かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

身辺雑記(2)

2017-06-15 10:22:26 | わがうちなるつれづれの記

         〇阿古曾天国

散歩に出かけようとマンションの玄関に立つと、「あのゴーヤは

どうなっているんだろう」と気になります。

一階東の窓下に置かれたリンゴ箱の中でゴーヤの苗はまだ細い蔓を

精一杯のばして、ネットに絡みついている苗もありました。

「なんとか、いけるかな」

と、見ていましたら、東隣のピアノ屋さんの駐車場を歩きながら、

こちらを見ている男の人と目が会いました。

会釈しました。

さあ、散歩に出ようと歩きはじめたら、その男性と並んで歩く格好に

なりました。

50代に近く見え、肥っていました。

「何ですか?」と男性。

「ゴーヤです」

一見すると、強面に感じたけど、声を聞いたら気持ちが緩みました。

「ゴーヤできたら、もっていってください」

ふと、口をついて出ていました。

「ありがとう」と返ってきて、「それはいい」、見たいな気持ちがある

のかな、と感じました。

「ぼくの店、そこなんです。チャイムというカフェです。よかったら

飲みに来てください」

いとも、軽い調子でした。

そのお店は「あごそ天国」と看板が立っている広場にありました。

 

東と北にL字型の長屋があります。そこに、間口2間のお店が7軒が

入っています。

「あそこですよ」男の人は、指差してくれました。

お店の看板がしゃれていました。

 


7年前、この地区に引っ越してきたときからあごそ天国はあって、L字

の長屋に何軒かお店がありましたが、ちょっと暗くて、何か寂れた風情

でありました。

南端は居酒屋風で夜になると、お客さんが寄ってきて、カラオケの

歌がもれて聞こえていました。

広場の南に、道を挟んで、アパートがあります。

壁に「摩天楼」と書かれてあります。

アジア系の住民が15世帯入っています。

住民は個々の世帯には違いないけど、結構住民同士よくしゃべって

いるし、夏などはバーベキューで煙につつまれながら、とても

賑やかです。

 


あごそ天国横丁の風情は嫌いじゃなかったのです。最近お店が長屋に

すべて入ったみたいで、活気が出てきています。

お店の前で、バーベキューしたり、あるときは、男たちでワイワイ、

バイクの分解をやっていたりします。

最近、散歩であごそ天国の前をよく通るようになり、そこの人たち

と、挨拶を交わすわけではないですが、近しい気持ちになって

います。



                   〇花しょうぶまつり

何日か前、妻が「結婚した日、覚えてる」とボソッと聞いてきました。

そういえば、毎年この時期になると、そんな話題がちょっぴり

顔をだしていたなあ。

「うーん、覚えてないなあ。でも、今頃だったかな」


そういえば、最近、妻とちょっとした話のとき、妻の気持ちを

受けとめられなかった、と振り返るときがありました。

(そういうことは、望んではいないですが、ときどきあります)

何か、いやな感じがあり、その日の夜、寝床でそれが何なのか

こころの内をいろいろ観察していました。

そのとき、ふとお見合いをして、少しだけお付き合いをして、

結婚したころのこと、思い出しました。

「うーん、ぼくは妻に惚れていたかもしれない」

ぽっと、温かというか、やさしい気持ち、そんなものがこころに

灯った感触がありました。

当時の気持ちあまり覚えていないのですが、ボヤッとした記憶に

焦点を当てていると、そんな感じが浮かびあがってきました。


とうわけで、結婚したのは、1986年6月13日。

再婚同士でしたが、もう30年になるのでした。

記念の何かしたいな、と妻と話しました。

どこかで外食しよう程度の案しか出ませんでした。

二人とも、その後、その話題から遠くなって、忘れかけていま

した。

6月13日、午後、昼寝から覚めたら、妻が「竹本さんの写真を

見た」と聞いてきました。

「亀山の花しょうぶまつりに行かないの?」

「おいおい、なんのこと?」

「竹本さんのラインに写真があるでしょ。それ見たら、行きたい

と思わないの?」

「おいおい、ぼくは見ていないんだ」

「なんで見ないの?」

「・・・・?」

見たら、花しょうぶが咲き乱れている写真が載っていました。

そのとき、カラダがだるく、動くのが億劫でした。

そのとき、ふと、「今日は結婚記念日だったけ」と思い出し

ました。

「じゃあ、行こうか」

「うん、帰りに温泉も」

「それはいい」


妻の運転で、亀山の花しょうぶ園を目指しました。

しょうぶ園の駐車場から入り口を探しました。

とても急な階段と坂道が遥か下まで降りていました。

深い谷になっています。

「これはダメだ。平らなところから入れるところがなかったら、

帰り、この坂道は歩けない。やめとくは」

「下までいって、平地の入り口ないか、見てくる!」と妻。

とっとと、降りていきました。

することもないので、階段に坐っていました。

涼しい風が肌を撫でて行きます。

そんなカラダの状態をしみじみ味わいました。


しばらく経って、「こっち来て、平地の入り口があったわよ」

と妻が戻ってきました。

やっと、花しょうぶ園になんとか歩いて入ることができました。

日差しはきついですが、風が涼やかで心地よかったです。

何十種類もの花しょうぶがそれぞれの区画に棲み分けて、

今が盛りの花の群もあれば、蕾が多く、もう少し遅れて花を

咲かせる群れ、1年目の区画、2年目の区画など、とても多彩な

園庭でした。

花に埋まりながら、ゆったりと鑑賞している人たちの様子を

見ていると、気持ちが休まりました。

 

「いっしょに歩きたい」とぼくが言って、しばらく歩きましたが、途中、

妻は足が痛いといって、東屋に坐っていました。

花しょうぶとあやめや杜若(かきつばた)の違いをネットで調べて

いました。

 毎年、生半可に理解して、1年たつとまたもやもやと「どこが違う」

 と問うてきています。

 今回は、妻によると、

 

1、あやめとしょうぶはどちらも漢字で書くと「菖蒲」なんですね。

 2、でも漢字は同じでも菖蒲(アヤメ)と菖蒲(ショウブ)は別物。

 3、菖蒲(ショウブ)と菖蒲園などで見る花菖蒲(ハナショウブ)も別物。

 4、だからアヤメとショウブとハナショウそれに「いずれがあやめ、かきつばた」

   の杜若(カキツバタ)が加わって4つ巴のぐちゃぐちゃ。

 

 らしい。

菖蒲はサトイモ科で、花しょうぶ・アヤメ・カキツバタはアヤメ科

だという。花しょうぶ・カキツバタの違いは花の元の形状が違う

らしい。

らしいが、ここまで来て「それを知って何になるのだろう?」と思った。

 韓国では、草の種類はいろいろあるけど、「草」というコトバで

 すべてを表しているとか。おおらかだな、と今回そのおおらかさで、

もうこれ以上の詮索は止めておこう、っと。


帰り際に、ぼくら夫婦も花を前にして、写真が撮りたいと

思いましたが、周りに撮ってくれる人が見当たらないし、もう

これ以上歩くのは無理があると思って、車に戻りました

この後、温泉に行きました。

今晩 の夕食はすこし張り込もうと、お刺身と牛肉少々買って

来て、ささやかな結婚記念日の晩餐をしました。

夫婦のテーマはこれからも、つづくなんですが。


      

        〇おばあちゃん、逝く

おばあちゃんといっても、30年前別れた妻の母上のことです。

6月14日午前に静かに息を引き取ったということです。90歳半ばの

歳だったのではないでしょうか。

前妻の間には、太郎と桃子の二人がいます。

太郎は今、40歳、桃子は、35歳。

おばあちゃんとしては、孫が二人です。

前妻と離婚したあとも、おばあちゃんは、、孫二人が成長していく

のを見守ってくれていました。


ときに、「おばあちゃん、それは違うでしょ」というときもあり

ましたが、情の深さではいつも有難いと感じてきました。

桃子は、高校1年から短大2年まで、おばあちゃんのところから、

学校へ行かせてもらいました。

太郎は30歳の後半から、おばあちゃんとお母さんが暮らす家に

入って、厄介になってきています。

最近、結婚をして、新居に引越ししているときでした。

桃子は、一回結婚したのですが、6年前に別れ、子ども2人を連れて、

ぼくらが住む鈴鹿に引っ越してきました。


おばあちゃんの死は、桃子が知らせてくれました。

しばらく、これまでのことを、なんとなく、ポツリポツリと二人で

思い出していました。

やっぱり、見守られてきたんだなあ、感慨です。

これからどうなるかは、家族の一人ひとりの生き方が現れてくるの

でしょう。

また、それぞれが満ち足りた気持ちで暮せるよう、見合って

いきたいです。

 


 


 



 

 

       

 

 

満タン

2017-06-14 10:34:54 | 鈴鹿カルチャーステーション企画に参加して

6月10日午後、鈴鹿カルチャーセンターで「叱らない子育て」という

セミナーがありました。

講演者は、愛知県の小学校で子どもたちとかかわって暮している現役

の先生です。

新間(あらま)草海先生。

若い感じですが、もう40歳越えているかな。

本名は伏せておきたいと言っていました。

30歳から学校の先生になることを目指し、今は学級担任を任せて

もらえるまでなったそうです。

どんなこと聞けるか、楽しみでした。この先生の20代のころを

少しだけ知っていました。

講演会の始まる時間に出かけたら、大広間に人がぎっしり。

70人ぐらい、入っていたんじゃないかな。

地域の若いお母さんも結構来ていて、関心の高さを目の当たりに

しました。


「叱らない子育て」というのが、気に入らないという”ぼやき”から

入りました。

こういう講演会ははじめてで、緊張していると言っていましたが、

なかなかどうして聞いている人の気持ちを引き付けていました。

「なにも、叱らないことがしたくて、子どもたちとともに暮して

いるわけじゃないんです」・・どんなことがしたいんだろう?


学級担当は、学期末、校長さんが来期担当するクラス名が書いて

ある封筒を先生方の前において、それぞれの先生に選んでもらう

のだそうです。どの学校もそうかどうかは、分かりません。

ある年、新間先生が行ってみると、一つの封筒だけに新間先生の

名前が書かれてありました。

この封筒を見てみると、前学期、学級崩壊をしていたと見られて

いたクラスだったそうです。

同僚の先生方から、「たいへんねえ」とか「頑張って」とか声を

かけられて、戸惑った言います。

「どうなるかな?」と言う気持ちもあって、新学期がはじまり

ましたが、子どもたちは一人ひとり、とても元気に勉強をして、

よく遊び、学期末には「先生ありがとう」というメッセージを

たくさんもらいました。

なんで、こんなことになったのか、いまでもよく分かりません、

と振り返っていました。


おもしろいですね。

そんな1年を過ごした先生が、なぜそんなふうになったか、首を

傾げているんです。気がついてみると叱ったことがなかった。

 

たしかに、講演のはじめに「子どもにはこころがある」って、かなり

大きくスクリーンに映していました。キーワードではあるのでしょう。

見ていた人はどう、うけとったでしょうか?

ぼくは、なんとなく「そうだよな」と思いました。

こういうことは、結構いろいろなところで言われているんじゃないで

しょうか?

でも、実際の場面ではどんな現れをするかとなると、こころもとないです。

 


あらま先生は、子どもと過ごした日々のやりとりを、ありのまま、率直に

語ってくれました。

算数の時間、ある子がお腹が痛いと訴えてきました。なんでも、教壇の

前まで出てくるようです。当然、授業はストップします。

「どんなふうなの?」と聞いたりしていると、10分ぐらいはかかって

しまいます。

そこで、思いついたのが、笑っている顔が1、しかめつらのような顔が3、

もう痛くてたまらないとような顔を5にして、、この3つを絵を描き、

1から5まで番号をつけました。

お腹が痛くなった子には、「どの辺?」と聞くと、「4と5の間」とか

指差します。5だったら、保健室に行くことになります。

その子は、算数が分からないので、お腹が痛くなるみたいでした。


(「そうか、そういうこともあるのかもしれない」と思いました。)


それが、展開して、その表を使って、子どものこころの状態を、

「いまどの辺?」と子どもに指差してもらう関係ができたようです。

おもしろいです。

子ども自身が、「いまのぼくの状態は?」と難しいことばでいえば

観察する方向なんですね。

 

それから、聞いていて面白いとおもったのは、朝の出発にあたって、挨拶

をするとか、先生の話とか順番にしていくのですが、最後に「まんたん」と

コーナーがあるというのです。

あらま先生、突然、聴いている参加者に、「まんたん」ってどんなことだ

と思いますかと振ってきました。

「ちょっと、隣の人と考えてみてくれますか?」

軽い調子で声かけました。

(あらま先生、こんな感じで子どもたちとやっているのかなあ・・・)

 

聞いている人たちが、「???」でいるところで、解説。

「まんたん、っていうのは、いま、こころが満タンかどうか。いま、

満タンにしてみよう、ってやるんです」

これを2分ぐらい、子どもたちにやってもらうんです」

(なるほど・・・)

「もちろん、その朝、いろいろあって、満タンになっていないことが

あってもいいんです。満タンがこころの中で、浮かんできていたら」

「いやあ、この満タンって、わが身を振り返るのに、うまいコトバだ

なあ」と響きました。

 

子どもたちが、案外、先のことや、こうやろうということが分かって

いないんだなあと気がついたそうです。子供たちは、つねに不安な

気持ちですごしているんじゃないか。

あらま先生、そこで朝とかクラスの終わりに、これから何があるのか、

どこがポイントか、何をしたらいいかなど、何日もかけて説明したという

のです。先のことが分かってくると、それぞれの子は自分でその準備を

するということでした。

なんか、おまけにあらま先生のクラスの学力も、まあまあ良かったとか。

 

あらま先生が一貫してこころを傾けていたことがあったんだな、と

伝わってきました。


あらま先生のお話のあと、今回のセミナーを企画しておふくろさん弁当」

の社長係の岸浪龍さんから、お弁当屋さんの会社経営の話がありました。

人と人の間で、責めたり、やらせたり、やらされたりの関係が気がついて

みると、無くなっているということでした。

あらま先生のクラス運営、学級経営とも響き合って、世界が広がりました。

龍さんが最近、各地から招待されて、講演会をしていますが、ぼくは聞くのが

はじめてで、あった話をしていくので、聞きやすかったです。

 

講演会のあと、質問コーナーがありました。

あるお母さんはあらま先生が「学級崩壊したっていい」と発言したことに、

「なぜそう思うのか聞かせてほしい」と訪ねました。

あらま先生「学級崩壊といっても、たんなるイメージだとおもっています。

実際は、クラスの一人ひとりの子どもたちがいるだけなんでよね」

なにか、はっとするものがありました。

 

「叱らないとか、責めないという話はきいたんですが、褒めるというのが

出てこなかったのですが、そのへんはどう考えていらしゃいますか?」

あらま先生「そうですね、子どもらが何かやったり、考えたりしている

ことを見たり、聞いたりしたとき、ああ!とかおお!とか、感嘆符は

でてきますが、褒めようとおもったことはないですね。その子は、その子

として、”満タン”なっているかどうか、じぶんもその一人として、やって

いきたいとはおもっています」


あらま先生の子どもたちとの日々の体験談から、先生がこころしている

辺が伝わってきて、そこから新しい自分や学校や社会への出会いが

ありました。

こういう体験が、学校、父母、教育の関係者、そうですね、直接かかわっ

ている人でなくとも、伝わったら、いろいろ顧みて、検討するキッカケに

なるかも知れません。



そうそう、このセミナーに地元のケーブルテレビの方が取材に

来られていました。

よかったら、見てください。

 https://www.youtube.com/watch?v=hX53F_LDtLg&feature=youtu.be



身辺雑記(1)

2017-06-09 10:02:36 | わがうちなるつれづれの記

     〇梅雨入りの朝

梅雨入りと発表すると、その途端晴れ間がつづくときがあると気象庁の

人が言っていました。

今朝も晴れでした。いつもより遅い散歩に出ようと、マンションの

玄関を出ました。

ちょうど小学生たちが集団登校に出発する間際でした。

隣人のじゅんなママが、「さあ行くよ」と子どもたちに声をかけました。

「晴空はまだ来ていないなあ」と見ていたら、ランドセルを半分だけ背負

い、母の桃子に何か絡みながらや前のアパートから出てきました。

歩きはじめた子どもらに混じりながら、方向は学校へと向かいました。

二年ばかり、学校へ行きたがらなかった孫晴空(はるく)はこの4月からは

何を思ったか、行きはじめたのでした。行かないときもあるようですが。

散歩の途中で、車に乗った桃子に会いました。

「どこへ行くの?」とぼく。

「風友(ふゆ)がバスに乗り遅れたんで、高校まで送ってくるの」

朝のいろいろ。

ちょっとした散歩でも、出会いがあり、それぞれの人が身近になります。

 

        〇ゴーヤの苗立て

何日か前、梅雨入り寸前、午後、部屋の東側の窓の外から、なにやら話し

声が聞こえてきました。

その日は坐っているだけでも息苦しく、「立つのは億劫だなあ」とジッと

していました。

「何してるんだろう?」

やっと立って、窓を開けたら、恩田さんと息子の譲が竹を窓に向かって

組んでいるところでした。

「ああ、ゴーヤかあ」

「土はどうするん?」と恩田さんに聞きました。

「えっ、もう置いたよ」

窓の内側から、その下を見たら、リンゴの木箱にもう土が入っている。

「小浪さんが苗を買ってくると思うよ」と恩田さん。


どこかで、恩田さんがあちこちの家にゴーヤのカーテンつくりたい、

そんな気持ちがあると耳にしていました。

夏、午前中の東から日差しは凄いのでした。

「前から、東の窓にゴーヤカーテンほしいと思っていた」と小浪にポツリ。

その後、その話題は出なくなり、時期も遅いし、今年はできないなあ、と

していました。

ところがです、ぼくが知らないところで、話しが進んでいたようです。

翌日、ゴーヤの苗が植えられていました。

萎れて、葉っぱが黄がかっている苗もありました。

小浪が苗の売り場で、値引きしないと買わないと言って、手にいれたんだ

そうです。

その日、雨でした。ゴーヤの苗よ、元気に育て!

 

                      〇額あじさい

小雨が降ってました。

益子さんが、額あじさいと白い菊のような花を届けてくれました。

額あじさいは、淡い紅色で清楚で可憐な印象でした。

居間には使っていない火鉢があります。

その上に板を置いて、物置き場にしないで、花があったらいいね、

ということでした。

いっとき、孔雀サボテンの花が咲いたというので、その鉢が置かれて

ました。

蕾がいくつもあり、見事な大輪の赤紫の花を咲かせました。

立派な花でしたが、この居間の、その空間にはちょっとばかり、

そぐわないように見えました。

しばらく何もない時期がありました。

そこへ、額あじさいがやってきました。

小浪が花瓶に生けてくれました。

「うーん、やっぱっり、これが落ち着くなあ」と納得でした。

生け花と西洋のフラワーアレンジメントの違いについて、読んだことが

あります。

ある花道家の方は、「フラワーアレンジメントは花によって空間を

埋めようとするのですが、生け花は花によって空間を生かそうとする」

と明快に答えたということです。

このことの深い意味は、正直わかりません。なんとなく、そうかあ、

とはおもいました。

花瓶が額あじさいが置かれた空間が、これなら気持ちが落ち着くという

感触が生まれました。

この花は益子さんの庭から、採ってきてくれたと聞きました。

 

        〇わが家の理美容

髪を切って整えるのは、やっぱ理容と言うんでしょうね。

子ども時分は、散髪とか言っていましたが、理容のほうがかっこいのでは

ないでしょうか。ただ、理容というコトバには馴れていないと感じます。

もう、髪の毛は少なくなってきています。

耳に髪がかかって来ると、さっぱり切って欲しい気持ちになります。

中野豪さんにラインします。

「理容、〇〇か〇〇の午後、いつでも。いい時間連絡ください」

「火曜日の午後2時どうですか?」

「オーケーの絵文字」

なかの理美容室はわが家から500メートル。

心臓リハビリの散歩には、うってつけ。

その日は、途中公園で一服して、やっと理容室に辿りつきました。

豪さんの鋏使いはテキパキして、速いです。

あんまり速いので、はじめのころ、どうなることかと不安でしたが、

仕上がりはちゃんと髪は整い、爽やかな気分になります。

眉毛が毛深く、ほうおっておったら、仙人みたいに垂れ下がってきます。

それも、ちゃちゃと剃ってくれます。

昨年12月、一ヶ月不整脈の手術で入院して、年末退院したときは、

帰って真っ先に中野さんとこへ、行きました。

そのときは、ふだんはやらない洗髪をしてくれました。

中野さんの指が頭皮をもみほぐすように、痛くはなく、しっかり擦って

くれました。心地よかったです。

その夜、なんと息が出来なくなり、救急車で、再び病院にもどらなくては

なりませんでした。

なかの理容室は予約して、やってもらって、帰ってくるだけなんです。

当たり前でしょうかね。

なんとなく、わが家の理容室という気持ちがあるのですが。

 

       〇はたけ公園

理容のあと、はたけ公園経由で帰ろうと思いました。

はたけ公園までは300mぐらいですが、休み休み行きました。

公園周囲の紫陽花は咲きはじめていましたが、最盛期の旺盛な花の

活気を感じませんでした。

一周したらそんなところにも出会えたかもしれませんが、止めました。

公園の中に入ったら、中井さんがはたけの中で、ジッとあちこち見つめて

いました。

近づいていくと西瓜のはたけでした。

もうところどころに、棒が立っています。

「実が大きくなったら、採るやつなんだ」と中井さん。

西瓜づくりが好きなんだなあ、と感じる。

毎年、生育とか出来映えが違うらしい。天候やそれへの適応やいろいろ

条件が変わってくる。それが、面白いらしい。

「7月10日に食べられる」と。

出来た西瓜は、コミュニテイの人たちや、訪れる人たちにむしゃぶり

ついてもらえる。これは、嬉しいことじゃないかなあ。

あとで、片山弘子さんのブログを見ました。

「若いお父さんお母さん達のアイデアで、ビオトープが出来、オリーブや

グミも苗木が育ちはじめ、楽しみが増えている。

ジャガ芋や茄子はこれから収穫、今度の週末に、サツマイモが植えられる。

3週間連続して、ガイアエデュケーション、持続可能な社会づくりカレッ

ジ、経営カレッジの人たちがスタディツアーで、ここを訪れた。

何を思っての毎日の活動かを、ファームの小林さんから聴き、参加した

みなさんの心も、鎧や兜を払って、ありのままに、響きあっていく」

はたけ公園って、ただ「はたけ」と「公園」が、こんな形でありますよ、

というだけでなく、ここにかかわる人たち、一人ひとりの願いがあり、

それが自分勝手にやっているようで、なんだかそれぞれが生かし合って

いる現れがあるんでしょうか。

 

         〇水路の端にて

はたけ公園で中井さんと別れ、帰路につきました。

農業用の水路に沿って歩きました。

しばらく歩くと、息が切れて、用水路の鉄柵に凭れて休みました。

水路の向こうで老人が何か見ていました。

「何をみてるんですか?」と声かけました。

ぼくに気づいた老人は、耳が遠いのか、水路を渡ってぼくの方に

きました。

「これまで黒鯉がおったんだが、いないなあ」

「そうですか」と相槌打つと、この水路の水源について説明してくれ

ました。

「はあ」とかいっていると、ジョウロを指差して、その先につけている

シャワーは外している、と聞きました。

どうも、水路にゴミが多く、はたけにジョウロで水撒きしようとすると、

詰まってしまうので、外しているということでした。

雨が欲しいという話になり、「雨量を測るのは、バケツではダメ。

寸胴の容器じゃないとちゃんと測れない」

どうも、気象庁はあてにしていないらしい。

「50ミリは降ってもわらわんと」

「そうですか」と継ぎ目のない話を聞きもらすまいと聞いている。

語り口の声が、籠もっていて聞き取りにくいのでした。

「大根の種まきは、桜の散る寸前じゃないとダメなんだ」と強調して

いました。

春大根は辛いとなり、我が家で食べるときは1週間で2本ぐらいか、

みたいな話になっていきました。

柵に凭れているとはいうものの、疲れてきました。

切れ目をなんとか、見つけて、「じゃあ」と口を挟み、その場を

離れました。

老人が育てているはたけは、土もよく、手入れが行き届いているように

見えました。

 

         〇お迎え

しばらく水路に沿って歩きましたが、その日は息切れが激しく、休み休み

歩けないことはないけど、ここで頑張るかなあ、と考えて、小浪にラインを

して、迎えを頼みました。

大通りに近いところで坐って迎えを待っていました。

しばらくすると、路地から小浪の運転する車が水路に向かってやって

きました。

ぼくの目線からは、小浪の車と対面しているし、ぼくが腰掛けている

ところもみてくれた、とてっきり思いました。

ところが、水路を渡ると、右に曲がり、大通りに出て行ってしまい

ました。

「おかしいなあ」と思いながら、小浪の車のほうに歩いて行くと、やっと

ぼくに気がついたようでした。

無事、出会いました。

「ぼくが見えなかったんかい?」

「大通りの入口で待っていると言ってたでしょ」

「大通りの入り口のあたりと言ったつもりだけどなあ」

こんな夫婦の会話でした。

こんな会話、いつまでつづけるのかなあ。

以前はいやな気持ちをお互い、引きずっていた感がありました。

今は、それほど引きずっていない感じです。

ホントのとこ、分かりませんが。

それぞれ、何か引きずらない秘策があるようです。

 

かくてその日の散歩は出会いや心を観察する機会がありました。