での出費にも心の準備はしておいた。(幸い危険や事故は皆無)

*予算と持っていくお金、両替
・1回の予算は30万円前後。(特別の食事、お土産や買い物は除く) 初めは帰国後の写真代が3万円もしたり、海外への郵便料金が高かったりと予想外な出費があった。
・航空券が安く入手出来た時は、日本でするホテル予約や旅行日数を増やした。
・持って行く円の現金は予備に5万円位、日本で両替した現地通貨は旅行にもよるが5万円程度。トラベラーズチェック(T/C)とクレジットカードが使える時は割安なのでそちらを優先。
・日本での両替はレートに注目し安いときT/Cにする。空港、現地で円からの両替はしない。
・現地での両替はT/Cを銀行で現地通貨にする。よい銀行が見つかった時は多めに両替しておく。

*行くところをどう絞っていくか
・何といっても参考になったのは“地球の歩き方”。どんな町か、交通の便はどうか、町の地図は載っているか、ホテルは駅の近くにあるか、歴史は…と丹念に見比べて絞っていく。
・日ごろから今度はどこにしようか?と図書館を大いに利用し多くの方々の旅行記や音楽関連の本を読み、専用のノートに気になることは書き留めておく。
・ドイツ他各国の日本の観光局には地図をはじめたくさんの美しい無料の資料が揃っていたので頂いてきて参考にした。先日07/6月ドイツ観光局に行ってみたら以前と同様資料がいっぱいあった。

*行く時期と期間
・5月~6月が日は長く気候もよく全般的には適当といえるが秋も冬もすばらしい。4月~9月の旅行はあっちへ、こっちへと体力の続く限り動き回り、10月~3月はゆったりプランにする。
・期間は私には3週間が限界かと。飛行機内の12時間どうしても眠れないので、その苦痛を思うとせっかく行ったら長く滞在したいが、一人旅では3週間位がいろいろな面で安全だと思う。

*安くあげるために
・成田往復は京成特急を利用し行きは充分な時間をとり上野で乗る(帰りはスカイライナーのことも)。
・購入済みの鉄道パスで利用できない所は避ける。スイスの登山電車は桁違いに追加料金が高い。
・幸い私は食い道楽でないのでサラミ、生ハム、酢キャベツ、ポテトそれにビール、ワインで大満足。(帰国してからの冷奴、お刺身、塩鮭でお茶づけは格別)
・日本で予約するホテルは到着日と帰国日は必ずしておく、現地で探す日は目的の町に早めに着き比較する。(2000年以降は現地で探す苦労の割りに時間的にも価格的にもメリットがなく日本予約が増えた)
・格安航空券は逐一変わるので安いのが出たら即購入、それから行き先を練る事も。

*語学について
・はじめてドイツ語に触れたのは一人旅をしたいと思った50歳ごろ。代々木にあった「ハイデルベルク」というドイツ語教室で基礎的な文法の授業を受けた。週3回で1回が2時間弱の授業に1年位行ったが挫折、以後はラジオの基礎講座や放送大学のテレビ、公文の教室にも行った。サークルを探し仲間入りした事もある。今は亜細亜大の聴講生になって5年目だ。とにかく細々続けてこられたのは毎年クリスマスに近況報告を兼ね日本のクリスマスカードに手紙を添えお世話になった方々と文通を続けたからだ。
・旅行しながらドイツ語の勉強をするのだ!”といつも思っている。日本でいくら授業料を払っても続きそうもない。だから旅行中に出まかせでも構わず何でも話しかける。すると相手は、ニコッとしてからべラベラ始める。おおげさに“ドイツ語が上手だ、どうやって勉強してるの?”と聞かれ“ラジオだけ!”と答えると、“何の先生なの?” と。“え?普通の主婦です!”というと、また驚いたゼスチャーをしてみせて分かりやすく説明してくれてそこからいろいろと発展もした。
・一人旅は何が起きても自分で解決するしかないのだから(私は英語が全くダメ) 緊急時の会話をコピーし、いつも取り出せるようにしておいた。(幸い一度も見ることはなかった)
・最低限の会話は必要だが欲張らなくても、1回毎に力はついて出まかせ語が出てくるようになる。
・地名を直ぐ読み取れるように、プランするとき繰り返し書くと役に立つ。

*ホテル予約と現地での部屋探し
・ユーロの高騰と加齢で日本での予約が増えたが、出来るだけ予約は少なくし日程を臨機応変に変えられるようにしている。(がんじがらめでは一人旅の魅力は半減する)
・到着日とその翌日は連泊にし、初日は駅のインフォメーションでゆっくり相談する日にする。
・帰国日前日は必ず発着地の近くに予約しておく。
・中間の予約は飛び飛びにし、なるべく連泊する。(不都合が起きて予約の取り消しなどの事態になった時、件数が多いと面倒)目的にもよるが2連泊の後、現地で探すパターンで。
・日本での予約は、最近は旅行会社HISで航空券、鉄道パス、ホテル共で利用している。
・現地の部屋探しは、「地球の歩き方」が頼りだが駅近くに“空室あり”(Zimmer Frei)の表示をあちこちに見かけるので、部屋を見せてもらい感じが良く料金が気に入ったら決める。シャワーが無くても共有の大きなバスがあって独り占めできたり、眺めを優先したことで思わぬ感動も味わった。朝食は付いているところにするが、早朝に出発予定のときは断って料金を引いてもらうこともあった。旅行する時期・イベントの有無・町の選び方に気をつけて行けば、現地のインフォメーションにも情報はたくさんあるし旅行者に慣れているので言葉の問題も少ない。大事なことは現地に早く着くゆとり時間だ。適当なものが無いときは駅のコインロッカーにリュックを預けて、気に入ったものを探す。駅に近いこと以外にも教会の鐘の音、川べり、旧市街などとせっかくその町に泊まるのだから優先順位は変わってくる。現地で探した宿の方が、日本で予約した「HOTEL」より断然思い出が深い。

*トーマスクック時刻表・地球の歩き方・H.I.Sの利用
・トーマスクック時刻表は慣れればとても簡単で便利だ。年4回出ているようだが大まかなプラン作りに最新版の必要は感じなかった。手持ちの版でコースの目安がついたら図書館の最新版で確認して変更が大きい時は買う。必ず必要部分だけを国ごとに切り取って持参する。(細かいプランは現地の鉄道インフォメーションに限る。駅構内に無料の時刻表もあったりする)
・地球の歩き方は本当に助かった。この本を頼りに旅行してきたとも言える。これでプランの仕上げをして、必要部分を切り取り土地ごとに、さらに国ごとにまとめ封筒に入れて使い易くする。 2000年頃までは、安宿探しにとても役立っていたが(利用者の声なども載っていた) 最近は宿の情報は減ってしまった。 でもこれほど私にとって有難い本はない。 切り取って持ち歩いた紙面には、そこでの事がいっぱい書き込まれ、握り締めていたこと、役だったことを思い出す。
・H.I.Sを最初に利用したのは1991年2回目の旅行だ。産声を上げたばかりで、新宿駅から15分位の青梅街道沿いSKビル8階にあった。エレベーターを出てすぐ前の部屋に入ると、若い声がいっせいに“いらっしゃいませ!”と迎えてくれたことを思い出す。最近はホテルの空き状況から、その場所まで目の前で答えを出してもらえるし、何より鉄道パスで国境を超える時に必要になるデリバリースタンプを無料で事前に押してくれたのは助かった。ユーロ圏が広がりこの心配は減ったのだと思うが、ドイツのパスに続けて同日に、チェコのパスを利用したいプランの時は心強い

*食事
朝食は安い宿でも簡単なものが付いていて大満足の朝食が多かった。昼食は地元の人で流行っているインビス、スタンド、公園のベンチ、おいしそうな物を買って宿で休憩を兼ねる…などさまざま。 夕食はスーパーで食料を調達し、宿でくつろぎながら、お金の計算、明日の予定、日記、テレビ付きの宿なら見たりしてビールを飲みながら。 ミネラルウォーターだけはいつも持ち歩いた。

*買い物
自分用には荷物にならず帽子に付けられる「その地の名入りのバッチ」が多い。額にきれいに並べて飾ってあるのをスイスで見てからは、あちこちで買っては帽子に付け “ここを旅行してきたんです!” と話題にして重宝した。 最後にリュックにしまい帰国した。 始めはどこに行ってもかわいい小物などが欲しくなって荷物を増やし苦労したが、後半はレートも悪く、体力もなくなり買う物は減った。あらかじめ日本から捨てられる靴や衣料で行き、新品に買い替えると良い思い出品になる。最後の日は買い物に適当な町を選びショッピングを楽しんだ 空港では残金整理やカードで免税店を利用した。







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海外旅行記2007.8作成の冊子から 2

2011-04-16 11:15:44 | 『冊子50歳…』ツアー3含
  
《はじめに》
 昨年70歳を目前にして私は躊躇していたパソコンを始めてみました。そして1年で何とブログまで開きました。予想もしない事が展開していく人生の中、自分で決められることは積極的に挑戦した方が豊かな人生になっていくと思うのです。そうは言っても不安、迷い、自信のなさにしり込みして1日が過ぎていってしまいます。今年、私は何が出来るかと考えて思いついたのが、54歳から18回、3週間前後の“ヨーロッパ一人旅”をしてきたことを本にしてみる事でした。 どう展開していくかは、さて置きやってみようと思ったのです。
 
 なぜ本にしたくなったかといえば
*実践した“列車乗降タイム記録”が、どなたかのお役に立ちそうなこと。
*一人旅をトラブルなしで続けるためにどんな注意が必要だったか、私の体験を伝えたい。
*一回の旅行で撮った写真(36枚撮り15本位が18回分)約一万枚の中から選んで公開したい。
*現地で知り合い、今も文通している海外の友人に、その時の写真の載った本を見せて驚かせたい。
*本に纏める作業の中で忘れていく思い出を引き戻し、記録しておきたい。
 
 役立つ本にしたいといっても、既に最初の一人旅(1990年)から18年も経っていて、当時の時刻表など通用する筈がないのに、敢えて“列車乗降タイム記録”に拘るのはそのコースです。 ごく普通の主婦が自分に合う旅をひねりだしトラブルなしで実現したものです。これらのコースは最新版のトーマスクック時刻表で修正しても実現可能だと思うのです。それを辿り距離感をつかみ、机上体験をして、旅の一部に繰り入れていただけるかもしれないと思ったのです。
 コースを決める時、まず駅近くに宿があり次に教会やオルガンのある町を選ぶ事が多いです。可愛らしい町、川、森、公園、お城、美術館とそれぞれに個性があり、たくさんの感動が待っていました。今もその小さな町には変わらない日常が待っているはずです。日本のお寺めぐりで、何処に行ったか思い出せないのと違い、さまざまな場面が鮮明に浮かんできます。
 目的地に着き、宿を決めリュックを置くと、まず教会に行ってご挨拶していました。(クリスチャンではないのですが) “お邪魔します、どうぞよろしくお願いします!”と。 そこでは思いがけず、今夜コンサートのある張り紙が目に入ったり、オルガンの練習が始まってひとり聞き入ったりもしました。 教会と宿が往復できれば、その町を安心して楽しめます。移動日の列車は疲れた足を休める絶好の日で、どの列車もガラガラでしたし車中の貴重な出会いもたくさんありました。
 私が一人旅に出たのは、何といってもクラシック音楽とヨーロッパが好きだからです。 当初Sonyのウォークマンが出たばかりで5万円もしましたが重くなるのも厭わず持って行きました。現地の人達にマイクを向けて録音し、それを皆で聞いて盛り上がったり、大好きなモーツアルトのカセットを聴きながら美しい車窓を見ての列車の旅も忘れられません。
 この18年間の大きな変化は、ユーロ誕生(2002年1月)とネット社会でしょう。 始めの頃、若者以外はユーレイルパスは一等車しか選べませんでしたしフライトの予約確認や各国の両替にも苦労しました。(スウェーデンの硬貨はとても立派で、これでお昼ご飯を!と思ったのに水も買えませんでした)
今はネットを活用すれば瞬時に解決していくことばかりで、時刻表、ホテルの予約と使いこなせれば便利に決まっています。 でもプランは、手探りで、自分流に、ゆっくり楽しみながら練っていくと思わぬ世界が広がっていきます。
 安く旅行をする事がモットーなので、今一番の問題はユーロが高過ぎることです。 “この美味しそうなサクランボがこんなにあって50円?” の喜びが味わえなくなりましたし3000円で泊まれる駅近くの宿はもう見つからないでしょう。 私は昨年出そびれてしまいましたが、以前が安すぎたのだ!と思って続けたいものです。
 現地に行った事で好きな音楽の世界だけでなく、歴史や異文化まで身近に感じられ、テレビを見ても本を読んでも、いろいろな光景と結びつき楽しみ方が倍増しています。 苦労があったからこんなに記憶に残るのでしょう。 一人旅は不安と緊張の連続であることは確かです。 あちこちに書き込んでいたメモや、とぎれとぎれの日記を、今読んでみると “あー そうだった!” と、緊張して必死になっていた様子が可笑しくもなってきます。 そして懐かしさで胸がいっぱいになります。
 一人旅をすばらしい旅で終わらせるためには、無理のないプランを作り、充分に下調べをし、最小限の地理を頭にいれて、身軽に出かけることでしょう  緊急対策には念を入れた上で 
 一人旅に踏み切れない方のお役に立つ本に仕上げられることを願いつつ…      2007.4.20
(なんと、この2日後4.22夫が救急車で入院、思いも寄らぬ運命が待っていました)


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海外旅行記2007.8作成の冊子から 1

2011-04-15 17:58:13 | 『冊子50歳…』ツアー3含
  
A4で40頁に仕上げた手作り冊子からコピーしてみます
4年前の気持とは違いますが、まず文章部分をほぼそのままで
 

項 目
Ⅰ《はじめに》
Ⅱ《旅行日・利用航空機など》
Ⅲ《私流の旅》             
*予算と持っていくお金・両替      *ホテル予約と現地での部屋探し 
*行く所をどう絞っていくか        *トーマスクック・地球の歩き方・HIS
*行く時期と期間            *荷物、服装             
*安くあげるために           *買い物
*語学について             *食事
Ⅳ《体験記》
*ヒャーッとしたこと          *チャンス 
*出合い・一人旅だからできること    *初めてのヨーロッパとツアー旅行
Ⅴ《年度別行程記録 時刻、付随文、写真付き》

《旅行日・利用航空機など》
       
        旅行期間   滞在数 利用航空会社    鉄道パス     レート目安
01回目 1990.05.23~06.09 (18日) フィンランド ユーレール15日一等   1DM \95
02回目 1991.05.28~06.13 (17日) 大韓航空   ユーレール15日一等   1DM \85
03回目 1992.03.29~04.19 (22日) フィンランド ユーレール15日一等   1DM \82
04回目 1993.06.28~07.18 (21日) KLM オランダ ユーレール15日一等   1DM \70
05回目 1994.06.14~07.05 (22日) AOM フランス  ユーロパス10日二等   1DM \65
06回目 1995.11.22~12.07 (16日) ルフトハンザ       なし     1DM \63
07回目 1997.06.09~06.28 (20日) サベナベルギー オーストリア5日二等 1AS \10
08回目 1998.05.25~06.10 (17日) キャセイ   ユーロパス 7日二等 1DM \80
09回目 1998.10.01~10.15 (15日) スイス    スイス 8日二等  1SF \95
10回目 1999.05.18~07.07 (21日) オーストリア オーストリア5日二等  1AS \10
11回目 2000.05.31~06.23 (24日) サベナベルギー ユーロパス 6日二等  1DM \51
12回目 2001.01.23~02.01 (10日) スイス         なし    1SF \72
13回目 2001.06.15~07.06 (22日) サベナベルギー ドイツパス 9日二等 1DM \53
14回目 2002.02.06~02.13 ( 8日) オーストリア      なし   078AS→296€
15回目 2002.09.29~10.17 (19日) KLM&フランス オランダ3日二等/スイス8日二等1€\121
16回目 2003.07.16~07.31 (16日) スカンジナビア  ドイツ5日二等/チェコ8日二等1€\123
17回目 2004.08.30~09.15 (17日) スイス    スイス8日二等/イタリア5日二等1€ \135
18回目 2005.08.30~09.16 (18日) オーストリア  イタリア/オーストリア各5日二等1€\139
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コピーすると列が原稿通りに揃いません 納得できないまま投稿です
出来上がっている5回までのこの冊子は、2007年夏ちょうど「手作り本を作る」という
講座が近所で始まるのが目にとまり参加して急遽完成させたものです 
読むとあちこち気になりますが、先に進まないので手直しは諦めて…
取りあえず5回までを入れ、6回からの記録に入りたいのです
表紙を「50歳からのヨーロッパ旅行」としたのは、参考に!の思いからで私の
一人旅は54歳から69歳まで、その後10年のパスポートが白紙のまま中断しています



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ヨーロッパの旅を纏めたい

2011-04-09 19:23:03 | 『冊子50歳…』ツアー3含

怪我をしたことや地震の不安で"あれこれ片付けなければ!”と思う日々
まず「ヨーロッパの旅」の写真が厚い何冊ものアルバムになっているのが
気になる いざという時、持ち出せない どうコンパクトにする?と、見ているが
全行程をメモ入りで収めてあるアルバムから写真を抜き出す気にならない 
音楽関係、教会、世界文化遺産、国別や自分の写ったものなどに纏めたい 
でもそれは更にデジカメに撮ることになり写真が増えてしまう結果に
“まっ、こんな時間は宝かな~”と、今日も眺めて進展なし

小冊子「50歳からのヨーロッパ旅行」(2007年夏作成)に一人旅4回(1993年)まで
写真も入れて完成しているのだから、その続きの冊子を作りたい!
ブログと並行しながら 5回目からをやろう!と、そこまでを見直すと
気に入らない所だらけ 直していてはまた振り出しになるし…
20年間で、ツアー3回を含めると21回の旅行だ 簡単にはいかない
「バッハ編」の小冊子は完成しているが…(2008年夏)

このブログをはじめて4年経ち花の写真、行事、別荘など思いつくまま
拙い文と写真で続けてきた A4版に印刷し日記としても残った
3.11大震災で大変な今、日々感じることはあるがブログに“私のヨーロッパ旅 ”
と宣言し自分にプレッシャーをかけて旅行記の完成を目指そうと思う
何回もやりかけて中断している 「今やらなければもう出来ない」気がする
私の人生の節目を振り返ると、10歳終戦、20歳結婚、51歳はじめての海外、
60歳注文住宅新築、65歳現在地転居、71歳夫の入院、75歳を前に大震災だ

カテゴリー「海外」を見ると2008.4.18出来上がった「50歳からのヨーロッパ旅行」5冊の表紙 
2008.10.8完成した「バッハ編」の表紙 思い出品①2010.1.13 その② その③ その④ 
2010.9.16一人旅2,3,4回の行程 2011.1.5に5回目の行程
モーツアルト、ショパン、ハイドンなどの記事・写真載せたが旅全体を見やすくする方法?
ない知識で模索中 完全を目指さず “ま~いいか~~”で、想い出の詰った旅を
忘れ去る前に少しでも記録できればそれでいいと… 楽しみながらやろう 
どこからどう始めるかも決まらない宣言だが 
「50歳からのヨーロッパ旅行」の次号冊子完成を“75歳の節目”に加えたい!
 
   
2008.4.18投稿済みの 2007.8月出来上がった「ヨーロッパ旅行」4回までと
2008.10.8投稿済みの 2008.8月出来上がった「バッハ編」の手作り冊子

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50歳からの欧州旅 手作り冊子完

2008-04-18 17:36:10 | 『冊子50歳…』ツアー3含
あれから(2007.4月)一年、いろいろありましたがブログ再開してみます
いま一人旅のアルバムが癒しになっています
ほぼ年に1度3週間前後でドイツ語圏中心に18回旅行しました
無事故でラッキーに続けられたのは細心の準備があったからと自負しています
その経験を本にしたいと思ったのが1年前でした 
ちょうど「手作り本を作る」という講座が目にとまり五冊はできました 
その原稿書き、スキャナーの挑戦と忙しい去年の夏でした
とても満足できるものではありませんが4回の旅行までを40頁で仕上げました
でも本では写真が制限されます 1回の旅行に36枚撮り15本平均撮っているのです
ブログに少しづつ載せて自分史代わりにしたいと思いますが
スキャナで写真から取り込んだ画像を見てがっかりです
ネガも整理してあるのでネガでやり直すか?また問題発生です


40ページで出来上がった5冊です




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