かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

身辺雑記(1)

2017-06-09 10:02:36 | わがうちなるつれづれの記

     〇梅雨入りの朝

梅雨入りと発表すると、その途端晴れ間がつづくときがあると気象庁の

人が言っていました。

今朝も晴れでした。いつもより遅い散歩に出ようと、マンションの

玄関を出ました。

ちょうど小学生たちが集団登校に出発する間際でした。

隣人のじゅんなママが、「さあ行くよ」と子どもたちに声をかけました。

「晴空はまだ来ていないなあ」と見ていたら、ランドセルを半分だけ背負

い、母の桃子に何か絡みながらや前のアパートから出てきました。

歩きはじめた子どもらに混じりながら、方向は学校へと向かいました。

二年ばかり、学校へ行きたがらなかった孫晴空(はるく)はこの4月からは

何を思ったか、行きはじめたのでした。行かないときもあるようですが。

散歩の途中で、車に乗った桃子に会いました。

「どこへ行くの?」とぼく。

「風友(ふゆ)がバスに乗り遅れたんで、高校まで送ってくるの」

朝のいろいろ。

ちょっとした散歩でも、出会いがあり、それぞれの人が身近になります。

 

        〇ゴーヤの苗立て

何日か前、梅雨入り寸前、午後、部屋の東側の窓の外から、なにやら話し

声が聞こえてきました。

その日は坐っているだけでも息苦しく、「立つのは億劫だなあ」とジッと

していました。

「何してるんだろう?」

やっと立って、窓を開けたら、恩田さんと息子の譲が竹を窓に向かって

組んでいるところでした。

「ああ、ゴーヤかあ」

「土はどうするん?」と恩田さんに聞きました。

「えっ、もう置いたよ」

窓の内側から、その下を見たら、リンゴの木箱にもう土が入っている。

「小浪さんが苗を買ってくると思うよ」と恩田さん。


どこかで、恩田さんがあちこちの家にゴーヤのカーテンつくりたい、

そんな気持ちがあると耳にしていました。

夏、午前中の東から日差しは凄いのでした。

「前から、東の窓にゴーヤカーテンほしいと思っていた」と小浪にポツリ。

その後、その話題は出なくなり、時期も遅いし、今年はできないなあ、と

していました。

ところがです、ぼくが知らないところで、話しが進んでいたようです。

翌日、ゴーヤの苗が植えられていました。

萎れて、葉っぱが黄がかっている苗もありました。

小浪が苗の売り場で、値引きしないと買わないと言って、手にいれたんだ

そうです。

その日、雨でした。ゴーヤの苗よ、元気に育て!

 

                      〇額あじさい

小雨が降ってました。

益子さんが、額あじさいと白い菊のような花を届けてくれました。

額あじさいは、淡い紅色で清楚で可憐な印象でした。

居間には使っていない火鉢があります。

その上に板を置いて、物置き場にしないで、花があったらいいね、

ということでした。

いっとき、孔雀サボテンの花が咲いたというので、その鉢が置かれて

ました。

蕾がいくつもあり、見事な大輪の赤紫の花を咲かせました。

立派な花でしたが、この居間の、その空間にはちょっとばかり、

そぐわないように見えました。

しばらく何もない時期がありました。

そこへ、額あじさいがやってきました。

小浪が花瓶に生けてくれました。

「うーん、やっぱっり、これが落ち着くなあ」と納得でした。

生け花と西洋のフラワーアレンジメントの違いについて、読んだことが

あります。

ある花道家の方は、「フラワーアレンジメントは花によって空間を

埋めようとするのですが、生け花は花によって空間を生かそうとする」

と明快に答えたということです。

このことの深い意味は、正直わかりません。なんとなく、そうかあ、

とはおもいました。

花瓶が額あじさいが置かれた空間が、これなら気持ちが落ち着くという

感触が生まれました。

この花は益子さんの庭から、採ってきてくれたと聞きました。

 

        〇わが家の理美容

髪を切って整えるのは、やっぱ理容と言うんでしょうね。

子ども時分は、散髪とか言っていましたが、理容のほうがかっこいのでは

ないでしょうか。ただ、理容というコトバには馴れていないと感じます。

もう、髪の毛は少なくなってきています。

耳に髪がかかって来ると、さっぱり切って欲しい気持ちになります。

中野豪さんにラインします。

「理容、〇〇か〇〇の午後、いつでも。いい時間連絡ください」

「火曜日の午後2時どうですか?」

「オーケーの絵文字」

なかの理美容室はわが家から500メートル。

心臓リハビリの散歩には、うってつけ。

その日は、途中公園で一服して、やっと理容室に辿りつきました。

豪さんの鋏使いはテキパキして、速いです。

あんまり速いので、はじめのころ、どうなることかと不安でしたが、

仕上がりはちゃんと髪は整い、爽やかな気分になります。

眉毛が毛深く、ほうおっておったら、仙人みたいに垂れ下がってきます。

それも、ちゃちゃと剃ってくれます。

昨年12月、一ヶ月不整脈の手術で入院して、年末退院したときは、

帰って真っ先に中野さんとこへ、行きました。

そのときは、ふだんはやらない洗髪をしてくれました。

中野さんの指が頭皮をもみほぐすように、痛くはなく、しっかり擦って

くれました。心地よかったです。

その夜、なんと息が出来なくなり、救急車で、再び病院にもどらなくては

なりませんでした。

なかの理容室は予約して、やってもらって、帰ってくるだけなんです。

当たり前でしょうかね。

なんとなく、わが家の理容室という気持ちがあるのですが。

 

       〇はたけ公園

理容のあと、はたけ公園経由で帰ろうと思いました。

はたけ公園までは300mぐらいですが、休み休み行きました。

公園周囲の紫陽花は咲きはじめていましたが、最盛期の旺盛な花の

活気を感じませんでした。

一周したらそんなところにも出会えたかもしれませんが、止めました。

公園の中に入ったら、中井さんがはたけの中で、ジッとあちこち見つめて

いました。

近づいていくと西瓜のはたけでした。

もうところどころに、棒が立っています。

「実が大きくなったら、採るやつなんだ」と中井さん。

西瓜づくりが好きなんだなあ、と感じる。

毎年、生育とか出来映えが違うらしい。天候やそれへの適応やいろいろ

条件が変わってくる。それが、面白いらしい。

「7月10日に食べられる」と。

出来た西瓜は、コミュニテイの人たちや、訪れる人たちにむしゃぶり

ついてもらえる。これは、嬉しいことじゃないかなあ。

あとで、片山弘子さんのブログを見ました。

「若いお父さんお母さん達のアイデアで、ビオトープが出来、オリーブや

グミも苗木が育ちはじめ、楽しみが増えている。

ジャガ芋や茄子はこれから収穫、今度の週末に、サツマイモが植えられる。

3週間連続して、ガイアエデュケーション、持続可能な社会づくりカレッ

ジ、経営カレッジの人たちがスタディツアーで、ここを訪れた。

何を思っての毎日の活動かを、ファームの小林さんから聴き、参加した

みなさんの心も、鎧や兜を払って、ありのままに、響きあっていく」

はたけ公園って、ただ「はたけ」と「公園」が、こんな形でありますよ、

というだけでなく、ここにかかわる人たち、一人ひとりの願いがあり、

それが自分勝手にやっているようで、なんだかそれぞれが生かし合って

いる現れがあるんでしょうか。

 

         〇水路の端にて

はたけ公園で中井さんと別れ、帰路につきました。

農業用の水路に沿って歩きました。

しばらく歩くと、息が切れて、用水路の鉄柵に凭れて休みました。

水路の向こうで老人が何か見ていました。

「何をみてるんですか?」と声かけました。

ぼくに気づいた老人は、耳が遠いのか、水路を渡ってぼくの方に

きました。

「これまで黒鯉がおったんだが、いないなあ」

「そうですか」と相槌打つと、この水路の水源について説明してくれ

ました。

「はあ」とかいっていると、ジョウロを指差して、その先につけている

シャワーは外している、と聞きました。

どうも、水路にゴミが多く、はたけにジョウロで水撒きしようとすると、

詰まってしまうので、外しているということでした。

雨が欲しいという話になり、「雨量を測るのは、バケツではダメ。

寸胴の容器じゃないとちゃんと測れない」

どうも、気象庁はあてにしていないらしい。

「50ミリは降ってもわらわんと」

「そうですか」と継ぎ目のない話を聞きもらすまいと聞いている。

語り口の声が、籠もっていて聞き取りにくいのでした。

「大根の種まきは、桜の散る寸前じゃないとダメなんだ」と強調して

いました。

春大根は辛いとなり、我が家で食べるときは1週間で2本ぐらいか、

みたいな話になっていきました。

柵に凭れているとはいうものの、疲れてきました。

切れ目をなんとか、見つけて、「じゃあ」と口を挟み、その場を

離れました。

老人が育てているはたけは、土もよく、手入れが行き届いているように

見えました。

 

         〇お迎え

しばらく水路に沿って歩きましたが、その日は息切れが激しく、休み休み

歩けないことはないけど、ここで頑張るかなあ、と考えて、小浪にラインを

して、迎えを頼みました。

大通りに近いところで坐って迎えを待っていました。

しばらくすると、路地から小浪の運転する車が水路に向かってやって

きました。

ぼくの目線からは、小浪の車と対面しているし、ぼくが腰掛けている

ところもみてくれた、とてっきり思いました。

ところが、水路を渡ると、右に曲がり、大通りに出て行ってしまい

ました。

「おかしいなあ」と思いながら、小浪の車のほうに歩いて行くと、やっと

ぼくに気がついたようでした。

無事、出会いました。

「ぼくが見えなかったんかい?」

「大通りの入口で待っていると言ってたでしょ」

「大通りの入り口のあたりと言ったつもりだけどなあ」

こんな夫婦の会話でした。

こんな会話、いつまでつづけるのかなあ。

以前はいやな気持ちをお互い、引きずっていた感がありました。

今は、それほど引きずっていない感じです。

ホントのとこ、分かりませんが。

それぞれ、何か引きずらない秘策があるようです。

 

かくてその日の散歩は出会いや心を観察する機会がありました。